あず・あい・にーちゅ
私はある日悟った。散歩では、痩せないのだと。停滞期に入って二週間。90kgから92kgにリバウンドしかけて、一体どうしたらこの現象を止められるのかを悩んだ。
今まで運動として散歩を取り入れていたが、膝が痛くなくなっても、歩くスピードも上げなければ、距離も長くしなかった。唯、漫然と歩く。それでは「体を絞りたいとき」の痩せ方はしないのだ。
私はウォーキングの仕方を学んだ。意識的に腕を振って、歩幅は広めのフォームを保って、軽く息が上がり、汗をかくくらい歩く。
ウォーキングの時の速度と距離は、個人の体力や関節の痛みなどと考慮して決めても良いらしいが、今の私の体は「より限界までの戒め」を必要としている。
私は、ジャージを一揃い、「運動着」にすることにした。汗で冷えないようにインナーを三重に着て、それらしく、ジャージの喉元にタオルを押し込んだ。
そしてウォーキング用のスニーカーを履き、耳にワイヤレスイヤホンを入れる。BGMは、みみりんの「らぶ・みぃ・あず・あい・にゅーちゅ」にした。
訳すと、「愛して。貴方が必要だから」と言う、なんとも泣かせるタイトルだが、曲調は非常にポップで、みみり教の者達には「天国を感じられる」…つまり、ノリノリに成れる曲だ。
スマホをジャージのポケットに入れ、念のために500mlペットボトルにうっすいスポーツドリンクを入れたものを持って、外に出る。
秋真っ盛りと言う言葉があるか分からないが、その空気は、緩んでいる心と緩んでいる腹をビシッと引き締めてくれるような気がする。
耳元では、ループ設定にした、みみりんのエンジェルボイスが私に愛を囁いている。
準備は出来た。後は歩くだけだ。
5分後。息が上がってきた。汗もかいてきた。平日から歩くことに慣れてきていたため、足裏は未だ持つ。腕をジョギングのようなフォームで動かし、膝をなるべく伸ばすように心がけた。
最初は、こんなデブが腹をタプタプさせながらウォーキングっぽい事をしているなんて、笑われるかな…と思っていたが、すれ違うご近所の人の視線はそんなに冷たい物でも無かった。
特に暖かくもないが、ちらっとこっちを見ても、表情も変えずにみんな目をそらす。「ああ、運動してるんだね」くらいの反応だと私は受け取った。
さらに5分後。息を通し続けた喉が渇いてきた。手で持っているペットボトルは非常に邪魔だ。重さを分散するために、右手に持ち替えたり左手に持ち替えたりしていた。
しかし、開始10分で給水するなど…甘えている! と、私は思った。せめて後5分。みみりんがあと2回「あず・あい・にーちゅ!」と締めの歌詞を唱えてくれてから、一口目を飲もう。
ウォーキング開始から15分後。膝裏が痛くなって来たので、途中にあった公園で一休みする事にした。ベンチにぐったりと寄りかかり、うっすいスポーツドリンクをちびちび飲む。
遊具で子供が遊んでおり、その見守りをしている親や一緒に遊んでいる親がいる。子供って言うのは、ああ言う風に身のこなしが軽いものなのか。全体的に小さいから軽いのかな…などと思った。
私は小さい時も重量とサイズがあったので、公園の遊具で遊んだ記憶がほとんどない。子供なら行き来できたり通り抜けられる小さな空間に入ると、他の子供達の邪魔になってしまうので、それを理由に因縁を付けられたりもした。
コンクリートの山の上にある、象さん滑り台の鼻の上に開いた穴から出る時に、既に腹の横が引っかかっていたのは…懐かしくないが確かな記憶として頭の中に在る。
その頃は既に首が太り始めており、もう少しで母親の理想が叶う所だった。
なので、遊具で遊ぶと他の子に怒られると言うと、母親は「みっちゃんがカワイイから、嫉妬してるのよ」と、唐変木な事を言っていた。
母親の美的感覚的に私がどう見えるとか、そう言う話ではないのだ。子供にとって、デブは唯のデブだ。運動機能も鈍いし、足も遅いし、何も尊敬する所がない。憐れまれたり邪魔にされたりすれ、デブに惚れる子供はいない。よっぽどの、根っからの、デブ専でもない限り。
休憩時間を抜いても、合計30分のウォーキングをして家に帰ると、玄関に毒親の顔をした母親が仁王立ちになっていた。
「なんだよ」と言うと、「あんた、本当に、痩せれば良いと思ってるの?」と言って、母親愛用のでかい手鏡を上下に移動させながら見せてくる。脂の無くなった私の顔や首の皮膚はたるみ、それまで「張りの在った」腹の形状も、下っ腹のほうに輪郭が寄って行っている。
「そんな姿の何処が良いのよ! 全然カワイクないじゃない!」と、母親は悲鳴を上げる。
「皮膚は、運動すればそのうち収縮するんだよ」と、俺はウェブで得た知識を挙げた。「皮膚がたるんでるのは、脂肪が消費されてるってことだ。筋肉を付ければ治る」と。
「ひょろひょろになったりしたら、絶対許さないからね! あなたは私の子なんですから、私の…」
「理想道理のデブで居ろって?」と、私は母親の台詞を遮って行った。「で、動脈硬化とか糖尿病になって、さっさと死んで、貯金と保険金を寄越せって?」
母親はわなわなと震え出し、玄関にうずくまると訳の分からない叫び声をあげて泣き出した。