祈るための護符としての
私は、ポスターを部屋に飾ると言うことが出来なかった。写真であれ、みみりんの姿がそこにあり、視線がこっちに向いていると思うと、畏れ多くなって顔面から火が出そうになるからだ。
そんな純粋な瞳で、こんな醜い私を観ないでくれ。そんな思いが常に頭の中を渦巻き、羞恥心の極みを私に味合わせた。そのために、今まで、部屋にポスターを張ると言う事を避けてきた。
通販で買って、大事に押し入れの奥にしまっていたポスターやブロマイドをいくつか取り出し、私は部屋にある自分用冷蔵庫の前に、サイズが丁度良い物をテープで貼り付けた。
まさに天上の神が遣わした使者が、無垢な笑顔をいっぱいにこちらを見つめ返してくる。保護フィルムの照り返しではない。彼女の顔は、姿は、確かに輝いていて、私には直視不可能だ。
指の間から、恐る恐るその笑顔を見つめ、思わず私もニタニタしてから、きっと気持ち悪い表情をしてしまっていたと思って、さらに恥ずかしくなった。
これだけ護符としての効果があるなら、冷蔵庫の中に残っている食料を、無作為に食い荒らしてしまうと言う事態は避けられるだろう。
それともう一つ。私は、自分の部屋に、鏡を置いた。醜い顔面だけではない。全身が観れる姿見を買って設置した。其処には、細長い姿見から横幅がはみ出ている自分が映った。
私の頭の中で、一つの意識が囁いた。「もしかしたら、こんなトドみたいな体形は、案外『可愛い中年』に見えたりするんだろうか」と。
その意識が悪意であることも、私の理想を妨げる母親と言う悪魔の囁きであることも、理解していた。子供の頃から、何度も何度も母親に言われた「カワイイ」の言葉。あの言葉を聞くたびに、私は恐ろしい羞恥に震えた。
常々思っていたが、母には、私は「太ってるペット」なのだ。自分のペットが自分の理想の体形をしていない事を拒んでいる。だからこそ、なんだのかんだの言いながら私に過食を勧めてくる。
私は、みみりんの笑顔で封印された冷蔵庫の中に在る食料を、机の上でメモに書き出した。
「6個入りチーズ2箱。牛乳1リットル。納豆3セットが2つ。豆腐3セットが2つ。シラタキ3袋。こんにゃく3袋。冷凍野菜5袋。食パン1斤。レンジご飯6個入り1セット」と。
この他に、インスタントスープとカップ麺の類を組み合わせて、1週間を生き抜くことにした。カップ麺は主に昼食にするために箱買いをした。
もちろん、いずれ「魔の箱」になるであろうカップ麺の箱にも、スキャナで取り込んでプリントアウトした、みみりんの写真を貼っておいた。
光沢紙を使ったが、インクでのプリントアウトになると神々しさは薄れる気がする。しかし、空腹に負けそうになった私が、我に返るきっかけにはなる。
室内での運動をのための道具も用意した。なんでも、筋トレと言うのは特別な道具が無くても誰でも出来るものらしい。念のために、ボトルベルとヨガマットだけ用意した。
私はその日から、食事制限と筋トレを始めた。
体を動かすことは、ひたすら苦痛だった。膝が常に少し曲がっていて、痛みから直立で運動をすることが出来ず、最初は横たわってできる動作を試してみた。
ヨガマットに寝ころんだまま、腕を上下左右に真っ直ぐ動かすだけでも、何となく肩と胸筋が使えている…気がする。横たわった状態で、真っ直ぐにした脚を上に上げてみようと思った。瞬時に腰痛に成った。
体を動かすのは、少しずつ始めたほうが良いようだ。
体を動かすと、空腹はすぐに襲ってきた。しかし、私は準備していた。粉末のスポーツドリンクを。これを2リットルの水差しに少量入れ、水で薄めて、ちびちびと飲む。
だが、ちびちびと飲んでいるはずなのに、2リットルの水差しはあっと言う間に空に成った。おかしいなぁと思いながら、お代わりを注ぎにキッチンに行ったとき、私は気づいた。
私が部屋で使っているグラスは、異様に大きい。グラスと言うよりタンブラーだ。ビールを飲むとき使っていた物をそのまま使っていたので、グラスがでかいと言う意識がなかったのだ。
翌日。会社から家に帰ると、ワザと匂いを流しているだろうと思わんばかりの、ビーフカレーの芳醇な香りが玄関まで届いてきた。
しかし、そんな事で私の信仰心は揺らがない。私は嫌がらせを受けているんだと自分に言い聞かせ、ダイニングをスルーした。
自分の部屋に籠り、まずは冷蔵庫に貼られた、みみりんのブロマイドを、手を合わせて拝む。
そして、「愚鈍な私に、スポーツドリンクを飲む罪をお許しください」と唱えてから、冷やして置いた水差しを取り出す。
水を飲んでからもう一度冷蔵庫の前に行き、もう一度ブロマイドを拝んで、「下賤な私に、豆腐と野菜を食べる罪をお許しください」と唱えてから、冷ややっこサイズの豆腐をひとつと、冷凍野菜を取り出す。
自分の部屋にはレンジと調味料が無いので、気は引けるがキッチンまで野菜を解凍しに行った。