呪われた「もったいない」
週末には散歩をして、平日は会社からの帰りにバス停を一区間歩くようになった。しかし、体重は一向に減らないし、体形も全然変わらない。唯々、膝と足裏が痛くなっただけだった。
会社の昼休み。私の机の上には、重箱の一段を全部使っているような弁当箱の中に、母親の「お仕着せがましい愛情」がつまっている。
今日はゴボウと人参のきんぴらと、甘い玉子焼きと、ドレッシングで和えてサラダに見せかけたパスタと、タルタルソースたっぷりのエビフライ、そしてその下に大量の米が入っていた。
私がダイエットを言い出してから、母親は嫌がらせの様に食べさせようとし始めた。その時にしばしば、「あんなにスリムな何々さんは、毎日フライドポテトを食べている」とか、「あんなに痩せて居る何々さんも、痩せたかったら食べたほうが良いって言ってる」とか、「適度な栄養を摂取しながらじゃないと、痩せないのよ?」とか言い、適度ではない量の飯を押し付けてくる。
私が、溺れる程の飯を食いながら、「これは適度では無いよなぁ」と思うのも、同僚の食べている弁当をチラ見したり、ハンバーガー1個やカップ麺1杯で昼飯を済ませている同僚を知っているからだ。
人間は、重箱一段分の昼飯を食わなくても、生きていられるのだ。だが、何故か私は「弁当を捨てる」と言うことが出来ない。どうしても、「もったいない」と思ってしまう。
思い出してみると、私は幼少期からデブだった。子供はふっくらして居るほうがカワイイと言う「猫は太っていた方がカワイイ」みたいな感じの母親の意見と、子供の喜ぶ顔見たさにおやつを摂取させ続けてくる祖母の意見が合っていたのだ。
私が煎餅ではなくポテチ、あんこよりチョコレートが好きだと言うと、祖母は揚げ芋のスナック菓子とチョコレート菓子をたくさん買って、毎日私に摂取させた。そこに、母親の「飯で埋め尽くす愛」が重なり、加速度的に太った私は、小学校の体重測定で肥満児に認定された。
小学校の給食では、必ずお代わりをした。それでも食べ足りない時は、こっそり持って行っていたポケット菓子を誰にも見られないような場所で食べた。
しかし、こそこそしている奴を見つけるのが子供と言うものだ。同級生の告げ口により学校で菓子を食べていることがばれ、教師からこっぴどく怒られた後、「お母さんにも伝えておきますからね」と言われた。
母親からは、何故お菓子を持って行ったのかを聞かれた。「お腹が空くから」と答えると、母親は「学校に行ってる間は、我慢しなさい」と言われ、祖母からは「家でいっぱい食べれば良い」と言われた。
此処でも、母と祖母の意見は合ったのだ。父親が「食べさせ過ぎじゃないか?」と言うと、母親は「子供の内はたくさん食べて、体を作らなきゃならないの」と、もっともらしい事を言い、祖母は「背が伸びればすぐ痩せるわ」と言っていた。
そして、私はフォアグラを作るための鴨のように、浴びる程食べることに成った。
やがて背が伸び始めて…高校生の頃、165cmで止まった。それでも、私の「呼吸するように食べ続ける生活」は変わらなかった。
運動部に入っているわけではないので、身体を守るための肉ではなく、本当に要らない肉が体の輪郭を丸くし、母親は首と顎の輪郭が一体化した私を、「カワイイ。カワイイ」と言って大喜びをした。
その頃、老いていた祖母が亡くなった。祖母と、ほとんど最後に交わした言葉を覚えている。
私が、祖母の入院していた病院で、床に落とした小さなチョコレートを捨てようとした時、「もったいない。洗って食べなさい」と言われたのだ。
私は誰かが土足で歩いた床に落ちたチョコレートを食べるのが嫌だったので、「洗ってくる」と言って洗面所に行き、ゴミ箱にチョコレートを捨てた。
その日の夜に、祖母は亡くなった。私は、「私がチョコレートを捨てたからだ」と思ってしまった。其処から、私は一切の食べ物を捨てられなくなった。呪いにかかったように。
食事の記録を取るだけでダイエットになると聞いてから、私は食事日記を書くようになった。何を何時に食べたかを書くだけで良いらしい。
その情報を調べている時、初めて「カロリー」と言うものがあると知った。パッケージ裏の食品表示で「○○kcal」と書かれている謎の文字の意味が、ようやく分かったのだ。
今まで、食べ物のパッケージに書かれている記載なんて、ほとんど意識してなかった。意識した所と言うと、表面に描かれている味と商品名の記載だけだった。
成人の基本摂取カロリーは1日約2000キロカロリーだとされている。スマホで写真を撮ると自動的にカロリーを計算してくれるアプリをダウンロードして、毎日の食事を写真に撮るようになった。
結果はすぐに出た。私は、1日で、3日分くらいのカロリーを摂取していた。そして、体には必要最低限の筋肉しか付いていない。基礎代謝と言う物をどれだけ上げても、恐らくへなへなの筋肉はカロリーを消費してくれない。
どうする? と、自分に問いかけた。そして、私は二回目の決意をした。「今日から、飯、要らないから。弁当も、要らないから」と、料理を作ろうとしていた母親に告げたのだ。