痩せよう。天使に逢うために
写真でさえも、目が合ったらこちらの目から炎が出るかも知れないと本当に思えるほど、私はとあるアイドルにフォーリンラブをかましている。
彼女の、女子ってものはこうでなくちゃと思わせる声を聞き、愛くるしい表情と動作を脳内に収め、時に媚びるようにこちらに振られるが、世の男共の手は握手会でしか握ったことが無いと言う禁断の領域の中に在る華奢な手を持った彼女を、私は愛と尊敬と羨望と色んな思いを込めて、「みみりん」と呼んでいる。
水城みのりと名乗る彼女の名前を略した、彼女の信者達の中で呼ばれる「天使名」だ。そう。彼女は妖精ではない。男をたぶらかすような存在ではない。天使なのだ。この狂った世界を救済に来た天使なのだ。と、我々「みみり教」の者達は信仰している。
しかし、彼女がアイドルとして世にデビューし、5年がたつ頃、私の信仰心は、堕落してしまった。デビュー当時12歳だった、まさに天使の年齢の彼女は、5年の間に急成長し、他者を狂わせる「女の香り」を漂わせるようになってしまったのだ。
特に、みみりんの近くに行って体臭を嗅いだとか、そう言う話ではない。
毎日のダンスの訓練で美しく形成されていく女性の肉体美とか、決して「敢えて」子供っぽく振舞おうとしない所作や、幼かった子猫のような声が、煌くような高音域を残したまま、大人の声帯の持つ少し太い低音域を獲得して行ってる過程…それ等を総合して、「香り」と表現している。
そんな彼女を見ていて、私はいつしか彼女を「女性」として見ていた。そして思った。
痩せよう。と。
身長165cmの私の体には、要らない肉が多すぎる。要らない肉が多すぎる以前に、必要な肉が存在しない。子供の頃から、体幹を鍛えた事のないぐにょぐにょの体をしていたので、腹筋を引き締めると言う動作さえ、ろくに出来ない。1秒くらい引き締められても、すぐに筋肉が痛くなって、必要ない肉達をまとめ上げておくことが出来ず、開放してしまう。
その1秒の引き締めが必要なのは、主に勤務用のスラックスをのボタンを留める時だけだ。普段は腹部分のゆったりしたゴムのジャージや、スウェットを着ている。そして、腹の要らない肉は伸びきっているゴムの圧力を逆に制圧しようとしている。
つまり、ゴムウエストの上と下に肉が開放され、ヒョウタンのような体形になっている状態だ。腕はボンレスハム、指は一本一本がソーセージのようで、関節らしきものがあるのが奇跡に思える。
自分の顔面をつくづくと観ようとは思えない。首と言う物が、顎と同じ太さじゃないはずだなんて思った過去があっただろうか。
手指は何も塗って居なくても常にギトギトと脂ぎって…いや、潤っていて、その潤いはたぶん、顔が痒かったり髪が痒かった時に触れて付いた汗と皮脂によるものだった。
こんな醜い姿で、握手会やライブ会場に行ったことは無い。あの天使の清らかな手に、こんな薄汚い垢と脂にまみれた手で、触れて良いはずがない。そんな事をしたら、別の信者達から私刑に合う。いや、それ以前に罪の意識で―もしかしたら、幸せの極みを忘れたくないがためかも知れないが―電車でも河でも高層ビルの屋上からでも良いので、死ぬはずの場所に飛び降りるかも知れない。
みみりんの事はウェブで知り、「みみり教」の仲間とは、某サイトのスレッドで知り合った。
5年前は、唯々幸せだった。神の福音を、愛を歌うために地上に降臨した天使を、ウェブ画面で眺めて、私の要らない肉で埋まっている口の中でもごもごと声を合わせて歌をなぞって、歌詞中の彼女の決め台詞「ストラーイク!」を、一緒に唱える。それだけで満たされていた。
だが、時は経過してしまい、私は天使の信者から、美少女アイドルに恋焦がれるデブの中年になり下がった。
こんな狂った世界で、みみりんは、今日も少しずつ成長している。そして、私は、少しずつ髪の毛が細くなって行っている。髪の毛の隙間から頭皮が見えてしまうのも時間の問題だ。
この危機的状況の中、私は決断するしかなかった。
髪の毛が無くならないうちに、ほっそりと痩せたイケてる中年として、握手会に参加して、あの天使の手を握るのだ。
私が力を込めて握ったりしたら、きっと骨が折れてしまうだろう。そっと優しく手を差し出し、彼女が両手でその手を包んでくれると言う喜びに打ち震え、一言、イケボで「応援してるよ」と伝えるのだ。
みみりんの中で、私と言う人間の印象を、「素敵な大人の人」に固定化してほしいのだ。
それだけのために、私は立ち上がった。
3秒後、膝が痛くなって座りなおした。