【6章】人を、呼びますよ
毎月第一金曜日夜八時更新予定。
予定。あくまで予定。
【6章】人を、呼びますよ
人混みを駆け抜ける。
小さな体は走りやすい。
身体中が高揚していくらでも走れそうだ。
コロシアムの外に出た所で少年に預けた服を忘れてきた事に気付いた。
このままでは帰れない。
雲行きも怪しくなってきた。
この時期の天候は変わりやすい。
『一度戻って……』
くるりと進路を変えようとした時だった。
身体の力がするりと抜けていく。
昨日の雨でぬかるんだ地に足を取られる。
市場の道にぬかるみはなかった。
ちゃんと整備する人間がいるんだな、とまったく別の事を考えていると、べしゃりとした音を聞いた。
次いで飛び込んできたのはサアアと雨の音。
そこで途切れる意識。
他人事のように聞こえてくる音。
映画でも見ているかのように。
これは自分の人生であって、自分の人生ではない。
その男は"尋ね人"が通るであろう通路で待っていた。
試合の結果は見ていないがどうせ"尋ね人"が勝つので興味はない。
名前だけは聞こえてきた。
ラスカル。
そう彼女は名乗った。
「あ、あなた様は…!」
腹を押さえた下着姿の少年が一度、前を通り抜けようとして戻ってきた。
足は前に進もうとしているが。
「なぜこのような所に!」
「なんで下着姿なんだよ」
急ぐ足を抑えて跪く。
第二王子を知っているのは王宮の人間だけ。
男は「そんなんいらねーよ」と手で払う。
「しかしあなたは」
「いらねー肩書きだけだ」
山に捨てておいて今さら王子か、と男は皮肉に笑う。
「あぁ!こうしてはいられないんだった!」
勢いよく立ち上がるが腹痛に再び沈む。
「早くラスカル様を追わないと!」
アライグマではない。
その名にロイドは少年を無理矢理立たせる。
「ラスカル?!ラスカルだと?!」
アライグマではない。
「え、あ…?は、はい…ラスカル様、です」
アライグマではない。
天の上に住まうような存在の王族の尋常ではない様子に新米騎士は動揺しかない。
「ラスカル様が客席に紛れてしまって…!」
そのまま出てきた通路に帰るかと思われていたラスカルだが、対戦相手を踏み台にするとそのまま客席にダイブ。
フィーバー状態の客席の中を駆け抜けていってしまったのだ。
しかし、少年は考えた。
服を取りにくるのでは?
服を返してほしい。
「だからお前、下着姿なのか」
客席から出場者用通路にまわるより、来た道を戻った方が確実に速い。
「そうか…ここにラスカルが来るのか」
口角が楽しそうに上がる。
「あなた様もラスカル様に会いに?」
わかりやすいほど大袈裟に男の肩が跳ねた。
「そ、そんなんじゃねーよ!」
脳裏に張り付いて離れないあの光景。
油絵のようにべたりと。
ピンク色のドレスが異様に赤く見えた。
そのドレスは果たしてドレスだったのだろうか。
破けてただ身を覆うだけの布と化している。
それを風になびかせ、こちらに見せるは背中。
バサリと灰色の髪が揺れる。
そして、赤い炎のような目がこちらを捕らえる。
目が離せない紅。
特に目的はない。
ただ、相まみえたい。
それだけだ。
何か用かと言われれば「ない」と返すしかない。
所謂、一目ぼれ。
彼はその感情を理解出来ないで戸惑っていた。
「俺より強いやつに会いに行く」精神だろうか。
手掛かりは元々ラスカルの着ていたワンピース。
出場者にふるまわれたジャガイモの入っていた麻袋に入れて物陰に隠しておいたおかげで若干ジャガイモ臭い。
少年は背筋を正して待つ。
ラスカルを。
男も待つ。
ラスカルを。
しかし、ラスカルがそこに戻る事はなかった。
「次からは離れないようにお願いします」
雨注ぐ窓を背に珍しくマリーナのように静かに怒るスカーレットに彼女は何も言えずに逃げるように布団を頭までかぶった。
「あれは事故だ」と言い訳をしたい気持ちはあるものの、彼女を困らせてしまった事は事実。
言い訳を飲み込む。
次はあるようで少し安堵した。
コロシアムの外に出た所までは覚えている。
べちゃりと地に伏せたような気がする。
顔から思い切りいっただろうから鼻を骨折していもおかしくないが無事だ。
「夕食の時間になりましたらお呼びします」
おやすみなさい、とスカーレットが控えめに扉を閉めた。
反省しろと言われているようでエマは少しだけ反省する事にした。
はい、反省終わり。
朝、屋敷を出たはずだが気付けば日が暮れている。
長い時間眠っていたようだ。
聞けば、買い物で街に出ていたシャノンが倒れていたエマを見つけ、行商人に屋敷まで送ってもらったとか。
コロシアムは市場から離れた所にある。
なぜかわいいかわいいかわいいかわいいシャノンがそんな危ない所に?
まさか自分についてきてしまったのでは?
という懸念は置いておいて、エマは今とても鼻がむずむずしていた。
その原因は……
「いるのはわかっている。出てこい」
けして中学生が部屋に一人でいる時に呟く言葉ではない。
確かに誰かがどこかにいる。
返ってきたのはクツクツという笑い声。
マキちゃんなら言うだろう。
「中二病の化身!!!」と。
「さすがだお姫様」
「お姫様だなんて思っていないだろう」
閉められたカーテンをめくって黒い物体が現れた。
全身黒い塊。
形は人間の形をしている。
声は少年。
「では、お嬢様らしい事でも言っておこうか」
黒い塊は何が来るかと待つように笑い声を留めた。
「人を、呼びますよ」
少しの間があり、黒い塊は今度は声をあげて笑い出した。
「どうやら私が呼ばなくても人が来そうだな」
「まぁ待ってくれ。そう邪険に扱わないでくれ」
窓際にいた塊が一歩エマに寄る。
一歩。
また一歩。
「俺はあなたを助けた男だ」
「なるほど、行商人。たかりに来たか」
「取引をしに来た」
「それをたかりと人は言う。金か。酒か。女か」
「そんなものを俺は望まない」
「では、何を望む」
徐々に急くように速くなっていた会話がとんと止まる。
休符。
「王家への復讐」
それはエマにはとんと理解の出来ないものだった。
そこに矛先を向けるのなら、ここに来るのはお門違い。
お出口はあちらと示しかける。
「あなたが大会に出場出来るように取り計らおう」
示しかけた手が止まる。招くように戻す。
「理由は聞いてくれるな」
「興味はない。私はコロシアムに出場出来ればそれでいい」
どこの誰かはわからないが絶好の機会だ。今、自分には仲間が少なすぎる。
目先のチャンスに目が眩んでいるエマ。
「では、契約成立だな」
「いいや、待て」
男が手を伸ばしかけた所で静止。
エマの深い赤い瞳が吟味をするように男を捉える。
男が本能的に一歩ひく。
圧される。
「おいおい、疑ってるのかよ」
男の口調が崩れる。
それが素だろう。
口調を真似されているようでエマは癪に障っていた。
そこには人間が存在しているようで安堵した。
「貴様がどこの誰だろうと私には興味はない。だが、名前くらいは聞かせてくれ」
「あぁ、なんだ名前か」
男も安堵の笑みを浮かべる。
いや、顔は見えないがそう見えた。
「名前はシャ……」
男が止まる。
「……シャ?」
「シャナン。俺の名前は、シャナン・エドガーだ」
あからさまに怪しい。
しかし、エマの直感はこの男を信じた。
「エマリザベスだ、シャナン」
「知ってるよ」
契約の証のように結ばれる手と手。
エマはこの手を知っているような気がした。
そんなわけがない。
まず、目の前にいるのは男なのだ。
このエマの勘は案外、外れていないのかもしれない。