【4章】家の紋章の旗を泣きながら振るのはやめてくれ
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予定。あくまで予定。
【4章】家の紋章の旗を泣きながら振るのはやめてくれ
第二王子様を池に落としてからまた屋敷に人が増えた。
廊下が学園祭の準備のように騒がしい。
そんな中、ベッドで半身を起こして考え事。
部屋から出てしまうとそんな時間がなくなるからだ。
ここが唯一の一人の時間。
貴重な思案の時間。
もう少しするとマリーナがやってきてこの貴重な時間も終わる。
今のうちに考えなくては。
あれから父親は「仕事」と称して帰ってこない。
一瞬すら顔を合わせていない。
正直、どんな顔をしていいのかわからなかったので助かった感はある。
申し訳なさでエマと顔を合わせられないか。
または王に反して捕らえられたか。
あの真面目な父親だ。どちらも考えられる。
一か月後に開かれるトルネオ・ディ・ボーリッジ。
一般の参加者も募集している。
そこで優勝した”王子”には王位とエマリザベスが与えられる。
では、王子が優勝しなければ?
王は国で一番強くなければならない。
つまり、優勝できなければ王ではない。
つまり、話は流れる。
『私が優勝すればいいのでは?』
昨日は諦めで流してしまった”怒り”が沸々と沸いてくる。
なんの罪もない布団を握りしめる。
『副賞としてエマリザベス様を差し上げます』
何が”差し上げます”だ。
淡々と読み上げる騎士団長の顔が浮かぶ。
なんの罪もない布団がぎりぎりと泣く。
『是非、手合わせを願いたい!!!』
今の、この、きらふわの生活のためなら、彼女は内なる寿を解放する事もいとわない。
……まぁ、この家から一人で出られればの話なのだが。
一人で家から出る手立てを考えたが難しそうだ。
こちら側に仲間がほしい。
「出かけたい」といえば止められる。
だから彼女は一人で出かけたことがない。
「トルネオ・ディ・ボーリッジに行きたい」などと言ってしまえば最悪の場合、軟禁されてしまうだろう。
ふわふわした可愛いドレスを着て、使用人たちと話をしながらお茶を飲み、勉強を教わる毎日。
それはそれで自分のとても憧れていたもの。
しかし、お嬢様とはとても大切にされている分、不便だ。
この12年、いや、17年、自分の希望で外に出たことはない。
外に行くことはあったが、誰かに連れていかれるばかり。
「ブキちん、今日メイト寄らね?」
あの頃は、憧れの女の子ライフにはほど遠かったものの、どこにでも行けた。
「エマ様起きていらっしゃいますか?」
少し強めのノック。
いまいち加減のわかっていないこの叩き方はスカーレットだ。
いつもはマリーナが起こしに来るのに珍しい。
「おはようスカーレット」
スカーレットはぎこちない手つきでカーテンを開ける。
窓を開けると風に乗ってきた虫を外に叩き落とす。
「夜中のうちに雨が降ったんですね」
「残った露に光が反射して美しいわ」
「後でお庭を散歩いたしましょうか」
朝に弱いスカーレットはこの時間、脳みそが起きていないのでいつも庭掃除をしている。
シャッと心地の良い音をさせるマリーナとは違う朝。
今日はいつもと違う予感。
「マリーナは?」
「…王宮に、呼ばれまし……あ」
慣れないカーテンに集中していたせいで恐らく”言ってはいけないこと”を言ったのだろう。
マリーナに口止めされてたに違いない。
つまり……
「第二王子の件の謝罪ね」
勢いよくベッドから立ち上がるとスカーレットは慌てたように立ちはだかった。
さすがにしっかりと目が開いている。
おはようスカーレット。
「どちら、へ!」
「王宮です。謝罪なら私が」
「エマ様は体調がすぐれない事になっています!」
「私は元気よ」
さすがに過保護すぎる。
父親はほぼ留守。
兄達は既に独立している。
この家のすべてを取り仕切るのはメイド長のマリーナ。
小さい頃から病弱なエマを見てきたマリーナだからこそ
過保護になるのもなんとなくわかるが、
この過保護は子供をダメにする。
「お願いですから」と頭を下げるスカーレットに免じてベッドに腰掛ける。
「お父様もマリーナも過保護すぎると思うの」
そこはスカーレットも気になっていたようでピクリと反応した。
ここが糸口かもしれない。
じわりと滲む額の汗を何事もなかったかのように袖口で拭うスカーレット。
何か言いたげに。
実にわかりやすい。
「大切な大切なエマ様ですからねぇ。そりゃあそうですよ」
先輩侍女のマリーナがいないからか今日のスカーレットは少し緩い。
誤魔化すかのようにへらりと笑う。
スカーレットは気が強そうに見えるが実際はそうでもない。
キッと凛々しい切れ長の目がそう見せているだけだ。
「上方見聞録の新刊が出たそうね」
そして、彼女は上方見聞録の大ファンだ。
一気に内なる炎が燃え上がるのが目に見えてわかる。
マキちゃん現象再び。
しかし、何かを言いかけた所で口をつぐんでしまった。
「申し訳ございません。その話はマリーナに止められておりまして」
あの物語はエマの教育によくないと昔、マリーナに本を取り上げられた事がある。
「あなたはどう思うの?」
「私は教育に悪いだなんて思いません!」
好きなものの事だからかはっきりとした返答。
今まで不安げに揺れる事の多かった瞳がはっきりと己を示している。
「上方見聞録を市場に見に行きたいのだけれど」
スカーレットの表情が固くなった。
これが表すものは葛藤。
好きなものは布教すべき。
マキちゃんがよく言っていた。
この悦びは分かち合うべきものなのだと。
とにかく外に出る手段が欲しい。
そうすれば大会に出られるヒントがあるかもしれない。
「……実は」
動き出した。
「マリーナは今日は帰ってきません」
「夜通し謝罪?!」
「別の用です」
これはチャンスとばかりに立ち上がる。
スカーレットも何も言わずに準備に取り掛かった。
阿吽の呼吸。
心なしかいつもより手際が良いように見える。
「目立つから」といつもとは違う質素なワンピース。
その質素さが懐かしくて落ち着く。
これはスカーレットの私物だ。
私服は今まで見た事がないが地味なのだろうか。
ストールを頭に巻いて顔を見づらくした。
まるでお忍びだ。
「お忍びですので」
そのまま、スカーレット以外のお供を連れずに大地を踏みしめた。
事情を知らないシャノンがバスケットを首を傾げながらスカーレットに差し出す。
朝食の配膳からずっとエマといるのが仕事のシャノンとしてはいつもと違う光景に不安を抱くだろう。
スカーレットが何かを耳打ちするとシャノンの表情がぱぁっと気持ちの良いくらい晴れた。
そして、ぐっと拳を握り、エマに強く頷きかける。
よくわからないが、エマも頷き返しておく。
スカーレットも質素な恰好だ。
マリーナの異常な過保護に不満を抱いていた者も多くいるようで、すんなりと温かく見送られた。
マリーナ派もメイド内にはいるようであくまで内密に。
『家の紋章の旗を泣きながら振るのはやめてくれ』
ただ街に出るだけなのに泣いている人がいるのはなぜだろう。
初めての徒歩での外出。
街はすぐそこだ。
いつも窓から眺めていただけの街、トレフェア。
商売の盛んな街で、本の大きな市場がある。
行くのは難しいと思っていたが、案外簡単に行けてしまった。
10分ほど歩いたが体力も問題ない。
筋トレのおかげだろうか。
「エマ様と買い物に行ってみたかったんです」
スカーレットが恥ずかしそうに笑う。
昔、スカーレットと約束をした事をフと思い出した。
小さい頃から頻繁に寝込んでいたエマリザベス。
マリーナが付き添えない時はスカーレットがそばにいた。
マリーナより3つ年上のお姉さん。
マリーナに外への憧れを語ると「外は危ない」とたしなめられたが、スカーレットは話を聞いてくれた。
「いつかご案内しますね」
その言葉はエマの灯りになった。
「やっと案内を頼めるわね」
スカーレットは最初、きょとんとしていたがパッと笑顔になった。
訪れたのは本の市場。
まだ早い時間だというのに人が多いが、
スカーレットの足取りは軽く、
すいすいと人を避けていく。
「朝食を食べながら人の流れがひくのを待ちましょう」
外に出られるという興奮で忘れていたがまだ今日は食事をしていない。
スカーレットの手のバスケットには朝食として出されるはずだったオムレツがパンに挟まれている。
溢れ出る高揚感。
思い出すは前世。
この世界でのサンドイッチの地位は低い。
忙しい庶民が食べるためのもので優雅に食事を楽しむ貴族の食卓に並ぶ事はない。
庶民の出のスカーレットにしか思いつかない事だ。
料理人も困惑していただろう。
エマの中に蘇るのは前世でマキちゃんが作ってくれたサンドイッチの記憶。
その時の推し?がサンドイッチを作っていたとか。
なんのことかよくわからないがマキちゃんは楽しそうだった。
「あ」
市場への人の流れの見える公園のベンチに腰掛けると、隣のベンチの方から声が聞こえた。
振り向くと帽子を目深にかぶった少年が座っている。
彼が何かを思い出した声だろうか。
こちらには関係のない事だろう。
あからさまに怪しいのは百も承知だが、その上で敢えてスルーをする事にする。
この華奢な青年が”昨日見た顔”であるはずがない。
それにその顔は昨日はこちらを見向きもしなかったのだ。
きっと見間違いだ。
「俺はやっぱりフェリクス殿下だな」
突然聞こえてきた王子の名前にバッと振り向いてしまった。
帽子の少年もビクリと肩を震わせる。
意識をサンドイッチに向けようとするがどうしても耳は声の方に向いていた。
「この旅の格闘家とか強そうだな。誰だか知らんけど」
「フェリクス殿下の剣にはかなわないだろ!」
フェリクスはああ見えて剣の達人らしい。
そこにキングダム王家特有の光の魔法が加わり、更に強さが増しているとか。
『是非、手合わせを願いたい』
魔法を駆使しての戦闘は今までに見た事がない。
魔法に対抗する手立てはあるのだろうか。
そこをクリアしなくてはエマに勝ち目はない。
自然と大会に出る算段をしてしまう。
この広間を支配しているのが大会の話題だからだろうか。
「楽しみだな!」
誰かわからない人物から放たれたその一言に体が震えた。
「そうだな」と同意の声が広がっていく。
水面を揺らすたくさんの同意。
一つ一つの滴が駆け巡る。
「民達は大会を楽しみにしているのですね」
スカーレットはエマに突き付けられた大会の真意を知らないようで温かく彼らを見守る。
彼女の中のエマが大会の成功を望んでいる。
王のための貴族。
だが、民のための貴族。
父親にはそう教えられた。
純粋に武の道を追求する者として参加したい。
それがきっと彼らの楽しみにも繋がる。
そうしなくては彼女に”未来”はない。
「私も楽しみだわ」
緩く微笑んだ。と思う。
サンドイッチが手から消える頃、彼女の脳内は”大会に参加する方法”で満たされていた。
「この市場にはどんな本でもあるの?」
「はい。世界中の本が集っているといっても過言ではありません」
「魔法についての本はあるかしら」
「あるとは、思います」
でも、と続けたいのだろう。
言葉を濁す。
魔力の無いエマ様がどうして、と言った所だろう。
何か魔法の基礎を学べるようなものが良い。
そこから魔法対策の糸口を見つける。
「行くぞスカーレット!」
つい寿の口調。
勢いよく立ち上がると一歩を踏み出す。
ド ド ド ド ド
遠くで地鳴り。
遠くから地鳴り。
近付いてくる地鳴り。
「……地震?」
「……いけない!エマ様!」
スカーレットが気付いた時には遅かった。
エマが突如現れた人波に飲まれる。
飲まれながらも彼女の脳裏には某牧場の羊の大群が闊歩する余裕があった。
この波、自分をどこに運んでいくのだろう。
耳を澄ませば聞こえてきた共通する単語。
「トルネオ・ディ・ボーリッジの予選」
この人たちは生鮮朝市の従業員たち。
生鮮朝市は本の市よりも早く始まり早く終わる。
その終わりと、トルネオ・ディ・ボーリッジの予選の始まる時間が同じなのだ。
彼らはその予選を見るために集団で動き出した。
『このまま乗っていれば予選に行けるのか』
内心喜ぶエマだったが、残されたスカーレットは呆然と立ち尽くしていた。