似顔絵師エナの似顔絵
「あなた様が有名な似顔絵師のエナ様ですか! ようこそいらっしゃいました!」
大きな国にある大きな街、その中心部にあるこれまた大きな宮殿。その主である国王は、宮殿とは不釣り合いな塗料で薄汚れた衣服を身に纏った少女を招き入れていた。
「国王様! 立派なおヒゲですね! ちょっと描いても良いですか? ……2時間くらい!」
「えっ!? アハハハ! いやいや似顔絵師様はご冗談までお上手なんですな!」
「ふむふむ……」
「えぇ……? ちょ……似顔絵師様……!?」
似顔絵師の少女エナは、肩に掛けているカバンからスケッチブックを取り出し、その場で国王を描き始めようとしている。国王は冷や汗を流しながら、兵士にアイコンタクトを送り、似顔絵師を宮殿の奥へと強引に歩かせた。
「ほえ〜……綺麗な宮殿ですね……。少し描かせていただいても……」
「オホン! 似顔絵師様! この先でございます……!」
逐一足を止めて絵を描こうとするエナを、兵士が後ろから押して無理やり運んでいる。国王は一刻も早く本題に入りたくてしょうがなかった。
「お父様。そちらの方が似顔絵師様なのですか?」
宮殿の奥には綺麗なドレスを身に纏った少女が立っていた。似顔絵師のエナと歳が近いように見えるが、その服装は正反対で、住んでいる世界が違うことは一目瞭然であった。
「そうだぞオリビア! 成人の記念にとっておきの似顔絵を描いていただこう!」
ドレスの少女はこの国の王女であった。18歳で成人を迎え、その祝いの一品として似顔絵を送ろうと国王は手配していたのだった。
「さあ! 似顔絵師様! よろしくお願いしますぞ!」
「うーん……」
「ど、どうされました……?」
先程は自分から国王や宮殿を描き始めようとしていた似顔絵師であったが、王女の似顔絵を頼まれるとあからさまに乗り気ではない様子に変わっていた。
「本当に描いちゃって良いんですか……?」
「も、もちろんですぞ!」
「わ……分かりました……」
似顔絵師は浮かない表情のまま、椅子に座った王女を見ながら、用意された大きなキャンバスに鉛筆で線を引いていく。
「お、おい。ちょっと……」
似顔絵師が肖像画を描き始めたのを確認した国王は、近くにいた兵士に小声で話し掛けた。
「本当にあれが有名な似顔絵師なんだろうな……?」
「は、はい……! 噂通りの容姿でしたし、自ら似顔絵師のエナだと名乗っておりました……!」
国王は怪訝そうな表情で、似顔絵師らしき少女、エナをジロジロと見回している。
「絵が描ける人間は希少なので、似顔絵師であることは間違いないのではないかと……。変わり者とも噂されていたので……」
「う、うーむ……」
確かにエナは凄まじい速度で鉛筆を走らせ、真面目に似顔絵を描いているようであった。
国王は一抹の不安を振り払い、肖像画の完成を楽しみに待つことにした。
30分後。
国王は別室で絵の完成を待ち侘びていた。隣りにはオリビアの母である王妃の姿もあった。
「そろそろ完成するんじゃないかしら……!?」
「いやぁ、まだ早いんじゃないか? どうせだったら時間を掛けて仕上げてもらいたいじゃないか」
「でも気になりますし……。私ちょっと様子を見て来ます……!」
王妃は落ち着かない気持ちを紛らわせるため、似顔絵の進捗を確認しに向かった。
「ふぅ……やれやれ……。まぁ、気持ちは分からんでもないが……」
国王は、落ち着きのない王妃に呆れながらも、自分も様子を見に行きたい気持ちを堪えていた。
「きゃあああああああッ!!」
「な、なんだ……!?」
突如、宮殿の奥から王妃の悲鳴が響き渡った。国王は肖像画のことなど忘れて、一目散に悲鳴が聞こえた現場へと駆け出した。
「どうしたんだ!?」
国王が王妃の元へ駆け付けると、王妃は腰を抜かして尻餅をついていた。傍らの兵士たちも動揺している。
「な、なんなの!? その恐ろしい絵は!!」
国王が王妃の指差す方へ視線を向ける。国王は一気に背筋が凍り、思わず後ずさってしまった。
王女の肖像画を描いていたはずのキャンバスには、ドス黒いこの世の物とは思えぬ化け物が描かれていたのだ。
「似顔絵師様! これは一体!?」
「え……えーっと……。これはそのぅ……」
エナは何やら言いづらそうに言い淀んでいる。国王がなんとか真意を聞き出そうとしていた時だった。
「私の娘がこんな不気味な化け物に見えているとはなんたる侮辱……!」
「この者を牢屋にブチ込んでしまいなさい!」
王妃の命令に従い、兵士が即座にエナを取り囲んだ。言い訳や抵抗する暇もなく、エナは取り押さえられた。
「そ、そんなぁ……! だから最初に描いて良いか聞いたじゃないですか!?」
「何を訳の分からぬことを……。さっさと連れて行きなさい!」
「うひーっ!」
緊張感のない悲鳴を上げながら、エナは地下にある牢屋へと連行されてしまった。
「…………」
「オリビア……?」
そんなやり取りを見ていたはずの王女は、何やら沈痛な面持ちで顔を伏せていた。その様子に気付いた国王は、得体の知れない不安な気持ちに襲われていた。
「ふんふーん♪」
牢屋に入れられたエナは、ショックを受けるでもなく、自分の行末を心配するでもなく、マイペースにスケッチブックに絵を描いていた。
「変わり者と聞いていたがここまでとは……」
檻の前でエナを見張っている兵士は、のんきな様子のエナに呆れ果てていた。
「どうだ様子は?」
「こ、国王様……!」
エナのことが気になっている国王が、地下まで様子を見に来ていた。国王が現れたにも関わらず、エナは絵に没頭していて全く気にする素振りを見せなかった。
「こ、こら! 国王様がいらしたと言うのに……!」
「あー。良い。そもそも彼女を招いたのはこちらだ。そうカリカリせんでくれ」
国王は兵士をなだめると鉄格子に顔を近付け、エナに話し掛け始めた。ようやく国王の姿に気が付いたエナは、絵を描いている手を止めていた。
「……似顔絵師様。正直にお答えください」
「はい……?」
「見えたのですか……? 似顔絵師様には……娘があのような化け物に……」
「はい」
躊躇うでもなく、あまりにもケロッと返事をするエナ。兵士は、尚も国王に無礼を働くエナに業を煮やしていた。
「貴様……! いい加減に……!」
「似顔絵師様……!」
エナを黙られせようとする兵士を遮り、国王が一歩前へ出た。そして兵士を指差しながらエナに尋ねた。
「この兵士。似顔絵師様にはどう見えているか描いてもらってもよろしいですか……!?」
「こ、国王様!?何をおっしゃっているのですか……!?」
「はい。良いですよ!」
絵を描いて欲しいと頼まれたエナは、国王に言われるがまま、真剣な表情で兵士を見ながら鉛筆を走らせている。
「こんな感じです!」
「……!?」
国王と兵士は、エナがサッと描き上げた絵を見て驚愕していた。スケッチブックには、先程の王女の姿によく似た黒い影が描かれていたのだ。
「に、似ている……。実にそっくりだ……」
「こ、国王様……?」
気色の悪い黒い影が自分と似ていると言われ、兵士は訳が分からなかった。しかし、国王は冗談を言っている訳ではなかった。
すると、エナがすくっと立ち上がり、国王の顔を見つめる。国王は一筋、汗を流していた。
「国王様にも見えるのですか?……人の感情が」
「か、感情……?」
兵士は理解が追い付かず固まっている。しかし国王は、エナの言葉に前のめりになって反応していた。
「見える……! ここまでハッキリとはいかぬが……」
「怒りや喜び、人の感情が大きく揺れ動く瞬間、その人物に微かに影や光のような物が見えるのだ……」
長年、国王が悩ませていた現象の正体にようやく辿り着き、国王は、つかえが取れたようにスッキリとした顔をしていた。しかし、またすぐにその表情を曇らせた。
「娘が心に闇を抱えていたと……そういうことですか……?」
「そういうことですね……。私は見たまま描いただけなので……」
王女の絵は、兵士とは比べ物にならないような、恐ろしい化け物のような姿をしていた。兵士の怒りを超えた、とてつもない感情が吹き出しているのは明らかだった。
「こんなことを似顔絵師様にお尋ねするのは御門違いかも知れませぬが……」
「娘の心を救う方法はないのですか……!?」
「ありますよ!」
またしてもケロッと答えるエル。国王は藁にもすがる思いでエナに救いを求め始めた。
「い、一体どうすれば……!?」
「うーん……っと……。実際にやってみましょうか!」
エナは兵士を見つめている。そして、スケッチブックを兵士に向け、なにやら全身に力を込め始める。
「危ないので、ちょっと離れていてくださいね……!」
「あ、危ない……!? 一体何をする気だ……!?」
訳が分からぬまま奇妙な儀式が始まり、自分が何に巻き込まれるのか兵士は不安でたまらなかった。国王は固唾を呑んでその様子を見守っている。
「むむむ……」
しばらくすると、スケッチブックから微かに黒い影が浮き上がり始めた。これは、エナや国王だけではなく、兵士にもしっかりと視認出来ていた。体から何かが抜け出す奇妙な感覚に包まれ、兵士の顔はこわばっていた。
「……うわっ!」
エナが影に引きずられないように踏ん張っていると、スケッチブックから一気に黒い塊が飛び出した! 黒い影が描かれていたはずのスケッチブックは白紙になっていた。絵が実体化するという現実離れした光景に、国王と兵士は開いた口が塞がらない。
「グオオオオ……」
「ひいぃっ!?」
成人男性ほどの大きさの黒い影から獣の唸り声のような物が聞こえ、恐怖のあまり兵士は悲鳴を上げた。
「グオアアアアアッ!!」
黒い影は、自分を描いた言わば親に向かって飛び掛かった! 恐ろしい光景に怯むこともなく、エナは冷静に影のことを見据えている。
「はぁッ!!」
黒い影から腕のような物が伸び、エナを襲う! が、エナはそれをヒラリとかわし、スケッチブックの角で影を切り払った……!
「ウオオオオオオッ……」
断末魔を上げながら、真っ二つにされた影は霧散した。地下牢は平穏を取り戻し、国王は、白昼夢でも見ていたかのように、呆然と立ち尽くしている。
「あはは〜♪」
突然。気の抜ける声が地下に響いた。国王が声の聞こえた方へ顔を向ける。声の主は兵士であった。
「なんだかとっても清々しい気分です〜!」
兵士はまるで“怒りの感情”が抜け落ちたかのように、穏やかな顔付きへと変わっていた。兵士は両手で羽ばたくかのように小躍りまで踊っている……。国王は一連の流れで察した。
「怒りの感情を……消し去ったのですか……?」
「はい!」
まるで日常生活の一部のように、エナはあっけらかんと答える。とても信じられぬ光景ではあるが、実際に目にしてしまった以上、国王は信じざるを得なかった。
「今の方法で娘を……王女の心を救うことが出来るのですね……!?」
「うーん……はい……」
今まできっぱりと返事をしていたエナだが、ここに来て煮え切らない返事に変わった。国王はその様子を見て不安で堪らなくなった。
「な、何か問題でも……?」
「……兵士さんの感情は大きくなかったので今のやり方で落ち着きましたが」
「王女様の物はこうはいきません。彼女の心を受け止めるには、王女様が抱えている問題をきちんと知る必要があります……」
「も、問題とは……?」
「それは心に直接聞かないと分かりません……」
兵士の怒りも十分恐ろしい物であったにも関わらず、王女の物はそれを超えるらしい。国王の心は穏やかではなかった。エナはさらに付け加える。
「人の心の中という物は本来覗くべき物ではありません……」
「本心を知ってしまったが故に、余計なトラブルを呼ぶ恐れがありますから……」
「国王様は、王女様の心を受け止める覚悟がおありですか?」
牢屋越しにエナに詰め寄られ、国王は怯んだ。娘がどんな闇を抱えているのか知るのは当然怖い。……だが、それを放置することはもっと怖かった。
「どんなことでも受け止めます……。自分の娘ですから……!」
国王の覚悟を確認したエナは、力強く頷いた。
「では、牢屋の鍵を開けさせますので少しお待ちくださ……」
「では、行きましょう!」
「え、えぇっ!?」
牢屋の鍵を兵士に開けさせる前に、何故かエナが檻の外へ出ていた。少し目を離していた隙に抜け出していたので、国王は訳が分からず混乱している。エナは国王には一切構わず、勝手にスタスタと宮殿の奥へと歩いていってしまう。
「い、いつの間に檻から出られたのですか!? 一体どうやって……。ちょ、お待ちください! 似顔絵師様ぁ〜!!」
国王は慌ててエナの後を追い掛けるのであった。
その頃。王女オリビアと王妃。
「まったく……! あの似顔絵師……! 忌々しくてしょうがないわ……!後でどんな処罰を執行してやろうかしら!?」
愛する娘を化け物の姿で描かれ、王妃の怒りは未だに鎮まっていなかった。王女オリビアは暗い顔をしたまま椅子に座っている。王女の傍らには、エナの描いた肖像画が置かれたままになっていた。王妃は兵士を怒鳴り付ける。
「貴方達……! いつまでそんな不気味な絵を飾っておくつもりなのよ……!? さっさと片付けなさい!!」
「す、すみません王妃様……!! すぐに撤去いたします……!!」
兵士の1人が、王妃の剣幕に慌てて絵の処分を始めようとしていた時であった。
「ちょーっと待ったー!!」
凄まじい勢いで、捕らえたはずの似顔絵師のエナが肖像画の前に飛び込んできた。突然の出来事に兵士は目を白黒させている。
「な……!? 何故牢屋から出ているの……!? 貴方達! 早くこの女をひっ捕らえなさい!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! はひ……はひ……!」
国王が息を切らしながら駆け付け、エナを取り押さえようとする兵士を制止する。
「あなた……!? どういうつもりなの……!?」
「よいしょっと!」
エナは相も変わらずマイペースで、周りの喧騒など全く気にせず、肖像画を両手で持ち上げ始めた。そして、その絵をオリビアに向ける。
「出て来て……!」
「……!?」
オリビアにキャンバスを向けると、キャンバスから黒い影が少しずつ浮き上がってきた。オリビアと王妃、宮殿の兵士たちは声も出せないほどの衝撃を受けている。
「ガアアアアアッ!!」
キャンバスから影が飛び出し、叫び声を発しながら人の形を形成していく。兵士の怒りの感情から生まれた影よりひと回り大きく、長い手足の先に鋭い爪が生えた攻撃的な外見をしていた。
「わっ! ……と!」
オリビアの絵から生まれた影は、エナに特殊な力があることに気付いているのか、一直線にエナに向かって飛び掛かった。エナは絵描きとは思えぬ身軽な動きで攻撃を回避している。
「落ち着いて……! 私は君と話がしたいだけなんだよ!?」
エナはなんとかオリビアの影から本心を聞き出そうとするが、唸り声を上げながら、エナを長い手足で襲い続けている。とても言葉が通じる相手には見えなかった。
「仕方ないな……!」
エナはカバンからスケッチブックを取り出すと、何かを探すようにページをめくっている。
「うーんと……これ!」
目的の物を見つけたのか、スケッチブックをめくる手を止めた。そして、エナはスケッチブックの中に手を突っ込み始めた。
「な、なんだあれは!?」
目の前で繰り広げられている非現実的な状況を、ただただ眺めていた兵士の一人が声を上げた。
エナはスケッチブックに描かれていた盾のような物を引き抜き、それを自身の腕に装備したのだ。オリビアの影は構わずエナに攻撃を仕掛けた。
「よいしょっ!!」
エナが盾を構えると、激しい火花を撒き散らしながら影の攻撃を受け止めた! 材質は明らかに金属だった。
「絵が本物に!?」
次から次へと起こる不可思議な現象に、宮殿の人間は誰も状況に付いていけていなかった。
「うーん……。絵が本物になったというか、私が触った物が私みたいになるというか……」
「私みたいになる……?」
エナの説明が理解出来ず、首を傾げる宮殿の面々。戦いながらも周りの声と反応を気にする余裕を見せるエナ。その間にも影は長い手足を振り回し、エナに猛攻を仕掛け続けている……!
「あーっもう! 少しは落ち着いてよ!! うわっ!?」
影の猛攻撃により、エナの持っていた盾は粉々に粉砕されてしまった。エナは急いでスケッチブックに手を突っ込み、今度は自分の身長ほどある長い棍棒を取り出した。
「伸びろーっ!」
「ウグウウウウッ!?」
エナの掛け声で、150cmほどの長さだった棍棒が一気に300cmまで伸びた! 突然の反撃に、影は動揺しているようであった。王宮で戦いを見守る騎士達も驚愕の声を漏らした。
「棒が伸びた!? なんなんだあの娘!? 次から次へと奇妙なことを!?」
「それっ! まだまだ行くよっ!」
伸縮自在の棍棒攻撃。先ほどまで腕を伸ばしていた影は、自身の攻撃をそのまま返されたような反撃に戸惑っている様子だ。
「ウウウッ!! 怖イ!! 怖イヨオオオオッ!!」
「怖い……!?」
オリビアの影が初めて唸り声以外の言葉を発した。その声を聞き、エナは棍棒の攻撃を止めた。だが、影は尚も怯えているような言葉を吐き続けている。
「何が怖いの……!? 聞いてあげるから正直に話してみて!」
「怖イノ! 怖イノォ!!」
「……ッ!!」
呆然と目の前の現象を眺めていたオリビアだったが、エナが何をしようとしているのか気付くと、一気に顔を歪めた。
「やめて……ッ!!」
「王女様!?」
「オリビア……!」
オリビアが影の前に飛び出し、エナの揺さぶりから守るように、両手を広げ影を自らの背中で覆い隠した。
「私の本当の気持ちを聞き出さないで……!!」
オリビアに守られた影は、オリビアと同調するかのように大人しくなり攻撃は止まった。エナは今がチャンスだと言わんばかりに説得を開始する。
「王女様……知られたくないなら無理に聞き出そうとはしません!」
「でも、今のままだとあなたの心はいつまでも救われない……! そんな大きな影を抱えたままでは、いつか必ず心が押し潰されて取り返しがつかないことになってしまいますよ……!?」
「うぅ……! で、でも……!」
「そうだぞオリビア……! 何も心配することはない……! 相談したいことがあったらなんでも言いなさい……!」
国王が後押しをするように、オリビアに心の闇を打ち明けるように促す。
「そんなこと言われても……! こんなこと言えないよ……!!」
大人しくなったかと思われた影だったが、国王の言葉を聞いた途端、再び攻撃態勢に戻ってしまった。そして、目の前にいるオリビアに狙いを定めている……!
「危ない……!!」
その時、エナが咄嗟に飛び出し、影の攻撃を盾で防いだ。しかし、鋭い一撃が盾を弾き、エナのガードがガラ空きになってしまった。影はその隙を逃さず、エナへ追撃を加える。
「うわああああっ!!」
エナの脇腹に爪が直撃した! エナは衝撃で地面に叩き付けられ、うつ伏せに倒れている……!
「似顔絵師様……!!」
致命傷は免れないであろう一撃を受けたエナ。宮殿内の空気は凍り付いた。
「あー……びっくりした……!」
「なっ……!」
エナが何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。血液一滴流さずケロッとしているエナ。だが、その腹部は大きく抉れていた。
「お、お腹に穴が……」
王女の言葉にエナは微笑み、自分の身体のことを正直に話し始めた。
「私、絵なんだ」
「え……!?」
「ダ……ダジャレ?」
「ちが……! 違います……!」
オリビアの反応をからかいながら、エナは話を続けた。
「私は本物のエナが描いた絵なの。私はエナの心の闇だった……」
「でも、エナは心の闇を私から奪って、私を双子の姉妹のように可愛がり始めてしまったの……。エナは友達も家族もいなかったから……ずっと寂しかったんだって……。例え闇に染まったとしても、このまま孤独に暮らすよりマシだって、そう思ってしまったみたい……」
「そして……心の闇を抱えたまま生活を続けた本物のエナは、膨らみ続けた闇に飲み込まれて姿を消してしまった……」
「そ、そんな……!?」
突然、衝撃的な話を聞かされ、オリビアは動揺が隠せなかった。オリビアの影も、オリビアと共にエナの話に耳を傾けている。
「私は絵だからさ……! 成長とか出来ないんだけど……」
「でも王女様は違うよね……! 私は、王女様にエナのようになって欲しくないの……!」
「あ……うぅ……!」
オリビアは心が締め付けられるように苦しくなり、胸を抑えている。それに連動するかのように、影も苦しみ出している。
「怖イ……怖イ……」
「ワタシ……怖イノ……。大人ニナルノガ……」
「大人に……なるのが……!?」
ついに本音を零したオリビアの影。国王は娘の苦しみを初めて知り、衝撃が走っていた。それは王妃も同じだった。
「オ父様モ、オ母様モ、ワタシニ優シクシテクレル……」
「デモ……! 優シスギルノ……! ワタシハ自分デ何モ出来ナイ……!」
成人を迎えたオリビア。だが、過保護に育てられ、大人になるとはどんなことなのか分からず、オリビアは大きな不安を抱えていたのだった。
「偉いっ!」
「に、似顔絵師様……?」
いきなり王女に指を差し褒めるエナ。オリビアは訳が分からずポカンとしている。
「正直に悩みを相談出来るのってとっても勇気が必要だし、王女様は偉いと思うっ!……エナは私に何も言わずに消えちゃったから……」
「似顔絵師様……」
鎮痛な面持ちのエナの似顔絵。オリビアは、闇に飲まれてしまったエナのことが、とても他人事とは思えなかった。
オリビアの本心が聞けた国王と王妃は、ゆっくりとオリビアの元へ歩みを進めていた。
「すまん……。オリビア……。ワシは何も気付いてやれなかった」
「私も……貴女のことを思って貴女に害を及ぼす物を排除していたけれど……。それも貴女を苦しめていたのね……」
「お父様……お母様……」
自身の心の闇を受け止めてくれた両親。オリビアの苦しみはようやく解き放たれた。そして、オリビアの影はゆっくりと消滅し始めている。
「ありがとう……。あなたのおかげで私の本当の気持ちが伝えられた」
真っ黒に塗り潰された影に表情はなかったが、オリビアには影が笑っているように見えた。影はそのまま成仏するかのように、光の粒子となって消えた。
「良かったね王女様……!」
エナは、もうひとりの自分を救えたような気持ちになり、とても心が晴れやかだった。
その後。
宮殿の大広間には、エナが描いた王女の絵が飾られていた。黒い影など一切無い、とても穏やかな笑顔の肖像画だった。その両サイドには、国王と王妃の絵も飾られていた。
「頼んでいないのにワシらの絵まで描くとは……」
国王は、依頼した王女の肖像画とは別に、勝手に描かれた自分の肖像画に苦笑いしながらも、満更でもない様子であった。
「お父様……! 相談したいことがあるのですが……!」
「うむ。分かった」
王女オリビアは、大人になるため自分のことは自分でやるようになった。国王と王妃も余計な手出しはせず、相談された時だけ、手を貸すようになったのだった。
感情が見える国王の目には、王女はとても光り輝いて見えた。
「さてと、次は何を描こっかな〜」
ひと仕事終えたエナは、絵を描いたばかりにも関わらず、次なる描きたい物を求め、自由気ままに放浪するのであった。
(絵を描き続けて、人の心を知ることが出来れば……いつか、闇に飲まれてしまったエナを救うことが出来る……。そんな気がするんだ……)
元は心の闇の部分だったエナ。だが、彼女は本物のエナのおかげで救われた。そんなエナの意志を継ぐかのように、彼女は人の心を救うため絵を描き続ける。いつの日か、エナと再会出来ると信じて。