魔女火刑 3
輝くものに包まれて、私はほっと息を吐いた。
風のような抱擁、気がつくと遠くで微笑んでいるくちびる、指先で触れるような一瞬のくちづけ……。
小さな私の世界をいつも満たしていたあたたかな視線。ここは似ている、まるであの人の羽根の下。ここでなら話せるだろう。前の世界で置き去りにしてきた幾つかのことについて。
――豚から生まれたくせに。そう思っていたんでしょう。
輝く白い世界で、私は芋虫に向かって口を開いた。
――“かあさん“なんて呼んであなたに好かれたがって、うざくてたまらなかったんだろうね。
分かってる。愛してくれないことを恨むなんて、愚かで無様だということは。でもこれだけは言いたい。
芋虫はその醜悪な顔に、見慣れた嘲りを浮かべている。
――あなたが私の気持ちを利用して、死ぬほど辛い実験に何度も挑ませたのはあまりにも酷いやり口だった。ああ、騙される方が悪いと嗤うんだね。
私もにっこりと笑ってみせる。
なんだか体の周りがあったかくて気持ち良い。いつの間にか痛みがすっかり引いている。
輝く温かいものが背中を支えている。芋虫の嘲笑に怯む私の心を、静かに満たしている。
――“一緒に堕ちたはずなのに、なぜお前だけがヒトになれたの"、まぼろし市場でこう言っていたね。
私はあなたと一緒に堕ちたつもりはない。あなたが生んだ人造人間たちはあなたの延長ではないのに、まだそれを理解しようとしないんだね。
だから、自分が醜い芋虫に生まれ変わってすぐに死んでしまう運命だと知って、私を巻き添えにしようとした。
ほんとうによく分かったよ。
あなたは私の愛に値しない相手だった。
それが分かって本当に嬉しい。私の中のあなたはどんどん小さくなり、そして消えてしまうだろう。
***
「またおかしな寝言を、ニヤニヤしながら気色悪い。まったく。ドロドロに溶けてのたうちまわっていると思ったら」
額に大きな手が触れるのが分かった。乾いた掌でザリザリと肌を擦られる。ちっとも優しくない。
「ははっ、おでこがすっかりハゲておりますな! お似合いですよご主人様。チッ……、もう髪が生えてきやがりましたか」
目を開けると、変態下僕が凶悪な顔で私を見下ろしていた。その顔色は土気色で、口の端から赤黒い血がたらりたらりと垂れている。
「ルーカス? あんたどうしたの。拾い食いしたとか?」
あたりを見回すと、散乱したガラスに異形の死体たち。
確かここは……メガラニアの研究塔だ。どうしてルーカスがいる? ここは深海だと言うのに。
「あんたなんでこんなとこっ、潰れて死んじゃうでしょうーが!」
慌てて下僕のマントを引っ掴む。転移! すぐに転移しないと!
「落ち着けヴィオレッタ。ここはもう海の底ではない。メガラニアは浮上したのだ」
ナウエルが私の両肩を宥めるように抑えた。そして少し焦ったように付け加える。
「それより早く血の再生をかけてやれ。彼が死んでしまうぞ」
下僕の方を見ると白目を剥いて痙攣しながら血を吐き散らしている。うわぁ。
ほんとコイツったら、ちょっとでも目を離すとすぐトラブルを起こすんだから。いったい何を拾い食いしたらこんなことになるのか! あとでお説教だ。
そう思いながら、爪先でルーカスの口をこじ開けて、血を注いでやる。まったくもうめんどくさいな。【再生】っと。
「ちょっとは優しくしてやったらどうだ……」
基本他人に無関心(アマリア姫と私を除き)なナウエルが、珍しく表情に憐みを滲ませている。
しかしそんな彼こそ、大怪我をしていた。腕の皮膚が溶けて、ひどいところでは骨が見えている。
「ナウエル、その怪我は芋虫にやられたの? あとなんでここにルーカスがいるの」
ナウエルによれば、あの芋虫はいつの間にか姿を消していたそうだ。彼の怪我は、私を抱き上げた時にできたもの。
あの芋虫の酸はかなり強力だったようで、私はドロドロに溶けて命が危なかったらしい。いくら水魔法で洗い流しても悪化するばかりで、ナウエルは絶望に泣き叫ぶことしかできなかったそうだ(想像できないが)。
そのうち、耳が壊れそうな轟音と共に、立っていられないくらいの揺れがやってきた。溶けかけた私を抱いて柱にしがみついていたら、壁が崩れ落ちて、青空が見えたとのこと。
海馬がメガラニアを浮上させたんだね。
しばらくの間、ヒッポは狂ったように嘶きながら走り回っていたらしい。ちょうど塔の下に来たときに、ナウエルが大声で呼び止めて窮状を告げると、なぜかヒッポは転移魔法陣を開いた。そして次の瞬間にルーカスが飛び込んできたのだそうだ。
下僕の勘と言うやつだろうか。ご主人様の危機を察したとか。
「ヴィオレッタを一目見た途端、ルーカスくんは火炎魔術を放ったんだ。もう少し遅ければ君は助からなかったかもしれない」
そうか。私はまた炎で焼かれたんだね。さっき感じていたあたたかい輝きはルーカスの炎だったんだ。
そして主人である私に攻撃魔法を放ったから、ルーカスはペナルティを喰らって苦しんでいたんだな。拾い食いとか決めつけてごめんよ? あとでちゃんと労わなければね。
でも、燃え尽きたら復活する特異体質?で本当に助かったよ……。
「ナウエル、怪我が治ってきてる。すごく濃い魔素が漂ってきてるね。私の復活も早かったみたいだし」
「ああ、メガラニアが塞いでいた海底のホットスポットが生き返ったのだろう。外がどうなっているのか気になるな。見に行こう」
今にも崩れ落ちそうな床を恐る恐る歩いて、崩れた壁に向かう。ここは高階層だからメガラニアを一望できるはずだ。
「うわー」
緑色の巨大な尖塔が林立する様子は、まるで古代の森のようだった。眩しいほどの青空の下、尖塔に溜まった潮が輝く滝となり、吹き荒ぶ風でベールのように広がっている。海との境界は曖昧で定まらない。これがメガラニアの全貌?
「さすがに大陸全部ではないな。ホットスポットを塞いでいた部分を中心に浮上させたようだが……。まるで神の御技だ。あれ《海馬》はとんでもない存在だ」
ナウエルが髪を靡かせながらつぶやく。
どこからか海馬の嘶きが聞こえる。海中からだろうか? すごく機嫌が良さそうなのが分かる。まるで歌っているみたい。
私はクスリと笑った。こういう時のヒッポと遊ぶのは楽しい。一緒に歌いながら海で泳ぎたいな。
そう思っていたら、波間に魔物たちが集まってきた。
「あ、ラカルたちだ。嬉しそうにジャンプしてる。あそこに見えるのは魔鯨の群れ? 珍しいイッカクたちも来てる。ねえナウエル、あれってウアピじゃない? あの魚龍の群れの中の一番大きいの!」
「ああ。みんな魔素に惹かれてやってきたんだな。すごいな、魔の森よりも魔素が豊かだ。ここは新たな魔物たちの楽園になるぞ」
「えっ、私は王都のヒトをここに移したいと思ってるんだけど」
「それは……難しいだろう。これだけ魔素が濃いと自然と魔物たちが集まってくる。陸続きではないから泳げぬ者たちは来られないが、海棲の魔物と、空を飛ぶ魔物たちは防ぎようがない。ヒトの居住区にしたいのなら、それこそまた【白夜】でも張る必要があるだろうな」
なんてこった。とんだ誤算だ。
空の魔物は言わずもがな、海棲の魔物の中にはシーサーペントやセルキーなど、普通に陸に上がってくる者もたくさんいる。確かにヒトが棲むには結界でも張らないと無理だよね。
ああ〜〜、王都三万人+αどうしよう。
「ご主人様! なんて格好をしているのです、はしたない!」
頭を抱えて唸っていたら、ルーカスがいきなり自分のマントを剥いで私にぐるぐると巻きつけ始めるた。いつの間にか目を覚ましていたらしい。
あーそういえば裸だったわ。燃やされたから当然だよね。ナウエルは裸体が普通だからか何にも言ってこないし、気が付かなかった。
下僕には前にもこうやってマントを巻かれたことがあったな。案外世話焼きな男だ。
「ルーカス。さっきは燃やしてくれてありがとう。本当に助かったよ」
「ええ。しかしなぜあんな事に? いったい何があったのです? いくらご主人様が人外の化物でも、もう少しで死にそうでしたぞ!」
人外とか化け物とかあいかわらず一言多い。
が、心配してくれているようなので、ざっと芋虫のことを説明した。古代の人造生物の失敗作が、海馬の魔力放出で魂を得たらしいこと。そいつが私が持っていた人造魂と融合したことと、悪意を持って酸攻撃をしてきたこと。
主治医のことは話さなかった。なんかややこしいし、話すことでもない気がしたし。
ルーカスが芋虫を焼き殺す! と息巻くので、仕方なく研究室内を探す事になった。いくら魂のカケラと融合したところで、あの芋虫はお腹に穴も空いてたし、長くないと思う。だから放っておいても良い気がするけどね。
壁も床も崩れて穴が空いており、そこらじゅう割れたガラスやバラバラになった器具などで足の踏み場もない。また酸を吐かれたら堪らないので、シールドで防御しながらの捜索だ。
「おいヴィオレッタ、ルーカス君、あれを見てみろ」
しばらくするとナウエルが、壁際の柱の一つを指さした。白く半透明な何かが柱にくっついて、内側で芋虫らしきものがモコモコと動いている。そして柱の下には、異形の死体たちが食い散らかされたように転がっている。
「気色悪い」
ナウエルがウエッと気色悪そうに顔を歪めながら呟く。
「あれって繭? 生きてたんだあの芋虫」
「転がっていた死体を喰い散らかしたのもヤツでしょうな。すぐに燃やしてしまいましょう。……なぜ止めるんです? ご主人様」
私は火炎魔術を放とうとするルーカスの腕を押さえた。
「放っておこう」
「しかし! ヤツはご主人様を」
私は黙って首を振った。
「もうあれと一切関わる気はないの。私とは関係ないものだから」
その時、どおっ、と風が吹いた。
膨大な魔力の塊が高速で近づいてくるのを感じる。海馬が戻ってきた? いや違う、この気配は全く異質なものだ。
ナウエルを見ると、眉を顰めて空の一点を見つめている。何が見えるのかと目を凝らすと、ぽつりと黒い点。再びの暴風に思わず目をつむる。
脚が戦慄くような圧迫感に目を開けると、巨大な岩石のようなものが目の前に浮いていた。
黒くゴツゴツした鱗に覆われたそれは、熟れた紅い目を開いた。地獄の入り口のような真っ赤な口から、割れ鐘のような声が響く。
<我が名はカイ・カイ・フェル。龍人とヒトより生まれし者。我が眷属は何処なり>




