海馬
「ぶるるっ」
「ヒッポ!」
久しぶりに会えた嬉しさに海馬の鼻に抱きつく。ひんやりしているのに、生あったかい鼻息がブワッとかかる、この感じが好き!
私の大切な友達のヒッポだけど、ウアピの幼馴染でもあるんだよね。そしてキルケーの過去で知ったことだけど、海馬の魂はメガラニアの最深部に、六千年も前から閉じ込められているんだ。
そんなにも長い間魂から引き離されるなんて、ひどいなんてものじゃない。王族の魂もだけど、ヒッポのだって絶対に解放しなくちゃならない。
「ヒッポ。グレテル? キルケー? が目覚めたら、隔魂魔法の解き方を教えてもらえると思うんだ。ううん、絶対に教えてもらう。そしたら一緒にメガラニアに行こう。私がヒッポの魂をちゃんと解放するから!」
隔魂魔法を解くには、海馬自身がメガラニアの魂のところにいく必要がある。結界が幾重にも張ってあるようだが、その解き方もキルケーなら知っているはずだ。
優しく鼻を撫でると、ヒッポは翡翠の目を気持ちよさそうに細めた。
(……)
「ん? 何?」
海馬が何か囁いた気がして、私は首を傾げた。気のせいかな? ヒッポは喋ることができないし。
それよりも、急いでやらなきゃならないことがある。
「ママ……、シンマスさんの様子を見に行きたいんだ。一緒に来てくれる? ヒッポ」
「ぶるるっ」
シンマスさんのことは大モモンガくんたちに頼んでいた。大リスくんや大カマキリくんたち、皆で守るって言ってくれていたから、さっきの魔物の襲来も大丈夫だったと思うけど、ちゃんと無事を確認しないと!
押し寄せてきた魔物たちは今では嘘のように姿を消している。オレンジの結界に恐れをなしたのだろうか、それとも大量のヒトの気配が結界で遮断されでもして、興味をなくしたから?
急いでお菓子の家まで走る。ちょうど結界の端っこあたりだったようで、大モモンガくんたちが困った様子で佇んでいた。
「ヅヅィ!」
「大モモンガくん! シンマスさんは無事?」
大きく頷くモモンガくんにお礼を言って家に駆け込むと、彼は奥のベッドで寝ていた。
すごくホッとして、思わず大きなため息が出る。本当に気が気じゃなかったよ。魔法で浮かして結界外に運び、大モモンガくんたちに保護を頼む。
結界の中の方が安全かな? とも思ったんだけど、一人で寝かせておくのはやっぱり不安だ。目を覚ましたヒトの中には、悪いことをする人間もいるかもしれないしね。
「私も見ていますよ」
カルフ様も一緒に守ってくれるそうなので心強い。まだピンクのもやで眠っているレナと一緒に、ふかふかの草の上に寝かせる。
あえて見ないようにしていたのだけど、シンマスさんは化粧気のない顔をしていて、前より痩せてしまっている。
乱れた髪を直してあげようと思ったけど、触れる前に手が止まってしまう。
当たり前なんだけど、ママとはますます別人に見えてしまって、胸がズキリと痛む。知らない男の人みたいだ。
何だかもう……気軽に触ることなんて、できない。
「そんな悲しそうな顔しないでください」
カルフ様が困ったように眉を下げて、私の髪をそっと撫でてくれる。
「人魚たちは不思議に思っていますよ。なぜ彼に人造魂を身につけさせないのか、そうしたらきっと貴女も彼も幸せになれるのにと。人造魂も貴女が無事であることがわかれば、きっと治るのにと」
私は黙って首を振った。人魚たちとこの辺の感覚が相容れないのは知っていた。彼らは“平和で愛に満ちた状態“のためなら、躊躇わずに人造魂を身につける。それは彼らが、予め心に制約をかけられて造られた人造生物だからだと言っていた。心にこだわっても、そもそも歪められているのだからと。
「ありのままの、本来の彼を尊重したいのでしょう? それがたとえ、愛する人を永遠に失うことになっても」
水色の髪の少女は、同じ色の瞳を優しく細めた。雪の上に落ちた花弁のような唇が、そっと言葉を紡ぐ。
「私の番は自ら命を絶ったのですが、私はそれを止めませんでした。人造魂を身に付けさせれば、一緒に幸せに生きていけたというのに。人魚たちは私を責めましたし、私もずっと自分を責めてきました。でも、」
悲しそうに微笑んだ彼女は、愛しげに「ピウチェーン」と呟いた。
「ピウチェーンをなぜ逝かせたのか、自分の死期が迫った今になって、ようやく分かってきたのです。ふふ。レナのことも受け入れなければなりませんね。少ない残り時間で、彼女には本当に申し訳ないですが」
「カルフ様……」
私のためにそんな話をしてくれて有難いのですが、後ろ見て! すごい顔したレナが立ってますから!
「カッ、カカカカ、カカカッ!」
「ああレナ、目が覚めたのですか」
壊れた人形みたいにガタガタ震えてるし、顔! 顔がヤバいよレナ!
喜びと驚きと涙と鼻水と、あとゾッとするような妄執めいた何かで顔がぐちゃぐちゃだ。よくサラッと流せるな、すごいなカルフ様。
「私を受け入れるとは、つまりそういうことですか! ずっとおそばにいて、朝も昼も夜もずっと離れずにいて、死ぬまで一緒に居て、つまりはけけけけっこ、けっこん、ケッコンということですか?!」
こわ。
結婚とか飛躍しすぎ。
「ケッコン? よく分からないですが、良いですよ」
いいの!? カルフ様よく考えて! いやそれよりすぐに逃げた方がいい!
私は口を出せませんけれども! レナに殺されそうだから何も言えませんけれども!
「ぶるるっ」
海馬が「ほっといて行こうよ」とでも言いたげに私をつっつく。そうだねー。見た目には10代前半の女の子たちが、仲良さげにキャッキャしてるだけの平和な光景だしね。レナの目の奥のおどろおどろしい闇が怖いけどさ。
「私が頑固だったせいで、レナにはずいぶんと苦労をかけましたね。良かれと思ってヒトと番い子を持てと命じてしまったのですが。もっとあなたの気持ちを尊重すべきでした」
「そんなっ、良いのです。今こうして受け入れてくださるだけで私! フスー! フスー!」
レナの鼻息が大きすぎるのが気になったが、私と海馬は背を向けて結界の方へ向かった。
オレンジの結界の中からゆっくりとこちらに近づいてきた人物がいたからだ。
夕焼け色の髪に、同じ色の瞳の少女。その姿に変わりはなかったけれど、全体的な雰囲気がぐっと大人びていた。
「グレテル? それともキルケー?」
彼女は私の呼びかけに、はっと顔をあげた。
私が彼女の前世や人造魂について知っていると悟ったのだろう。
「はい。グレテルです。そしてキルケーでもあります。ヴィオレッタ王女殿下」
深く跪くその仕草は、キルケーのものだった。けれども、伏せた睫毛が震える様子や、唇をグッと引き締める癖はグレテルのものだった。
「もう国は滅びたんだし、王女でもなんでもないよ。それより皆を守ってくれてありがとう」
私はそっと彼女の手を取った。家事で荒れた幼い手はひどく震えていた。
「あたしは罪人です。罰をお与え下さい」
「千年前の罪? それとも六千年前の罪? グレテル、あなたはもう生まれ変わっているんだよ」
「殿下は、すべてご存じなのですね」
「うん、キルケーの人造魂の過去は覗いたよ」
「それならばあたしがどんなに罪深いか、ご存知のはずです。あたしには前世の、そして人造魂だった時の記憶があります。復讐のためとは言え、多くの人を殺め苦しめてきましたし、亜人たちの故郷も奪ってしまいました」
うーん、本来なら死んだ時に記憶や人格は魂に吸収されて消えてしまうものなんだよね。人造魂になっていたからこそ、記憶が蘇って苦しんでいるだけで。前世でものすごい罪を犯した悪人も、生まれ変わる時には少なくとも記憶はまっさらで、前世の罪を背負うなんてしない。(魂は濁ってるから、それなりの人生になると思うけど)
でも生まれ変わったからチャラだよなんて、本人が受け入れられないのは当然だよね。むしろ罰というか、償いをする機会を与えた方が落ち着く感じかな。
幸いにも人造魂が苦しめた王族はまだ生きている(と言っていいのか分からないけれど)ので、償うチャンスもあるわけで。
「じゃあ償いとしてあなたの貴重な研究結果で協力して貰いましょう。まずは、【白夜】や【隔壁魔法】の解き方を教えてくれる? 」
「はい、もちろんです。王族の方々と、そこにいらっしゃるヒッポカンポス様の魂の解放をするのでしょうか」
「うん、そう。海馬はメガラニアの最深部に閉じ込められたままなんだよね。そこまでヒッポを連れて行って、魔法を解けば良いのでしょう? 最深部の結界の解き方も教えて」
「はい。あたしはここの結界維持のために同行はできませんが、解除術を刻んだ魔宝石をお渡しします」
「ぶるるっ」
急にヒッポがグレテルに歩み寄ったかと思うと、頬に鼻面を擦り付けた。
「きゃっ」
びっくりしたグレテルに、ヒッポはさらにグイグイと鼻を押し付ける。
「ぶるるっ」
「あはは、ヒッポはキルケーに感謝してるんじゃないかな。六千年前に自分の魂を犠牲にして【白夜】を解いてあげたでしょう? 」
「そんなっ。自分の復讐の為でしたし、結局【隔魂術】は解けたなかったから、閉じ込めたままになってしまっていたのに」
「ぶるるっ」
ぞーりぞりと硬い鱗で頬を擦られたせいか涙ぐむグレテルの反対側の頬を、私もそっと撫でる。実際【白夜】を解いてあげただけでも、海馬の負担は相当減ったはずだ。もしもあのままメガラニアが繁栄し続けたら、いかに海馬の魂でも保たなかっただろう。
(……)
また海馬が囁いた気がした。何か伝えたいことがあるのかもしれない。
海と同じ色のうつくしい鱗にそっと触れる。すると一瞬、轟音と共に海面に浮上するメガラアの映像が見えた。
「え? ヒッポ、メガラニアを浮上させるの?」
「ぶるるっ」
そのあと頭に流れ込んできた映像によると、どうやら海底に沈んでいるメガラニアが、高濃度の魔素が湧き出るホットスポットを塞いでしまっているらしい。魔物たちと同じく魔素を糧とする海馬にとっては、なんとか解消したい状況らしい。
グレテルにその旨を伝えると、静かに頷いていた。
「メガラニアが利用していたのは、その魔素の湧出口でした。それを海馬様の魂で組み上げて、動力として利用していたのです」
「ぶるるっ」
「隔魂術を解除したら、ヒッポがメガラニアを海面に浮上させるって」
頭に流れ込んでくるイメージはそうだ。南海域に巨大な島が浮かび上がる。
「であれば、人の手に渡る前にメガラニアを破壊しなくては!」
「そしたらさ、メガラニアを王都のヒトたちの住処にできないかな!?」
私とグレテルは同時に叫んだ。
「ぶるるっ?」
「ええ……」
ヒッポは不思議そうに首を傾げ、グレテルは怯えたように顔を強張らせている。
そ、そうだよね。キルケーだった前世に命を賭して沈めたのに、どうせ浮かぶんだし王都民住んでよくね? ってさぁ。
「ええとっ! もちろん【白夜】とか【隔魂術】とかその辺の、禁忌魔法の痕跡は一才消して、メガラニアの遺物とかも撤去して悪用できないようにした上で、と考えているけど!」
慌てて取り繕う。
メガラニア遺物の撤去や危なそうな施設の破棄など、グレテルが納得するまでやるから、と約束してようやく了解を得ることができた。
それかグレテルからいくつかの魔宝石を受け取った。
(キルケーは魔の森のとある場所に異空間を作り、そこに人造魂や魔宝石を保管していたそうだ)
「王女殿下……。ひょっとして殿下とは前世でお会いしていませんか? なんだか知っている誰かの気がするのです」
メガラニアに向かう私たちを見送りながら、グレテルが心許なさそうな様子で聞いてきた。
そんな彼女を、私はぎゅっと抱きしめる。
「ふふ、私は二十三だよ! ありがとう、私の魂のカケラを宇宙の片隅から見つけてくれて! それと、私を魔法人形に移して娘にしようって、ちょっとでも思ってくれたこと、すごく嬉しかった! 」
ええあの二十三!? と慌てる彼女の頬にチュッとキスをして、私は海馬と一緒に川に飛び込んだ。陸を歩くより川から海へ泳いだ方がずっと早いのだ。ナウエルも一緒に着いてきてくれた。




