新たな結界
魔の泉一帯を覆うオレンジ色の光から、次々と魔物たちが弾き出されている。
先に向かっていたナウエルとカルフも、結界に弾かれて地面に叩きつけられていた。
魔物だけでなく亜人も拒む結界。つまりあのオレンジの光は……
「あれは聖結界!? 一体なぜっ」
レナが獰猛に歯を剥き出して叫び、無数の魔法陣を出現させる。
「また泉が奪われるなど許せない!」
「待ちなよ! 泉ごと破壊する気?」
慌てて魔法陣を打ち消す私の顔面を、白い手がむちゃくちゃに打ってくる。
「邪魔するなぁっ! このままじゃまた泉がっ」
「あばっ。ちょっともうっ! 落ち着きなって」
たまらずにピンク色のもやで彼女を眠らせる。
レナを抱えてナウエルたちのところへ向かう。二人とも怪我はないようだった。
王都を覆っていた聖結界は魔物たちを腐食させてしまう恐ろしいものだったけど、この結界は外に弾くだけだ。亜人や魔物に優しい仕様と言えるかもしれない。ただし結界の内部にいる者も弾き出されてしまうけれど。
「ヴィオレッタ。結界の中心を見たか?」
「うん見た。あれはグレテルだよね。彼女がこの結界を?」
「ああ。グレテルの体はキルケーが造ったホムンクルスだ。素体はウアピとレオの間に生まれた赤子の遺体だろうな。亜人とヒトのハーフ、つまりは君と同じだ。加えて彼女にはは他にも色々と混じっているみたいだ。魔法が使えるのも当然だろう」
他にも色々って……。前世の私も色々と混じったものだったけどさ。けどさ……残酷だよなほんと。
ズーンと落ち込む私に涼やかな声が語りかける。
「亜人の血が混じっているにしても、この大魔法は……。魔力消費量が多すぎます。見てご覧なさい、彼女は魂を消費していますよ。しかもあの魂には大きく欠けている部分があります。そのせいで魂の消費に拍車がかかっている。このまま続けたら一時間も持ちません」
オレンジ色の結界の天辺に漂っているグレテルを見上げる。カルフと違って私には魂は見えないのだけど、グレテルの顔に微かな翳りがあるのは分かる。放っておけば、やがてそれは死相と言えるほどに濃くなっていくだろう。
あと一時間足らずでグレテルの魂は消滅して、結界は消える。そしたら押し寄せてきた魔物たちはヒトをくらい尽くすだろう。
「カルフ様、グレテルを救うにはどうしたらいいの?」
「そうですね。まずは魂の欠けて歪になっている部分を補うことです。そうすれば魂にかかる負荷はかなり減らせるので、数日は猶予ができます。その間に私たちでヒトを避難させましょう。そうすれば聖結界を解いて構いませんからね」
「はい……。でもカルフ様。なぜ協力してくれるのですか? 結界はどうせあと一時間で消えてしまうのに。ヒトを救っても人魚には何の得もないですよね」
私がぶつけた疑問に、彼女は涼しげに笑って答えた。
「ふふ。だって泉の周りがこれ以上荒らされるのは我慢ができませんからね。特にヒトの遺体の匂いはもう嗅ぎたくないのですよ。せっかく魔の森に帰ってこられたというのに」
ええと、そうか。人魚たちは魔の森から追いやられていた長い年月、魔素を接種するためにヒトの遺体を食べて生きてきたんだっけか。好きで食べていたわけじゃないし、そりゃあもう遺体の匂いとか無理だよね。
でもきっとそれだけじゃないかな。レナも言っていたように、人魚はお人よしなのだ。
ナウエルは「そうですか?俺はあの匂い嫌いじゃないですよー」とか言っててドン引きだけど。カニバリストめ。
「グレテル、ちょっと待っていて」
私はナウエルから封印箱を受け取ると、躊躇なくオレンジの結界の中に入った。思った通り何の抵抗もない。王都の聖結界と同じで、私のことは魔物と判断しないらしい。
そこら中に横たわっているヒトの体を避けながら進む。皆傷を受けているが、ぽたぽたと降ってくる温かな『癒しの雨』のおかげで回復しつつあるようだ。
「すごいね、グレテル。あなたのおかげで、きっと一人も死なないよ」
乙女ゲームのヒロインも同じ魔法を使っていた。けれどセシリアが癒していたのは一緒に戦っていた仲間だけだった。グレテルのはもっと強力かつ広範囲な大魔法と呼べるものだ。
その代わり、グレテルは魂を削ってしまっている。カルフの言う通り、このままでは長くはもたないのだろう。死相がいっそう濃くなっている。
魔法を途中でやめさせる方法はないことはない。私が彼女の魔法に干渉して打ち消すか、攻撃して弱らせる。両方ともグレテルにとって大きなリスクがあるし、結界と癒しの雨が消えたら王都のヒトたちは皆魔物の餌食になってしまうだろう。私やナウエルたちだけでは、数人しか救い出すことができない。そうなったら優しいグレテルはきっとすごく悲しむ。
私はキルケーの人造魂が入った封印箱をそっと開いた。禍々しいルビーに触れないように魔法でグレテルへと飛ばす。
もしもグレテルの前世がキルケーでなかったら、魂に余計な負担をかけることになってしまうかもしれない。肉体を得た人造魂が暴れるリスクもある。
でもキルケーの過去に入った私は、その優しさと頑固さ、目的を果たすために手段を厭わない意思の強さなど、とても似ていると思っている。
そりゃあ、復讐心に歪み罪に塗れた人造魂を、優しく純粋なグレテルの魂に融合させてしまうのは抵抗がある。
でも、このまま魂が消費し尽くされるのをただ見ているわけにはいかないよね。
「【隔魂魔法】!!」
魂を神精領域から隔てる。神精領域は魂を宿す器であり、肉体と繋がった亜空間にある。そこに魔宝石であるルビーを捩じ込むのだ。
メガラニアを繁栄へと導いたこの魔法は、魂は魔素組み上げ器として数多の犠牲を出した忌むべきものだ。だが副次的に魂のカケラと本体の魂の融合させることができる。私が前世の記憶を取り戻したのもこのためだ。
全きものとなった魂は、力強さを増すだろう。
私はまるで夕焼けのような結界の、その天辺に浮かぶグレテルを眺めた。その顔は穏やかで、死の影は見えない。
次に顔を合わせたとき、グレテルは誰になっているのだろう? 私が変わったように、彼女も変わってしまうのだろうか?
温かな癒しの雨が降りしきる中、私はとぼとぼと歩いて結界を出た。
「ぶるるっ」
結界をくぐって外に出た途端、懐かしい声が私を迎える。
海色の鱗に覆われた逞しい肢体に血赤珊瑚のような立髪。翡翠の瞳が笑いかけてくる。
「ヒッポ!」
幼い頃からの友人である海馬が、私を待っていた。




