グレテル
グレテル視点の語りです。
「これが空なの?」
「そう、だと思う」
あいまいに答える。あたしは夜空なら見たことがあるけど、昼間の空は初めてだ。
うす青い果てのない広がり。たぶんこれが青空というやつ。
まわりの人たちからも「おお……」と声が上がる。聖結界の白金の紗に覆われた都では、みんな空を目にする機会などなかった。
「あれは太陽か?」「あのふわふわしたのってもしかして雲?」という声も聞こえてくる。
眩しく光るあのまるがそうなのだろうか。綿菓子のような白い塊が、雲なのだろうか。
大人も子どもも、空を指差して目を見開いている。さっきまでファイアードレイクに追われて逃げ惑い、恐怖に震えていたのが嘘のように。
あたしたちが燃え盛る王都から逃げた先は、「まぼろし森」と呼ばれる謎の森だ。
以前から街中にとつぜんゆらめき現れ、また幻のように消えてしまう不思議な森。魔女や魔物がいて喰われるとか、迷いこんだら戻れないと噂されていた。
あたしと弟は無事に戻ってくることができたけどね。魔女? もいたけど正体は王女様で親切だったし、魔物の代わりに大きなどうぶつや虫たちがいた。喰われなかったけど、彼らに食べ物を配るのは大変だった。ひとことで言うと変な場所だ。
今はあのどうぶつたちも魔女もいない。太陽の下ではまるで違う場所に思えるけれど、ここはあの森のはずだ。肌で感じる雰囲気が一緒だもの。
「お姉ちゃん、あそこにあの変な男がいる」
弟のアンセルが指差した先に、あの夜の森で出会った赤髪の男がいた。ルーカス・デルガドだ。
灰色の髪の少年の横に立って、まわりの兵隊たちに何か指示を飛ばしている。
「ありゃあ魔術師団長のルーカス様じゃないか。変な男だなんて失礼だぞ。まあ変態だとかの噂はあるが」
父ちゃんがあたしたちの肩に手を置いて嗜める。あたしは暖かいその手にそっと指を添えた。
病気で死にそうだった父さんが、自分で立って歩けるようになったなんて、夢みたい。王女様から貰った宝物で薬を買うことができたおかげだ。それだけじゃなくて王女様は食べ物もたくさん送ってくれた。すごく感謝しているけど、王女様もすごく変な人だったな……。自分から毒を飲んで瀕死になったり、竈で燃えて復活したり、巨大などうぶつたちにスープを作ったり意味が分からなかった。
王女様やどうぶつ達について、あたしたちは誰にも話さなかった。どうせ信じて貰えないし、それどころか頭がおかしくなったと思われるだけだと思ったからね。
宝物の袋については、「まぼろし森で拾った」と嘘を吐いた。父ちゃんには大分心配されたな。
そういえば王女様はどこにいるんだろう? ルーカスは王女様の専属侍従らしいけれど、彼女の姿はない。その代わりに身なりの良い灰色の髪の少年が、ルーカスに何事か耳打ちしていた。
「皆のもの、よっく聞け!」
耳障りな声で赤髪の男が叫ぶ。
「ミゲル王子殿下からのお言葉だ。ここは魔物が跋扈する魔の森にて、一刻も早く安全を確保する必要がある、ここから少しばかり歩いたところに開けた場所がある。そこで守りを固め救援を待つ。行くぞ!」
灰色の髪の少年は、ミゲル王子だった。王色が薄くて王族として認められないかもと言われていた方だけど、ここぞと言うときにこうして皆んなを守ろうとしてくれるのは頼もしい。
皆んなのっそり腰をあげて、おとなしく王子たちの後をついていく。しばらく歩いた先にあったのは、信じられないほど清く澄んだ泉だ。そこかしこから歓声が上がる。
しかし喉を潤そうと湖に駆け寄る者たちを遮るように、透明な塊があらわれた。
ぶるんぶるんと震えるそれは、ものすごい速さで近づくと男の人を丸ごと呑み込んでしまった。
急な出来事に理解が追いつかず、みんなが呆然としている間に、うす緑の透明な塊がいくつもいくつも這い出して来る。
「す、スライムだーー!!」
たくさんの人が呑み込まれた後、ようやく誰かが叫ぶ。そこからはもうパニックでぐちゃぐちゃになった。
「出た、出た、魔物が出た!」「魔物がそこらじゅうに居やがるんだ! 俺たちはみんなここで殺される!」「ギャー!こっちにくるなぁ!」
スライムだけでなく、おでこから鋭いツノが生えた大型のウサギみたいな魔物も襲ってきた。すぐ近くにいた女の人がお腹を串刺しにされて、噴水みたいに血を噴き出す。
「ひっ、むぐ」
叫びそうになったアンセルの口を、父ちゃんが大きな手で塞ぐ。騒いで目立ったら魔物に狙われるかもしれないからだ。
「グレテル、ルーカス様のところまで走れるか? あの方は強いからきっと助けてくださる」
少し先に真っ赤な髪を揺らして戦っているあの男が見える。何の魔術を使っているのか、ぱぱぱんと周囲のスライムが破裂していくが、一角ウサギのツノに腕のあたりを切り裂かれていた。逃げ惑う人々が邪魔になって、思うように魔術行使できない様子だ。
あの様子だと背後の王子様を守るので精一杯かもしれない。
まわりの魔術師や兵士たちも、ばらばらに戦っていて統率が取れていないせいか、低級魔物相手に防戦一方になっている様子だ。
「わぁッ!」
アンセルに向かって、銀色の目をした一角ウサギが突進してくる。慌てて弟を抱き上げた父ちゃんの横腹を、鋭いツノが貫こうとする。
「父ちゃん!!」
ガキンッ
鈍く光るものがくるくると宙を舞って、地面に突き刺さる。剣? 折れていて錆びついているけれど。
「君たち大丈夫かい?」
何かキラキラした子が折れた剣を拾いあげ、あたしたちを庇うように一角ウサギに立ち向かう。ウサギのツノは真ん中あたりからぽっきりと折れている。
どうやらさっきの音はあの剣と魔物のツノがぶつかった音らしい。
ふわふわの金髪のその子は、多分あたしより少し年下だ。小柄で細い体の女の子? とても魔物相手に戦えそうにないのに、一角ウサギのしつこい攻撃を次々と受け止めている。
でも額は汗だらけで、足元もフラフラだ。
「危ない!」
キラキラの子がふらついた隙に、魔物が鋭い前歯を剥き出して飛びかかってくる。あたしはそいつの鼻面に向かって、人差し指から小さな火の玉を放つ。鼻を燃やされたウサギは「ギィッ」と声をあげて逃げていった。
「ありがとう! 君すごいね。今のは魔術かい? 詠唱もなしで使えるなんて」
「こちらこそありがとう! おかげで助かったわ。あの火の玉は最近できるようになったのよ」
夜のまぼろし森に迷い込んでから、不思議と体の中に暖かな流れがあるのを感じるようになっていた。ある日、かまどに火をおこそうとしたら、勝手に指先から炎が出てきてびっくりしたんだ。父ちゃんは魔術を使えるのかーと喜んでいたけど、詠唱なしって言うところを訝しんでいた。魔術には必ず詠唱とか、魔法陣が必要みたいだから変なんだって。近所のおばあちゃんは、もしかしてあたしは魔術の才能があるかもしれないなんて言ってたな。
「ぼくはフリオって言うんだ。この剣は兄さんのだったんだけど折れちゃったからぼくが貰った。皆んなを守るための伝説の剣なんだよ」
青い目を細めてキラキラと笑う。ぼくってことは男の子なのかな。伝説の剣? うん、そういうお年頃だよね。
あたりを見回すと魔物の数は減っているようだった。兵士や魔術師たちもなんとか連携をとり始め、魔物を効率よく倒し始めていた。
「恐れることはない、低級の魔物ばかりだ。兵士魔術師で外側を囲い魔物にあたれ! 怪我人と戦えぬ者はこちらに集まるのだ」
ルーカスがしわがれ声で叫ぶ。叫びながらも炎の矢で森から飛び出てくる魔物たちを次々と射っている。
ほっとして、ルーカスがいる方にみんなで向かう。変態だけどやっぱり強いんだなーなんて思っていたら、嫌な感じの圧迫感と、地響きがやって来た。
慌ててあたりを見回す。
「どうした? グレテル」
「……何か来る」
ものすごく嫌な予感に脂汗が滴る。思わず父ちゃんの腕にギュッとしがみついたその瞬間、
スライムたちが雨のように降り注ぎ、アンセルと父ちゃんのお腹を、鋭いツノが貫いた。
「いやああああああああああ!!」
魔物たちが波のように押し寄せてくる。きっと大陸中の魔物がここめがけて大慌てでやって来ているんだ。
目の前でフリオくんがスライムに飲み込まれるのを呆然と眺める。アンセルと父ちゃんが串刺しになって振り回されるのを何もできずに眺める。
(ここは魔物の領域だったのよ)
魔女が言っていたのを思い出す。
(ここでは聖結界の内側でしか、ヒトは生きられない)
結界。聖結界。
あたしは必死にミゲル王子を探す。王族なら結界が張れる。この押し寄せる魔物の波から、みんなを守ることができる。
ああでも今更、結界が張られても父ちゃんとアンセルは助からない。癒しの術が使えれば……。
あたしの視界はミゲル王子がスライムに飲み込まれているのを捉える。もうダメなの?
目の前に降ってきたスライムに、あたしは泣きながら小さな火を放つ。それはあっという間に消えてしまう。
あたしに結界が張れれば。癒しの術が使えれば。
あたしはやけくそで小さな火球をアンセルと父ちゃんを串刺しにしている一角ウサギに放つ。今まで一つずつしか出なかった火球を、ポンポンと連続してぶつける。
体の中の熱い流れがぐるぐるぐるぐるする。
一角ウサギが丸焦げになる。フリオくんを呑み込んだスライムが蒸発する。
でもだめだ、こんなんじゃ足りない。魔物は空から降るようにやってくる。森の暗闇の中から無限に湧いてくる。
――魔物を追い出す結界、癒しの力!
強く強く願う。願えば願うほど何かに届きそうになる。水中の棺と無数の魔法陣が目に浮かぶ。真っ赤な怖い宝石と、ゆらめく明るい水面を思い出す。そう、幼かったあたしは泉から這い出して、裸足で夜の森を彷徨った。それから誰かの暖かい腕に抱き止められて……あれは、死んだ母ちゃんだった。冷え切って傷だらけのあたしを、母ちゃんは手当して、抱きしめて温めてくれた。守ってくれた。それからずっと、守ってくれた。
ぐるぐる苦しく渦巻いていた熱が、ほわっと解けていくのが分かった。
守り、癒す。
解けた熱がゆるゆると広がっていく。
守り、癒す。
――母ちゃん、ありがとう
温かい涙がぽたり、ぽたりと溢れた。
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ファイアードレイクが暴れ王都が消えたその日、魔の森に逃げ込んだ人々は魔物の波に襲われた。
それを救ったのは一人の少女だった。
オレンジ色の髪のその少女は、髪と同色の結界で人々を包んだ。
結界は魔物を外にはじき飛ばす効果があった。
尚、結界内には暖かな癒しの雨が降り注ぎ、魔物に襲われた人々の傷を癒したという。




