犠牲王
アストリアス王家。
グラナード王国の始祖レオから連なる黒髪紫眼の一族。成人すると魔力覚醒し聖結界【白夜】を発動する。
魔物が跋扈するこの南大陸において、ヒトが生存可能なのは聖結界内のみ。王都アマティスタだけでなく、希少な鉱物を産出する鉱山や都市人口を支える農耕地など、合わせて三十七の地域を守っている。
最も古いものは始祖のレオによる、王都の結界であった。
王家あってこその国家であり、国民からは慕われているが、王族の人格破綻については周知の事実だ。
【白夜】発動後は元がどんなに穏やかな者であっても、十数年で人格が荒廃し、無気力と激昂の間を行き来するようになる。やがて食べ物を拒否して痩せ衰え、若くして死の床に着く……と言われているが、実際には死ぬことができない。歴代の王族は、人格荒廃の末に次代に幽閉され、そのうちどこかへ消えてしまうと言われていた。
「この路地だったんだね。消えた王族たちの最後の場所は」
まぼろし市場の外れにある薄暗い路地。そこにじっと座り込んでいる数十人の痩せこけた人々。よく見ると皆黒髪紫眼だが、枯れ木のような手足にボロを纏い、俯いている様子は惨めの一言だ。とても王族には見えない。
いや、グラナード王国における王族とはそもそも惨めな者たちだったのだ。国家存続のために魂を消費し尽くされるのだから。
かつてメガラニアに栄えていた黒髪紫眼の一族を、キルケーは決して許さなかった。メガラニアを沈めたあと、世界中を何千年も旅して末裔を見つけては殺し、最後に残ったレオを騙して、この南大陸に連れてきた。そして同胞がかけられたのと同じ【隔魂術】と【白夜】を発動させ、その子孫にも伝わるように神精領域に刻みつけた。
王族の魂を削りながら栄える王国に、同胞たちの子孫を招いて生を謳歌させる。自らもホムンクルスに人造魂を宿して、人生をやり直す。悲しくもくらだない復讐だ。
レオをはじめ、王族たちはキルケーの同胞を蹂躙した者たちとは別人だというのに。
そう指摘したらキルケーはなんというだろうか? きっと攻撃的に嗤うだろう。かつて罪なき我々を踏み躙った者たちには、道理があったとでも言うのかと。
王族たちはみな魂を魔宝石に隔てられて、【白夜】により魔素汲み上げ器となり魂を削られ続けている。魂の耐久時間は千年余り。始祖であるレオの魂が散ってしまったのはつい先ごろだ。次に消えるのはレオの子どもたちであろう。
あまりにも酷い扱いだから、できれば早く解放してあげたい。解放というのは具体的には【白夜】と【隔魂術】を解くこと。
王族の解放イコール結界の消滅だ。
今は王都が消えたばかりで、王都民三万と建国祭の来賓数百人が魔の森で途方に暮れているはず。これ以上いたずらに結界を消すことはできない。まずは森にいるヒトたちを近隣の結界に避難させて、それから何らかの手当てをしようと思う。
幸いアマティスタの近くにある結界は、広大な敷地の農耕地だ。臨時で三万人を収容することはできるだろう。
「フェリペ王……、おじいちゃん。後で必ず迎えに来るからね」
私たちはまぼろし市場の出口へと向かった。そこには以前あった白金の紗はなく、緑濃い森が広がっているだけ。魔の者であるナウエルとカルフも問題なく入ることができた。
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「シュッ」
「翼蛇! よかった、先に森に入ってたんだね」
まるで待っていたかのように飛んできた翼蛇に頬擦りする。
「わあ! 千年ぶりの森です!」「ああ!」
カルフとナウエルが歓声を上げて駆け出すのを見て、私は微笑んだ。
人魚たちにとって、無理やり奪われた故郷への本当に久しぶりの帰還なのだ。彼らの長年の問題はこうして呆気なく解決した。これから残った人魚で千年前の生活を取り戻し、子を成していくだろう。
「ヴィオレッタ王女、あなたはこれからどうするのです?」
レナ――ナサレナが問いかけてくる。目深に被った灰色のフードのせいで、表情はよく見えない。
そういえばこの人、まぼろし市場で再会してからずっと黙っていたな。何か言いたげだと思っていたけど。
「うんと、まずは大事な人の無事を確かめて、それから王都のヒトたちの安全確保をがんばるかなぁ、私も一応王族だしね。それから歴代の王族たちの解放方法を探すよ。フェリペ王にしても、あのままじゃあんまりだもん」
「王族の解放など、本当にできるのですか? 神精領域に刻まれた【隔魂術】と【白夜】の術式を、消すか無効化するということですよね。先ほどナウエルが『キルケーの過去で見た』などと言っていましたが」
「うん。キルケーは海馬の魂に刻まれた『白夜』の術式を解いていたよ。自らの魂を丸ごと消費して。『隔魂術』の解除に関しては詳しいことは分からないけれど。ま、やってみるしかないね」
「術式解除には魂が丸ごと必要ということですよね。王都民の魂でも使うのですか?」
こともなげに言う彼女を、私は思わず見つめた。
あどけなさの残る白い顔に浮かぶのは、かつての内気そうな微笑みではなく、怪物じみた冷笑だ。
ヒトの魂を軽視するこのあり様。レナは元々はヒトだったことなど忘れているのだろう。ウアピの過去で見た優しい少女ナサレナとはまるで別人だ。
人魚カルフの血で再生魔法をかけられた時に、彼女は過去を失くした。そればかりでなく、どの時点でかは分からないが魂も失くしている。
今の彼女は魂のカケラだけが宿った肉人形といったところだろうか。
「ヒトの魂なんて使う必要はないよ。キルケーと違って、半人魚の私は魔法が使えるからね。ヒトが魂を消費してやっと汲み上げる量の魔素は、人魚にとっては大した量じゃない。誰かの魂を犠牲にする必要はないよ」
「だったらとっとと自分に刻まれている術式をなんとかしたらどうなんです? 魂は人魚が保管しているから一応安全とはいえ、万一あなたがそのまま魂を取り返し、この大陸に足を踏み入れたら、あっという間に【白夜】が発動して、また魔の泉が奪われてしまう。私は気が気ではないのです」
「まだ解除の術式が分からないから、今は無理だよ。キルケーの過去をもう一度見ればヒントがあるかもしれないけど。今は王都民をなんとかしないと」
「そんな悠長なことを! それに術式さえも分からないだなんて!」
「なんとか探すよ」
「もし無理だったら?」
「ここには決して立ち入らない。それでいいでしょう?」
レナは、はあっとため息を吐いた。
「あなたがここに立ち入らなくても、あなたに子どもができたら? 子孫にもその術式は受け継がれていくのですよ。何世代も経って、あなたの子が誰か一人でもこの地にやってきたら?」
「えと……、子どもとかまだ考えてないけど」
「まだお分かりでないようですが、あなたを生かしておくこと自体が人魚族にとって脅威なのです! 魂があなたに返ろうと返るまいと、あなたが子を産めば神聖領域に刻まれた【白夜】の術式は受け継がれていく。お人よしの人魚族には無理でも、私なら……!」
不穏な気配が少女の周りに漂う。急速に魔素が集まってくるのが分かる。魔法陣がいくつも空中に浮かび上がる。
「やめなさい、レナ。ヴィオレッタは私たちの同胞ですよ。第一あなたに叶う相手ではありません」
「ッ、カルフ様! で、でも!」
涼やかな声の少女がそっとレナの肩に手を置いた。いつの間にか戻ってきていたらしい。ナウエルも私を護るように側に立っている。
「神聖領域の術式を消す方法、それが早急に見つかれば問題ないわけだろう? だとすると彼女に頼るしかないのでは」
「彼女?」
一体誰のことだろう。術式をなんとかするを知っていそうな女性とは?
「決まっているだろ。キルケーさ」
人造魂が入った封印箱を掲げながら、飄々ととんでもないことを言い出すナウエル。
流石にカルフが抗議する。
「そんな危ないこと! その人造魂は危険すぎます。」
「いえ、カルフ様。俺はキルケーの生まれ変わりを探すつもりです」
ナウエルが胸に手を当ててそう言うと、私の方を向いた。
「ヴィオレッタ、俺たちは没入装置で彼女の過去を見ただろう? キルケーその人はこの人造魂のような邪悪な人物ではなかった。メガラニアを沈めることで、本来の彼女の復讐は終わっている。それに、君は彼女の願いを叶えてやりたいんだろう? 同胞の生まれ変わりに魂のカケラを戻して、再会させやりたいと言っていたじゃないか。彼女の生まれ変わりを探して人造魂を融合させてやろう」
「そりゃあ、できればそうしてあげたいけれど。でもどうやってキルケーの生まれ変わりを探すの?」
そんなの見当もつかない。雲を掴むような話だ。
「キルケーの過去によれば、魂の持ち主はカケラに惹かれてくるはずだっただろう? ほっといても向こうからやってくるんじゃないか? もしかしたら既に人造魂に接触した人物かもしれない」
「あのルビーに接触した人物? まさかぁ。だって私の知る限りママ……シンマスさんしかいないよ。それにあの人造魂を身につけても融合なんてしてないよ」
ママが誰かの生まれ変わりなのだとしたら、あのアメジスト人造魂の方がよっぽど相応しいし!
あのアメジストはママの魂と相性が良すぎて、人造魂と一緒にママの魂まで傷ついてしまった程だし。
「接触でなくても傍に居た人物では? 例えばあのグレテルとかいう少女はどうでしょう。彼女の魂は、キルケーの人造魂の傍にあったホムンクルスに宿ったものでしたよね。人造魂に惹きつけられてやってきたのかもしれない。彼女が生まれ変わりかどうか調べるべきだと思いますよ。あと、人造魂を身につけただけでは、魂との融合は難しいでしょう。それこそ【隔魂術】でも使わない限りは」
涼しげな声でカルフが言葉を挟む。私の周辺で起こった出来事は、すべて人魚と共有済みだ。
流石に長く生きている長のひとりとあって、魔法にも詳しい。
んん? グレテルがキルケー生まれ変わり説は後で確かめるとして、人造魂と魂との融合には【隔魂術】が必要?
そういえば私って、あの青の魔宝石を触った途端に【隔魂術】とついでに【白夜】を発動したよね? それは魔宝石に含まれていた多量の魔力に、私の神精領域に刻まれた術式が発動したわけだけど……そうか、それで二十三の魂のカケラが魂本体と融合して、前世の記憶が戻ったのか。
「ではキルケーの生まれ変わりを探して魂を融合させ、術の解き方を教えてもらいましょう。それで良いですね? レナ。ただし、それは王都民たちを避難させてからです。私たちとしても、大切な魔の泉の近くに大勢のヒトが彷徨いている状況は好ましくありません。早急に出ていって貰わなくては」
「……はい。ひとまずはそれで良いことにします。ただ、私はあまり待てませんよ?」
不満気ながらも魔法陣をひっこめたレナに、カルフが困ったように眉を下げて近づく。
「レナ……そんな顔をしないでおくれ。私はお前には笑っていて欲しい」
「カ、カルフさま!? 近すぎ、ますぅ!!」
手を握って顔を近づけるカルフに、のけぞっている首もとまで真っ赤にさせているレナ。
カルフ様グッジョブ!
「そうと決まれば、翼蛇! 私たちをヒトが集まっている場所に連れて行って!」
「シュ!」
皆で翼蛇に乗る。四人で乗っても飛ぶのは余裕そうだが、身悶えるレナを「落ちてはいけませんから」とカルフが後ろから抱きしめているが……大丈夫か? 余計に落ちそうなんだが。
そんな心配をよそに翼蛇はぐんぐんと空へと昇っていく。
「うわぁ……」
「美しい……」「空から見たのは初めてです」
思わず感嘆の声が漏れる。私たちは、いつの間にか海も陸も遥かに見下ろす程の高度に達していた。
南の海から流れてくる潮が陸地の奥まで入り込み、浅瀬となって広がっている。
その海沿いに広がっているのが魔の森だ。網の目のように張り巡らされたきれいな流れと透明な泉。亜人たちの故郷だ。
そしてそこは、ついさっきまで南大陸唯一都であり、世界一富裕と謳われていた王都アマティスタがあった場所だ。
今はそのカケラも残っていない、夢よりも幻よりも儚く消えてしまった。あの大都市はどこに行ってしまったのだろう?
私たちを乗せた翼蛇は、きらきらと輝く泉に向かってゆっくりと降りていく。
降りるにつれ、透明な泉の周りを汚すように、雑多な群れが蠢く様子が見えてきた。
カルフが眉を顰めて呟く。
「泉が」
ごちゃごちゃと蠢く群れが、泉に赤黒い液体を流したところだった。
「あれは血液? ヒトだけでなく魔物も? 魔物とヒトが戦闘しているのか?」
ナウエルが魔法陣を身にまといながら飛び降りる。
近づくにつれて、ごちゃごちゃが何なのか見えてきた。泉を囲む無数のヒトの群れを、魔物たちが襲っているのだ。スライムにゴブリンに、一角ウサギ。弱いとされる魔物が多いが、戦闘経験も武器もない一般市民にとっては恐ろしい捕食者だ。魔物は本能的にヒトを攻撃し喰らおうとする性質がある。結界から出た今、魔物の跋扈するこの森に放たれた三万人は魔物たちにとっては降って湧いた大量のご馳走だ。
森の奥からはさらに強い魔物が押し寄せて来るのが見える。サイクロプスや巨木のモンスターが地響きを立てている。
「しまった、遅すぎた! もう戦闘が始まっているなんて」
私も魔法陣を纏って飛び降りようとしたその時、オレンジ色の暖かな光がぱあっとあたりを照らして広がっていった。
光に触れた魔物たちが、次々に光の外へと弾き出される。
「結界魔法? 一体誰が。ヒトが使える魔力量じゃない」
光の近づいて目を凝らすと、中心に見知った少女――グレテルの姿があった。




