一緒に堕ちたはずなのに
気がついたら夜の雑踏に紛れ込んでいた。
まぼろし市場ではない。あの賑やかで色とりどりで、熱気に溢れた夜市ではない。
一緒に落ちたはずなのに、ナウエルやフェリペたちはいなかった。私ひとりだ。
輝くものたちが高速でからだの横をすり抜けていく。
偽物の空に偽物の月、偽物の星。昼間の活動で淀んだ空気をかき混ぜ、有害物質を少しでも取り除くための試み。きらきらと光る改造コウモリたちが、ビルや人混みの間を忙しく飛び回る。
「これって……、地球の夜?」
そうだ、これは私が二十三だった頃の夜だ。
私は研究所への帰り道を歩いていた。帰ったら検査だ。来週の手術のための検査が五つ。それから豚に会いにいく。
どちらもやりたくない。検査はいろんなところを削りとらたり、埋め込まれたりして痛覚遮断がうまくできないと地獄だ。でももっと気が沈むのは豚を見に檻に行くほう。
「違うでしょう? 豚を見に行くんじゃなくて、豚に会いに行くのでしょう? あなたにとって彼女はとても大切な豚なのよぉ」
主治医はそう言いながらニヤニヤしていた。私が一度「お母さん」と彼女を呼んでしまってから、こういう嫌がらせが続いてる。
その繁殖用の豚は、研究所の地下で長年飼われている。少しだけヒトが混じった豚は、いろんなモノを産まされている。豚の仔じゃない何かを……。
足が重くなる。主治医の意図は分かっているが、何も気が付かないふりをしなくてはならない。でもそれがフリだということを、彼女は分かっていて、容赦なく嫌がらせを続けてくる。
私が泣き叫べば終わるだろうか? とんでもない。泣き叫ぶどころかちいさな不満を表すことすら、私には許されていない。
自然とため息が出る。今日はもしかしたら、豚のお産を手伝わされるかも知れない。産まれてくるモノを私は直視できるだろうか。
「あんたの妹と弟が産まれたわよぉ、おめでとう二十三」
私は聞こえなかったフリをする。息が上手くできない。感情は既に黒い沼でどろどろに固めらている。
黙って俯きながらやり過ごすしかない。いつものように、沼の底に全てを沈め、やがて湧き上がってくる泡に蝕まれながら生きる。いつものように。
でも、掌にその熱い塊を載せられた瞬間、私はおや?と思ったのだ。世界がカチリと切り替わったような気がした。
明らかに豚じゃないそれが手のひらで蠢いて、私によく似た瞳をぼんやりと開く。ちいさな口を開けて泣き、透明な涙をこぼす。
「う……わ……」
胸の奥から何かが湧き上がる。それが何か感じることは難しい。感情遮断をパッシブにしているためだ。
でも、何もかもを圧倒していくエネルギーが激しく渦を巻いているのは分かる。
原因はこのちいさな熱い塊だ。キメラ、異形、偽人間、人造生物、それがなんだ?
ヒトじゃないからなんだ? それがなんだっていうんだ。
ヒトだろうが、人造生物だろうが、高等だろうが下等だろうが、激しく循環する万物が一瞬かたちづくられ、瞬く間に解けちる。ほどけて散り散りになり、どこかへ運ばれて何かになり、またほどける。その繰り返しだろう?
価値の上下なんてありはしない。
母豚も同じように思っているようだった。全く豚には見えない異様な仔を、甲斐甲斐しく世話しだしたから。
仔は乳を飲み、全身を絶えず動かし、音がする方に見えない目を向け、ぐんぐんと育っていく。
私は手術と実験を増やし、その代わりあの仔を母豚の傍に置いてやってくれと頼んだ。それを聞いた主治医は嗤って……。
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「ヴィオレッタ!」
見覚えのある青年が私の腕を掴んでいた。
「ヴィオレッタ! やっと見つけた。魔の森に落ちたはずが、まぼろし市場にみんなバラバラに落ちたんだ」
「……ナウエル?」
私はぼんやりと呟いた。
「あれ……。研究所は? 主治医と、あの仔は」
どうしたんだっけ?
あの仔はどうなったんだっけ?
「ええと、ここは?」
「しっかりしなさい、ヴィオレッタ。ここはまぼろし市場の中です。このあたりだけ雰囲気がかなり違いますが……。こんな妙な場所があったんですねぇ」
水色の髪の少女、長のひとりであるカルフが涼やかな声でそう告げる。
その隣にいる赤毛の少女はレナだ。カルフの白い手をしっかり握っている。
「カルフ様とレナとはさっき会えたのだが、フェリペ王はまだ見つかっていない」
ナウエルが肩をすくめて言う。
そっか、じゃあおじいちゃんを探さなきゃだねーと思っていたら、異常な声が聞こえてきた。
『ヒトじゃない! ヒトじゃない!』
突然のおらび声に身がすくむ。この声は
「かあ……主治医のこえ?」
さっきのは悪い夢じゃなかったの?
目の前にある扉は、研究所のものによく似ていた。半開きになっているそこから覗くのは半透明な黒い影だ。
主治医の形をした影が身を捩って苦しんでいる。その足元では様々な形の影がのたくっていた。
ヒトの赤ん坊のようなもの、豚のようなもの、蛇のようなもの、手足がない丸い形のもの。それぞれが耳を塞ぎたくなるような声で吠えていた。
『ヒトじゃない! ヒトじゃない!』
『いいえ! いいえ! ヒトよりすごい、ヒトよりえらい』
『豚! 豚! ヒトに似せた豚!』
『違う、違う、ヒトの細胞も混じってる!』
「なんだこいつらは。気味が悪い」
言葉を失って立ち尽くす私の肩を、ナウエルが守るように抱いた。
「出ましょうか。空気が悪いです」
カルフが水色の髪を揺らしてくるりと踵を返す。レナが従う。
けれど私は足を縫い留められたように、そこから動くことができなくなっていた。
なぜ? どうしてここに? そんな疑問だけががらんどうの胸に去来する。
『二十三? 二十三じゃない!? 何よぉその姿! なぜヒトになっているのぉ!!』
「ひっ」
主治医の黒い影が、突然私に向き直って叫んだ。恐怖がパッと胸に広がる。
『一緒に堕ちたはずなのに、なぜお前だけがヒトに成れたのぉ!』
膝から力が抜ける。冷や汗がたらたらと背中を伝う。主治医の手が私を掴もうと伸びてくる。
「ヴィオレッタ!」
ナウエルが私を抱き上げ、扉を乱暴に閉めた。そして私を抱いたまま、路地から路地へと走る。見覚えのある色とりどりのランタンが見えてきたところで、私はほっと息をついた。
「さっきのは何だい? 答えたくなければ黙っていて良いが」
「……たぶん、私の前世の、関係者? だよ」
思い切り言い淀む。彼女たちを今更なんと言えば? 親ではない、家族でもない、でも血は繋がっていて、そして心は一ミリも繋がってない。
「人造魂。きっとそうだ。この場所は、人造魂にされたカケラたちが集まる場所なんだ」
私は呟いた。
夜市の影たちは、キルケーが人造魂にした人々だ。彼女の過去を覗いたので分かる。
そして研究所の主治医たち。彼女たちもキルケーにより人造魂にされていた。滅びた地球の地下研究所に残されていた金属チップは、私のものだけではなかった。主治医と、私のきょうだい? たちのものもあったのだ。キルケーはその全てを魔宝石に落とし込んでいた。
「なるほど、あなたの言う通りかも知れません」
私の推測に、カルフが密やかな声で答える。
「魂のカケラたちが集う仮想空間といったところでしょうか。でもそれだけではないようですよ。ほら、あそこにいるのは歴代の王族たちです。皆廃人になりながらも滅ぶことができず、苦しんでいる」
彼女が指差す方を見ると、目ばかり大きな痩せた人影が大勢座り込んでいる路地があった。そしてそこには見慣れた人物がいた。
「ええ!? おじいちゃん!?」
痩せこけたフェリペ王が路地に座り込んでいるのを見つけて、慌てて駆け寄る。
「ちょっと大丈夫? なんでこんなところに座ってるの」
「……」
返事をせず、こちらを見ようともしない。光を失った紫色の目を大きく見開いたまま、じっと動かず項垂れている。
「ファイアードレイクに変身して暴れるのに、魔力を使い過ぎたのでしょうね。魔力の元になる魔素を汲み上げるのに魂を消費しすぎて、一気に廃人化してしまったのだと思います」
カルフが痛ましげに、かすかに目を細めてフェリペを見る。
「そんな……。どうにか元に戻すことはできないの? このままじゃあんまりだよ」
「元に戻るかどうかは分かりませんが、これ以上症状を進めない為には、【白夜】と【隔魂術】を解除するしかありませんね。確か彼の魂は王都の北側にある鉱山の聖結界に使われていたはずです」
「【白夜】の解除か。キルケーが海馬の魂に行っていたな。術式は不明だが。【隔壁術】の解除も不可能ではないだろう」
ナウエルが言葉をはさむ。
「だが、解除できたとしても、問題がいくつかある。それをやると聖結界の内側にいるヒトたちに危険が及ぶことだ。まず避難させなくてはならないだろう。それと、解放してやるべき王族は彼だけでない」
私たちは恐る恐る路地に足を踏み入れた。
そこには目を見開いたままじっと座り込む痩せこけた男女が、十数人……いや、数十人居たのだ。
11月17日 一部修正しました。




