灯台守の娘 五
ぐぎゅるるるる……。
「うふふ、お腹が空いているのね。ずっと食べてないのだから当たり前だわ」
「えへへ……」
大好きなお茶の香りにお腹が反応してしまった。
ミルクの粉?がたっぷり入った甘いお茶だ。一口飲むと体がほわーっと温まって疲れが取れる。
白い丸パンもこのミルクの粉? が入っていてほんのり甘い。食べると体中に元気が満ちるかんじ。
ママが私に作ってくれる料理には、たいていこの粉が入っているんだよね。お魚のミルクスープとかシチューとか大好物だな。パンやクッキーにも必ず練りこんであるし、そのまま水に溶かして飲んでもほんのり甘くておいしい。
ママ曰く私は赤ちゃんの頃からこれを飲んできたそうだ。
でも記憶が戻った今だから不思議に思うことだけど、ママは絶対にこの粉で作ったものを口にしないんだよね……。わざわざ手間暇かけて作った料理なのに。
「こどもの食べ物をとるわけにはいかないわ」とか言うんだけど、粉は腐るほどあるし、他の食べものにだってそんなに困ってない。
だいたいこの粉、イルカくんが運んでくるっていう時点で変じゃない? 一週間に一度くらいの頻度で背中に壺を載せて泳いでくるんだよね。イルカくんって魔物だよ? ヒトに慣れるどころか、人肉大好きな獰猛なヤツだよ。そんなイルカを宅急便みたいに使役するなんて、いったいどこの誰なんだろうって話だよ。送り主が誰かってママも知らないみたいだし。
「ねぇママ。この粉ってなんなの?」
「……あのね、その粉はええと……どこから話せば良いかしら」
ママは困った顔で、どう話を始めようか迷っている様子だ。
はぁ。記憶が戻ってみると私のまわりって違和感だらけだなぁ。
私の存在をママが秘密にしてきたこと。
鏡を見ることが禁じられていたこと。
謎の白い粉をママは食べないこと。ヒトには懐かないはずの魔物たち……。
聖結界魔法『白夜』に似たあの光。あれも多分私の魔術なんだろう。途中で消えてしまったみたいだけどね。
それに幽体離脱したときに見た私の顔……あれは夢じゃない。
さっき岩陰で着替えるときに顔を触って確認した。私の目は一つしか無かったし、鼻は孔だけだったし、口は耳まで裂けていた。
私の顔は魚龍にそっくり。つまり化け物だ。
ああ、何も知らないままでいたかった。
前世の記憶が戻る前の私は当たり前のようにママに愛されて、何も知らずに島中を駆け回って遊んでいた。それがずっと続くと信じていた。前世では手に入らなかったまったき子ども時代。
それももう終わり。
「ヴィオレッタ、まず最初に大切なことを言っておくわ。アタシたちに血の繋がりはないわ。でもそんなの関係ない。あなたはアタシの大切な娘よ」
やっぱりか……。血が繋がってないって予感していたけれど、ママの口から改めて聞くとショックだ。
「私はさっきママが言っていたご落胤ってやつなの?」
「そうよ、多分だけど」
「えっと、どうしてママが育てることになったの?」
「……攫ったの」
「は?」
「ごめんなさい!ヴィオレッタ……あなたがあんまり可愛い赤ちゃんだったものだから、つい攫ってしまったの。だからあなたのことは秘密にして、この島でこっそり育てたのよ」
いやいやいや、ウソでしょ。ご落胤――王族を一介の海軍兵が攫うなんて普通に無理でしょ。何言ってんの。
これは何か隠してるな。
「ママ、鏡を見せて」
目に力をこめてママを見上げる。
「……今なら、いいわ」
そう言ってママは、意外にもあっさりと上着のポケットから手鏡を取り出した。
あれほど私から鏡を遠ざけていたのに。それに「今なら」ってなぜ?
ママの言葉に違和感を覚えつつも、私は鏡を受け取って覗き込んだ。
そこに魚龍はいなかった。
ところどころ紅の散った紫の瞳は、色合いこそあの異形の化け物のそれと同じだったが……『今は』黒い睫毛に縁どられた二つの輝く宝石のように、優美に弧を描く眉の下に収まっている。
そこにいたのは、天使のごとくまろやかに整った美貌の少女だった。
「……やっぱり血濡れだった」
「? 今なんて言ったの?」
思わずつぶやいた私に、ママが怪訝な顔をする。
幼くはあったが、鏡に映っていたのはあの最凶王女血濡れのヴィオレッタだった。
「うふふ~お人形さんみたいに綺麗でしょう? 大きくなったら国一番の美女にな」
「私の顔ってたまに魚龍みたいになるよね?」
「!! ななんのはなしかしらっ」
「いいの。それも私だから」
「ヴィオレッタ……知っていたのね…!?」
ママったらあっさり認めてる。ちょろすぎないか? 例のクセで、胸元のアメジストをぎゅーっと握っているから、動揺してるんだろうなー。普段は冷静なママだけど私のこととなると慌てちゃうんだよね。
ちなみに今のママの服装は、ひらひらワンピースじゃなくてシンプルな白シャツに黒いパンツだ。この洞窟の入り口は南の断崖だ。階段や梯子どころか、ロープ一本ない。わずかな岩のくぼみや木の根っこを手掛かり足掛かりにして降りるしかない。そこを気を失った私をおんぶしていったのだから、ワンピースじゃ無理だよね。
メイクもいつもの派手目のやつじゃなくてナチュラルメイクだ。改めて見るとなかなかのイケメンかも……! なんて言ったら怒られるけど、でも何かひっかかる。でも何か思い出しそうで思い出せないから置いといて、と。
改めてゲームの「裏設定」について思いを巡らせてみよう。
私には前世でやったゲーム記憶があった。全部思い出したわけではなく、断片的にぽつりぽつりと記憶がよみがえってくる感じなんだけどね。
乙女ゲーム「永遠を君に」の終盤に出てくるスチルに、魚龍の貌をしたヴィオレッタが小さく描かれているものがあったのだ。プレーヤーが集う掲示板では作画ミスではなく、ゲームのストーリーには出てこない裏設定があると推測されていた。それは、ヴィオレッタ王女が魔物の血を引いているというもの。だからこそ、彼女は人間を憎み国を滅ぼそうとしたのだと。
この推測が正しければ、私の周りの違和感もいくつかは説明できる。
魔物が私に懐くのは、私が半分魔物だから。
白い粉の正体は確証は無いけれど、魔物は人間を好んで食べる……ママも白い粉の正体はなんとなく察しているのだろう、だから絶対に食べない。
私の顔の変化も白い粉の摂取に関係している。食べれば人間の顔に戻るのだから。(それとも食べなければ魚龍の顔に戻るという捉え方が、正解なのだろうか)
鏡を見せないのは、言うまでもなく魚龍バージョンの私を見せないため。
けれど、ゲームの記憶ではヴィオレッタの母親はフェリペ王の娘である、アマリア王女という人だった。だから半分はヒトだ。魔物とのハーフだからという理由だけで、国を滅ぼそうとするほど人間を憎むだろうか。少なくとも今の私の中に、そんな憎しみはない。
なぜヴィオレッタ王女はああなったのだろう?
ドゴッ、ドガガッ!
「木戸の方だわ。チィッ!! 見つかったのかしら」