お菓子の家の魔女五
「あなたは誰? 妖精?」
「うーんと、さっきも言ったけどヴィオレッタっていう名前だよ。王都では“人喰い魔女”とか噂されているみたいだけど」
何故かちょっと照れたようにそう答える彼女月光を、あたしはまじまじと眺めた。“人喰い魔女”?
王都の噂では“魔女”は一つ目の口が耳まで裂けた化け物だったはず。
何週間か前に黒髪に紫の瞳という王・家・の・色・彩・を・持・っ・た・化・け・物・が、スラム街で人を襲ったって聞いた。その直後に王女殿下が王宮に帰ってきたっていう知らせがあって……、そのせいか巷では化け物の正体はヴィオレッタ王女だなんていう、おかしな噂が立ったりしていた。
「もしかして、王女殿下、なのですか?」
「うんまあ、そうだね」
「人を食べるのですか?」
「えっと、今・は・食べないよ」
驚きに目を見開くあたしに苦笑する、そんな表情さえうるわしい。
だけど、今・は・って何。
やっぱり噂どおり、王女殿下は人を……。
「殿下! 余計なことを言わんでくださいよ。全く、『再生』したてはいつも以上に馬鹿になりますな」
「なんだとう! この変態ルーカスめが! この子たちには竃で燃えるところから再生まで見られてるんだし、今更なんだからいいじゃん」
竈で燃えた? ではさっきの女の子は目の前にいる王女殿下なの?
彼女はくるりとあたしを振り返ってにっこり笑う。
「うふふ、さっきも言ったけど、助けてくれてありがとうね。あなたが竃に押し込んでくれたおかげで、こうやって『再生』できたんだよ」
「生き返ったっていうことなんですか? まさかそんなこと」
「ふふ、そう思うよね。いいんだよ、セ・シ・リ・ア・。会えてうれしい。ずっとあなたををこの森で待っていたから」
「セシリア? あたしはそんな名前じゃありません」
「あれ、今・は・違う名前なの? まあいいや。その亜麻色の髪にオレンジの瞳、顔立ちも彼女の面影がちゃんとある。ふふふ、まさかあのヒロインのセシリアに本当に会えるなんてっ。嬉しい!」
そう言いながらむぎゅっと抱きしめてくる王女様を、あたしは両の二の腕を突っ張ってガードした。
いったいなんなのよ?
「だから違います! あたしはグレテルです! ヒロインとかセシリアとか誰だか知りませんが、人違いです」
「ほう、この子どもが例のセシリアですか。と言うことはもうすぐかの人が来るのですな」
赤髪の男まで、感心したように口を挟んでくる。
だからセシリアなんかじゃないってば!
「そう、今さっき気がついたんだけどね。本当にうれしい。セシリアが来たって言うことは、あの人が追いかけてくるはずだから」
意味不明の会話に眉を顰めるあたしに、王女殿下はにっこりと微笑んだ。
「説明してあげたいけど、どうぶつたちが騒ぎ始めちゃった。ご飯を配るのが先だね。手伝ってグレテル」
あたしを誰かが追いかけてくる? 父ちゃんは病気で寝たきりだし、他に追いかけてくるような人はいない。まさかあの女継母が来るわけないし。だってあいつがあたしたちを家から追い出したのに。気になるけど、確かにどうぶつたちはこっちを見ながらソワソワとうろついたり、前足でテーブルを叩いたりと落ち着かない。特に蟲たちが荒ぶっていて怖いので、王女様に言われた通りひとまず食事を配ることに集中する。
赤髪の男がスープをよそい、あたしと王女様とアンセルでパンを添えて配膳する。食べ終えたどうぶつたちは皿を持って立ち上がり何処かに行く。殿下によれば水場に行って自分の使った皿を洗ってくるらしい。
「助かるわぁ、洗ってくれて。いつもは私とルーカスだけだし、皿洗いまでしてたらおっつかないからさぁ」
「ふん、配膳も自分たちでやってくれれば良いものを」
食堂のおばちゃんのような口調の王女様に、赤髪の男がケッと言う感じで答える。
今更だけどこの男、普通に無礼だ。王族は特別な方々だというのに信じられない振る舞いだ。王女殿下はこれで良いのだろうか? そういえば赤髪の男はルーカスって呼ばれていたけど、まさかあの変態で名高い魔術師師団長のルーカス・デルガドなんだろうか。王宮一の問題児で嫌われ者だけど、大陸一の魔術師という評判の。
「そこまではねぇ。まだみんな手がどうぶつのままだしさぁ。鍋ごとひっくり返しちゃうのが関の山じゃない? ところでさー……」
ペチャクチャと喋りながら手を動かす二人に感心しながら、あたしとアンセルは息つくひまもなくクルクルと働いた。ひっきりなしに来るどうぶつたちは皆一様に飢えていて、早く配れというプレッシャーがすごい。
夢中になって動いていたら、いつの間にか月が天辺から西の空へと傾き、東の空が白み始めている。
夜通し働いていたのね、さすがに疲れた。
あの女《継母》に家を追い出されたのが昨日の夕刻。それから街を彷徨って気がつけばここまぼろし森にいた。血みどろの女の子と赤髪の男に見つかって、食べ物を恵んでもらった。それから女の子を竃に押し込んで、どうぶつたちにご飯を配って、生き返ってきた女の子が王女様だって分かって。まだどうぶつたちに夜明けまでご飯を配って……そりゃあ疲れるわ。
ふとアンセルを探すと、小さな弟は少し離れたところで森を見つめていた。
「どうしたの? アンセル」
弟の硬い表情に不安を感じて駆け寄る。何を見ているのだろう。森の奥の暗闇を透かしてみると、背の高い人物がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。見覚えのあるその姿に心臓がどきりとする。
「ウソ、まさかあ・の・女・? なんでここにいるの」
思わず口を覆ってつぶやくと、隣のアンセルが引き攣った顔で言った。
「姉ちゃん、だからあいつは女じゃないってば。どう見ても男でしょ」
緩くウェーブのかかった茶色の髪をバッサバッサと揺らして、ゴツい胸元には輝くルビーのペンダント。大きな口は毒々しい赤で塗られ、焦茶の瞳は意地悪そうに眇められている。
あの女だ。意地悪な継母。アンセルはいつもあれこれ言うけど継母なんだから女に決まってると思う。数週間前に突然家にやってきたおかしな女。寝たきりの父ちゃんの新しい嫁だと言い張って出て行かない。挙句の果てにはあたしたちを追い出した憎い憎い女。
女はあたしを見つけたらしく、目をかっと見開いて足を早めた。毒々しい唇がメラメラと獰猛に釣り上がる様子に、あたしはひゅっと息を呑んだ。
「ママ……!」
いつの間にか王女様が隣に立って、真っ赤に染まった頬を両手で挟み、恍惚とした表情で目を潤ませている。
ママだって? いやあの女はあたしたちの継母だけど。
「殿下、呆けている場合ではありませんぞ。この娘にヤツが触れる前に捕らえなければ」
「うん、うん。分かってる。けど生きていてくれたのが嬉しい。うれしいよー。でも捕まえなきゃ」
そう言いながら彼女はふわりと手を振った。するとピンク色のも・や・が継母の周囲に生まれ、あっという間に顔を包む。あの女はしばらくも・や・を振り払おうともがいていたが、やがて白目を剥いて気絶したようだ。地べたに崩れ落ちる彼女を、王女殿下が駆け寄って支える。
「おっと殿下、ルビーに触れないように気をつけてください」
そう言いながら赤髪の男は、その辺の小枝で継母の首からネックレスを外した。
「これが魔女セシリア、いやキルケーの人造魂か」
「うん、後で見てみるからその辺の枝にでもかけておいて。さてグレテル、間違ってもコレに触れたりしないように、すぐに森から出してあげよう。君の弟も一緒にね」
優しい力でトンと背中を押された次の瞬間、あたしたちは王都の平民街に立っていた。
「え? なんで? さっきまで森の中にいたのに」
弟と顔を見合わせてしばらくぼんやりする。すると背後からあのうるわしい声が優しく語りかけてきた。
「グレテル、びっくりしただろうけど今は家にお帰り」
「待ってください! 訳がわからないです。なんであの女が森に? それにあたしのことをセシリアとか」
振り向いても彼女の姿はなく、白々しいほど明るい街の風景が広がっているだけ。
「王女様?」
返事はない。その代わり、シャラリと宝袋が音を立てた。
「姉ちゃん、ぼく疲れた。ここで寝ちゃいそう」
弟が今にも瞼がくっつきそうな顔で訴える。
あたしは弟の手と宝袋をぎゅっと握って、父ちゃんが待つ家の扉まで急いだ。
そうだ、宝でいっぱいのこの袋と、弟と父ちゃんがいれば、あとはなんだって良い。あの女はもういないし、父ちゃんの病気だってきっと治せる。
あたしはグレテル。悪い継母に家を追い出されて、弟のアンセルと森を彷徨った。そして森に棲む人喰い魔女を竃で焼き殺して、宝物の袋を持って家に帰ったの。継母はいなくなっていて、あたしと父ちゃんとアンセルは、手を取り合って再会を喜んだ。
たった一晩の出来事だったけど、あたしは自分の中でスッと中心が定まった感じがした。
この先何があろうと、あたしが本当は何者だろうと、あたしの大切なものは変わらない。女の子を竃に押し込んだ後、あたしが血みどろの手で掴んだのはそんな覚悟だった。
あたしと父ちゃんとアンセルは、ずっと幸せに暮らしましたとさ。
王女様の離宮に呼ばれて、ちょっと信じられない秘密を聞いたり、一緒に貴族や王族が通うあの「学園」に通うことになったり。それはまた別のお話。




