お菓子の家の魔女二
「とりばえずおいで、ごばんがあるよ」
そう言いながら女の子があたしたちに手招きする。にっこりと優しげに微笑んでいるけど、頭からつま先まで血みどろだし、赤い髪の男に襟首を掴まれて、爪先がぶらんと浮いたままだ。どう見てもおかしい。怖い。
逃げた方が良いに決まってるのに、あたしの震える足は勝手にまろび出して小屋の前まで来てしまう。シチューと焼きたてのパンの良い香りに、口いっぱいに唾が溢れる。
「姉ちゃん……」
弟のアンセルも不安そうに瞳を揺らしてながら、口の端からよだれを垂らしている。
あたしは弟のちいさな手をしっかり握って、震える足で階段(大きなキノコが並んでいる)を踏んで扉をくぐった。
――どうにかして食べなきゃ。だってこのまま森を彷徨っていたら飢えて死んでしまう。危なそうだったら隙を見て逃げればいい。その時は弟だけでも……。
その時、バタンと音を立てて扉がひとりでに閉まった。
「ひっ」
慌てて扉に体当たりしたけどびくともしない。魔術がかけられているのだろうか、閉じ込められてしまった。
胸の辺りが冷たくなる。ああ、やっぱり逃げるべきだった!
「何をしているのですか? ドアノブを右に回せば開きますよ」
赤髪の男が呆れたように言う。男の言う通りノブを右に回すとあっさりドアが開いた。どうやらパニックを起こしていたみたいだ。恥ずかしさに頬がかあっと熱くなる。それを冷まそうと扉の外に顔を出したあたしは、再び「ひっ」と叫ぶことになった。
「ななな、どどど、む、むし!」
見たこともない程大きな虫たちが、小屋を取り囲んでいたのだ。いつのまに集まっていたのだろう。さっきは全く気配を感じなかったのに。
巨大なカマを振り回すカマキリやギチギチ音を立てるバッタ、白い粉を振りまきながら羽ばたく夜の蝶……思わずその場にへたり込むあたしに、アンセルが抱きついてくる。真っ青なその顔を腕で抱えて、あたしは慌てて扉を閉めた。
「だいぞうぶ、ごわくないぼ。ぶべっ」
笑顔を作った女の子が血を吐きながら言う。
いやいや、さっきから他人のことを心配している場合じゃないでしょう! 引くんですけど!
改めて室内の灯りの下で見ると、女の子怪我はとても酷かった。血糊でバリバリに固まった髪は元の色がわからないほどだし、手足は擦り傷だらけ、そして何よりお腹に穴が開いていて――月光の下ではドレスの模様のように見えていたのだけれど――、そこから夥しい血と内臓のようなものが溢れていて……。
「ウプッ」
あたしは思わず口を覆った。お腹が空っぽなのに吐き気が込み上げてくる。食べ物の匂いに気を取られていたけれど、甘ったるい血の匂い? が濃厚に漂ってきて気持ち悪くなってしまう。
「ふむ、血が堪らなく臭いですな殿下。毒のせいだと思いますよ。そこの子どもたち、毒を吸いこみたくなければ一旦外に出ていなさい。殿下は早く燃えやがってください」
「ちょ、びどすぎない?」
そんなこと言われても、外には大きな蟲たちが――。
思わず弟と顔を見合わせると、幼い彼の顔色は真っ青を通り越して真っ白になっていた。恐怖のせい? それとも毒の匂いのせいだろうか。そうだったらどうしよう! 再びパニックを起こしかけたあたしの手を、暖かくて柔らかな何かが包んだ。
「キュッキュ」
「きゃっ!……え、りす?」
あたしよりも背の高いリスが、あたしと弟の手をそっと握って扉の外に誘う。真っ黒な瞳は笑っているように見える。大きなリスはその柔らかそうなお腹でふらつく弟を抱き止めてくれた。
「ヅヅィ」
あたしにもほんわりと暖かなどうぶつが寄り添って、玄関前のポーチにそっと座らせてくれた。えっとこの子はモモンガ?
リスと同じくらい大きなモモンガが、ボタンみたいな瞳であたしを覗き込む。わ……かわいいな。
両側からふわふわの動物に挟まれて、あたしと弟はようやくほっと息を吐いた。夜のすっきりと冷たい大気を深く吸い込むと、さっきの甘ったるい匂いが消えていく気がした。
しばらく深呼吸をして落ち着くと、周りの様子が気になってきた。
巨大なカマキリやバッタたちはの他にも、たくさんのどうぶつ達が小屋の周りに集まっている。大きなウサギやハリネズミやヤマネ、タヌキやアライグマにイタチみたいなの、フクロウやフワフワの白い鳥もいる。
この生き物たちは一体なんなのだろう。魔物には見えないけれど、あたしが知っているサイズよりも大分大きいというか……。やっぱり普通じゃない。
開いたままの扉から、赤髪の男の声が聞こえる。
「まったく、こんな日にそんなにボロボロになるなんて。もう少し考えて行動してくださいよ。殿下が焼けている間、私が一人でやつらの相手をするんですよ。その上今日はこんな子どもたちまで」
「ばるいねルーカス。でぼ、そのごだぢにも手伝っでぼらえば? あ、ばずはその子だぢに食べさせてかばね」
「はあ……全く。そこの子ども達! ほら、食べものをやるから受け取れ」
男は大股で近づいてくると、湯気を立てる二枚の深皿をあたし達に押し付けた。
「うわぁ」
ほわぁっと顔を包み込む良い香りに思わず感嘆の声が出手しまう。ゴロゴロと大きく切った野菜が浮かぶ、具沢山のミルクシチューだ。添えられていた木のスプーンを掴んで、トロリと蕩けたカボチャを掬った。
「ハフッ、熱っ!」
舌を火傷しながら夢中で食べる。熱くて涙が滲むけど、構わずにそのままガツガツと食べる。途中で赤髪の男が、籠に山盛りの丸パンと水の入ったカップを持ってきてくれた。あたし達の物凄い食べっぷりに呆れた顔をしていたけど、構わずに食べる。
美味しい、おいしい……! 涙がポロポロと溢れる。こんなあったかい料理を食べるのはいつぶりだろう。お母さんが生きていた頃に食べて以来かもしれない。隣のアンセルもパンを口いっぱいに頬張りながら嗚咽を漏らしている。
「ルーカス、あどはぼろじぐ」
そんな声と同時に、青い光がぱあっと家の中から漏れてきた。驚いて小屋を覗き込むと、竃の中に小さな青い火の玉が浮いている。小指の先程の寒色の光だけれど、ゾッとするくらいの魔力が込められいるのが分かる。
「殿下! その火球は強すぎますぞ。森ごと燃やす気ですか!」
男が慌てて叫ぶと、女の子は「やっべ」などと言いながら手をかざす。すると冷たい青色だった炎は緑からオレンジへと変わり、竃の中でゴオゴオと音を立て始めた。
血みどろの女の子は竃に片足をかけると、ゆっくりこっちを振り返った。その顔からは今までの笑顔が消えて、焦ったような表情をしている。
「無理……じぶんでとびごぶなんでムリ! だれが、おじで〜!」




