あの子を探して 二
「うまくいかないわ」
湯を沸かしながらそっと呟く。
食料棚には乾燥麺がほんの少し。これじゃああの子たちをお腹いっぱいにさせてあげることは無理だわ。
いざという時のためにとっておいた小麦粉を使って、パンケーキでも焼こうかしら。でも卵も乳もこの家にはないわ。もちろん砂糖だってない。そんなのパンケーキって言えないじゃないの。卵や砂糖がないなら水で薄く伸ばした生地を焼くとか? いいえ、その生地は中に入れる野菜や肉がたっぷりあってこそのものだわ。味のない生地だけなんて悲しくなってしまう
ああどうしたら良いのかしら、今日の昼食。
部屋の隅ではあの子たちがアタシをキラリと光る眼で窺っているわ。いつまでもアタシを警戒するのをやめないの。埃を払って家じゅうを磨き上げたし、あの子たちや父親の垢じみていた服は、アタシが洗ってつぎをあてて綺麗にしておいたわ。でもお腹だけは充たしてあげられない。だから心を開いてくれないのかしらね。
(娘を森に連れて行け!)
頭の中で妙な声が響くわ。最近いつもなのだけど何なのかしらね? ああでもそうね、森に行くのは良いかもしれないわ。
王都の人たちは皆、結界を出ることをひどく恐れるけれど、アタシはこどもの頃からよく行ったものだわ。結界を抜けた先にある森で、栗を拾ったり食べられる草を採ったりして、弟妹を養ったものよ。
結界から近い場所ならそうそう魔物もでないだろうし、出たとしても弱い魔物だから、今のアタシだったら倒せるわ。だったらあの子たちも連れて行ったらどうかしら? 皆で栗を拾ったら楽しくなって、少しは懐いてくれるかも。
ああ、それならもう一つの森の方がずっと安心よね。魔物一匹いないから落ち着いて栗拾いができるわ。そうしようかしら?
(そうだ、魔の森に娘を連れて行け!)
「ねぇ、あなたたちも一緒に森にいかない? 栗を拾うのよ。茹でるとほくほくになってお腹にたまるわよ」
「……」
なによ、返事もしないで睨みつけてきて。
あの日、平民街の端でやっと見つけた娘は、ずいぶん痩せてしまっていたわ。薄汚れた格好で古ぼけたドアの前に座りこんでいたの。
ショックだったわ、手塩にかけた娘がこんな風になっているなんて。
近所の人に訊いたら、あの子は七年ほど前に迷子になっていたところを、『アリウェン』とかいう食堂の夫婦に拾われてそのまま養女になったそうなの。だけどおかみさんが亡くなって、旦那も病気で伏せったきりなんですって。あの子の他にもう一人男の子がいるんだけど、面倒を見てくれる親戚もいなくて、仕方なくご近所さんたちが食べ物を分けたりしてきたらしいの。でも、皆貧しくて自分たちの暮らしで精一杯だから……あの子たちはいつもお腹を空かせてきたそうなの。
アタシは急いであの子たちの家に押し入ったわ。ゴミと埃だらけで、奥に寝ていた父親は弱って声もロクに出ない有様。そのくせアタシをみると怒った表情で「出て行け」という手振りをするのよ。
冗談じゃないわ、子どもたちをこんな環境に置いておけるもんですかっての!
何よりあの子はアタシの娘よ。そうしたら弟だっていう男の子もアタシの息子同然だし、ついでに父親だっていう病気の男はアタシの夫ってことになるわ!
……夫については何か違う気がするけれど、心の中で(あんたおっさんだから!)っていう声がするけれど、まあいいの。
お腹を空かせた子どもたちも、病気の夫?も、アタシがなんとかするって決めたのよ。これも縁というやつね。
それからは忙しかったわ。家中を漁ってなんとか見つけた材料で料理を作って、子どもたちと夫?に食べさせたり、食料が尽きてしまったら結界の外の森に栗を拾いに行ったり、あとはさっき言った掃除と洗濯と繕いものね。シーツなんて何ヶ月洗濯して無かったのかしら?
あんなベッドで寝ていたら病気が悪化するわ! 呆れて聞いてみたら、娘もその弟のアンセルも家事は全くできないそうなの。母親が幼い時に亡くなってしまったあと、父親は店を維持するのに精一杯で、子どもたちには何も教えてな来られなかったんですって。
だからって洗濯や簡単な料理くらいはできないと困るわよね。あの子はもう十歳よ。
「ちょっと! 森についてこないなら、お洗濯の仕方を教えてあげるからこっちにいらっしゃい。それとも刺繍でもやる? 上手くなればお小遣い稼ぎくらいにはなるわよ」
「……」
あの子はアタシを無視して外に駆け出して行ってしまった。
「何よ、刺繍は役に立つのよ! シンプルなお洋服でも刺繍次第で素敵になるし、腕次第でお金も稼げるの。現に今夜の夕食代だって、私が刺繍で」
「おじさん、いつまでぼくんちにいるの? こわいから出て行って!」
「は? おじさんって誰のことかしら? アタシのことはお継母さんって呼びなさいって言ったでしょう」
「……おっさんじゃん」
キッと睨むと弟のアンセルも外に出て行ったわ。失礼ったらありゃしない。誰がおっさんよ。
(いや、あんたおっさんだし)
心の声がうるさい。ちょっと黙っていてくれないかしら?
(っていうか、なんで母親の真似事なんてしてるわけ? さっさと娘を森に連れて行けって言ったじゃない。力づくで抱き上げて魔法で転移すれば良いだけの話よ)
小さい女の子に乱暴なことをするなんてとんでもないわよ。なんでこんな下衆がアタシの心に巣食っているのかしら。
子どもは守って、育てるものよ。それにあの子たちは素晴らしく良い子よ。貧しくても寂しくても、姉弟同士思いやっていて父親のことも助けようと必死よ。
そんなあの子たちが少しだけふっくらしてきて、いつも清潔な服を着ているのを見ると、アタシは嬉しくなるの。あとは何とかしてお腹いっぱい食べさせてあげたいわ。
(何を寝ぼけたことを言っているんだか。参ったね、このおっさん段々と力を取り戻してきて、私の言うことを聞かなくなった。意識を乗っ取ることも難しくなってきた。ああ本当にうまく行かない! 神精領域の虚を狙って入り込んだのに、このままでは押し出されてしまう。こうなったら残った力を放出して、一時的にでも意識を乗っ取るしかない)
「……ぐっ」
顔が急にカーッとなったわ! いやだ、これって更年期ってやつかしら? 違う違う、まだ早すぎるわ。アタシはまだたったの二十八歳よ。でも苦労が多いと人によっては早く来るって聞いたことがあるわ……いやだ! ストレスのせいかしら。そういえばアタシの人生ってなかなか苦労だらけで、例えば……何だっけ?
「……くうっ、またカーッと」
アタシの人生はええと、海軍にいて、幼い弟妹を養っていて……いえ違うわ。アタシは……。
アタシ……わ、わたし……私は……、そう私は奴隷だった。
メガラニア、あの忌まわしい都市の下層民だった私は、生まれながらに魂を接収されることが決まっている、家畜のような存在だった。




