まぼろし森 一
「あああああああああ――っ!?」
叫びながら落下する。真っ逆さまだ。風切り音、白く霞む空、豊かな森と点在する湖。
そのひとつ、とりわけ澄んだ鏡のような水面めがけて落ちる。
――しんだな。
そう諦めた瞬間、体がふと浮き上がった。
つつつ……と泉の上を移動して、下草に覆われた地面にふわりと降り立つ。
「助かった……? あれ、私魔法使ったのかな」
訝しく思いながらも、とりあえず怪我などしていないか確認する。うん、両手両足ちゃんと動く、どこも痛くない。視界もこの上なくクリアで聴力も万全。辺りに棲む生き物たちのざわめきを仔細まで捉えることができる。嗅覚もダメージゼロ、芳しい森と湖の香気を堪能する。
なんというか、体全体にこれまでに感じたことのない暖かかくて力強い流れを感じる。身体機能百二十%アップ。これがもしかして魔素なのだろうか。
「すごい……魔素が濃い……というのかな? 水牢の比じゃない。もしかしなくもここって、封印された魔の森で、この泉は魔の泉なのかな」
目の前の大木に見覚えがあった。ウアピの過去で魔の泉のほとりに生えていた木だ。随分大きくなっているが、幹に記憶と全く同じ特徴的な傷があった。
「水牢には魔の森への扉があるって聞いたけど、いつの間にか中に入っちゃたんだなぁ。ええと、直前に何かあった気がするんだけど」
ドゥルンとゼリー状のアレに包まれて、そこから抜け出したら空を落下していたのだ。その前の記憶が抜け落ちている気がする。
――思い出してはいけない。
「あれ? なんだっけまあいいか」
さあっと魔素を多く含んだ風が吹き、水面にきらきらと模様を残していく。なんて綺麗なんだろう。でもなんて淋しいのだろう。
亜人はおろか、魔物の一匹もいない。ウアピの記憶ではそこかしこに個性豊かな魔物たちがいたし、この泉にはいつもお産を控えた亜人たちが浸かっていたのに。
『白夜』が使われた時、逃げ遅れた者たちはたくさんいたはずだ。かれらは一体どこにいったのだろう? もちろん千年も前の話なのだ。きっと皆死に絶えてしまったのだろう。
「おーい! 誰かいませんかー!……なんちゃって」
ふつふつと込み上げる淋しさに、思わず叫んでしまう。誰もいるはずないよねー。
さてこれからどうしよう? 帰り方もわからないし、少し森の散策でもするか。
そうして一歩足を踏み出した刹那――
――ガサガサッ――
何か大きなものが草むらを揺らした。
魔物? それとも何かの野生動物だろうか? 草の揺れ方や音から、中型以上の生き物のようだ。攻撃してくるかもしれないので身構える――と、たったそれだけのことで青い火球が手のひらに生み出された。これも超高濃度の魔素の成せる技なのだろうか。
しかし、草むらからぴょこんとのぞいたのは、柔らかそうな丸いふたつの耳だった。それから、好奇心いっぱいのボタンみたいなお目目と桃色の鼻が出てくる。
なに、この可愛い子は!?
ガサガサと草むらから出てきたその子は、モファモファの毛並みの……。
「モモンガ?」
いやでか! 体長百四十センチはあるね。可愛い。
そしてこの大モモンガくん、なんと肩に普通サイズのモモンガを乗せている。可愛い。
なんなの? ふたりは仲良しなの?
ほてほてと四つ足で近づいてくるモモンガくんに、思わず話しかけてしまう。
「こんにちはモモンガくん? モモンガちゃん? 肩にいる子はお友達なの?」
「ヅヅィッ」
わっ、返事してくれた。思わず顔がニマニマしてしまう。ふふ、ふふふふふふ。
「ヅヅィ?」
不思議そうに首を傾げる姿に悶絶しそうになるけど、その視線の先にあるのは私の掌……の上の火球だ。
青透明のそれはシーーーと不穏な音を立ててながら静かに燃えている。
「あっごめんね、これはなんでもないから!」
慌てて消す。やばいやばい。小さいけれど多分百メートル四方は焼き尽くせるやつだった。ふぅ。
「ヅヅィ」
ボタンみたいな瞳でじっと私を見つめたあと、モモンガくんはくるっと踵を返した。そして数歩進んでから、まるでついて来いとでも言うように私を見る。
「そっちに何かあるの? 」
慌てて追いかける。モファモファ揺れる毛並に夢見ごこちだ。平べったい尻尾可愛い。ああ触らして貰えないだろうか?
モファ欲にまみれた私は、気がついたら森の奥まで入り込んでいた。木々の向こうに古びた小屋がが見える。
生きている木を支柱にした、まるで宙に浮いているような造り――ツリーハウスってやつだね。草ぶきの屋根はところどころ穴が空き、壁は風雨にさらされてささくれていた。普通にボロい。
「あれが君たちのお家なの?」
モモンガくんはチラリと私を見てから、前脚で器用にドアを開けて中に入っていく。
私もちょっと躊躇った後、その家の中に入ることにした。
「お邪魔しまーす」
家の中は暗くて埃っぽかった。長年使われていないみたいだ。がらんと殺風景で、小さな木製の机と、椅子が二脚、低い棚がひとつ。
その向こうは台所みたいだ。竈には大鍋が載っていて(中身はカラ)、古びた包丁と腐った木片……元まな板かな? それと空っぽの水瓶に、調味料らしきものが入った素焼きの壺がいくつか。いずれも使われている形跡はなく、埃を被っている。
「うーん、君たちのお家ってわけじゃなさそうだね」
まさかモモンガが料理などしないだろう。ここには誰か人が住んでいたのだ。ヒトなのか亜人なのかは不明だが。
「ヅヅィ」
モモンガくん後ろ足で立ち上がって、鍋の中を覗く。そしてがっかりしたような顔で私を見た。
なんでモモンガの表情が読めるのか我ながら謎だけど。うん、すごくがっかりしている感じなのだ。
「お鍋に食べ物があると思ったの?」
「ヅヅィ」
モモンガって何食べるんだっけ? 確か木の実とかじゃなかったっけ?
でもこのコは、もしかして人が料理したものを食べていたのかな? 私を見ても全然怖がらなかったし、人に慣れている感じだし。
「ここに住んでいた人にごはんを貰っていたのね。その人はどこに行っちゃったの?」
「ヅヅィ……」
今度は悲しそうな表情だ。
スゴスゴとドアを出て行く大モモンガくんの後を、小モモンガくんが慌てて追って行く。私も放っておけなくて追いかける。
大モモンガくんがいたのは、小屋の裏の畑? だった。
長年放置されていたようで荒れ放題だったけど、零れ種で勝手に増えたと思しき野菜やハーブが生えている。
大モモンガくんは土を前脚で掘って、イモらしきものや人参らしきものを掘り出していた。畑の周りにはギョウジャニンニクっぽいものも生えている。
「お野菜採ってるの? そのままたべるのかな」
「ヅヅィ」
違うよ、と言われた気がした。大モモンガくんは掘り出した野菜を私の足下に置く。
え? これってもしかして……。
「私に料理を作って欲しいの?」
「ヅヅィ!」




