私は誰? 一
「はうあっ!」
目を開けたら変態魔術師ルーカスの顔が眼前にあった。
血走って瞳孔が開いた目が怖い! 燃やす? コイツまた私を燃やすの?
「チッ、生きていやがりましたかご主人様」
苦りきった顔でペッと吐き捨てる、その顔つきは凶悪だ。
ご主人様だって?
そっか思い出したぞ。私はコイツのご主人様だった。
燃やされる心配はないのだ。しかし相変わらず下僕とは思えない態度ではある。
「大丈夫?」
エル・クエロが心配そうに覗き込む。
いつの間にか敷物の上に寝かされていたらしい。ゆっくりと身を起こそうとする私の背中に、少年人魚が手を添えてくれる。
「はい……私どのくらい寝ていたんですか」
「ほんの数分だよ」
「数分? 信じられない」
随分長い間寝ていた気がするのに。
そういえばウアピの金の瞳を見ているうちに、気を失ってしまったんだっけ。
じっと自分の手を見る。まるで別人のもののように違和感を感じるのは、彼女の千年を追体験した影響だろう。
自分が自分であることが不思議でならない。
あれ? 『自分』ってなんだっけ……。巨大な金色の魚龍や、外骨格に覆われた異様な少女の姿がぱっと脳裏に浮かんで、思わずブンブンと頭を振った。
「あの、鏡ありますか?」
エル・クエロが手鏡を持ってきてくれる。
そこに映っていたのは黒髪に紫の瞳の少女。そうこれが今の私だ。
立ち上がって軽く手足を振ったり、歩いたりして感覚を取り戻す。
身体は軽く小さく、視界はクリア。大人の人魚たちをとても大きく感じる。
自分を取り戻すと同時に、ウアピとして生きた千年が遠ざかって行くのが分かる。人魚たちや魔の泉を愛しむ気持ち、『白夜』を悍ましいと思う感覚、産んだ子やプーズーや勇者への激しい思慕……全てが潮が引くように私から去っていく。
数刻ほど経って、過去の潮が引いた跡に残ったのは、感情の抜け落ちた情報の断片だ。
良かった……心からほっとする。前世はともかくウアピを私として抱えることはできないからね。絶対に心が破裂する。
「大丈夫かい? 相手と心を通わせるのは疲れるものらしいね。ウアピと話をすることはできた?」
話をするどころか彼女の半生を追体験してきたと言うと、ものすごくビックリされた。
相手の心と直接やりとり――要はテレパシーだね――ができる人魚は稀にいるけれど、相手の過去に入り込むなんて前代未聞らしい。
「いったいどうやってそんなことを? 」
どうやってって言われても。目を見ていたら気を失ってあとは不可抗力です。
「ウアピが特殊な能力持ちなのか? いや彼女によって君のような体験をした人魚は他にいないし……。じゃあやはり君が特別なのか。ヒトとの間の子だから魔法の才は弱いと思っていたのだが……『隔魂術』の影響もあるのか? それとも魂が」
「あの、ウアピはどこに?」
「ああ、ごめんよ。つい考えに耽ってしまった。彼女なら君が目覚める前にどこかに行ってしまったよ。たぶん海で探しものをするためだと思うけど」
「探しものって、プーズーという人魚とお子さんを?」
「うん、そうだよ……すごいね、本当に彼女の過去に入ったんだ」
少年人魚はふっと息を吐いた。戸惑うように瞳が揺れている。
「それで、知りたかったことは分かったかい?」
「ええ。魔素についてとか、なぜ人魚がヒトを食べるようになったのかとか、色々と分りました。でも謎も増えてしまって」
「うん、謎っていうのは?」
少年人魚の青灰色の瞳を見ながら、私は口をはくはくと動かした。
「ん? どうしたんだい?」
声が出ない。
質問はいくつもあるのだ。けれど一番知りたいことが聞けない。喉に何かが詰まったようになるのだ。
これは前世のトラウマ? ほぼ確信しているのに恐ろしくて答え合わせができない。
仕方ないので、私は他の疑問を口にしてみる。さっきと違って、驚くほど滑らかに言葉が滑り出る。
「あのキルケーっていうやつは何者だったのか、とか。勇者はあのあとどうなったのかとか」
「キルケーについてはヒトでも亜人でも魔物でもないって事しか分かっていないんだ。でも、勇者はまだ王国内にいるらしいよ。ウアピはまだ彼の気配を感じているみたいさ」
「ええ、それが不思議なんです。だって勇者はヒトですよね。千年も経っているのになぜ気配を感じるんでしょう」
「『白夜』を使ったヒトは千年くらい生きるからね。ただし生ける屍としてだけど」
「生ける屍? じゃあ私は? 『白夜』使ったんですけどっ」
生ける屍ってなんだ。そんなものになるなんて聞いてないぞ!
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