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失楽園 十

巨大魚龍ウアピの過去。千年前の話です。

失楽園編は今話で最後です。

 気がついたら夜の海に浮かんでいた。気味の悪い白金の光が眩しいほどに海面を照らしている。

 ぷかり、ぷかりと人魚たちが海面に顔を出す。みんな呆然として空に浮かぶ光を眺めていた。

 

 しばらくぼんやりしていたが、口の中に広がる血の味に気がついてハッとする。

 私は急いで、でも鋭い牙で傷付けぬように気をつけて、口の中のヒトをそっと吐き出した。


「おっとウアピ、いきなり吐き出すな。沈んじまうだろ!」


 近くにいた人魚が慌ててヒトが沈まぬように支えてくれる。見るも無惨な少女の姿が、白金の光に露になった。

 ちぎれて無くなった四肢、えぐれた脇腹……。燃えるようだった赤毛はむしられてボロボロになり、ふっくらとしていた頬も無惨な噛み跡があった。

 生きているのが不思議なくらいの状態なのに、少女はぼんやりと目を開けている。

 深い茶色の瞳に映り込んだ金色の魚龍が、私なのだろうか? 少女の瞳に怯えが走り、四肢がちぎれた胴が逃げ出そうとするように蠢いた。


「ギュリギュリ」


 怖がらせないようになるべくそっと鳴いてみせる。


「ウ……アピ?」


 少女の瞳から怯えが消えて、色の失せた唇が小さく震える。

 覚えのある声だ。名前はナ……?


「ナサ……レナだ……よ。ごめ……ね、キルケー……酷い、人だ……た」


「ギュリギュリ」


 もう喋らないでと言いたかった。胸の中が沁みるように痛かった。

 

「ウアピよ。儂が彼女に『再生』を行おう。このままでは数分と持たぬ」


「ギュリ……」


 そばにいた長が自分の腕を歯で切って、流れ出る血を彼女の口に含ませた。


「知っているだろうが、『再生』魔法を使えば命は助かるが対象は支配されてしまい、場合によっては己を失う。彼女が「彼女」でいるのはこれで最後かもしれぬ。別れを言いなさい」


「ギュリギュリ……」


「ウアピ……あり、がと。おね……さん、みた……で……、大好き……だった……よ」 


 深い茶色の瞳から透明な涙がぽろりと溢れる。その雫は私の内側でぱっと弾けて、屈託のない笑顔や、恥ずかしそうに微笑む顔や、美味しそうに卵を頬張る顔を思い出させるのだった。


 視界の端でふわっと少女の体全体が光るのが見える。私は『再生』される彼女を見たくなくて目を逸らした。

 もう名前も分からない感情に、私は身を震わせた。

 

「儂はこのヒトを小島に連れいていく。お前はプーズーと子どもを探しに行け。後で落ち合おう。」


「ギュリギュリ」


 長と別れた私は魔の森を見やった。その上空には満月よりもはるかに明るい光を放つ半円の何かが浮かんでいる。

 深海で見かけるある種のクラゲのような形状のそれは、白金の光の粉を撒き散らしながら無数の触手を伸ばし、足元の魔の森ばかりか河口付近まで覆わんとしていた。

 

 触れるのはおろか近づくのも躊躇われるような邪悪な光だ。けれど二人を探さなくては

 私は海中に潜って魔の森に繋がる河口にむかって泳いだ。途中で人魚たちに会ったが、皆私の子やプーズーのことは知らなかった。

 

「ウアピ、ここから先には行けない。あの光の触手みたいなヤツは海の中まで伸びてきている。触れたら死ぬぞ」


 河口付近にたどり着いた時、白金の光はすでに海底の砂の下まで達していた。しかも触手状ではなくゆらゆらと透ける紗のようなものに変わっている。

 そして紗の下側には、触れてしまったらしい魚龍や魔物イルカたちの死体が沈んでいた。人魚の死体はなかったが、子やプーズーがもしもこの中にいたら……そう考えると体が冷たくなる。はやる気持ちを抑えながら白金の紗に沿って海中を探し回ったが、見つけられぬまま朝を迎えた。


 一旦小島に向かい長やほかの人魚たちと合流する。


「逃げ延びた人魚は半数ほどだ。残りは魔の森にいるらしいが『召喚』しても反応はない……が、死んだわけでもなさそうだ」

「ああ、成人した番同士ならお互いの生死は分かるからね」

「眠っているような感じなのよ」「あの光の中に閉じ込められて眠らされているということ?」

「他の亜人たちはどう言っている?」「同じような感じらしいよ。眠っているってさ」


「ウアピ、お前のヒトの番もいたよな、どんな感じだい?」


「ギュリギュリ……」


 よく分からない。ただあの中にいる気配だけはするのだ。


「おい! あれを見ろ。光の中が動いているぞ」


 小島の突端で監視をしていた人魚が叫ぶ。『千里眼』魔法を使って魔の森を見ているのだろう。

 他の人魚たちが高台に登るために次々と人型になって上陸するのを尻目に、私は一旦沖に出て水中に潜ると勢いをつけて空高くジャンプした。

 空を落下しながら『千里眼』で見たのは、ドーム状に輝く白金の光の中で巨大な何かが蠢いている姿だった。


「『街』だ! メガラニア遺跡に描かれていただろう? ヒトの『街』や『城』がどんどん出来ていくぞ!」


「森はどうした? 泉は? 」


「森の木々が……光に覆われて消えていくぞ! その上に『街』が広がっていく」


「私たちの森が……泉が!」


「泉が失われれば我らは子を成せぬ!」


「いやそれどころか、魔素が得られなくなれば俺たちの命さえ……」


「なんということだ! 体内の魔素が切れるのはあと一月ほどか、もって一月半……それまでに泉を取り返さねば」


「しかし……どうやって? あの光の中に我々は入れない」


 光の紗――長によれば『白夜』という結界魔法――に触れれば亜人や魔物は死んでしまうのだという。

 

 そして『街』や『城』が現れてから数刻も経たないうちに、人魚たちは再び驚きの声をあげることになる。

 どこから現れたのか、白い帆を張った大きな船が何艘も海を横切って来たのだ。

 

「ヒトだ! たくさんのヒトがぞろぞろと船から降りてくるぞ」


 それは平かな顔と切長の瞳という、勇者やナサレナとよく似た面立ちのヒトたちだった。

 彼らは歓声をあげて新たな領土に踏み入り、そしてまるで何千年も前からここに住んでいたかのように、我が物顔に亜人の楽園を占拠したのだった。

 

 人魚たちは魔素に飢え、一月経つ頃には半数が死んでしまった。私も魔素が慢性的に足りないせいか、より一層頭が働かなくなってきた。


 私はある日、大きな船上からヒトが何かを海中に放り込むのを見た。たまらない匂いを放つそれを夢中で貪り喰った後、私はそれがヒトの死体であったことに気がついた。

 悍ましさにえづきながらも、体内の魔素が満たされたことが分かった。どうやらヒトの死体には多量の魔素が含まれているらしい。

 それからも、『街』のヒトたちは死人を海に投げ込んで水葬に付した。私は()()を人魚たちの元に持ち帰った。


「ヒトの死体だと? そんなものを食べるくらいなら死んだほうがマシだ」


 そう憤る人魚もいた。


「でもたまらなく良い匂いがするわ……魔素の香りね」


「子ども達には食べさせなくては。生き延びて森を奪還するのだ」


「でも、さすがにこれを食べさせるのは……」


「分からないように細かくすれば良いのでは?」


 そうして人魚達は、街から吐き出されるヒトの死体を食べて魔素不足を補うことにしたのだった。

 ただし子は産めぬままだ。なぜならヒトの死体に含まれる魔素は人魚の生命維持には何とか足りたが、子を孕むには全く足りないからだ。

 彼らはヒトの死体で魔素を補いつつ、魔の泉奪還のチャンスを伺うのだった。


 このように人魚たちが楽園を追われて……あっという間に数年が、数百年が、千年が経ってしまった。

 未だ森は取り戻せぬままだ。多くの人魚が寿命で死に、生き延びた者も慢性的な魔素不足とヒトを喰らう苦しみに苛まれている。


 ただし成果もあった。人魚達は長い時を経て徐々にヒトの『街』――グラナーダ王国の王都アマティスタなどとヒトは称しているが――に侵食することに成功している。

 その成果の一つが『白夜』の緩みに生じた異空間『まぼろし市場』への侵入だ。

 そして王都の平民を中心に、海でなくアマティスタの外れにある湖で水葬を行わせるように誘導し、死体を安定的に手に入れることができるようになった。


 そして私は……本来の寿命を遥かに超え、完全にモンスターと成り果てた私は……人喰い魚龍として海を彷徨い続けている。

 アマティスタの住人を乗せた船を襲うこともある。死体が少ない時に人魚たちに届ける為だ。

 かつてメガラニアの奇跡によって作り出された人魚たちは、ヒトを害することができない制約がかけられているが、魔物となった私はその軛から解き放たれていた。

 とは言ってもやはりヒトを襲い殺すことは……いや、私に自身の苦しみを語る資格はない。


 人魚たちは災厄を呼び寄せた私を一言も責めることはなかった……それどころか鈍い魚龍と化し子と番を失った私を労ってくれた。

 そのことが私を駆り立てずにはいられないのだ。

 今日も私は、今やヒトの王国と化した南大陸の海を彷徨っている。醜く恐ろしい姿と心を持って。


 そして千年の時が過ぎた今も、大切なもののカケラひとつ見つけることが出来ないでいる。

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