失楽園 三
「※※※※****!?」
ん? 誰かが呼んでいる?
体が重だるい……目を開けるのも億劫なくらい。
「**;;:::***!」
うるさいなぁ。
うーーんっ、と伸びをしてうっすらと片目を開ける……見覚えがある洞窟の天井。俺なんでここにいるんだっけ?
「わっ!」
見知らぬ顔がヌッと視界に飛び込んできて驚く。
絞りたての乳のような肌に、宝石のような紫の切長の瞳、夜の海よりももっと黒い髪。
「ああ、思い出した。ヒトを助けたんだっけ。やだなぁ、俺あのまま寝ちゃったのか」
洞窟の入り口を見ると嘘のような青空が見える。嵐はとっくに過ぎ去っていってしまったようだ。
どれくらいの時間ここで眠りこけていたんだろう。
「そうだ。ねえ君、体は大丈夫かい? 」
そう言いながらよっこらしょっと立ち上がって、ヒトに近づく。
「**!」
なぜか『キャッ!』という感じの叫び声をあげて後ずさりしていく。肌が真っ赤だけど熱でもあるのかな?
「あれ? なんか変」
体が重だるいだけじゃなくて、視界がいつもより高い気がするし、体のバランスがうまく取れない。
なんともいえない違和感に自分の体を見下ろすと、見慣れないモノがあった。思わず両手で掴みあげる。
この感触は???
「へ? おっぱい? ええ!? 嘘だろ! 俺 女 に なっ て る !?」
ぎゃあああっ!
なぜに女性化? え? え? 俺男性化するんじゃなかったの?! だって番のプーズーが女性化したんだから、俺は男になるはずでしょ?
どうしよう!? まずい、まずいよコレ!
「+++@@@@**!!?」
ヒトの少年が顔を手で覆って、真っ赤な顔で何か叫んでいた。
そして自分の服を掴んで、俺の方に投げてよこした。早く着ろというふうに手振りで訴えてくる。
どうやら裸体に強く抵抗があるらしい。裸体は賛美すべきものであって、恥じるものではないと思うけどな。まあ嫌なら着てあげよう。
俺たちもヒト型で陸上生活をするときは、体を守る為に衣服を身につける。魚型の時は泳ぐのに邪魔だから何も着ないけどね。
少年の衣を羽織ってみたら、ちょうど脚の付け根くらいまで隠れた。
今の俺の背丈は、ヒトと同じくらいだ。寝ている間に背も随分と伸びたらしい。
嵐の海で救助したときは、少年は俺よりも随分と大きくて、洞窟に引き上げるのに苦労したのに。
それにしても、ハァーー参ったな。
思わず地面に座り込んで頭を抱えた。
なぜに女性化? しかも通常は徐々に進むはずなのに、なぜか一気に成熟してしまっている。
「どうしよう……」
自分で言っておいてなんだが、どうしようも何も、一度性化してしまえば元に戻ることは不可能。女性として生きていく他はない。
仲間たちには受け入れてもらえないかもしれないな。番を裏切った者として人魚の里から放逐されるかもしれない。
まあ最悪それでも良い。俺のことは。
問題は、プーズーのことだ。
『うれしい! アタシ、ウアピのこども沢山産むね!』
女性化の兆しが見えた時、彼女はそう言って顔を輝かせた。
彼女は成人前だ。道はひとつしかない。
まだ女性化が始まったばかりの彼女は、幼態成熟個体として生きていくほかはない。
罪悪感で押しつぶされそうだ。
なぜこうなってしまったんだろう。
いや、本当は分かっている。
こうなった理由は俺が……、『将来絶対男性化する』と里の皆から太鼓判を押されていたこの俺が!
ヒトの少年に惹かれてしまったから、だ。
幼体だったときははっきりと意識できなかった。なんとなく慕わしい、側にいたいという程度。
けれど成体となった今、それはもう誤魔化しようがない。
この少年はなんなんだ? いったい俺はどうしてしまったんだ?
俺はどんな美しい人魚にも、こんな気持ちは感じたことがない。
他の皆は感じているのか? 例えば成体となった人魚は互いの番に、こんな気持ちを感じるのだろうか?
成体の番がお互いを見つめる目、ふとした瞬間に交わされる愛撫、遠くから互いを呼ぶ愛しげな声。
朝焼けに染まる波間には、うっとりと互いに身を任せ、海中を漂う番たちの姿が当たり前で。
そしてプーズー。
彼女も言っていた。俺の隣にいると蕩けるように幸せだと。まだ女性化の兆しが見えただけのほんのり膨らんだ胸で、瞳を潤ませて言っていた『あなたってすごく良い匂い。側にいるだけで溶けちゃいそうだよ』
まるで今の俺だ。ただし相手は彼女じゃない。
「ハア……」
ヒトなんて助けなければ良かった。出会わなければよかった。
そうしたら、プーズーを大人にしてやれた。彼女の望み通り俺たちは夫婦になって、沢山の子をつくって……ああでも、そう考えただけで息苦しくて堪らなくなってしまう。
ずっとそうだったのだ。
自分の気持ちから目をそらしてきたけど、俺はそんな未来は望んでいなかった。
プーズーが嫌いなわけじゃない。だけど俺の番は彼女ではなかった。他の人魚でもなかった。
このヒトの少年だったのだ、きっと。
「ううっ」
ままならなさと、自分の愚かしさに再び頭を抱える。
「☆☆**○○?」
ヒトの少年が『どうしたんだ?』と言うように、座り込んで項垂れている俺の顔を覗き込んできた。
「近づかないで」
俺は弱々しく言う。少年の全てが、吐息や衣擦れの音でさえもが、俺の喉を締め付け目に涙を浮かび上がらせる。パッと逃げ出したいのに、触れたくてたまらない。
うう、もうやめて欲しい。俺は、俺は。
少年の指先が肩に触れて、俺ははっと体を硬らせた。
冗談じゃない、なんでこんな……。
触れられたところから、甘やかな痺れが花開いて素肌を震わせる。
「さわらないで」
俺はぎゅっと自分の両肩を掴んだ。身の内で膨らみ続ける、得体の知れない熱に呑み込まれないように。
「**□□」
少年の指が俺の髪をさらりと掬う。『きれいだ』と言われた気がしてはっと顔を上げる。
紅く上気した白肌に、苦しそうに顰められた眉。そして宝玉のような紫の瞳は、俺と同じ欲望に染まっていて……。
俺の目から涙が溢れる。抗おうと最後の気力を振り絞って立ち上がった脚からも、あえなく力が抜ける。
「こんなのは、嫌なのに」
俺は嫌だった。昨日まで知らなかった、何処からきたのかも分からない、未知の衝動に支配されるのが怖かった。
変わりたくなかった。いつまでも海馬と波間で戯れていたかったのに。
身の内で膨らみ続ける熱が弾けて、激しい波となって押し寄せてくる。その波に何度も巻き上げられ、叩きつけられ打ちのめされて、俺は正体も失くすほど泣いた。泣きながら、おぼつかない仕草で俺を支えてくれる少年の腕にすがり、薄い胸で涙を拭いた。




