水葬の湖 四
我に返って青ざめる。
けれど丈夫な人魚たちにとっては致命傷にはなり得ないようで、皆ゆっくりとだが再生していった。
よ、よかったぁ。
「ねえヴィオレッタ、僕たちが人魚じゃなきゃ死んでるよ……。やりすぎじゃない?」
「うー、ご、ごめんなさい! でも、でも!」
あーもう! どこにこの気持ちをぶつけたら良いのか分からないけど、とりあえず一点だけ!
人の心を弄るのはダメなんだよ!
巻き込まれたシンマス・モレノのために怒る!
私が怒る筋合いじゃないかもしれなくても、怒る!
「ママ……シンマス・モレノの心を勝手に変えてしまうなんて……十年もの間! それは許されない冒涜で、とても残酷なことなんです!」
私なんかを育てるために、ママの大切な十年を浪費させてしまった。
十八から二十八歳って輝かしい時期でしょ? 前世は早く死んでしまったから分からないけれど。
けれどいつの間にか再生を終えていた人魚たちは、私に漣のように冷笑を浴びせてきた。
「心を勝手に変えるのは、冒涜だってさ」「くすくす」「面白いな」「半分ヒトだから?」
なんだコイツら……感じが悪いぞ!
「ごめんよヴィオレッタ。でも僕らにとってそれはなんというか……斬新な考え方なんだ」
エル・クエロは困ったように眉を下げて言った。
何が斬新なのさ!
前世では精神は安易に手を加えてはならない領域になっていた。
病気の治療として必要な場合だって、議論に議論を重ねて慎重にやっていたよ。(私は適用外だったようだが。いやいやそもそも自分を人間と思い込んでいるホムンクルスだったわけで……あまりにも非道だがそれは置いといて!)
心をいじるのは冒涜なの! それを譲る気はないぞ。
かつて無惨にも踏み躙られた者として断固として抗議する!
「僕ら人魚にとって、子育ての時にアメジストを使うのは特別なことじゃない。
よくあることなんだ。
だって、親業に向いている人魚ばかりじゃないし、こども好きだったとしても子育ては大変だろう?
アメジストをつければ全部解決する。
子にとっても親にとってもメリットしかないのさ。
だから、君がそれほどショックを受けるとは想像できなかったんだ。
本当にごめんよ」
「はぁ? 自分の心が変えられてしまうことに抵抗はないんですか?」
「うーん特に抵抗はないなぁ。
永い時の中で失われてしまったけれど、僕ら人魚は状況に応じていろんな人造魂を使い分けてきたんだ。
快適で愛に満ちた状態でいるのが最優先だと考えているよ」
「そんな! 心はその人の本質そのものでしょう? 自然に湧き出た愛じゃないならそんなものっ」
「本質? 心なんて常に揺蕩うものだろう?
そもそも僕ら人魚は、亜人として創り出された時に色々と制限されているからね。
例えばヒトに害意を抱くことができないように……とか。
故郷を奪われているのにもどかしいよ。
つまりは創造された時から、君の言う「自然」ではないことになるね。
その点、君は自由なようだ。
まぼろし市場でヒトを襲ったんだろう?
半分ヒトだからこそ、精神の制御からは自由なのかもしれないね」
え、そうなのか。
思わずぐっとつまる。
人魚たちは超古代魔術文明で創り出されたんだっけ?
精神制御かけるなんてクソな文明だな。
まー魚龍って言うモンスターとヒトをくっつけちゃうくらいだからそもそもトチ狂った価値観の文明だよね。
だけどまだ黙るわけにはいかないぞ!
「でも私を隠して育てる必要がなければ、ママはあんな孤独な生活をする必要はなかった。奥さん? 旦那さん? だってできたかもしれないのに!」
「いや、それはなかったんじゃ……」
エル・クエロがボソッと言いかけたところをキッと睨みつける。
はあ? オネエ?さんだからって決めつけてるのか?
「あんなに素敵なママなんです! 良いパートナーくらいできて当たり前です!」
「うーん。それはどうだろう。言い訳させて貰えば、彼はあのままひとりで灯台守をしていたら、死んでしまっていたと思うよ」
「は? どう言うこと?」
「灯台島に赴任する前の年に、彼は幼い弟妹たちを事故で亡くしていてね。
早くに亡くなった両親に代わって、海軍で働いて弟妹を養っていたんだけどね。
もともと繊細な彼に荒っぽい軍の暮らしは合わなかったみたいだし、女装癖がバレて虐めにも遭っていたらしくて……。
灯台島に来た当初は抜け殻みたいになっていたんだ」
「なぜそんなに詳しく知っているの……?」
「砂浜で酔っ払って泣き言を溢すのが彼の日課だったからさ。
酔い潰れて南の断崖から身投げ……いや足を滑らすことも多くてね。
ラカルや僕たち人魚が拾って陸に返したりしたよ。
彼は酔っていてその辺の記憶が無いらしいけどね」
……ママ!!
「でも、君に出会ってから彼は変わったよ。
別人のように生き生きし始めてね。夢中で君の世話をしている様子は、とても幸せそうだった。
そりゃあアメジストの効果もあったんだろうけど、それだけじゃああはいかない。
ヴィオレッタ、君が彼にパワーを与えたんだよ。
繊細で大人しい青年だったのに、顔つきも体格も逞しく変わって「守護鬼神」なんて呼ばれるようになった。
だから……」
「だから……?」
「シンマス・モレノに罪悪感を感じる必要はないと思うよ」
「……納得がいきません。それに……アメジストがあったから、愛してもらえたって言うのが……」
この後に及んで身勝手な自分に嫌になる。
ママの人生を変えてしまった罪悪感もあるが、ママからの愛情が自然に湧き出たものじゃなかったのが、耐えられないくらいショックなのだ。
とても受け入れられそうにないのだ。
エル・クエロが私の黒髪を撫でようとするのを、さっと後ろに下がって避ける。
私をそんなハメに陥れた人魚たちに、どうしても怒りが湧くのだ。
いくら私の命を救うためであったとしても。
だって頼んでねーし!
キッと睨みつける私に、彼は苦笑しながら手を引っ込めた。
「シンマス・モレノの件で君にショックを与えてしまったのは申し訳なかったけど、さっきの水槍の攻撃で許してくれないかい? 僕たちも再生したとはいえ、半年以上ダメージを引き摺る者もいそうだし」
「うー……はい。怪我させちゃってすみませんでした……」
うんここは譲ろう。本音は許してないけど。
てか本当にやりすぎてしまったのは認めます。
「君たちはお互いに愛することで生き延びた。
それでいいと思うけどね。
けれど、もしも“自然な“人格や感情にこだわるなら、シンマス・モレノに会ってアメジストを外すか割ってしまえば良い。
魔法の解き方は僕が教えてあげよう。
そうすれば彼の魂に添加された人造魂は壊れるからさ。
彼は元の彼に近い人物に戻るだろうね。
君がそうしたいなら」
胸がズキンと痛む。
アメジストを外したり割るなんてことが、私にできるだろうか?
その結果ママが私に見向きもしなかったり、騙されたと冷たく罵るようなことがあったら……私はとても生きていられない。
それくらいなら今のままが……、いや、これ以上ママの人格や感情を弄ぶわけにはいかない。
うう、どうしたら良いの?




