魔女に石を投げるなかれ 二
「な……んだコイツ」
「きゃあああ!」「ばけものっ、ばけものっ」
あーあ、知ーらない。
人々が逃げ惑う様を、私は他人事のように眺めた。
あれ? 自分がヒトを襲うかもしれないっていうのに、こんなに冷めた感情しかないっておかしいのかな。
私ってこんなだっけ。
でも体が勝手に動いちゃって私にはもうどうしようもできないし。
飴一個で誤魔化していた空腹の限界が来たみたいだ。そんな時に攻撃されたら野生動物(魔物だけど)はキレるよね。
だから仕方がないと思う。
別にスラムの人たちが食べたいわけじゃない。
灯台島に来た騎士たちにはすごく食欲をそそられたんだけど、ここの住人たちには全然だ。
汚いとかお風呂入ってなくて臭そうとかじゃなくて、なんというかここの人たちはただのお皿なんだ。
騎士たちは美味しそうなご飯がよそってあるお皿。
スラムの人たちはこびりついた汚れがちょっとだけついたお皿。
食欲なんて湧かないんだ。
でも、攻撃されたら返すのが野生動物(魔物だけど)。
本能的に狙うのは攻撃してきた奴らの中で一番弱そうな個体だよね。
四つん這いになった私はシャカシャカとさっきのハナタレ小僧を追いかけた。
「ひっ、ヒィィィィ! ごべんなさいごべんなさい、ゆるじでえええ!!」
「キシャアァアアアア!!!」
ハナタレが許しを乞いながら逃げ惑うのを追いかける。
四つん這いの私は結構な速度が出ているのだけど、ハナタレはちょこまかと角を曲がったり、バラックとバラックの間の抜け道を通ったりして素早い。
どうやらハナタレは聖結界の内側を目指しているらしい。
光の紗をくぐり抜けた時に、明らかにホッとした顔でこっちを振り向いた。
しかーし! 私には聖結界は効かないのだぞ。ふはは。
こともなく聖結界を通り抜けた私を見て、ハナタレの顔が絶望に歪む。
「な、なんだ、魔物のクセになんで通れるんだっ」
お、ついに袋小路だ。私(の体)どうするんだろう?
このハナタレ追い詰めて噛み付くのかな? 魔物だし殺しちゃうのかな。
それって結構寝覚が悪いからイヤなんだけど。
「ヒイィ! ごべんなざいぃぃ、もう石ぶつけたりウンコぶつけたりしませんからぁ」
やっぱりウンコだったのかさっきの。
そしてお前がぶつけたのか。許すまじ! 私の体、殺っておしまい!
「あっ、後ろ! 後ろにまぼろし市場がっ」
そんな古典的な手を食うかー、と呆れつつも、魔物と化した私はがばっと後ろを向いた。
ハナタレの言葉を信じたわけじゃない。すっごく良い香りがしたからだ。
あのミルクの粉の香り、騎士からしたよだれが出そうなほど美味しそうなごはんの気配⋯⋯。
そこには不思議な風景が広がっていた。
夜だった。
白夜の都とその周辺では存在しないはずの暗闇が広がっていた。
その暗闇をあえかに照らすのは、風でゆらゆら揺れるオレンジや黄色の色とりどりのランプだ。
串焼きや饅頭が描かれた看板には異国の文字が踊り、蒸籠や鍋から漂う湯気の向こうから、見たこともない服装の売り子が呼び声をあげる。
気がつけば私は広大な夜市の雑踏に紛れ込んでいた。
(おかしい。さっき通り過ぎた時には灰色でドロドロのバラックだったのに)
私の警戒心を置き去りにして、体は勝手にシャカシャカとそこを走り抜けていく。
あっという間に騒ぎになるはずが、盛んに客を呼び込んでいる売り子も、客たちもこちらを一顧だにしない。
皆、黒いカラーフィルムを被せた影のような姿をしていて、ぶつかっても通り抜けてしまうのだ。
(なんなのここ。もしかして、ここが『まぼろし市場』?)
体は例のあの粉の匂いを辿って、迷わず迷路のような市場を走り抜けていく。
華やかなランプの光が徐々に減っていき、怪しい雰囲気の店が目についてくる。
ヘビを身体に巻きつけた老婆みたいな影や、怪物の生首が店先に並んでいたり、目ばかり大きな痩せた人影が大勢座り込んでいる路地だったり。
(怪しい市場のなかでも、かなりヤバイ地域ってかんじ)
その最深部と思われる場所で、私の「体」は止まった。
どうやは広大な水辺のほとりらしいその場所は、あのミルクの粉の匂いで満ちていた。
「よく来たね。待っていたよ」




