王太子 ー選択ー
初老の医師エイバンと共に現れたのはロレンツオの両親である国王ラムスと王妃ニコラであった。
ロレンツオたちは立って出迎えた。
「ロレンツオ、ずいぶんと遅い見舞いだな」
国王ラムスの冷たい声にロレンツオは下がりそうになる視線をどうにか維持する。王妃ニコラの視線は王より冷たい。
医師のエイバンは一礼するとティーティアの診察に行ってしまった。
「まあよい。楽にしろ」
さっきまでロレンツオが座っていた場所に国王ラムスと王妃ニコラが腰を下ろす。その向かい側にロレンツオが座り、その後ろにバーランとケラスオ、ユーリンが立った。
「ユーリン、アルシアから話は聞いたな」
ユーリンは感情のない声ではいと答えた。
「アルシアはラハメムト国の王弟に嫁ぐことになった」
「なっ!」
ロレンツオは言葉に詰まった。バーランの後ろに立つユーリンが息を飲んだのが分かった。
ラハメムト国の王弟は国王ラムスより年上だ。三年前に正妻と死に別れているため正妻として嫁ぐことになる。が、側室や愛妾が何人もおり、その中には亡くなった正妻の地位を脅かすほどの寵を受けている者がいるという。
「二代もラハメムト王家の血を蔑ろにしたのだ。正妻なのに正妻扱いされないのは仕方あるまい」
それはロレンツオがティーティアにしたのと同様の仕打ちをアルシアが受けると言っている。ロレンツオはグッと手を握りこんだ。反対したいのにそれが出来る資格がロレンツオにはない。
「まあ、私にも責任がある。叔父上を抑えられずティーティアを王太子に出来なかったからな」
「父上!」
これにはロレンツオも声をあげた。そんな話は聞いていない。あり得ないことだと。
「何を驚くことがありますか? ティーティアの父君は先王の弟王子、母君はラハメムト国の王女殿下。王となる資格はあなたよりあります。盟約を満たす者として赤子の時に養女に迎えることが出来ていたなら…」
「先にロレンツオが生れたからな。あの時は国内外的に婚約者とするのが最良だった」
国王ラムスと王妃ニコラは揃って息を吐いた。
ロレンツオは背筋が冷たくなるのを感じていた。ティーティアが王となる子を生むことが重要であって、父親は王族の血を引いていたら誰でも良かったことに。
「同じ年にバーランもおったから、有事の時にすげ替えが出来ると思っていたが…」
「えぇ、シィスツサがもう少し大きければ良かったのでしょうが…、さすがに十の差は…」
国王ラムスと王妃ニコラの重い息がロレンツオとバーランに刺さる。ロレンツオがダメならバーランと考えられていたことに。二人より下の未婚の男は十歳離れたシィスツサが最年長だ。
「どちらも同じほど愚かであったから、継承順としたが…」
「えぇ、これほどまで愚かだったとは…。ティーティアが哀れですわ」
ロレンツオは背中に冷たいものが走るのを止められなかった。両親が何を持ってロレンツオを愚かと言うのか、心当たりがありすぎて分からない。
「陛下」
医師エイバンがティーティアの診察を終え、その場に現れた。
「どうであった?」
「はい。王太子妃殿下が何故お目覚めにならないのかは分かりません。外傷は御座いませんので恐らくは精神的な理由だろうと」
ロレンツオは緊張で体を強ばらせた。頬を叩いたことが直接な原因ではないことは嬉しい。けれど、精神的な理由とは? 冷遇していたことか? やはり原因はロレンツオだろう。
「で、例のほうは?」
「はい。ご懐妊は間違いないかと」
ロレンツオは目を見張った。これがアルシアから話を聞く前なら凄く喜ばしいことだった。義務として嫌々ティーティアを抱く必要がなくなる、と。今となっては喜んでよいことか分からない。
「今後、王太子妃殿下がお目覚めにならなければ、母と子のどちらか、もしくは母と子のどちらも助からないかもしれません」
「分かった。ティーティアを目覚めさせずともよい。子だけはなんとしても助けよ」
「御意」
ロレンツオは耳を疑った。ティーティアが目覚めなければ母子とも危ないかもしれないと言われた。なのに国王ラムスはティーティアを目覚めさせなくてもいいと言ったように聞こえた。子供だけは助けろと。聞き間違いか?
「陛下、よ、よろしいですか?」
ユーリンの声が震えている。国王ラムスが頷いたのを見てユーリンは口を開いた。
「王太子妃殿下がお目覚めにならなくてもよいと聞こえたのですが…」
「ああ、そう言った」
当然のことだと答える国王ラムスにロレンツオは驚愕を隠せなかった。
ティーティアをこのまま眠らせたまま死なせてしまう? それが当然だと?
「父上! それではティーティアが余りにも…」
「それをあなたが申すのですか?」
冷たい王妃ニコラの言葉にロレンツオは続く言葉を言えなかった。ティーティアを虐げていたロレンツオに何か言う権利があるのか?
「ティーティアが目を覚ませば苦しむことになるでしょう。自分と同じ父親に愛されぬ子を身籠ったことに…」
ロレンツオは何も言えなかった。ティーティアが生んだ子供を愛せると言うことが出来ない。
「あの側妃候補との間に子が出来たら差別せずに接すると言えますか?」
ロレンツオは固まった。カサリンが側妃となり子が出来た時、ティーティアの子と差別せずに接せられたかは自信がない。いや、差別してしまっただろう。義務で生まれた子と自らが望んだ人の子。差別しないという方が難しい。
「ティーティアが目覚め子が無事に生まれれば、私たちは二人目を望むでしょう。ティーティアにロレンツオ、あなたをまた受け入れなさいと同じ女性として私は言いたくありません」
ロレンツオは俯いた。母である王妃ニコラに知られていた。ロレンツオがどんな風にティーティアを抱いていたか。義務のためにただ通っていた。その行為が早く終わるようにしていた。ティーティアに快感など与えるつもりもなかった。
「茶の湯気が無くなるより早く閨を去っていたそうだな。治療のために隣室に控えていたエイバンが茶を飲む暇もなかったそうだ」
ロレンツオは国王ラムスの言葉に治療が必要なほどティーティアに負担をかけていたことを知った。
どうりでいつも凄く震えていたはずだ。顔を見たくなくて明りを最小にしていたから分からないが、恐怖で引き攣った顔をしていたのかもしれない。
「父上…、それでも私はティーティアを目覚めさせなければいけないと思います」
絞り出すようにロレンツオは言った。
目覚めてほしいのは自分が謝りたいだけなのかどうかは分からない。でも何故か目覚めてほしいと思った。
「では、ロレンツオ、そう言うのならばお前がティーティアを目覚めさせよ。お前がティーティアを一番虐げていたのだからな」
その責任を取れ。
そう言われてロレンツオは答えることが出来なかった。どうやったら目覚めるのか分からない。呼び掛ける? ティーティアはロレンツオの声など聞きたくないだろう。ではどうやって? 手立てが分からない。
「二日後に貴族たちにアルシアのことを発表する。お前たちも出席するように」
国王ラムスは仕事があると言って、医師エイバンとともに部屋を出ていった。
お読みいただきありがとうございます。
誤字脱字報告ありがとうございます