王太子 ー調印ー
その者はフードを被り直し、何事も無かったかのようにスタスタとウラルの元へ戻って行った。
「お前、まだ言うことあるんじゃないか? だから、この大広間から誰も出さないようにしてるんだろ」
呆れたウラルの声にその者は、そうでした。とさらりと答えていた。
「あれは人の命を代価に咲く花の蜜。使用を止めると数年後には見るも悍ましい状態に変わりますので」
ああ、数回しか使われていなかった人は大丈夫ですよ。
壁際に座る何人かの者たちが口元に手をやり声にならない悲鳴をあげていた。気を失い倒れた者もいる。だが、その者は気付け薬を使われ、無理やり起こされていた。
「な、治す薬はないの?」
貴婦人が震える声で問い掛ける。とても美しい肌をしている貴婦人だ。恐らくその蜜を使っていたのだろう。
「あります」
その者の言葉に嬉しそうな声をあげる者たちがいた。が、すぐに絶望と変わる。
「使っていた蜜よりも若い者から取れた蜜を使うことです。それ以外の方法はまだ見つかっていません」
「それ、無理だろ。そもそもその花の栽培は禁止となってるし、使っていた蜜が何歳のかってわかんねぇだろ」
ウラルが変な希望持たせんな。とその者に言っている。
「ああ、若ければ若いほど症状が酷くなりますので」
その言葉に過剰に反応したのはサリアーチアだった。目をひん剥いて猿轡をしていても耳障りな甲高い奇声をあげていた。
「使ってたのか。まあ、使ってるか」
目尻に涙を浮かべ訴えているサリアーチアをウラルは軽蔑の籠った目で見ていた。
「異母兄上は見てくれも煩いからなー。せいぜい頑張れ」
ウラルはサリアーチアに向かってヒラヒラと手を振って心の籠っていない激励を送っていた。
「まあ、最初の一年は変化が遅いので顔合わせの時はまだ大丈夫でしょう」
気休めにもならない言葉をもらいサリアーチアが悲痛な顔で首を左右に振りながらハラハラと涙を流している。マルシナ公爵だけが慰めようと猿轡に構わず言葉にならない声をあげていた。
ロレンツオは妹のアルシアを見た。騙されて件の蜜を使っていたかもしれない。もしかしたらティーティアも? いや、あの親子がティーティアに使わせる筈がない。ティーティアが美しくなるのは許せないだろうから。
アルシアは母ニコラを青白い顔で見ていた。王妃としていつも美しくしているニコラは分かっていてあの蜜を使っているかもしれない。アルシアとロレンツオ、二人に視線を合わせた王妃ニコラはニッコリと笑って唇に人差し指を当てた。その意味は秘密。二人に蜜を使っているか言う気はないらしい。
ロレンツオは王妃ニコラを問い詰めたい気持ちを押し殺し、今は大人しく椅子に座っているしかなかった。
「こんだけか? ここでしなきゃいけないのは」
ウラルはガシガシと頭を掻き、腕を組むとうーんと唸っている。
「婚約の調印」
そんなウラルの肩をホストルがポンと叩いて、国王ラムスにそうでしょう。と同意を求めた。
文官たちが玉座の下に机を運び入れ準備がされていく。
「じゃ、俺から」
ウラルが用意された二枚の紙に目を通し署名をしていく。
「代理人ガルシア第三王子、ウラル・ガルシア、と」
ペンを渡され、国王ラムスが署名する。マルシナ公爵とサリアーチアが奇声で抗議の声をあげているが、その手が止まることはなく書き終えた。
「ここにガルシア国第一王子ワイサ・ガルシアとクランシルト国サリアーチア・マルシナの婚約が成立した」
国王ラムスの声にまだらな拍手が起きる。壁側に並んだ椅子に座る者のほとんどが虚ろな目をして力無く手を叩いていた。
「アルシア、ここに」
国王ラムスの呼びかけにアルシアが綺麗なカーテシーを見せて壇上を降りていく。
ホストルが紫の髪の青年の背を押して、机の前に追いやっていた。
「アルシア殿下、私の従弟レジラルだ。叔父上、ケンスタント大公の息子になる」
「レジラル・ケンスタントと申します。宜しくお願い致します」
「アルシアです」
ロレンツオは紫の髪の青年レジラルを凝視した。従弟と言われたら何処と無くホストルに似ているような気がする。
父より歳上の王弟、大公にアルシアは嫁がなければならない。そうしなければならないようにしてしまったのはロレンツオだ。ホストルはアルシアなら冷遇されないようにすると言ってくれたが信用出来るか分からない。嫁いでしまえば、その嫁ぎ先に従うしかない。その実例を作ったのはマルシナ公爵とロレンツオだ。
大公の代わりに息子のレジラルが署名するのだろう。レジラルが二枚の紙に名を書いていく。
アルシアの番になり、彼女は小さく声をあげた。
「あっ」
「アルシア殿下?」
ホストルがアルシアの手元を覗きこんであぁ。と呟いた。
「婚約者がアルシア殿下となるなら叔父上はレジラルに当主を譲って引退することになっている。喉から手が出るほど欲しかった玩具がやっと届くからね。政務などしていられない、と」
ホストルはニィと口角を吊り上げでマルシナ公爵を見た。マルシナ公爵は目を見開いて相変わらず言葉にならないうなり声をあげている。
「ただ、叔父上の引退と共に大公位は返上し公爵位を授けることになっている。だから、大公妃ではなくなるからアルシア殿下が嫌なら断ってもいいよ」
ホストルの言葉にアルシアが目を見開いて驚いていた。この婚約を断れるとは思ってもいなかったのだろう。
「ただ、こいつ、レジラルは真面目過ぎて融通の利かないのが大きな欠点だが、私が信を置いている一人だ。浮気はしないし、私がさせない」
ホストルにバンと肩を叩かれたレジラルはジロリと彼を睨み付けてから、アルシアの側に跪いた。真っ直ぐに彼女を見詰めて口を開いた。
「アルシア殿下、私は武人です。有事の際には戦場に参ります。必ず幸せにしますとは言えませんが、あなたを幸せに出来るよう努力は惜しまないと誓います」
「うぉー、うぉー」
マルシナ公爵がアルシアだけ婚約の決断が出来て狡いと叫んでいるようだが、猿轡をしているために何を言っているのか分からない。
「心配しなくとも婚約者がお前の娘だったのなら叔父が喜んで娶り大公妃にした。お前のように閉じ込めもせず、蜜を使わなくなった肌を隠すことを許さず外に連れ歩いただろう」
マルシナ公爵の動きがピタッと止まった。愛娘にとってどちらに嫁ぐのが一番幸せなのか分からないのだろう。虐げられるのが分かっている大公家か、どういう人物か分からないガルシア国第一王子か。
アルシアはレジラルを見ていた。強張った顔を綻ばせて小さく微笑んだ。
「よ、よろしくお願い致します」
レジラルに美しいカーテシーを見せるとペンを走らせた。
「ここにラハメムト国レジラル・ケンスタントとクランシルト国第一王女アルシアの婚約が成立した」
そう宣言した国王ラムスは右手を上げ、鳴り始めた拍手を止めさせた。そして、ゆっくりと三人の名を読み上げた。
「バーラン・ニハマータ、ケラスオ・オンクラサ、ユーリン・ミッタム。前へ」
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