王太子 ー進む道ー
今日はケラスオが執務室のソファーに沈み込み項垂れていた。
ケラスオの妹はカサリンと同じ難病を患っていた。薬の完成がもう少し早ければケラスオの妹も生きていたかも知れない。ケラスオはベッドから出られなかった妹の面影をカサリンに重ねていた。病気が治ったなら、こんな風に元気に笑っていたのか、と。
あの後、リーデル子爵夫人と商人は衛兵に連行された。カサリンは容疑が固まるまで部屋で監禁。リーデル子爵令嬢も自宅に帰され監禁となっている。
商人は関係ないと騒いでいたが、ティーティアの書類の中にこの商人の請求書が何通もあった。全て一回の買い物にしては高額すぎ、通常より高く見積もっている可能性があった。商人は命令されてと言っているが、リーデル子爵夫人と共謀していたのか詳しく調べることになった。
「俺、ロンはティーティアを庇うって思った」
バーランの言葉にロレンツオは苦笑した。
「カサリンの中でティーティアが悪者なのは揺らぎない。どれだけ正論でティーティアが悪くないと言おうが信じないと思った」
カサリンは最後までティーティアが悪いと言っていた。リーデル子爵夫人がティーティアを脅したことを棚に上げ、お金を使わせた彼女が悪いのだと叫んでいた。
「確かに、ロンが本当に許可をしたのなら横領を黙認したことになりますからね」
ユーリンもふうと息を吐いてソファーに体を預けている。
「妃殿下から面会の申し込みが来たのは…」
「ああ、このことを私に伝えたかったのだろう」
ロレンツオは引き出しから二通の封書を取り出した。一通はちょうど二ヶ月前。たぶん、カサリンたちに王太子妃の予算を使うと言われた頃だろう。もう一通は十日前、ティーティアの元に新しい請求書が届いた頃だ。私的に使える額を超えてしまったのをロレンツオに伝えたかったのか。
「ロンは妃殿下からこの話を聞いていたらどうしていましたか?」
ユーリンの言葉にロレンツオの口角が歪に上がる。
「激怒、していただろうな」
一通目に会っていたらカサリンがそんなことを言い出すはずはないと信じなかった。ロレンツオが許可したという言葉もティーティアの狂言として、カサリンを騙し罪人に仕立てあげ側妃になれないように企てた、と責めていただろう。
二通目も王太子妃の予算を使わすことを何故了承した! と責め立てた。
ティーティアもそれが分かっていただろうに面会を申し込んできた。責められるのを覚悟した上で。国王や王妃に報告することも出来たのに。それなのにロレンツオは応じなかった。ロレンツオから話すことはない、として。
「ティーティアが何をしても色眼鏡で見ていた。ティーティアが悪い、悪いことしかしないのだと」
カサリンに側妃教育を真面目に受けていたら、と偉そうにロレンツオは言ったが、自分こそが原因なのだと分かっていた。ロレンツオがティーティアと真摯に向き合っていたらほとんどのことが起こらなかった。
ユーリンとアルシアの婚約が解消されることもなく、
ティーティアが
サリアーチアに衣装や宝飾を奪われることもなく、
リーデル子爵夫人に侮られることもなく、
ロレンツオに頬を叩かれることもなく、
子供を身籠る恐怖を感じることもなかっただろう。
「なあ、ロン。いつ、カサリンを側妃にしないと決めたんだ?」
力ない声でケラスオが問いかけてきた。それ、を読んだから? と高く積まれた書類を目で指してくる。
王家の影の報告書だ。マルシナ公爵家についての。
ロレンツオは首を横に振った。その書類は読むのが怖くてまだ手を付けていない。
「今朝だ。カサリンだけではない。妃を娶らないことにした。愛妾もだ」
ケラスオだけではなくバーラン、ユーリンも驚いた顔でロレンツオを見た。
「そ、それは無理だろ。ティーティアの子も無事生まれるかどうか分からないのに」
バーランの言う通りだ。だが、ロレンツオは考えを変える気はなかった。
ロレンツオは溜まっている書類に手を伸ばし、それに目を走らせた。今日中に終わらせなければいけないものは多い。早く終わらせてその報告書を読まなければならない。
「卒業パーティーの件で廃嫡も考えられた身だ。この座をシィスツサに譲っても問題ないだろ」
第二王子であるシィスツサの婚約者はまだ決まっていない。ティーティアの子が無事生まれなければラハメムト国の王族の令嬢がなるかもしれない。
「一晩考えた。私はどうしたらよいのか。このやり方もたぶん間違っているのだろう。今更だがティーティアと生まれてくる子を大切にしていくしか思い付かなかった」
側妃、愛妾がティーティアやその子を虐げないとは限らない。なら、虐げる可能性がある者を作らなければいい。王族として血を残すことは重要だが、ロレンツオには弟のシィスツサ、バーランを筆頭に従兄弟たちがいる。ロレンツオの血が残らなくてもいいだろう。
「妃殿下が起きられるかどうか分からないのですよ」
ユーリンが諭すように言ってくるが、ロレンツオが浮かべるのは自嘲の笑みだ。
「起きたくないだろうな」
ロレンツオにはティーティアの気持ちは分からない。昨日の王妃の話、サリアーチアや父親のマルシナ公爵のこと、そしてロレンツオのこと、ティーティアにとって夢の世界の方がきっと居心地は良いに決まっている。
「他に思い付かなかっただけだ。それからティーティアに許して貰えるとは思っていない」
許して欲しい。とは思う。けれど、許されないと分かっている。許されてはいけないことも。
「今まで公務では仮面夫婦をしていたのだ。それに甘えさせてもらう」
公務では仲のよい王太子夫妻を演じていた。プライベートではティーティアの好きにしたらいい。ロレンツオは子供に関わらせてもらえたらそれでいい。
「覚悟、決めたんだな」
ケラスオの言葉にロレンツオは頷く。
「だから、今度、間違えそうになったら殴ってでも止めて欲しい」
ロレンツオがおどけた感じで言うとバーランたちがニンマリと笑みを浮かべて深く頷いた。
「「任しとけ」」
「承知しました」
「じゃっ、俺、サリアーチアのことがはっきりしたら辺境で鍛え直してくるわ」
バーランがぐっと伸びをして、晴れ晴れとした顔で言った。それに驚いた声をあげたのはユーリンだ。
「えっ! 手続きが済み次第、皇国に留学しようと」
重い腰を上げ、書類の整理を始めようとしたユーリンの手からバサバサと床に書類が落ちていく。
「じゃあ、ユーリンに付いてって皇国の兵法でも盗んでくるか」
ソファーから飛び上がるように立ちあがり、ケラスオはユーリンが落とした書類を拾うのを手伝っていた。
「でもさー、なんで今頃留学?」
「元々あちらの政策に興味があったのです。それから女々しい話ですが、アルシア殿下が嫁がれるのを見たくなくて」
後半ユーリンの声のトーンが若干暗くなる。政略ではあったけれどそれだけではなかった。気持ちはあったし大切にしていた、つもりだった。すれ違ってしまったことに気付かず、気が付かされた時にはもう思いは離れてしまっていた。
「みんな離れてしまうのか…」
ロレンツオはしみじみと呟いた。頑張ってこい、と送り出したいが寂しさと不安がある。
「ああ、その間に馬鹿しないようにしろよ!」
ケラスオが明るく言う。
「一番近いのは俺だな。噂が聞こえたらすぐに殴りに来てやるから」
腰にある剣の柄を触りながら、バーランが嬉しそうに宣言する。
「噂だけで殴られるのかい?」
「いえ、噂される方が悪いということです」
ロレンツオが怯えたふりをすれば、ユーリンが逃げ場を塞いでくる。
「まあ、側妃候補がいなくなったんだ。あっちの噂は多くなるだろうな」
ケラスオの言葉に皆頷く。
長期間難病を患っていたカサリンよりもうちの娘を側妃にという話は今までもあった。挨拶しただけの令嬢と好い仲だと噂を流されるのも。
「まあ、会った時にその顔が痣だらけにならないようにしておけよ」
「そうしてくださいね。殴るのは得意ではありませんから」
「俺はいつでも殴ってやるぜ、今からでも」
バーラン、ユーリン、ケラスオの言葉にロレンツオは両手を上にあげ降参のポーズを取る。
「これでも王太子なんだ。丁重に扱ってくれ」
笑い声が部屋に響く。まだ一日しか経っていないのにロレンツオは久々に笑ったような気がした。
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