シミレーションインマイヘッド
緑の空間が脳裏に浮かぶと、ノイズ混じりの無機質な男の声が頭蓋骨に響いた。
「ヒューストンに行くんだろう。あそこは夕焼けが綺麗だ。機密文書を処分したらそれをカセットテープに吹き込んでおくんだ。四角い空が堕ちるのを見たことがあるかい?」
青空はどこへ行っても均質で薄かった。雲はピンク色の平行四辺形で、サブリミナルの様に飛行機事故の映像が挿入される。気づいたらリビングのテーブルの上に土足で立っていた。
「新品のデスクトップパソコンの匂いを覚えているか?ダイヤルアップルの音。ピーガガガ、ピーガガガ・・・・・。メモリの容量がいっぱいになればお前の体は処理落ちして上半身と下半身が別々になる。」
抽象化されたグラフィックは切り取られた空を覆いつくす、僕はまだ昼なのに深夜の様な気分になっていた。左目には夕焼けが浮かび、右目には反時計回りの秒針。西から東へ向かう太陽は砂漠から一切の影を奪った。
「昨日ロボットを刺身にして食べた。廃品処理工場の社長と友達でね。名刺の裏にURLが書いてあった。黒い背景に黄色い文字のテキストサイトに繋がった。なんてことない主婦の日記の様な内容だった。しかし必ず10分置きに必ず更新されるんだ。いつ寝ているんだ?」
昨日は休日なので近所を散歩していた。町には誰もいなく、まるで自動車教習所のシュミレーターをやっている様な気分だ。民間の塀のポリゴンは荒く近づくと中が見える。少し進むと空は夕焼けに変わり、自動車の代わりに巨大なアリが町に出現した。僕は逃げ切れずにアリに轢かれてしまった。すると映像は反転し表情のない芸者が長唄を唄う動画が挿入された。芸者の着物は毒毒しい朱色で真っ白な化粧越しにギョロギョロとこっちを見ている。どうすればいいか分からないでいると全身真っ黒な男達が芸者をワンボックスに押し込んでどこかへ消えていった。
「極東映像処理株式会社という会社を知っているか?某テレビ局の下請け会社でな、西新宿の雑居ビルの2階に入ってる。下は中華屋だ。中に入ると誰もいない。会社なんてのは登記だけで実態は花田組という暴力団の倉庫になってる。しかし気になるのが代表取締役の名前だな。十年前失踪した天才子役と同姓同名だ。こんな偶然があるか?」
真っ暗なオフィスで灯油ストーブに当たりながらそこに乗せてあるアルマイトのやかんに触れてみた。冬の当直は身体にこたえる。例のVHSテープが灰皿の横に置いてある。灰皿の中には昨日の当直が吸ったシケモクが2本無造作に置いてある。吸い殻くらい捨てやがれ畜生。ボロボロになったソファーには昨日のスポーツ新聞が一昨日の大荒れのレースを伝えていた。僕は新聞を手に取り三行広告を探した。
「プラザホテルの14階から飛び降りた女子高生。ポケベルを分解したらMDMAが出てきた。出会い系サイトで知り合ったテレホンカード販売のイラン人から買ったらしい。今そいつはパキスタン人がやってる中古自動車で働いている。聞き込みに行ってこい。あと帰りにたまごっちを買ってきてくれ。娘が欲しがってるんだ。」
ノストラダムスとかカルト宗教だとかそんなことどうでもいい。ブラウン管からはサラリーマン金融のCMが溢れてかえっていて一太郎とかいうワープロソフトがどうとかPHSとかいう携帯電話の劣化版がどうだとかやっていた。僕はその時テレホタイムでキリ番をゲットすることしか考えていなかった。学校で貰ったフロッピーディスクはもはや時代遅れのものとなっていた。
「立方体だ。この世界は立方体だ。神様がテストしてるんだ。モノリスってあるだろう。神様はあんな形をしていて僕らに数学を使って語りかけてくる。空が割れて折り紙みたいに世界は折りたたまれて永遠に音のない世界が現れる。深夜の冷蔵庫みたいに不安を掻き立てるモーター音を聞きながら水道水を飲んで眺めよう。リプレイを見させられているんだ。ずっとリプレイを見させられているんだ。世界はもうとっくにゲームオーバーしているんだよ。」
赤とか黄色い服を着て踊る2人の男女のムービーをチェックしながらヒットソングを聴いていた。世界の終末について歌っている。所々に現れるバグを修正しては顔の見えないクライアントに送っている。顔などハナから必要ではなかった。全ては修正済みなのだ。しかし修正している僕そのものがバグだったらどうする?
・・・馬鹿馬鹿しい。考えても仕方がないことだ。作業を終えた僕は世界をシャットダウンした。