Chapter1 Rolling Girl - 1
「目が覚めた?」
声をかけられて目を覚まし、自分がいつもとは違うところにいることに気づく。一段上がった板張りの床。真っ赤な緞帳。私を照らすスポットライト。舞台下に整然と並べられたパイプ椅子がどこまでも続いている。向こうの壁が見えないほどに遠くまでパイプ椅子が並んでいて、寝起きの頭の混乱に拍車がかかる。
「目が覚めた?」
さきほどと同じセリフが聞こえる。はっきりしない頭を振り振りそちらを向くと、そこには少年がいた。背丈から見て小学校の高学年くらいだろうか?体のほとんどを覆う真っ白なローブとふわふわと柔らかそうなブロンドがスポットライトに反射してまぶしい。表情は無表情なのだがなんとなく、これがこの少年の笑顔なんだろうなと感じた。
「目が覚めた?」
少年は三度同じセリフを言う。きっと私が答えなければずっと同じことを聞いてくるのだろう。ぱっと見は無表情に、でもなぜか笑顔とわかる楽しげな様子で。
「うん」
声を出して答える。あまりうまく声が出ず、かすれた声。
「よかった。自分のことは思い出せる?」
少年が不思議なことを言った。当たり前だと自己紹介を兼ねようとする。
「もちろん。私は」
……あれ、私の名前って、なんだっけ。自分の名前が思い出せない。私が私であることは確かなんだけど、名前がすっぽりと抜け落ちたように出てこない。混乱が口をついて出る。
「あれ、なんで……」
「うんうん、それでいい。あいつのやることっていっっつも適当だから心配だったんだけど、ちゃんとやったみたいだ」
いつも、の部分に力を込めて話す少年の言っていることが全く分からなかった。自分のことがわからない上に、状況が呑み込めないことってこんなに不安なものなのかといっそ感心してみている第三者の自分を感じる。その様子を見ていた少年が口を開く。
「今は不安かもしれないけどあっちに行ったら思い出せるから。書き換えのために一回構成の根幹情報を消さなきゃなんないんだ」
あっちってどこだろう。説明を受けても少年の言うことが何一つ理解できず、考えるのを放棄したくなる。いっそ座り込んで大声で泣き出せたらどれだけ楽になれるだろう。多分私今、ぐちゃぐちゃな顔をしている。
「あぁ、そうそう。きっと理解はできないと思うんだけどさ、一応ルールだから説明はしておくね」
少年が何かを話し出す。言葉が、何一つ引っかかることなくまっすぐに耳を通り抜けた。
「これから君は、僕の箱庭で異世界人として動いてもらおうと思うんだ。といっても僕から何かやってくれってことはない。目的は箱庭における許容限界の確認だし、僕の箱庭だからある意味君がここに入ってくれた時点で僕から見た目的は達せられる。いいかな?」
混乱のさなかに説明が始まったせいで話の内容は頭に入ってこず、訳も分からず首を縦に振った。きっとまだ話には続きが、
「うん、よかった。ここに契約が成ったよ」
なかった。相変わらず少年は無表情だが、嬉しそうに言った。
「んーと、後は好きにしてね。必要なことはこっちでやるから。君自身のことはさっき言ったように、向こうに行けば思い出せるし、あ、そうそう言語は日本語に設定してあるから言葉の心配はしなくていいよ。君たちは好きでしょ?異世界。楽しんでくれると嬉しいかな」
「まって、異世界って」
「それじゃあ、良い旅を」
少年が言い終わるや否や、私の足元が青く光りだす。光は広がりながら色を変え、黄色になるころには少年も舞台も消えてしまった。戸惑う暇もなかった。そして光る地面にはただ私一人が立っていた。平坦な円形の光の環。輪の外にはただ闇が広がっている。
そして、光と闇の境目には、古びた扉が一つ。
……立ち止まっていても仕方ない。足を踏み出し、扉のノブに手をかけた。