殿下の言葉。
私は、せめて手紙の件だけでも謝りたいと思いました。
先生にパティ様はどうされたのかと聞いたところ、まだ、保健室で休まれているとのことでした。室に伺うと、保健の先生はいらっしゃらず、使われている寝台も一つだけ、寝ておられるのはパティ様だけでした。
パティ様は一番奥の寝台で、窓の方を向いて横になっておられました。もし、眠っておられたらと、静かにパティ様に近づきましたところ、パティ様が、悲し気な声で呟かれました。
「許して下さいませ……」
彼女のその言葉を聞いた途端、私の心を感情の嵐が襲いました。
今までの私のパティ様に対する行動は最悪でした。初めてお会いした時は、お客様である彼女をおいて、中座。もらった手紙の返事は返さず、あげくの果てには、風魔法で突風を叩きつけ、寝台の住人にしてしまう始末。自分のしたことながら、情けないにもほどがあります。
それなのに、パティ様は……。涙が溢れて来て、思わず彼女の名を呼んでしまいました。私の声に驚いた彼女は、素早く上半身を起き上がらせ、こちらに顔を向けられました。
良かった。体の動きは健康そのもの。それにお顔の色も悪くありません、ほんのりピンク色……。なんて可愛らしいお顔でしょう。パティ様は絶世の美女になるようなタイプの方ではありませんが、彼女ほど愛らしい見目の方を私は知りません。
こんな可愛くて、何も悪くないパティ様が謝っている、自らを責めている、そう思うと私の心は耐え切れませんでした。自分の感情を彼女に叩きつけてしまいました。
「パティ様、どうして貴女が謝るのです。謝るべきは私、セラフィーナです。なのに、どうして……。どうして、貴女が謝らなければならないのですか!」
この時の私は、パティ様が、誰に、何を、謝っていたのかさえ、わかっていませんでした。でも、それでも、私の感情は荒れました。彼女が不幸になったり、悲しんだりするなど耐えられません。
私は、声を発すると同時に、彼女に抱き着いていました。なんて、はしたなく、情けないことでしょう。このようなこと、公爵家に生まれた者がして良いことではありません。
ですが、パティ様は嫌がりもせず、私の背中に手を回してくれました。そして……。
「セラフィーナ様。セラフィーナ様はとても良い匂いがされますね。このような良い匂いなら、一生包まれていたいと思ってしまいます」
パティ様の言葉に、心が、カッと火照りました。なんという甘いお言葉をお使いになられるのでしょう。まるでプロポーズの言葉のようではありませんか。勿論、パティ様は女の方、そのような訳はないのですが、私にはそう思えてなりませんでした。
パティ様、私は皇太子殿下と婚約しております。ですが、殿下から、このような甘いお言葉などもらったことはございません。一度たりとも無いのです。
+++++++++++++++++++++++++
我が王国、最高の美少女とも言えるセラフィーナ様に抱き着かれた私は、天国のような地獄を味わっていました。このままでは萌え死にをしてしまいます。なんとか、息苦しいまでのこの萌えを、言葉で発散しようとしました。
「セラフィーナ様はとても良い匂いがされますね……」
ダメです、言葉にすると余計に萌えが増加しました。やばい……と思っていると、セラフィーナ様が私の体に回していた手を放し、体を離してくれました。ホッとすると同時に、悲しくもなりました。もう少しなら耐えれた、もう少し抱き着いていてほしかったと。
私から離れたセラフィーナ様の顔は真っ赤です。私は心配になって来ました。私は、近くにあった椅子を勧めました。男爵令嬢の私が座っているのに、公爵令嬢のセラフィーナ様を立たせたままでいる訳にはいきません。セラフィーナ様は素直に座って下さいました。
「セラフィーナ様、どうされたのです? 申し訳ないですが、今の状況は私には全く訳がわかりません。差し支えなければ、ご説明願えませんか」
「突然の無礼、本当に申し訳ございませんでした。パティ様。実は……」
セラフィーナ様はここに来た訳を話して下さいました。彼女は、私の手紙に返事を出来なかったことに対する謝罪と、私が彼女にしている誤解の解消をしたくて、わざわざ先生に聞いて、こんな所にまで来てくれたそうです。
「お恥ずかしい話ですが、マルグレットがあのようなことをするとは……。今後、このようなことが無きよう、使用人の教育は徹底いたします。お許し下さいませ。パティ様」
セラフィーナ様は深々と頭を下げられました。
マルグレット、あの時、妙に私を睨んでいたメイド……。やはり、彼女のせいか。
「いえ、許すも何も、こちらも悪かったのです。もっと貴族らしい上品な言葉遣いが出来れば良かったのでしょうが、新米貴族ゆえ、下町言葉を、つい使ってしまったのです。マルグレットさんは面食らい、こんな粗野なのをお嬢様に近づけてはいけないと思ったのでしょう。ある意味、主人思いな方ではないですか。あまり叱らないでやって下さいませ」
「お気遣いありがとうございます。でも、マルグレットにはそれなりの罰を与えます。そうでなければ、他の使用人に示しがつきません。それに、パティ様は誤解されていますよ。貴女の言葉遣いは、少し丁寧さが欠けるところがございますが、決して粗野ではありません。貴女のお心は凄く温かいです。その温かいお心から発せられる言葉が、粗野などである筈がないのです」
セラフィーナ様は私の手をとり、両手で包んでくれました。直に肌同士が触れ合う感触は抱き着かれた時に感じたものとは別次元でした。なんて滑らかで吸い付くような肌、これが本当に人のものなのか。
「パティ様、貴女が私に贈って下さった言葉は、私を大変勇気づけてくれました。宝物として一生覚えておきたいとさえ思っています。これが私の真意です。私が貴女を嫌っているなどありえないことなのです。よく覚えておいて下さいませ」
私を真っ直ぐに見据える彼女の瞳には、強い意志の光が宿っていました。私は思わず、涙ぐんでしまいそうになりました。彼女から、このような嬉しい言葉を貰えるとは夢にも思っていなかったのです。
大体、私は私のことを好きになってくれた男の子以外からは、ろくな評価がもらえませんでした。お母さんからは「小賢しい」、メリッサお姉ちゃんからは「人生舐め過ぎ」、女神様に至っては、
「あんた、いちいち、いちいち細かい性格ね、イライラするわ。いい加減、根性決めて、ちゃっちゃとヒロインやりなさい!」
うう、セラフィーナ様。貴女は天使です。地上に舞い降りた天使でございます。
私は言いました。
「セラフィーナ様、私とお友達になって下さいませんか。お願いします」
「あら、私はお会いしたその日から、お友達だと思っていたしたよ。ほんと、パティ様は誤解される力、誤解力が強いお方ですね」
「誤解力! 変な言葉を作らないで下さいませ、セラフィーナ様!」
「フフフ」
「アハハ」
私達は笑いあいました。彼女の笑顔が眩しいです。互いに好感を持っていたのに、なんとも遠回りしたものです。
「では、私の大事な友達であるパティ様には、これを進呈いたしましょう。受け取って下さいませ」
セラフィーナ様はそう言って、一枚のカードを私に差し出してくれました。掌にすっぽり収まるサイズの小さなカードです。受け取って見てみると、そのカードには、アリンガム公爵家の紋章と、セラフィーナ様の名前がフルネームで自署されていました。
「このカードは何ですか?」
「お友達招待カード、通称、『通行証』です。個人で発行する私的なものですが、このカードを持っていれば高位貴族でない方でも、高位貴族用エリアに入っても大丈夫です。誰も咎められません。そういう慣習です」
「じゃ、私は、何時でもセラフィーナ様に会いに行けるのですね」
「ええ、何時でも」
私は嬉しさのあまり、カードを持つ手が汗ばんで来ました。せっかくセラフィーナ様がくれたカード、私の汗なんかで汚してはいけないと思い、ハンカチで包もうとしていたところ、セラフィーナ様が尋ねて来ました。
「パティ様、一つ、お聞きしてよろしいですか?」
「ええ、何なりと」
「では。私がここへ来た時、パティ様は『許して下さいませ……』と仰られてました。私は、パティ様が悲しんでいると、つい感情的に反応してしまったのですが、何を謝っておられたのですか?」
「ああ、あれはですね。謝っていたのではなく、お礼を言っていたのです、つむじ風さんに」
「お礼? つむじ風さん?」
私は顔面に大きな?マークを浮かべるセラフィーナ様に説明しました。あのつむじ風さんの御蔭で、マクシーネ様を殴らずに済んだ、彼女達と決定的な溝を作ることを避けられた、和解する道が残された。だから、感謝した、お礼を言ったのだと。
ありがとう、つむじ風さん。貴方に何かお礼をしたいですが、貴方はもういません。お礼のしようがありません、許して下さいませ……。
私の説明を聞いたセラフィーナ様は、ニコニコ顔になりました。いえ、先ほどからも笑顔だったのですが、さらにニコニコに。何ででしょう? 理由を聞いてみましたが、「秘密です」と教えてくれませんでした。
でも、人差し指を唇にあて、ウインクをした彼女の可愛さには、悶絶しそうになりました。くそ~、皇太子殿下め、このような人が婚約者だなんて、あんた世界一の幸せものだよ。
私は、嫉妬のあまり、皇太子殿下に呪いをかけました。
殿下よ、転べ! バナナの皮にでも滑って転ぶのだ! かっちょ悪く転ぶのだ!
「パティ様、どうかされましたか?」
急に黙りこくってしまった私を、不審に思いセラフィーナ様が尋ねて来ました。真実を申し上げる訳にもいかず、適当なことを言いました。
「いえ、今日はあまりにも幸せなので、この幸せを他にも分けて上げたいと、世界平和を祈っていたのです」きりっ!
「なんてお優しいの、パティ様。尊敬致します。それに比べて私は……恥ずかしいです、情けないです」
セラフィーナ様がキラキラした目で見つめてきました。なんと澄んだ目でございましょう。
いえ、嘘なんです。そのようなお顔はお止め下さい、セラフィーナ様。ああ、ほんと止めて、私のなけなしの良心が……。私は再び、寝台に潜り込みました。
数日後、私は学院の高位貴族用エリアを、クッキーをいれた箱を持って歩いていました。
クッキーは、昨晩、屋敷の厨房を借りて、私が焼きました。私だって女の子、それなりの女子力はあるのです。それに、通行証をもらったお礼に、セラフィーナ様にクッキーを焼いて差し上げたいと、お祖母様に申しましたところ、お祖母様が、小麦粉等、最高級の材料を揃えて下さいました。そのせいもあって、出来上がったクッキーは、私が作った中では最高の出来でした。お祖父様とお祖母様にも、進呈したところ、美味しいと喜んでくれました。
「パティ、お前はなんて素晴らしい孫なのだ! もう私は今死んでも悔いはない!」
「私はイヤですよ。あなただけ先に行ってくださいませ。私はパティちゃんと、これからも、もっともっと楽しく暮らします」
「な、メイベル、お前狡いぞ」
「何が狡いのですか? もともと女の方が長生きなのですよ」
「ハンフリーお祖父様、メイベルお祖母様。お二人とも長生きして下さいませ。お母様の代わりに、孝行致しますよ、私はお二人が大好きです」
「「 天使! パティは私達の天使! 」」
お二人は私を溺愛して下さるので、ほんとチョロいです。でも、私の言った言葉に、嘘はございません。愛しております、お祖父様、お祖母様。
セラフィーナ様は、私のクッキーを喜んで下さるでしょうか? 女の子で、甘いものが嫌いな子は滅多にいません。きっと喜んで下さるでしょう。そう思うと、心が浮き立ち、歩く速度が段々早くなってまいりました。
もう駆け足といって良いくらいの速度になった頃、廊下の曲がり角に差し掛かりました。私は減速したつもりだったのですが……。
ドガッ! 「きゃあ!」「うわっ!」
私は反対側から歩いて来た人とぶつかってしまいました。ぶつかったのは男の方だったので、あちらはよろけただけだったようですが、女の私は跳ね飛ばされ、派手に転んでしまいました。ただ、手に持っていた、セラフィーナ様に渡すクッキーの箱だけは死守しました。そのため、うまく受け身をとれず、少々痛いこけ方をしてしまいましたが、それくらいなんともありません。
「大丈夫ですか?」
ぶつかった男性が声をかけて来てくれました。その男性は、素晴らしい美形でした。私は、自分のお父さんが、かなりのハンサムだったので、少々の美形男子など、なんとも思わないのですが、目の前の男性はレベルが違いました。まるで物語に出て来る王子様のようです。キラキラです。
その王子様のような男性は、本当の王子の如く、お付きの者を二人従えていました。二人とも屈強そうです。その片方が私に向かって言いました。
「貴様、廊下を駆けて来るなど、何を考えているんだ。皇太子殿下が怪我をされたら、どうするつもりなのだ!」
げ、この人が皇太子殿下! 本物の王子様だったんかい!
人を呪わば穴二つ。いえ一つです。私は皇太子殿下よ、転べと呪いをかけましたが、転んだのは私だけでした。
「アーノルド、止めよ! こちらも注意していなかったのだ。この令嬢だけが悪いのではない。それに、このように華奢なお嬢さんにぶつかられたくらいで、私が怪我などするものか。そなたは私をバカにしておるだろう」
「いえ、そのようなことは……」
お付きの片割れは、そう言って目を逸らしました。彼の体格は今直ぐにでも騎士になれそうな体格です。細身の殿下を、弱々しいと思っていても不思議はありません。というか、絶対思ってるよ。
「さあ、お嬢さん」
皇太子殿下が手を差し出してくれました。まじまじと殿下のお顔を見ました。夜空のような艶やかな黒髪、藍色の瞳は、見る者の魂を吸い込んでしまうような深さを秘めています。ほんと、惚れ惚れするようなハンサムです。皆が、セラフィーナ様とお似合いだと囃し立てることに納得がいきました。
確かにお似合いです、お似合いなのですが、何でしょう、この心に湧いて来る腹立たしさは……。
私は殿下の助けを借りて、立ち上がりました。その時です、私のポケットから、セラフィーナ様に頂いた通行証が床に落ちました。転んだ時にポケットからはみ出ていたようです。
殿下がカードを拾って下さいましたが、そのカードを見ると、殿下の表情が、微かに変わられました。影が差したと言いましょうか。表情が暗くなられました。
「君はセラフィーナの友達なのかい」
「はい、ありがたくもセラフィーナ様はそう仰ってくれています」
「そうか、それなら、これからも仲良くしてやって欲しい。彼女には取り巻きはいても、友達はいないんだ。私がこんなことを言ってはいけないんだが、とっても可哀想な娘だよ」
可哀想……、思いもしなかった言葉にカードを受け取る手がこわばりました。
「じゃ、失礼するよ。すまなかったね」
皇太子殿下はお付きの二人と共に去って行き、残された私は、ただただ呆然とするだけでした。
セラフィーナ・アリンガム。筆頭公爵家の令嬢にして、この世の光を一身に集めたような美少女。そのセラフィーナ様に友達がいない……。彼女の性格に問題があるとは思えませんし、そんなことが有りえるのでしょうか?
この後、セラフィーナ様に無事お会い出来、クッキーを渡すことが出来ました。彼女は大変喜んでくれ、とても美味しいと何枚も食べてくれました。凄く嬉しかったです。でも、私の心から、先ほどの殿下の言葉が離れることはありませんでした。
『とっても可哀想な子だよ』
その日、一日。その言葉は私の心の中で、ぐるぐる回り続けていました。
セラフィーナと皇太子の間には愛は無さそうです。本来なら、パティには、やった! と思える状況なのですが……、パティの心は殿下の言葉に沈むばかりです。パティはセラフィーナと仲良くなり過ぎました。