一月遅れの手紙。
「マルグレット、これはどういうことなのです!」
私は、私の専属メイド兼、副メイド長であるマルグレットに大きな声を上げていました。私を含め、アリンガム家の者は、滅多に使用人を叱責することはございません。当家の使用人は代々使える者も多く、優秀な者が殆ど。叱責する必要などないのです。その中でも、マルグレットは特に優秀、それ故、二十代前半にして副メイド長を任されております。
だから、これはどうしても意図的としか思えないのです。
私宛の手紙、パティ様からの手紙がお父様、アリンガム公爵宛ての書簡の中に紛れ込んでいました。
「申し訳ございません。お手紙の分類時、注意力が散漫になっていたのでございます。以後、気を付けますがゆえ、お許し下さいませ、セラフィーナお嬢様」
マルグレットは慇懃に頭を下げました。ですが、その慇懃さが余計に私の癇に障りました。
「嘘を言わないで。貴女のように完璧に仕事をこなす人が、このような単純なミスをする訳がないでしょ!」
「セラフィーナお嬢様、過分な評価を下さり光栄ですが、完璧な人間などおりませぬ。おりますれば、その者は最早、人ではございません。何かの化身でございましょう」
私は、彼女の言葉に心が黒くなるのを抑えられませんでした。
彼女は、私を恨んでいるのです、私がアリンガム家の子女の義務を果たせず、彼女の元主人である私の妹、メイリーネを犠牲にしてしまっていることを……。
「もういいです。以後、このようなことは無きように。お願いしますよ」
「はい、お嬢様。申し訳ございませんでした」
マルグレットは深々と一礼すると、私の部屋から出て行こうとしましたが、扉のところで、立ち止まりました。
「お嬢様、貴女様は、将来、王妃、国母となられます。お付き合い為される方は、慎重にお選び下さいませ。あのような下賤の者など……」
「マルグレット!」
彼女は私の剣幕にビクッとなりました。そして、同様に、私自身も自分の声の大きさに驚いていました。これほど大きな声を出したことは、今まで無かったと思います。
「パティ様は、国王陛下の認証を受けた御令嬢です。貴女は、陛下に異議を唱えるのですか。それに、私が誰と付き合うかは自分自身で決めます。貴女の指図は必要ありません。もう、今日は、二階に来ないで下さい。今は、貴女の顔を見たくありません」
私は、パティ様を愚弄したマルグレットへの腹立ちを抑えられませんでした。彼女は確かに下町育ちゆえ、優雅な言い回しやマナー等、まだまだで、貴族令嬢としては、よちよち歩きのレベルです。
ですが、彼女は初対面の私を、精一杯楽しませようとして下さいましたし、迂闊にも、自分の心の弱き部分を見せてしまった私を勇気付けようとして下さいました。
『ドンマイ! セラフィーナ様』
彼女から貰った、この素朴な応援の言葉、大変嬉しかったです。
『明日は明日の風が吹くのです、セラフィーナ様』
こう仰って下さった時の、パティ様の笑顔。なんて思いやりに溢れたお顔だったことか。私は、あのように可愛く心温まる笑顔は見たことがありませんでした。思わず涙が出てしまいました。
だから、だから、中座しなければいけなくなった時、パティ様に言ったのです。頼んだのです。
『パティ様。また来てくださいね。絶対ですよ、パティ様』
それなのに、マルグレットがミスを装い意図的に手紙を隠蔽したため、パティ様の手紙が届いていることを知ったのは今日でした。消印はひと月近く前……。
自分の所へ紛れ込んでいたと、お父様から渡されました。うちは、筆頭公爵家ゆえ、毎日大量の書簡が届きます。それらは先ず、家族の宛先別に分けられます。分けるのは副メイド長のマルグレットです。
一番多く届くのは、勿論、公爵であるお父様。あまりに量が多いので、お父様への書簡は更に、重要なもの(&かもしれないもの)と、そうでないものの二つに分けられます。お父様は、重要なものの方は直ぐに開封されますが、それ以外は基本放置。時間が空いた時、気が向いた時に処理されています。
パティ様からの私への手紙は、重要でないものの方へ入れられていました。
ああ、どうしたら良いのでしょう!
パティ様が、折角お手紙を下さっていたのに、私は今日の今日まで知りませんでした。でも、そんなことはパティ様はわかる筈もありません。きっと、セラフィーナはなんて礼儀知らずなんだと、ご立腹されていることでしょう。
それに、パティ様の手紙を読んでみますと、パティ様は自分の言葉使いやマナーの無さをしきりに謝られていました。
『私は至らぬところばかりの人間ですが、どうか、嫌わないで下さいませ。お願いでございます』
何故、パティ様がこのようなことを書かれたのか理解が出来ません。私はパティ様に好感こそ抱きはすれ、嫌だな、などと思うようなところは一つたりと無かったのです。パティ様はとっても可愛い御方です。私もなれるなら、あのようになってみたい御方なのです。
とにかく、パティ様は誤解されているようです。早く、その誤解を解かなければなりません。このようなことで、パティ様との関係が壊れてしまうなど、私には耐えられません。
翌日、私は昼休みに、下位貴族クラスが使っている第二校舎へ向かいました。
私も、パティ様も、一週間前に王立貴族学院に入学しております。でも、高位貴族クラスと下位貴族クラスに別れていますし、私も何かと忙しいため、パティ様とは、まだ一度もお会い出来ていません。
昼休みですので、食堂を探しましたが、彼女はおられませんでした。では中庭ではと思い、そちらへ向かいました。中庭にはベンチがあり、そこで昼食をとる方も少数ながらおられます。
案の定、パティ様は中庭におられましたが、一人ではありませんでした。彼女を、五六人の令嬢が取り囲んでいます。さすが、パティ様。もうこんなにお友達が……と、一瞬思ったのですが、彼女達の表情は険悪で、和やかさなど全くありません。
一番前に立った、銀髪を縦ロールにした令嬢がパティ様を嘲りました。今時、縦ロール。私も一度されたことがありますが、あんな面倒なもの二度とごめんです。
「パティさん。貴女どうして、学院にいらっしゃるの? この学院は、平民には門戸を開いておりませんのよ。いくら金を積んだとてダメな筈、何故ですの?」
「マクシーネ様。この方とて、半分は貴族なのです、男爵家を出奔なされたお母様をお持ちなのです。失礼なことを仰られてはなりませんわ」
「あら、あら、わたくしとしたことが。言葉の使い方が間違っておりました。パティさんは、平民ではございませんでしたね。雑種でございました」
「雑種! もっといい言葉あります。キマイラです、キマイラ!」
「まあ、恐ろしい、いつから学院は魔獣が棲む暗黒の森になってしまったのでしょう!」
これは完全にイジメです、もう見ていられない、前に出ようと思ったその時。中庭の空気が、ズバン! と揺れました。これは普通の風ではありません。魔法です、風魔法。誰が使ったのでしょう?
パティ様を取り囲みイジメていた令嬢達は、突然の風魔法にオロオロしています。彼女達ではなさそうです。ということは……。
パティ様が口を開かれました。
「貴女達は何が仰りたいのですか? はっきり仰って下さいませ。その、ねっとりとした言い回し、イライラしてしまいます」
縦ロールが揺れました。
「ねっとりとですって、なんて失礼な! イライラさせられているのは、わたくし達のほうです、それをよくも、よくも!」
パティ様は右手の指先を眉間に当て、やってらんないと言うかのように、顔を振られました。
「もう良いです。私が言いましょう。貴女方は、殿方が、貴女方の婚約者が、私の周りに集まったのが気にいらなかったのでしょう。ですが、それは私が悪い訳ではありません。私がちょっと変わり種だったから一時的に人気になっただけ。そんなことを嫉妬されるより、女を磨いて下さいませ。磨いて磨いて、セラフィーナ様のような一流の女性になられませ。そうすれば、婚約者も他の女性になど、見向きもなさらぬことでしょう。是非、そうなさいませ」
私が一流の女性? パティ様がそう思ってくれるの嬉しいですが、なんだか恥ずかしい、とっても恥ずかしいです!
「うるさい、この泥棒猫!」 パーン!
乾いた打撃音が響きました。縦ロールの令嬢がパティ様を平手打ちにしたのです。
「殴りましたね……。顔は女の命、それを殴ってくれましたね」
パティ様は下を向いていますが肩が震えています、そして右の拳が握り締められました。なんてこと!
グーで殴り返しなどしたら、パティ様の評価が地に落ちてしまいます。社交界デビューが不可能になるどころか、貴族社会からも放逐されかねません。
パティ様は顔を上げられると、キッと縦ロール令嬢を睨まれました。
「先に殴ったのは貴女ですからね、貴女なんですから!」 パティ様の右肩が引かれました。
駄目―――!!
私は思わず、風魔法を発動していました。咄嗟の行動だったので、魔力の加減があまり上手くいかず、強烈な突風が上空から中庭に叩きつけられました。
ダーン!!!
突風が去った後、中庭に残されたのはヘロヘロになったパティ様とパティ様をイジメていた令嬢達……。みんな気を失って倒れています。
私は、呆然となって座り込んでしまいました。
私は、パティ様にお会いして、手紙の件を謝り、そして、彼女の私に対する誤解を解きたかった。私のしたかったことはそれだけでした。それだけだったのに……。
どうして、こんなことに……、どうして!
私が起こした、この惨事は、気圧の急激な変化、つむじ風によるものとして処理されました。私は先生方に、風魔法を誤ったと申し出ましたが、私は皇太子殿下の婚約者。大ごとにしたくなかったのでしょう、黙っておくよう何度も何度も口止めされました。
保健室に、運び込まれたパティ様達は直ぐに、意識を取り戻され、怪我も後遺症もないことが確認されました。ほっとしました。
私は、被害を受けた全員に謝りたかったのですが、学校の公式見解はつむじ風のせいとなっているため、謝ることが出来ません。申し訳ないです、本当に申し訳ない。
パティ様は、私のことを一流の女性と言って下さいました。
何が、一流でしょう。一流どころか、ただのバカです、バカ女です。
ああ、パティ様。
こんなバカなセラフィーナでも、嫌わないで下さいませ。
私は、貴女の笑顔の隣に居たいのです。
願いは、それだけ、それだけです。
どうか、どうか、嫌わないで下さいませ。
セラフィーナは最高ランクの魔力保持者。怪我人が出なかったことが奇跡です。この子も危なっかしさは、パティ並み。もしかしたら、類友かもしれません。