あなたは、だあれ。
2024.09.07 セラフィーナの行動の不整合、修正。
「セラフィーナお姉様! パティ様!」
私達のメイリーネ様との面会は、何の滞りもなく始まりました。
これは、マルグレットや巫女頭が、事前に、メイリーネ様に、これまでの彼女の治療の経緯や、アリンガム家の新参者である私、パティについて話しておいてくれたお陰です。ほんと、二人ともきちんとしています。
え? それくらい当然だろうですか? そうですね、確かに当然です。しかし、その当然が、なかなか出来ないのが人間なのです。いやはや。じっと手を見る。
「今回、私の命を救って頂きましたこと、真に真にありがとうございます。この御恩は一生忘れません」
メイリーネ様は、何度も何度もお礼を言ってくれました。そして、嬉しいことに、祝福の言葉もくれたのです。(私達は女同士のカップル故、内心の危惧はどうしてもありました。良かった、よかった)
「お姉様。パティ様のような素晴らしき方、可愛らしく優しい方と巡り合えて良かったですね。本当に、本当におめでとうございます。とってもお似合いです、お二人は」
「ありがとう、メイリーネ」
「ありがとうございます、メイリーネ様」
皆、笑顔でした。
しかし、セラフィーナ様が、化身の交代をする、私の協力の下、自分が成る、と仰られた時、メイリーネ様の表情が一変しました。そして、震える声で、
「実は倒れる前、大精霊様が…………」
セラフィーナ様の美しき顔から表情が消えました。
大精霊様。
ちょっと文句言わせてもらいますね。
幾ら大精霊様といえど、自らの代理人たる化身であるメイリーネ様に向って、
『そなたは、繋ぎ。真なる化身への単なる繋ぎに過ぎない』
などと仰るだなんて、最低もいいところです。
確かにメイリーネ様は、力強き化身ではありません。貴女様が欲する資質を彼女が持ち合わせていないであろうことは、今日の王国の状況をみれば、私でも容易に理解できます。だからと言ってですよ、だからと言って、単なる繋ぎって……、
ああ、なんて貴女様は、酷薄な方なのでしょう。
いえ、違いますね。本当に酷薄なら、王国に加護を与えてくれたりはしないでしょう。言い直します。なんて貴女様は、人の心がわからない方なのでしょう。
メイリーネ様は、双子の姉であるセラフィーナ様への劣等感に塗れて生きてきました(こんなこと、二人の容姿の差や、伝え聞く能力差から容易に想像できます)。それでも、彼女は前を向き生きて来た。自分の人生に価値を見出そうと、一生懸命頑張って来ました。倒れてしまうほどに……。
それなのに、そうであるのに貴女様って方は……。
要するに、私が何を言いたいかと言うとですね。
『そんな言い方は無いでしょう』
ということです。
言葉の使い方は慎重でなくてはなりません。使い方を間違えれば簡単に刃となり、相手の心を切り裂きます。貴女様の『単なる繋ぎ』という雑な言葉遣いは、メイリーネ様の、これまでなんとか保ってきた自尊心をズタズタにしました。
セラフィーナ様が、おおよそらしくない台詞「一発、ぶん殴ってやる!」を言ってしまわれるのも、むべなるかな。
そういう訳で今、貴女様に出て来てもらうべく、セラフィーナ様と二人で祭壇へと向かっています。ですが、貴女様は出て来てくれないでしょうね。きっと出て来てくれない。
それは、(まあ、これはアンナの見立てですけれど)今のセラフィーナ様が貴女様の望む境地、究極の魔法使いの境地に、未だ達していないから。
パン!
セラフィーナ様が、 と両の手を打ち鳴らしました。良い音です。
「積年の恨みも加算してあげる。待ってなさいよ。大精霊ー!」
大精霊様。お願いです。そろそろ、セラフィーナ様達を、アリンガム家を、振り回すのを止めて頂けないでしょうか? 私は幸せに生きたいです。でも、幸せに生きるためには、愛するセラフィーナ様が、その周りの方々が、幸せであることが必須なのです。
これは、誰かを愛したことがある者なら、わかることです。貴女様もきっと理解されている筈です。だって、貴女様の名前はアレクシス。
その意味合いは「守る者」。
愛なき者が、愛を知らない者が、名乗る名前、名乗るべき名前ではないのです。
ねえ、大精霊様。
そうでしょう?
+++++++++++++++++++++++++
大精霊は出て来てくれませんでした。出て来てくれないどころか、私を化身にさえしてくれません。これでは彼女に一発! なんて夢のまた夢です。
祭壇に、私の虚しい叫び声が響き渡ります。
「大精霊様、いい加減にして下さいませ! 貴女様に呼びかけてもう五日目ですよ、五日目! 早く私を化身にして下さいませ! してったら、して! してよー!!」
ゲフン! ゲフン!
「だ、大丈夫ですか? セラフィーナ様」
私は、焦っています。本当にめちゃめちゃ焦っているのです。汗が額からしたたり落ちました。今は冬です。なのに、なのに……、
何なのこの暑さは!
「セラフィーナ様。一枚脱がれては如何ですか。お取りします」
「お願いします、パティ様」
どう考えても、大陸を襲っている気候異常は加速しています。このままでは秋播き小麦の収量に大打撃が出るのは確実です。そうなれば、王国は他国への輸出を減らさざるを得ません。自国民を飢えさせる訳にはいかないのです。当然、近年王国からの輸入を頼りにしている大陸諸国は、不満たらたらになるでしょう。
まあ殆どの諸国は、大陸第二の強国である王国と対立はしたくないでしょうから、こらえてくれるでしょうけれど、あの帝国が、侵略を厭わず大陸第一の強国にのし上がったあのロールガルトが、
「アレクシアさんも大変なんですね。それじゃ仕方がない」
と、なってくれるとは到底思えません。きっと王国を併合せんと、軍を、うちの何倍もの力を持つ強力な大軍を差し向けて来ることでしょう。
ああ、ダメ。やはり、王国は大精霊の加護の力無しにはやっていくことは無理。
こうなったら、メイリーネに再び祭壇に上ってもらうしか……って、そんなの絶対ダメ。あの子はまだ本調子じゃない。今の極端な気候異常に対処出来るような大術なんて使ったら、また倒れかねない。
どうしたら……、
どうしたら良いの……。
どうしたらーー!
と、頭をパニくらせていた時、入り口の扉が、バタン! と開き、一人の女性、二十歳くらいの女性が入ってきました。あれ、精霊廟にこんな人いたかしら? 外からの人?
「よう、セラフィーナ! パティとやらを紹介してくれ!」
彼女のフランク過ぎる第一声に、私達は戸惑いました。
偉そぶる訳ではありませんが、筆頭公爵家、アリンガム家の者である私達は、このような礼儀無しの口調で話しかけられることは滅多にありません。相当親密な関係の方からでない限り、こんな雑なのはありえないのです。
それに……。
パティ様が顔を寄せて来られました。
「お知り合いの方ですか?」
「いえ、知り合いではないです。ないのですが……、知っている人のような気も……。うーん」
「記憶力抜群のセラフィーナ様にしては、珍しいですね」
「ええ、まあ……」
祭壇へと上り、こちらへと近づいてくる彼女を見ながら、この気持ち悪い感触を払拭すべく、あの人でもない、この人でもない、と記憶の山を辿ったのですが該当する人物が思い当たりません。
おかしいなー。こんな可愛い見目の方なら、普通覚えていると思うのだけれど……。ほんとおかしい。(彼女は少しパティ様に似ていました。顔の系統が同じです。つまり、私好みの顔ということ)
ついに、目に前に立った彼女に、パティ様が聞いて下さいました。
「私がパティですが、どちら様でしょうか? よろしかったら、お名前をお聞かせ下さいませ」
「やはりそなたがパティか! 確かに、聞いていた通りの可愛い顔をしておる。そこらの有象無象令嬢なら簡単に勝てるな。まあ私に比ぶれば、半分くらいの可愛さだが、それでも十分だ。誇って良いぞ」
「はあ、それはどうも。ありがとうございます」
パティ様は穏便に流されましたが、私はムカつきました。
私の最愛のパティ様に向って、自分の半分くらいの可愛さだなんて。パティ様の方が、貴女なんかよりずっと可愛い! 断然可愛い! 何妄言吐いてるのよ。(こんな女。一瞬でも可愛いと思ってしまった私のバカ。バカ! バカ! バカ!)
「ちょっと貴女。いきなり入って来て失礼じゃない。だいたいパティ様は、『どちら様?』お聞きしているでしょ、まずはそれに答え――」
「五月蠅いのー、セラは黙っておれ。私は今、パティと話をしている」
「なっ」
無礼さの加速に、あっけにとられ、言葉が続きません。その間にも、彼女はパティ様に「何故、こやつを選んだ?」「顔にだまされたか?」「人生一度は立ち止まって考えてみるべきじゃぞー」などと畳み掛けています。
「いえ、それは、その……。貴重なご意見頂き……」
パティ様も大変困っているご様子。
腹立たしい、とっても腹立たしいのですが、何故か、彼女に「いい加減にして下さいませ!」と、声をあげることが出来ません。
どうしてだろう? どうして……、あ! そうか!
彼女は、あの人に似てるんだ! だから、逆らいづらいんだ。
この少しハスキーな声、この人好きのする可愛い顔立ち、このフランク極まりない口調、どれも、私が半年間お世話になり、全く頭が上がらなくなってしまった彼女にとってもよく似ているのです。
二年半前。私は、お父様に無断で彼女の下へ向かいました。
普通なら「当主の許しを得ていないとはなんたること、とっとと帰れ!」と追い返されるところなのですが、彼女は、己がそう決めたのなら、頑張ってみるが良いと、受けいれてくれたのです。
彼女は、色々なことを私に教えてくれました。
有益なところでは、数々の魔法やその精度の上げ方。彼女の下にいる間に、私の魔法は格段に向上しました。(彼女の魔法に関する知見は素晴らしいです。たぶん、ウェスリーお父様より上でしょう)
無益なところでは、どうでも良いような知識とゴシップ。
「セラ、頭の毛は実際何本あるか知っとるか?」
「フグの毒は魔法で消せるのだが、百回に一回は失敗する。だが、そのスリルがたまらん」
「二代前の王妃様は、痔に悩んでおってなー」
「初代王妃のあのウルスラ姫、困ったちゃんだったらしいな。言っていることが、日をまたげばコロっと変わる。コロコロ、コロコロ、ほんと大変だと書かれた女官の日記が残ってる」
そして、有益とも無益とも判断しがたい、王国や大精霊に対する彼女流の考え方。
「王国は近い将来衰退するだろう。大精霊の加護により豊過ぎる。そのせいで真の活力が生まれない。蒸気機関はどこで生まれた? 紡績機はどうだ? どちらも他国ではないか。今の王国は全てが後追い。情けないにもほどがある」
「大精霊。あやつはちょっとおかしい。あやつの王国への、アリンガム家への執着は何なんだ。おかし過ぎる。セラ、化身となったとしても、あやつとは距離をおけよ。絶対だぞ、絶対あやつに取り込まれるんじゃないぞ」
そんな彼女の名前は、シュテファニア・アリンガム。
私の大叔母上にして、メイリーネの前の代の化身を務められた方。
ようするに先代様。
でも、そんなシュテファニア様の齢は六十過ぎ。「静かに暮らしたい」という彼女の意向により、場所は教えて貰えていないのですが、王都近郊のどこかにある屋敷で余生を送っている筈です。そういう訳で、目の前でパティ様を玩具にしている若き女性がシュテファニア様でないことは明らかです。
明らかなのですが……。
「なんとも触りがいのあるほっぺだのー、うりうり。おー、伸びる伸びる!」
「ひゃめて! ひゃめてくらはひー!」
これ、シュテファニア様に、私もやられたことがあります。彼女、結構しつこいんですよね。堪能し終わるまで、絶対止めてくれませんでした。
「餅か! そなたの頬は餅なのか~!」
「ふひー!」
ダメです。彼女がシュテファニア様ご本人であるとしか思えなくなって来ました。そして、頭にアホな考えが……。
若返りの魔法なんてあったっけ?
バカな妄想を頭から振り払おうと、たまたまよ、たまたま彼女は似ているだけ。他人の空似なんてよくあることよ! と、自分を納得させようとしていた時、またまた、入り口の扉が、バーン! と開かれました。(今日、マナーというものは存在していないようです)。そして、そこに立っていたのは、汗をかき息を切らす巫女頭。
「おー、巫女頭。遅かったな。お前もこっち来い。この新しい玩具で一緒に遊ぼう!」
上がっていた巫女頭の眉が、さらに吊り上がりました。あ……、だいぶ怒ってる。
「貴女様って人は……、ほんと貴女様って人は……、あれほど、今しばらく部屋でお待ち下さいと言い、貴女様も『待っている』と、仰ったのに、どうして勝手に動かれるのですか! 貴女様ほど気ままで信用のおけない人は他におりません、セラフィーナ姫なんて貴女に比べたら天使ですよ、先代様!」
へ? 先代様?
今、確かに巫女頭、「先代様」って言ったよね。言った。
そんな! そんな!!
「天使だなんて、照れるなー」
「貴女様に言ってない! 貴女様は悪魔ですよ、悪魔! 先代様は耳が腐っておられるのですか!」
少し、目頭が熱くなって来ました。
ああ、よく見た。二人のこういう光景、廟にいた頃何度も見た。懐かしい、ほんと懐かしい。自然に呼びかけていました。
「シュテファニア様……」
彼女が、こちらを向いてくれました。
「シュテファニア様なのですね。貴女は、私が化身になれず泣いてばかりいた時、必ず一緒にいて下さった、バカ話ばかりして下さった、あのシュテファニア様なのですね」
「そうだ、シュテファニアだ。漸くわかったか」
シュテファニア様の返答に、苦笑を返さざるを得ません。こんなのわかる訳ないじゃありませんか。
「そのお姿は、如何されたのですか? 神々から聖なる奇跡でも授かったのですか?」
「まさか。この仮初の若さはもらったのさ。人からもらった」
人から?
それに、仮初の若さ……、妙にひっかかる言葉でした。
「あの、もう少しわかりやすいような説明――」
シュテファニア様は最後まで話させてくれませんでした。彼女の手が私の肩に置かれ、
「セラフィーナ、よく聞け」
そして、
「パティも、聞け」
「は、はい」
パティ様。今、頭の中「?」が、てんこ盛りでしょうね。後で、きちんと説明いたします、してもらいますから、もう少しお待ちください。
「お前達は、メイリーネを連れて王都へ帰れ。これはウェスリーの、おっと、ウェスリー閣下の命だ。逆らうことは許されない」
全員で王都へ帰る。思ってもみないことでした。
「お父様の……。で、でも、それでは化身が不在になってしまいます。今、そのようなことをして良い状況ではありません。やはり、私がパティ様と残り、化身に――」
「セラフィーナ!!」
ビクン! となりました。シュテファニア様は、よくしゃべられる方ですが、このような大声を出されることは滅多にありません。
「お前も、メイリーネも、ほんとよく頑張った。三重丸くれてやる。だから帰れ。帰って休め。後は任せろ。化身には私が復帰する」
「復帰ですって!!」
今度は私が大声をあげてしまいました。シュテファニア様は、普通の化身の倍、四十数年にもわたる責を果されました。そんな人に、化身の酷務をもう一度だなんて、あんまりです。
「シュテファニア様。これは貴女のご意志ですか? それとも、お父様のご命令ですか?」
「閣下のご命令だ」
「そうですか……」
下を向かざるを得ませんでした。お父様の娘達への愛は、エゴとなって、シュテファニア様に降りかかったのです。彼女に土下座したい気分でした。
「閣下を責める必要も、お前たちが気に病む必要もないからな。私は、ちゃんと対価をもらっている。もらったからには、その分は働くさ。どうだ、この肌。ほんと艶々だろ、素晴らしいだろ」
シュテファニア様は微笑まれました。
対価……、仮初の若さ……。そういうことか。そういうことなのですね。
自らの不甲斐なさに胸が詰まりました。
お兄様は、私達のために、また手を汚して下さったのです。魔筒の開発だけでも、大変心を痛めているでしょうに。なんて妹思いな方なのでしょう。
お兄様のお気持ちを、ご覚悟を、無駄にするわけにはいきません。私は、がんばって笑顔を作りました。
「そうですね。ほんと素晴らしいです」
「まあ、仮初のだからな。どこまで持つかわからないが、出来る限り長く踏ん張るつもりだ。だから、王都へ帰れ。帰って、パティと二人、人の世を生きろ。生きて人生を楽しめ。セラ」
人生を楽しめ……。でも、でも、それでは前と同じ、メイリーネに化身を託してしまった時と同じ。私の幸せは、どうして大切な人達の犠牲の上でしか成り立たないのだろう…。
シュテファニア様は、また大声を出されました。
「返事は!!」
私は頷くしかありませんでした。
「はい、はい……」