苛立ち。
2023.06.25 台詞の矛盾修正、表現微修正。
セラフィーナ様の掌から力が抜けました。終わりです。私達は、ゆっくりと握りあっていた手を放しました。
「ありがとうございます、パティ様」
「こちらこそです、セラフィーナ様」
セラフィーナ様に笑顔を返した私は、座席に座り直し一息つき視線を外へと移しました。樹齢数百年は下らないだろうと思える大樹の群れが、永遠かのように車窓を流れて行きます。なんて壮大なのでしょう。さすがハイラル大森林。さすが、アレクシア王国始まりの森。
二百年の昔、後にアレクシア王国初代王妃となるウルスラ姫、ウルスラ・アリンガムは、この地で、類稀なる力を持つ精霊、大精霊と出会いました。その大精霊の名はアレクシス。
アレクシスは彼女に大いなる啓示を与えました。
『ウルスラよ、心優しき姫よ。そなたこそが我が求めていた者、気高き未来への礎となる者なり。そなたの恋人、英雄イエルハルド・アリエンスを導き、堕落しきった現王朝を打倒せん、新しき国を建国せん』
ウルスラは戸惑いました。
ウルスラ・アリンガムが姫だったのは過去のこと。当時のアリンガム家は、王朝の謀略により国を乗っ取られ、一地方領主、一伯爵家へと身を落としていたのです。そしてイエルハルドの方も、実家のアリエンス家は男爵家、騎士として数々の武勲を立て、稀代の英雄 と讃えられてはいましたが、自軍を率いる身ではありませんでした。
自らにもイエルハルドにも大きな力は無い、このような二人で、新しい国を為すことなど出来ようものか?
大変悩んだウルスラでしたが、今の王朝の悪政に苦しむ民達のことを思い、アレクシスの啓示を、命を受け入れました。
『承知いたしました、アレクシス様。必ずや新しき国を、イエルハルドと共に見事為してみせましょう』
『重畳なり、ウルスラ』
彼女の決断をアレクシスは大変喜び、大いなる素晴らしき約束をくれました。
『我、大精霊アレクシス。これからは、そなた達と共にあらん! 永遠に、そなた達が作る国と共にあらん!』
こうして私達の国、アレクシア王国は始まりを迎えたのです(このことは王国民の誰もが知っています。子供の頃に親しむアレクシア王国建国草子などで馴染みなのです)。ですから、ハイラル大森林は王国民にとっては、とても大切な地、尊ぶべき聖地なのですが、私がハイラルに抱いた印象は、馬車が切り開かれた道を森の奥へ、精霊廟へと近づくにつれ変わって行きました。
最初は、単なる驚嘆「でっかいなー、大きいなー」だったのですが、今は……
なんて陰鬱な森……。なんて不気味な森……。
に、変わって行きました。
どうしてそう変わったかと言うと、大樹が群れなすこの森林、全く生き物の気配がしないのです。沢山いるであろう鳥や獣達も全然姿を見せず、その鳴き声を聞くこともありません。木々を渡る風以外、音を出すのは私達一行だけ、生気を放つのは私達だけなのです。
そのあまりの寂寞感に悲しくなってしまった私は、セラフィーナ様に問いかけてしまいました。
「セラフィーナ様。この森はいつもこのようなのですか? いつも森全体がこのように静まり返っているのですか?」
「ええ、いつもこんな感じです」
「何故なのです?」
セラフィーナ様の美しい顔が悲し気に歪まれました。あれ、私の質問不躾だった? こんな質問しなきゃ良かった?
「加護のせいです。化身が放つアレクシスの加護の力の影響です」
「加護の力の影響?」
「化身が住む精霊廟があるこの森には、アレクシスの加護が濃密に降り注ぎます、あまりにも濃密に……。それ故、ここには鳥や獣は住みません。動けない木々以外、皆逃げ出してしまうのです」
セラフィーナ様の話に混乱してしまいました。加護は祝福です、良きものです。それが多いから逃げ出す。矛盾しています。そんな私にアンナが助けを出してくれました。
「お嬢様。『薬も過ぎれば毒となる』というではありませんか。加護の力も同じ、同じなのですよ」
「そんな……」
言葉を続けることができませんでした。そのようなこと全く考えてもみなかったことです。毎度のことながら、自らの思考の浅さに嫌気がさします。
セラフィーナ様が謝って来られました。
「すみません。これは代々化身を受け継いできた我がアリンガム家の責任です。でも、どうしようもないのです。化身は大精霊アレクシスの力の代行者。しかし、アレクシス様本人ではありません。アレクシス様ほど繊細に力を扱える訳ではないのです。どうしても、このような偏りが生まれてしまうのです。ほんとすみません」
そう言って、頭を下げるセラフィーナ様を見ていられませんでした。
「セラフィーナ様、どうか頭を上げてくださいませ。これは貴女が謝ることではありません。貴女達、アリンガム家の女性が悪い訳ではないのです!」
「ですが……」
三年前、セラフィーナ様は、皇太子殿下と恋愛中だった妹御、メイリーネ様のために、公爵様の意向に逆らってまで、こんな陰鬱な森にやって来ました。
二年間。メイリーネ様は愛する人たちと別れ、こんな死んだ森(鳥や獣が住まぬ森、そんな森が生きているといえますか?)で、倒れてしまうまで闘い続けました。
二人はどれほど苦しんだことでしょう。どれほど、アリンガム家に生まれてしまった我が身を嘆いたことでしょう
二人が何か悪いことをしましたか?
アリンガム家の歴代の女性たちが、何か悪いことをしたのですか?
教えて下さいませ、アレクシス様。
どうしてこのような悲しい役目を、彼女達に負わせ続けるのです!
どうしてです!!
大精霊アレクシスへの怒りの感情を止められません。でも、責められるべきはアレクシス様だけでしょうか? 真に責められるべき、より責められるべきは私達、アレクシア王国民全員です。ただ乗りの人達です。
以前、私が「お姉様」と慕うアンリエッタ様とこのような会話をしました。
『アンリエッタ様。夢の中のメイリーネ様は化身のことを「贄」だと言っておられました』
『贄ですか、的確な言葉ですね。でも、もっとわかりやすい言葉でいうと「代償」です』
『代償……』
『ええ、全ての物事において代償無しに得られるものはありません。化身は代償。私達、王国民が大精霊の加護を受け、幸せに豊かに暮らすための代償なのです』
王国民の殆どは化身の存在を知りません。そして、もし知ったとしても、「娘一人が人生を諦めるくらいの犠牲で国が安泰になるなら、それでいいじゃないか。不幸な人生を歩む人は沢山いる。仕方ない、仕方ない。みんなの幸せのためには仕方ない」と、簡単に切り捨てるでしょう。私もあのまま下町で暮らし続け、セラフィーナ様と出会わなかったら、同じように考えたでしょう。
へー、そんな可哀想な人いるんだ。でも、私じゃない。ラッキ~!
だから、私に他の王国民を非難する資格はありません。幸せになること、幸せに過ごすことは大切なことです。人生の一番の目的だと言っていいです。でも、時に幸せは人を残酷にします。とても残酷に……。
ラッキー? 反吐が出る。
自己嫌悪に身体が震えました。
「あらま、こんなに固く結んで……。爪が食い込んでいるではありませんか」
アンナの手が私の拳に添えられ、私の指を優しく解きほぐしていきます。アンナは諭すように、私に言いました。
「パティお嬢様。お嬢様のお手はセラフィーナお嬢様の柔肌をお慰めし、悦楽歓喜をもたらせるためものです。もっと嫋やかに、春風のようにお使いなさいませ」
「ちょ、柔肌をお慰め、悦楽歓喜って……」
思って見なかった彼女の物言いに慌てました。言葉をどう返したものかとなり、セラフィーナ様に助けを乞おうと彼女を見ると、セラフィーナ様の顔は、ゆでダコのように真っ赤。完全に固まっています。
ダメです、私のパートナー。初心過ぎます。
これでは彼女からのキスは何時になることでしょう? 次も私からいかなければならないのか……、ううっ。セラフィーナ様、ふぁいとぉ!
「どうです、力が抜けましたか? 少しは心がおさまりましたか?」
「え、あ、……そういうこと」
彼女の気遣いは、とても繊細です。私のバランスが崩れかけた時、絶妙なタイミングで支えたり、ふんづかまえたりしてくれます。彼女にはほんと感謝しています。(でも、時々主人で遊ぶ悪癖は止めてもらいたいです。全く遊ぶなとは言いません。半分……、出来れば三分の一くらいでお願い)
アンナにお礼を言いました。ありがとね、アンナ。いえいえ、これも専属メイドの務めかと。
そして、私はアンナの対面に座るもう一人の専属メイド、マルグレットに目をやりました。彼女はここへ来るまでの間、聞かれたことには返事を返しますが、会話には殆ど加わらず、押し黙ったままです。
メイリーネ様……。貴女は愛されています、本当に心の底からマルグレットに愛されていますよ。
だから、頑張って下さいませ、マルグレットのために、貴女を愛する皆のために、頑張り抜いて下さいませ。セラフィーナ様と私が……、いいえ、私達四人が貴女をお救いします。
それまで、どうか……。
どうか……。
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前方に、大樹が切り払われ整地された大きな空間が現れました。
私達一行は、そこに突き進み、背の高い石組みの外壁に穿たれた大きな門の前で、停止します。到着です、ついにアレクシス廟、精霊廟に到着したのです。私達四人は馬車を降りました。初めて精霊廟を見るパティ様がびっくりされています。
「凄く大きい、思っていたより全然大きい……、これはもうお城ね、ちっちゃなお城」
ですね。私も初めて見た時はそう思いました。でも、この廟には、化身の他に、化身の世話をし手伝う側巫女、や廟を外敵から守る女性騎士、霊廟専属騎士達、計、四十人あまりが常駐し、暮らしています。どうしても、これくらいの規模の建物は必要なのです。
半年だけですが、ここで暮らしてわかりました。何も無いところで人が暮らすって、たいへんですよ、パティ様。
お兄様の専属騎士、テオドール様が廟内に向かって大きな声を上げられました。
「セラフィーナ姫、パティ姫、ご到着である! 速やかに門を開けよ!」
またまた、パティ様の驚く声が。
「え? え? セラフィーナ姫、パティ姫って何? 私達、王族じゃないよ、殿下じゃないよ。なんだか恥ずかしい、とっても恥ずかしい」
ああ、やっぱりそう思いますよね。精霊廟では、化身を出すアリンガム本家の娘は必ず「姫」「姫様」呼びです(化身となった娘は別です。当然、化身様)。これは精霊廟が建てられて以来、連綿と続く伝統です。こっぱずかしいから止めてよね、で止まるものではないのです。後でパティ様に説明しておきましょう。
ゴゴゴ、ゴゴゴゴ……。
鋼鉄製の大扉が開きました。そして、そこにいたのは、巫女頭(側巫女たちの長)を先頭に、地面にひれ伏す側巫女達。そして、その両翼で直立姿勢をとる霊廟騎士団。
巫女頭は、頭をあげることなく謝罪して来ました。
「姫様。我らがついておりながら、化身様を倒れさせてしまったこと、申し開きのしようもございません。いかなる罰をも受ける所存です。真に申し訳ございません。真に……」
巫女頭の平身低頭に少しいらつきました。三十年近くにわたり化身に仕えて来てくれている彼女は、基本良い人、有能な人なのですが、実直過ぎるきらいがあります。このような時、最初に行うべきは謝罪より、メイリーネの状況の報告でしょう。
「顔を上げてください。貴女方の責任を問うつもりはありません。メイリー……化身様が倒れてしまったことは、化身様自身の判断が甘かったのです。化身様自身の責任です」
違う、メイリーネの責任じゃない。彼女を、そこまでの状況に追いやったのは私、彼女を化身にならせてしまった私。
「この話はもう終わり。今、化身様の容態はどうなのです?」
「はい、化身様は今も昏睡しつづけておられますが、一昨日から呼吸の浅さが顕著になっております。このままでは、持って後一日か、二日かと」
「わかりました。では、早速、治療に向かいます。パティ様、マルグレット、アンナ。行きましょう」
私は三人と共に、精霊廟の門をくぐろうと、精霊廟内へ入ろうとしました。したのですが、巫女頭に止められました。
「お待ち下さい! セラフィーナ姫以外は入れません!」
思ってもみない言葉でした。
「巫女頭、どういうことです! (私以外)廟内に入れないとは、どういうことなのです!」
私は切れました。
「私だってアリンガムの娘。精霊廟には、女性の血縁者以外が入ることを許されていないことは知っています。ですが、今は緊急事態です。そのような慣習に頑なになっている場合ではありません!」
「姫様、私の話を聞いて下さいませ!」
巫女頭の弁明など聞きたくありませんでした。
「確かに、パティ様もマルグレットもアンナもアリンガムの血をひいてはいません。けれど、それがなんだと言うのです、なんだと! 三人は私にとって大切な人、特別な人。当主であるお父様も、マルグレットとアンナを『かけがえのないメイド』と評価していますし、パティ様にいたっては、『これからも娘に寄り添って欲しい』と、アリンガム真正紋を与え、本家の一員に加えられました。こちらにも、そのことは通達があった筈です! なかったとは言わせませんよ、巫女頭!」
この時のことは、後からパティ様に、あのようにきつい調子になる必要はなかったんじゃありませんか? と窘められました。ですが、私は、皆が愚弄されたと思ってしまったのです。自分にたいする愚弄でしたら我慢します。我慢できるのです。
「私が言っているのは、ルールの話ではありません。パティ姫も、二人のメイドも、入ってはいけないのではなく、入れないのです」
「入ってはいけないのではなく、入れない? 意味がわからないわ」
「実際を見てもらった方が話が早いですね。……それにしても、何時からこんなに激しい熱をお持ちになられたのやら。まあ、昔の虚ろな姫様のことを思えば良きことでございましね」
そう言いながら巫女頭は立ち上がり。マルグレットとアンナに門をくぐるよう、廟内に入るよう指示を出しました。指示に従う二人。
「は、入れない……」
「うわっ、気持ち悪! 体が前に行かない、押し戻される! 何これ?? こなくそー!」
マルグレットとアンナは、無意味なパントマイムを繰り返えしただけでした。
「では、姫様。こちらへ来てください」
私は前へと進みました。何の問題もなく中へ入れました。巫女頭は嘘を言ってませんでした。体験してわかりました。これは、結界魔法です。それも通すものを選別するという超高度なもの。今の私に同じ魔法が使えるかというと無理です。こんな凄い魔法を使えるのは……
「……化身、化身様がこの結界を張ったのですか?」
「そうです。でも当然、現化身様ではございません。張られたのは先々代様。先々代の化身様が、精霊廟に危険が、外敵が、迫った時のために仕込んであったものが運悪く発動してしまったのです。多分、術式が、今の化身様の状態を感じ取り、廟の危機だと判断したのでしょう」
先々代様も要らぬことを……、いえ、必要なことだったかもしれませんが、タイミングが悪すぎです。普通の魔法使いの魔法ならともかく、化身の魔法となると私にどうこう出来るものではありません。困りました。
今回のメイリーネの治療は、オーレルムで、パティ様の強化魔法に助けてもらって行った大魔法「大地の癒し」以上の難事です。
それ故、治療は長時間にわたることになるでしょう。つまり、私はパティ様にブーストし続けてもらわねばならないのです。(バフの効果は時間と共に減衰します)
パティ様が私の隣にいることは必須なのです。でも、パティ様は中に入れない……。
「わかりました。では、化身様を廟外へ運んで下さい。外の館で治療を行います。化身様の状態を思えば、このようなことしたくはないのですが致し方ありません」
「姫様。それは無理です」
「無理って、どうしてです!」
ことが全然スムーズに進みません。こんなことをしている間にもと思うと、どうしても苛立ってしまいます。
「聞いておられませんか? 化身様は、加護の力の発動中に倒れられたのですよ」
「あ……」
こんなことも忘れていたなんて……。私は、どれだけ幸せぼけしているんだろう、自己中なんだろう。
「わかりましたでございましょう。化身様は、まだ術を終えていないのです。それ故、化身様の体内には、解き放ちきれなかったアレクシス様の力、精霊力が渦巻いています。そのような状態でアレクシス様と繋がるための聖なる祭壇、アレクシス壇から降ろしたらどうなりましょう」
「降ろしたらどうなるのですか?」
間近くから、私の大好きな甘き声が響きました。
「どうなるもなにも、メイリーネは死んでしまいます。死んでしまうんです、パティ様!」
え? パティ……様?
振り向くと、すぐ後ろにパティ様が立っておられました。巫女頭も側巫女たちも騎士達も、皆、呆然と彼女を見つめております。
「なんだか入れそうな気がしたので、入ってみたら入れちゃいました。アハ!」
2023.07.04 活動報告に『新米男爵令嬢~』SS「二度目のキス」を掲載しました。2200文字以上書きました、シリアス皆無、アホ話。ご興味のある方は是非。
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