これまで通り、今まで通り。
時間軸は少し戻ります。
日の出もまだまだな深夜、自室でぐっすりと眠っていた私は、自身の専属メイドに肩を揺すられました。
「お嬢様、パティお嬢様。起きて下さいませ」
「何よ、アンナ。こんな時間に……。私、昨日も遅かったのに……」
眼をこすりながら身体を起き上がらせ、不満たらたらでアンナを見上げました。しかし、そこには申し訳なさそうな顔はありませんでした。あったのは燭台の明かりに照らされた強張った顔。
「セラフィーナ様より緊急の使いがまいりました。メイリーネ様が倒れられたそうです」
いっきに目が覚めました。
「セラフィーナ様は妹君をお助けするために急遽、精霊廟に向かわれます。それで――」
「私に一緒に来て欲しいということね」
「はい、そうです。お嬢様」
私は凶報に驚いてはいましたが、愕然とまではしていませんでした。
「では、私は出立の用意をしてまいります」
そう言って部屋を出て行きかけたアンナでしたが、扉の前で立ち止まりました。
「存外早かったですね。もう少し長くお嬢様達の幸せが続くことを願っておりましたのに……、残念です」
「アンナ。貴女は私と同じ結論に達しているのね」
「はい、お嬢様」
アンナは回りくどい言葉は使いませんでした。はっきりと言い切りました。
「メイリーネ様が化身では駄目です、王国がもちません」
アンナは本当に頭が良いです、回転が速いです。少ない情報からでも的確に真実を読み取ります。そんな彼女に比ぶれば、私の頭など低速回転にもほどがあるでしょう。でも、そのように頭のとろい私でも、私だけが知っている情報により、アンナと同じ結論に至っていました。
女神様にお会いして間もない頃、女神様は私に、皇太子殿下とセラフィーナ様の婚約は必ず破棄に持ち込まなければならい。もし、それに失敗すると、この国に悲劇が訪れる、アレクシア王国は滅んでしまう、と仰いました。
この驚愕の予告を女神様から聞かされた時、私は、自身の責任のあまりの重さに打ちのめされるばかりでした。しかし、ここ半年近くの奮闘努力(&幸運、皆の協力)により、めでたく二人の婚約破棄がなされた今、よくよく考えてみますと、何故、皇太子殿下とセラフィーナ様が結婚してしまうと国が亡びてしまうのでしょう?
セラフィーナ様が、阿保馬鹿性悪スットコドッコイ令嬢で、とんでもない暗愚な王妃になってしまうとかなら、なんとかわからないでもありませんが……。
私は一生懸命、王国が滅んでしまう理由を考えました。そして、一つの結論に達しました。(女神様に尋ねようとは思いませんでした。どうせ「下界生物にそれを教えるのはねー」です)
ああ、メイリーネ様じゃ駄目なんだ。彼女はアレクシスの化身としては力不足、化身はセラフィーナ様がならなければいけないんだ。
だから、女神様は皇太子殿下とセラフィーナ様の婚約を破棄に持ち込むよう、私に命じたんだ。
セラフィーナ様によると、化身になるには二つの要件が必須。一つはアリンガム本家の娘であること、そしてもう一つは、乙女であること。つまり婚約破棄が為されず、セラフィーナ様が皇太子妃となり、殿下とことを為してしまった後では、セラフィーナ様が化身となる道が閉ざされる。不可能になってしまうのです。
私はこの結論に心を痛めました。もし、セラフィーナ様が化身となってしまったら私達の関係はどうなるのでしょう。私もハイラル大森林にあるという精霊廟へ、セラフィーナ様と一緒に行けるのでしょうか。
私とセラフィーナ様は永遠に共にあることを誓い合っています。
でも、もし行けないとしたら……、離れ離れになってしまうとしたら……。私は耐えられないでしょう、世界を、運命を、呪うでしょう。呪いに呪った挙句、気が狂ってしまうでしょう。滅べ、滅ぶがいい! セラフィーナ様と生きられぬ世界など灰燼と化すがいい!
こら待て、私! どうしてそんなに先走って絶望するの、とにかく待ちなさい!
闇落ちしかける心を懸命に宥めました。
この結論には瑕疵があるわ。大きな瑕疵が!
そうです。私が下した結論には矛盾があります。セラフィーナ様は以前、メイリーネ様のために化身となろうとしましたが、なれませんでした。大精霊アレクシスはセラフィーナ様を拒否されたのです。だから、私の心配は取り越し苦労。無意味そのものと考えるのが普通でしょう。
ですが、大精霊の拒否は、何か理由があっての一時的な拒否ではないかと、私には思えて仕方ないのです。だって、妹のメイリーネ様は、魔法体力知力等、あらゆる面でセラフィーナ様に劣っていると聞いています。そのメイリーネ様が化身に成れたのに、セラフィーナ様が成れないなんておかしいです。理屈としてとおりません。
「ねえ、アンナ。私、セラフィーナ様と離れ離れになりたくない。そんな未来は絶対嫌。どうしたら良い? 頭の良い貴女ならわかるでしょ。私はどうしたら良いの?」
助けを求めました。心細いのよ、恐ろしいのよ、アンナ!
「これまで通りなさいませ」
「え?」
「これからも今まで通りになさいませ」
「貴女の言っている意味がわからない。ちゃんとわかるように言って、他人の頭を自分と同じように考えないで」
自分の頭の悪さに苛立っての叱責。最低ですね、私。
「ではもう少し丁寧に言いましょう。はっきり申しまして、お嬢様がどうすれば良いかなど私にも全くわかりません。ですから、これまで通りになさいませ、今まで通りになさいませ。今まで通り、今をセラフィーナ様と共に懸命に生きて下さいませ。私にはこれしか言えません」
「これまで通りにしたら、このまま頑張り続けたら道は開けるの?」
アンナは、ゆっくりと首を振った。
「どうでしょう。開けるかもしれませんし、開けないかもしれません。たぶん開けない確率の方が高いでしょう」
「だったら――」
「ですが! 私はこれからもパティお嬢様を支え続けますよ。お嬢様がセラフィーナ様と共にあれるように一生懸命貴女を支え続けます。それでダメですか? 私なんかの応援では貴女の力になりませんか?」
アンナのあまりの優しさに、熱いものが胸にこみ上げてきました。
「どうしてアンナは私に、そこまで尽くしてくれるの、思ってくれるの? ねえ、どうして?」
「さあ、何ででしょうね……。多分、お嬢様の専属でいることが楽しいから、お嬢様と過ごす時間が幸せだからでしょう。私は基本ケチなんです。掴んだものは、そうそうのことじゃ手放しませんよ。覚悟くださいませね」
「もう、アンナったら!」
笑って誤魔化すしかありませんでした。そうしないと嬉し涙が隠せません。
「さあ、急いで支度致しましょう。セラフィーナ様の馬車が来られるまでそんなに時間はありませんよ」
「そうね、セラフィーナ様はメイリーネ様の下へ一刻も早く向かいたい筈。私達のせいで出立が遅れるなんてことあってはならないわ」
この後、私達はドタバタしまくり、そのドタバタのおかげで、なんとか用意が整いました。そして今、旅行用のオーバーコートに身を包んだ私とアンナは、玄関前に出て、皆(お祖父様、お祖母様、オブライエン)と共にセラフィーナ様の到着を待っています。
空が白んできました。もうすぐ夜が明けます。
「アンナ」
「何ですか、パティお嬢様」
「私、貴女が言ってくれたように、これまで通りにがんばるよ。セラフィーナ様の明るく元気で可憐な恋人として、今まで通り一生懸命セラフィーナ様を支えるよ」
「そうですね。それが良いと思います。けれど、自分で『明るく元気で可憐な恋人』とか、普通言いますか?」
「良いでしょ事実なんだから。セラフィーナ様に聞いてみなさいよ、全肯定してくれるわ」
「はいはい。セラフィーナ様ならね。では私も、これまで通り『掴みどころのないメイド』、今まで通り『なぜか主より偉そうな態度のメイド』とまいりましょう」
「何よそれ。『有能メイド』とか『万能メイド』とか言うと思ったのにー」
「有能? 万能? 勘違いなされてはいけませんよ、お嬢様。私はダメ人間、未だ誰一人幸せに出来たことのないダメダメ人間です」
そう言って、アンナは淋し気に笑った。