貴女の名と共に。
2022.06.02 瞳の色の誤記を修正。
2022.06.03 微調整。
会場のお客様方に、お父様が告げて下さいました。
「皆様。パティが今宵のお礼に……、皆様の温かいお心に対するお礼に、歌を一曲披露したいと申しております。本職の歌に比ぶれば拙いでしょうが、心を込めて歌うそうなので聴いてやって下さいませ」
お父様が「本職の歌に比ぶれば」と言ったのは、今回のパーティーには楽団と共に歌姫も呼んでいたからです。
大きな拍手が起こりました。
まあ、これは当然の反応でしょう。今日来られているお客様方には、学院の演劇祭を観劇された方が多数おられ、パティ様の見事な歌唱を知っておられるのです。そして、知っておられない方も話程度は聞いておられるのです。
「私達、幸運でございますね。侯爵夫人」
「ですわね、伯爵夫人。ロンズデール嬢の歌唱は演劇祭でも一番注目を集めたと聞いています。楽しみですわ。きっと素晴らしい歌声を、歌姫にも負けない歌声を聴かせてくれることでしょう」
歌姫にも負けない歌声……。
お父様! どうして「本職の歌に比ぶれば」なんて言ったのです。ああいう言い方は逆に期待を煽ってしまうのです。ううう。
悲しいかな、パティ様の歌が素晴らしいのは私が魔力をお渡しした場合のみ。だからお渡ししていない今は絶対止めるべきなのです。ですが、パティ様ご自身が大丈夫と言ってられますし、今日、私にだけ聞こえてくる謎の声(多分これは私の深層心理のものでしょう)も「心配することは無い、彼女は特別」と言ってくれています。
それに、もう譲渡魔法を行う時間はありません。パティ様を、謎の声を信じるしかないのです。私に出来るのは神頼みのみ……。
ああ、神様!
どうかパティ様の音程がグルングルンしませんように! 会場が大爆笑の地獄になりませんように!
パティ様が楽団の横に立たれました。目の前には、百名を超える高位貴族。それなのに、彼女に緊張の色は全く見えません。いつも私を蕩けさせてくれる愛らしいそのお顔には、穏やかな笑みを浮かんでいます。パティ様は皆様に向かって一礼をしました。そして……。
「皆様。私、パティ・フォン・ロンズデールは故あって平民街で育ちました。全く貴族社会の慣習も礼儀も知らない娘でした。けれど、そのような私でもセラフィーナ様は『友』、それも『終生の友』と呼んで下さり、公爵様は私の後見人にまでなって下さいました。そして今宵は、皆様にも……」
パティ様は胸の前で手を組み合わせ、目を微かに伏せられました。
「私は今、幸せです。この幸せが、この皆様とのご縁が、永遠に続くことを願って、皆様も良くご存じの曲を歌わせていただきます」
パティ様が視線を上げられました。その視線の先は当然私と言いたいところですが、今回は違います。彼女の零れんばかりの大きな金糸雀色の瞳の向かう先は、私の叔母様。王妃マティルダ陛下。
「聴いて下さいませ。オールド・ラング・シンス(久しき昔から)」
パティ様から「オールド・ラング・シンス」を謳うと聞いた時、私は、素晴らしい選曲をなされたと思いました。
だって、オールド・ラング・シンスは、友情の歌、
ぶっちゃけていえば、ずっと友達だよ! の歌なのです。誰だって、こうありたいと願ってしまう歌なのです。
マティルダ叔母様。
今回のパティ様への叔母様の無茶ぶりの元は、私なのでしょう。いえ、違いますね。本当の元はお母様、マティルダ叔母様の親友たるソフィアお母様。
お母様のことをそこまで思って下さってありがとうございます。いくら感謝してもしきれません。ですが、私はお母様とは違う人間です。幾ら姿かたちが、そっくりでも違う人間なのです。
一度、皇太子殿下との婚約を承諾しておいて身勝手なのはわかっています。どんな罰でも受けましょう、どんな罰でも……。
ですから叔母様。どうか許して下さいませ、どうか……。
楽団が演奏を始めました。今回呼んだ歌姫もですが、楽団もまさしくプロでした。彼らの素晴らしい技量ならパティ様の歌声を見事に彩ってっくれることでしょう。
繊細なピアノ演奏とフルートの優しい音色に乗って、パティ様が歌い始めました。
ガーン!
何なのです、何がどうしたらこうなるのです! 出だしのタイミングも完璧ですし、危惧していた音程もこれ以上無いというくらい正確です。それに、声の伸びも驚くばかり。私は自分の歌をかなりのものだと自負しておりますが、今のパティ様と比べるとどうでしょう。多分、負けます。負けてしまいます。
パティ様……、ほんと貴女は何なのです。何度私を驚かせてくれるのです。
「おお、ロンズデール嬢の歌唱力はこんなに素晴らしかったのか!」
「なんて澄んだお声、なんて可愛らしきお声……」
驚嘆の声、称賛の声が各所で囁かれましたが、すぐに静かになりました。皆、聴き入りたかったのです。雑音を入れたくなかったのです。
パティ様の甘やか歌声は、しっとりとした情感を乗せて、物語を、人生を、友情を、紡いで行きます。
私達は幼き頃より共にあった。
川のせせらぎに遊び、花咲く野原で
笑いあった。
一生、共にあると思っていた。
私達は、世界を知らなかった。自分達が
ある場所それだけが世界だと思っていた。
そんな愚かな私達に世界は牙を向けた。
村は荒らされ、街は焼かれた、
君は旅立ちを決意した。
「ああ、友よ。どうして一人行こうとする
のだ。私を、旧友を残してゆくのだ」
「私のことは忘れてくれ。旧友など、時の
流れに消え去って行くもの、忘れ去られて
行くものだ」
「消えるものか、忘れるものか、そんなこと
あって良い訳がない」
君が海の向こうへ行ってしまった後、
私は荒れた。毎晩、酒場で管を巻いた。
そんな荒んだ生活の中でも、私は信じ続けた。
君は何時か帰って来てくれる。
扉を叩いてくれる。
その時、私は君に言うのだ。
笑って言うのだ。
「まずは手を握ってくれ、友よ。そして、
杯を酌み交わそう。我らの友情の杯を!」
歌詞の一番が終わりました。パティ様の素晴らしい歌唱は皆の心を掴みました。涙ぐんでいる方さえおられます。私はもう我慢が出来ませんでした。私はパティ様の下へ駆け寄り、パティ様に目で訴えました。
『私も一緒に、パティ様と一緒に!』
そんな私にパティ様は、私の大好きなあの愛らしい笑みと共に手を差し出してくれました。私は手をとりました。
私は放さない、この手を絶対放さない!
+++++++++++++++++++++++++
アイリス、私の侍女をしてくれているアイリス・フォン・マコーリーが囁いて来ました。
「姫殿下。セラフィーナ様もパティ様も私達と同い年で、この上手さ。嫉妬してしまいますね」
「ほんとね。神々はどうして彼女達に二物も三物もお与えになるのかしら、嫌になってしまうわ」
ほんと嫌になってしまう。でも、私の耳は、私の心は、彼女達の歌をもっと聴きたい、もっともっと! と希求するのです。
二人の美しいハーモニー。なんと心を揺さぶってくることでしょう。なんと心に力を与えてくれることでしょう。皆、もう釘付けです。
私は母上に、マティルダ陛下に言いました。
「母上。勝負はつきましたね、母上の負けです。もうあのような意地悪はお止め下さいませ」
「イルヴァ。私は負けてはいません。私はパティにセラフィーナと一緒に歌えなどとは言っておりません。これは卑怯です」
心の中で苦笑しました。母上らしい。
母上は負けず嫌いです。つい何時も意地を張ってしまうのです。もっと素直になれば良いのに……、って、いえいえ、私も母上同様の意地っ張り。人のことを偉そうに言える立場ではございません。ですが、同類のよしみ。意地っ張り仲間の母上のために、一肌脱ぎましょう。
固く握りしめられた母上の手に、自らの手を重ねました。
「母上。仲良く手をとりあい歌う彼女達を見て下さい。まるで昔の母上とソフィア様、お二人とそっくりではありませんか」
セラフィーナの母上、ソフィア様は母上の大親友。在りし日は、母上を王宮によく訪ねて下さり、母上と一緒に歌を歌っておられました。
『マティルダ。貴女、公務にかまけて全く歌っていないんですってね。貴女の素晴らしい歌声を錆びつかせるなんて以ての外。さあ、一緒に。ラララ~!』
母上が私の言葉に反発されました。
「何を馬鹿なことを言っているのです、イルヴァ。私とソフィアがあの二人とそっくり? ソフィア似のセラフィーナはともかく、私とパティでは似ても似つかないではありませんか」
「そうですね。そうかもしれませんけれど、共通点もございますよ」
「共通点? それは何なのです」
「はい、母上。それは瞳です。お二人の持つ金糸雀色の瞳です」
「金糸雀色の瞳……」
母上には予想外の答えだったのでしょう。言葉が続きません。
「そうです、金糸雀色の瞳を持つ者はめったにおりません。いても千人に一人いるかどうかでしょう。それなのに、ソフィア様の隣には金糸雀色の瞳をもった母上。セラフィーナ様の隣には同じく金糸雀色の瞳を持ったパティ様。これは偶然ですか、単なる偶然に過ぎないのですか?」
「偶然です、偶然に決まっています」
「理性的に考えれば母上の言う通りでしょう。ですが人には感情があります、意味を求めてしまうのです。私はどうしても重ねて見てしまうのです」
「何が言いたいのです。ちゃんと言葉にしなさい」
母上はほんと意地っ張り。もうとうにわかってる筈なのに……。私は心を鬼にしました。
「わかりました。言葉にします。ソフィア様の隣に母上がいたように、セラフィーナ様の隣にいるべきはパティ様なのです。決して母上ではございません」
母上は固く目を閉じられました。多分、涙が出ないように我慢なされているのでしょう。
「母上。セラフィーナ様をパティ様に託しましょう。母上と同じ金糸雀色の瞳を持つパティ様に……、母上がソフィア様に思ったように、彼女は心の底からセラフィーナ様のことを思っていますよ」
ついに、一筋の涙が母上の頬を伝いました。
ソフィア様の死後、母上は歌を歌わなくなりました。
『私、マティルダの声が、歌が、好きなの。好きでたまらないの。だからこれからも一緒に歌ってね。ずっとずっと私と一緒に…………。ね、マティルダ。私のマティルダ』
ソフィア様。母上のことを好きでいてくれてありがとうございます。母上も貴女が好きで、好きでたまりませんでした。ですが、もうそろそろ良いでしょう。母上をこちらに戻させて頂きます。
母上は、この七年間。貴女の死を悲しみ続けて暮らして来ました。これ以上の愛の示し方がありますか? 無いでしょ、無いでございましょ。
私は母上に問いかけました。
「母上、パティ様がこの曲『オールド・ラング・シンス』を選んだのはどうしてだと思いますか?」
「それは皆が知っている曲。人気がある曲だからでしょう」
「そうですか? 本当にそう思われるのですか?」
「……」
オールド・ラング・シンスのテーマは『永遠なる親愛」。パティ様は母上に向けてこの曲を選らばれたのでしょう。
母上、ソフィア様はもうおられません。ですが、母上がソフィア様と共に過ごした時間は、消えてなくなるものではありません。永遠なのです。セラフィーナ様にソフィア様の影を追い求める必要など全くないのです。
「母上、お願いがございます」
「願い……、言ってみなさい」
私は母上を真正面から見つめました。こんなにしっかりと母上を見つめたのは何時以来でしょう。
「私も、私も母上のお歌を聴きとうございます。心から聴きとうございます、母上!」
+++++++++++++++++++++++++
私とセラフィーナ様の歌唱は、見た目的には大成功でした。皆、心から聴き入ってくれ。友が戻ってくれた後のことを謳う四番からは、歌姫も参加して下さり大いに盛り上がりました。そして、最後の五番にいたっては大広間のお客様も、警護の騎士様達も一緒に歌う大合唱状態に……。
何とも嬉しく、セラフィーナ様ともども顔をほころばせ続けました。
でも、本当の目的はマティルダ陛下のお心を掴むことです。どうだったでしょう。
私達は陛下の下へ向かいました。ドキドキです。
「パティ、そしてセラフィーナ。素晴らしい歌唱でした。とても感心致しましたよ」
「ありがとうございます、陛下。それでお歌の約束の方は……」
これが重要なのです。これが為されなければ、ミドルネームの件をかき消すことは出来ません。
「私の歌の件ですね。王都に戻ったら今度一度王宮にいらっしゃい。その時に聴かせてあげましょう」
やった、やった、やりました!
これで一件落着~!
…………になると思ったのですが、マティルダ陛下がなんとも意地悪そうな顔になられました。
「そうそう、ミドルネームの件についても話さないといけませんね」
「ええっ! あれは無しになったんじゃ……」
「誰が無しにするなんて言いました? 私はそんなことは一言も言ってませんよ」
「そんなー」
安堵からの絶望への急降下、私はもうワチャワチャでした。王妃様、マティルダ陛下に向かって「そんなー」だなんて、今から思うと冷汗が止まりません。
「安心しなさい。もう『ソフィア』を貴女に与えるのは止めにします。将来生まれるであろう孫娘にとっておきます」
「そうでございますか。それなら……」ほっ。
「貴女には別の名前を与えましょう。今度は文句言わせませんよ」
文句など言いません。セラフィーナ様のお母様のお名前である「ソフィア」以外なら何でも、エリザベスであろうが、アンであろうが、ヴィクトリアであろうが、メアリーであろうが、ポンポコピーであろうがドンとこい! です。
いや、さすがにポンポコピーは嫌かも。
「その名前とはマティルダです。これからは、パティ・マティルダ・フォン・ロンズデールと名乗りなさい」
「ちょ、ちょっと待って下さいませ。マティルダは陛下のお名前ではありませんか! そのような御名、畏れ多くて名乗れません。お考え直し下さいませ、陛下!」
「駄目です。最初に文句は言わせませんよと言いました。潔く受け取りなさい」
ガーン。
私は陛下の言葉に思わずよろけそうになってしまったのですが、それを支えてくれたのが、セラフィーナ様……、ではなくイルヴァ殿下でした。
「パティ様。母は貴女に、自分の名と共にセラフィーナ様の隣に立ってもらいたいのです。どうか母の願いをきいてやって下さいませ、母の名を貰ってやって下さいませ。そして、母の名と共に、セラフィーナ様を支えてあげて下さいませ」
私はその場にうずくまってしまいました。
だって、だって、あまりの幸福感に、心が、身体が、耐えられなかったのです。
どうして皆、こんなに優しいのでしょう? こんなに心が温かいのでしょう?
ねえ、女神様。教えて下さい。
どうしてですか?
どうして私の周りは、こんなに愛に溢れた人達ばかりなのですか?
教えて下さいませ、
女神様。
妖精さん姿の女神様は、何も言ってくれませんでした。優しい笑みをくれるだけでした。
お分かりの方も多いと思いますが、作中の「オールド・ラング・シンス」はスコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン(Auld Lang Syne)」をイメージしております。
この有名な民謡は日本でも「蛍の光」として知られていますが、原曲は、蛍の光のような別れの歌ではありません。友情の歌、ずっ友の歌であります。