閑話 ・ ままならぬもの。
2021.10.09 キャサリンの台詞等修正。
皆さん、こんにちは。
私はアンナ。平民ですので姓はございません。
パティお嬢様、ロンズデール男爵家御令嬢パティ・フォン・ロンズデール様の専属メイドをさせてもらっています。まあ、させてもらっているとは言いましても、お嬢様との生活は、まだ半年にも満たないものです。
しかし、お嬢様が色々なことをやらかす……、もとい、なさって下さいますので濃密な時間を過ごせていただきました……というか、濃密な時間は今も継続中。それらについてはパティお嬢様本人や、お嬢様の最愛の君、セラフィーナお嬢様が語って下さいますでしょう。
え、それじゃ、お前は何のために、しゃしゃり出て来たのか? ですか。さあ、何でしょうね、フフフ。ですが、出て来たものは仕方ありません、閑話でも語りましょう。少しの間お付き合い下さいませ。
これは、私が如何にしてお嬢様の専属になり、如何にしてお嬢様に落とされたか、という話。
私が母の影響でメイドになったのは十二歳の時、それ以来メイド稼業一筋はや六年。数軒のお屋敷を渡り歩き、今のロンズデール男爵家に来る前は、とある侯爵家にお世話になっておりました。
「アンナ、旦那様の部屋のお掃除は?」
「終わりました」
「お嬢様のお着替えは?」
「終わりました」
「奥様のお茶会の準備は?」
「終わりました」
「お坊ちゃまのお洋服のアイロンがけは?」
「終わりました」
「終わりました」
「終わりました」
「終わりました」
「終わりました」
「終わりました」
……
「お嬢様のお手紙の代筆は?」
「終わりました」
「ちょっと見せてみて。うわっ、何、この流れるような文章。それに、筆跡まで完璧……。貴女、何者なの?」
「何者って、メイドですよ。しがないメイドでございます」
それなりに働きを評価され、元気にメイド、主にお嬢様達のお世話をさせていただいていたのですが少々不満もありました。それは、お世話をするお嬢様達が小さな大人になってしまっていることです。
彼女達、高位貴族の御息女たちは幼少の頃から厳しい躾や教育を受けて育つため、十を越える頃には貴族令嬢として殆ど完成しております。それは家にとっては良きことでございましょうが、私としては面白くありませんでした。
だって、そうでしょう。完成してしまっているということは伸びしろがないということです。人となりを把握してしまえば、彼女たちに驚かされることはありません。
たぶん、お嬢様たちはこう考えるだろう。
たぶん、お嬢様たちはこう動くだろう。
私の予想のまんま、彼女たちの令嬢ライフは続いていきます。意外性の欠片もありません。退屈きわまりないです、なんだかなーです。
そのような不満を抱えつつ侯爵家で仕事を続けておりましたが、母を通じてロンズデール男爵様から孫娘の専属メイドになってくれないか、とのお誘いを頂きました。
私の母は筆頭公爵家アリンガム家のメイド長。アリンガム公爵の友人であるロンズデール男爵とは顔見知り。その縁でです。
「どうだい、アンナ。ロンズデール家へ行ってみない?」
「うーん、そうねー」
私は逡巡しました。
「男爵家ってところが不満かい? でも、ロンズデール男爵様は良き方だよ、だから公爵様も年も家格も全然違うのに友達付き合いなさってる。それに、お給金も今のところよりもずっと良い。私は悪い話ではないと思うわよ」
母は私がロンズデール家の家格が低いことを気にしてるように思ったようですが、そのようなことは私にとって、どうでも良いことでした。気になったのは私がお世話することなるお嬢様のお年、年齢でした。そのお嬢様は十四歳、婚約者も決まり始めるお年頃。もう貴族令嬢としては完成してしまっているでしょう。
そのような方の専属になっても、私が望んでいるワクワクドキドキのメイドライフが送れるとは思えません。
「せっかく、母さんが持ってきてくれた話だけど……」
「まあ、アンナの気が乗らないのなら断ったらいいさ。給金が良いのも理由がある。ロンズデールのお嬢様、屋敷へ来たのは一か月ほど前、それまで下町で育ったっていうからお世話をするのは大変さね」
「ちょ、ちょっと待ってよ、母さん。今、なんて言ったの?」
「お世話するのは大変……」
「その前よ、その前!」
「下町で育った……」
気乗りの無さは、一気に吹き飛びました。
「受ける! 私、ロンズデール嬢の専属、受けるわ!」
「そうかい、そうしてくれると有難いよ。男爵様に顔が立つ。でも、どうして急に受ける気になったんだい?」
母は私の掌返しに戸惑ったようです。
「だって、燃えるじゃない」
「燃える?」
「下町で育ったということは平民として育ったということ。つまり、ロンズデール嬢は貴族令嬢としての完成度は、ほぼゼロ……、いいえ、マイナスと言って良い、殆ど野猿、野生の雌猿状態よ」
「野猿、雌猿って、もう少し言葉を選びなさい、アンナ」
母に叱られましたが、気にしません。拳を掲げ堂々と宣言しました。
「母さん、見ててね。私、野猿……もとい、ロンズデール嬢を、いっぱしの男爵令嬢にしてみせるから。ううん、違う、そんなレベルじゃない。艱難辛苦を乗り越えてでもしてみせる、史上最高の男爵令嬢に! 私のこの手で!」
「……まあ、がんばりな。しかし、あんた時々、熱いわね、暑苦しいわ」
母が少々あきれていましたが、気にしません。
こうして私はロンズデール嬢、パティお嬢様の専属メイドとなることになったのですが、初めてお嬢様に会った時、その素材の良さに驚きました。
手足の長さが程良い中肉中背、明るい赤毛が華を添える、クリッとした金糸雀色の瞳が印象的なお顔は愛らしさに溢れています。そして、お声も甘いというかなんというか、とっても可愛らしいお声。この声でモーションをかけられたら、普通の男性など一発で落ちてしまうでしょう。まあ、同性受けは? でしょうが、私は大好きです。
私は心の中で歓声を上げました。これほどまでのアドバンテージがあれば、私の手でパティお嬢様を史上最高の男爵令嬢に! という夢も、そう荒唐無稽なものではありません。後は、私がお嬢様を一生懸命サポートし導けば、彼女は素晴らしき令嬢となり、素晴らしき幸福を得られるでしょう。
パティお嬢様は直ぐに私に馴染んでくださいました。
お嬢様は愛嬌のある楽しい性格故、屋敷の皆に好かれ、ロンズデール男爵御夫妻に至っては、溺愛の一語です。なんと幸せな娘なんだろうと思いました。そして、危惧しました。
パティお嬢様は、愛され過ぎ、大事にされ過ぎ。このままじゃ増長してしまうかも? 増長したら、性格が悪くなってしまったら……、お嬢様は幸せにはなれない。私がきちんと導かなきゃ!
…………と、深く深く危惧していたのですが、ある日、お嬢様が仰いました。
「ねえ、アンナ。私の今の生活をどう思う? 貴女みたいな優秀な人を専属メイドにつけてもらってさー。これってちょっと幸せ過ぎじゃない?」
「そうですねー。私が優秀な専属かはさておき、パティお嬢様の今は幸せであることは確かですね。それは良きこと、べつだん気に病むことではありませんよ」
私はホッとしていました。お嬢様は、きちんと自分の状況を客観視出来ています。
「私ね、弟と妹がいるの。下町で今もお父さんとお母さんと一緒に慎ましやかに暮らしてる。二人が出来る贅沢っていったら屋台の駄菓子を買うくらい。それも週に一度買えれば良いほう」
パティお嬢様の御実家のことは奥様から伺っておりました。お嬢様のお母様、スカーレット様は男爵家令嬢の地位を捨てて平民に嫁いだとのこと。最初の子供を男爵様に差し出すという約束をスカーレット様がしたにしろ、よく男爵様が許したものです。普通無理です。
「なのに私は、一番上だったというだけで、大きなお屋敷に住んで、綺麗な服を着て、美味しいもの沢山食べて、お祖父様、お祖母様に可愛がられ、皆にもとても良くしてもらってる、人の人生って不公平過ぎよ」
「不公平……。まあ、それはそうかもしれませんが」
私はお嬢様より年上です、少しお姉さんらしいことを言ってあげましょう。
「人の幸せはそんなに簡単に測れるものではありませんよ。人生はコイントスではないのです、お嬢様」
「コイントス? 表、裏、幸せ、不幸せ、という風に切り分けられないってこと?」
私は頷きました。パティお嬢様は地頭も良いです。なんて優良物件なんでしょう。
「これは、以前のメイド仲間の話、友人の話なんですが聞きたいですか?」
「聞きたい、勿論、聞きたい!」
と、嬉しそうに首を縦に振るパティお嬢様に心の中で謝りました。
ごめんなさい、お嬢様。友人の話というのは嘘。これは私の話、私と妹の話……。
「友人、彼女には少し年の離れた妹がいました。私も会ったことがありますが、亜麻色の艶やかな髪が美しいそれはそれは可愛い子で、友人は妹をとてもかわいがっていました。ですが、その子は七歳の時、養女に出されたんです」
「養女? どうして?」
「彼女達の父親が流行り病で亡くなったんです」
五年前、王国を悪質な疾病が襲いました。多くの人が亡くなりました。王都だけでも千人近くが命を落としたと聞いています。
「妹には、その可愛い容姿のおかげもあってか、子供の無い夫婦、それも大店の主夫婦から是非養女にという話が前々からあったんです。友人の母親は、よくよく考えた末、片親の生活をさせるよりは実の親でなくても両親のいる生活を、と思い彼女を養女に出すこと決めました。でも、それは間違いでした、大失敗でした」
「大失敗ってどういうこと? その大店の商売が悪くなって潰れたとか?」
「まさか。その店の商売は妹が養女にいった後も絶好調、今では王都でも指折りの豪商、貴族が霞む大金持ちですよ。悪くなったのは店ではありません、人です。妹の性格です」
ああ、キャサリン。あなたはなんて愚かな娘なの、なんて愚かな……。
「待望の子供を得た店主夫婦に、徹底的に甘やかされた友人の妹は、傲慢な娘に育ちました。とにかく我儘で、その我儘が少しでも叶えられなければ、使用人、立場弱いものに当たり散らします。そして、自らの姉や知り合いの私に対する態度も最低でした。彼女は、通りで私たちに会っても挨拶さえしません。その代わりにくれるのは私たちを蔑んだ視線。人に使われる者を蔑んだ視線です」
メイドとか。(笑)
「酷い、ちょっとその娘、酷すぎる……」
パティお嬢様の声は少し震えていました。そんなお嬢様に私は言わずもがなのことを問いかけました。
「こんなになってしまった娘は幸せでしょうか?」
「幸せな訳ない。自分を可愛がってくれた姉でさえ馬鹿にするような娘には、その心には、幸せは絶対訪れないよ」
「ですね、私もそう思います。結局、私の言いたいことは、ありきたりのことです。人の幸せというのは環境だけではなく、その人の性格、心の持ちように大きく影響されるの……」
「ちょっと待っててね、アンナ。誓約書、書いてくる!」
「え、誓約書? 意味が……」
パティお嬢様はバタバタと部屋を出ていかれ、小一時間たって私の下へやって来ました。
「これ、アンナに渡しておくわ。私がもし、貴女の友人の妹みたいになってしまったら、私を殴り倒して、蹴り倒してくれたって構わない」
「殴り倒す、蹴り倒すって、メイドの私が、お嬢様にそんなこと出来る訳ないじゃないですか」
「だから、それを書いてきたの。お祖父様にも署名してもらってるから効力は保証付き。安心して」
私は、お嬢様に渡された紙の文面を読みました。それは本当に誓約書……もどきでした。
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私、パティ・フォン・ロンズデールが、人としての心を失い、人としての道を外れた行いをするようになった時、専属メイド、アンナ嬢より如何なる制裁を受けようとも私は文句を言いません。そしてロンズデール家も何の補償も求めないことを誓約します。
パティ・フォン・ロンズデール
ハンフリー・フォン・ロンズデール
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「何ですかこれ、こんなんじゃ真面な効力なんてありませんよ」
「え、そうなの?」
「そうですよ。まず、日にちが記載されてません。そして一番にダメなのは文面です。人としての心とか、人としての道とか、厳密に定義付けができない言葉を使ってます。これだったら、お嬢様の方に悪意があれば幾らでも言い逃れ出来ます。私はあっと言う間に監獄行き、恐ろし過ぎます」
「えー、そんなー。お祖父様は何も言わず笑顔で署名してくれたよ」
「効力がないからしてくれたんですよ。子供の遊びか、微笑ましいな、ってことです」
「ガーン!」
「ガーンじゃありません。お嬢様はもう少し言葉というものを、単語の意味というものを、よく考えるべきです。そうでないと……」
などと言いつつ、私の心には温かい気持ちがこみ上げて来ていました。そして、悲しい気持ちも……。
パティお嬢様。
お嬢様はどうして、会って間もない、専属メイドになって間もない私を、そこまで信用して下さるのですか? どうしてそこまで心を開いて下さるのです……。
「うう、わかったわ。色々教えてね、アンナ」
私は、ダメな人間です。実の妹でさえ、真面に導けない。
養女に行った後すっかり変わってしまったキャサリンに腹を立てた私は、彼女を呼び出し叱りつけました。
『今のあんたは何? あんたが今、贅沢な暮らしをして、大勢の人にちやほやされているのは、たまたま大金持ちの養女になれたから、それだけよ。あんたが偉い訳でも、凄い訳でもなんともない。それを勘違いして恥ずかしくないの。お姉ちゃん、恥ずかしい、あんたみたいな妹持ってほんと恥ずかしいよ! キャサリン!』
でも、私の言葉は全く妹に届きませんでした。
『言いたいことはそれだけ?』
『それだけって……』
『ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんが、いくらその賢い頭を回してベラベラしゃべったって何にも変わらないの。私は王都でも指折りの豪商の跡取り娘。それに対し、お姉ちゃんは、人に使われる使用人。しがないメイドに過ぎない、これは変えようがない現実』
『しがないメイドって、お母さんもメイドなのよ。あんた、お母さんまで馬鹿にするの?』
妹は私の問いかけに答えませんでした。
『私、お姉ちゃんのこと好きだったわ。でも、もういい、もうお姉ちゃんなんてどうでもいいよ。だって必要ない、私の人生に貴女は必要ないの。アハハ!』
唖然とするしかありませんでした。人はここまで変われるものでしょうか? 本当にこれが、あの「お姉ちゃん! アンナお姉ちゃん!」と私のスカートにまとわりついていたキャサリンなのでしょうか? 夢であってくれと願いました。ただの悪夢であってくれと……。
しかし、現実でした。本当に変えようがない現実……。
『だからもう、呼び出すのはこれっきりにしてね。お願いよ、アンナさん」
よく人の世はままならぬものと申しますが、真です。血の繋がった実の姉妹でも心は簡単にすれ違ってしまいます。でも、でも、すれ違う心があれば、繋がる心もあるのです。私の世界からキャサリンは去って行きましたが、お嬢様が、パティお嬢様がやって来てくれました。
お嬢様は、慌ただしい方です。色々としでかしてくれます。専属メイドの私はその尻ぬぐいに大忙し。でも、楽しいです、幸せです。だって、お嬢様は私にとって光です、私を色々な世界に導いてくれる煌めく光なのです。
「アンナ、アンナ!」
ああ、またお嬢様がバタバタされております。今度は何ですか? 何でございますか?
「今、セラフィーナ様から伺ったのだけれど、明後日のパーティーに、王妃様が来られるんですって!」
「そうですか。それはそれは」
「それはそれはじゃないわよ! 来られるのは王妃様よ、国で二番目に偉い方なのよ。緊張する、私、吐くかも。緊張で吐いちゃうかも!」
私はおかしくなって来ました。だって、お嬢様はもう、ただの男爵令嬢ではありません。筆頭公爵家、アリンガム家の御令嬢、セラフィーナ様と恋仲になり、そのアリンガム家から家族扱いの証しの「アリンガム真正紋」を授かっているのです。近いうちに、国王陛下や王妃様に会うことになろうことなど容易に予想がつくことです。だから言います。言ってあげます。
「お嬢様。今更ですよ、今更。泣き言いってももう遅い」
「うぎゃー!」
お嬢様、心配なさいますな。貴女にはセラフィーナ様をはじめ沢山の味方がいます。私だって、誠心誠意お支えします。ですが、どうしたって人間、最後は一人です。独力で踏ん張るしかないのです。
頑張って下さいまし。
ね、お嬢様。私の大切な大切なパティお嬢様。