閑話 ・ メリッサ。
21/07/06 台詞の流れ等、各所修正。
21/07/07 パティの母親の名前が間違っていたのを修正。
私の名前はメリッサ、ただのメリッサ。平民なので姓は無い。
時々、思う。どうして王様達や貴族達だけが姓を持つことができて、平民は許されないのだろう? 確かに国を運営したり、外国(帝国とか)の脅威から国を守っているのは彼らだ。優遇されるのは仕方ないことなのかもしれない。
しかし、しかしだ。王様達や貴族達だけで国は成り立たない。私達平民(農民、商人、職人等)がいなければ、彼らは生きてゆくことは出来ない。いくら少々魔法が使える者がいたって、そんなもので腹は膨れはしない。彼らは、私達、平民から取り立てる税で生きている。美味しい物を食べ、綺麗な服を着て、優雅に過ごしている。
なんて理不尽なの! そんなの絶対許せない!
……なんてことは思わない。もし、平民が一丸となって今の王様や貴族達を倒したって、何にも変わらない。平民のリーダー層が彼らに成り代わるだけだ。無意味この上ない。そんな馬鹿事より、日々の暮らし、自分自身の人生の方が遥かに大事だ。
私は先月、ジャックからのプロポーズを受け入れた。彼は銀細工の職人。従業員三人(職人二人、店員一人)を雇い銀細工店「ジャック工房」を営んでいる。友達からは、「メリッサなら、もっと上狙えたのに……」などと言われたが、それは過大評価だ。
私がそれなりに大きな店の娘で、それなりの見目で、町の娘達のリーダー的存在でもあったので、そう思ってしまうのだろうが、私程度の娘は王都のそこら中にゴロゴロ転がっている。
それに、ジャックは顔も良い方だし、酒乱でもないし、博打や女に現を抜かすタイプでもない。そして何より、私を愛してくれている。これで文句を言ったら世の中の女性の殆どに殴られる。もしかしたら、殴り殺されるかもしれない。
「メリッサ、済まないが、これを納品に行って来て欲しいんだ。俺はこれから組合の会合がある」
ジャックが声を掛けて来た。私と彼の結婚式は来月だが、私はもう彼の店を手伝っている。
「良いわよ」
彼から納品の品を受け取った。希少なピンク色の真珠をあしらった銀のブローチ。純銀で作られた精緻なリーフの意匠が、中心に配された三つの真珠の輝きを際立たせている。素晴らしい出来だ。見ているだけでうっとりする。
こんな品を持てたら、着けて歩けたら……
つい、そう思ってしまうが無理だろう。これ一個の値段で、私とジャックだけなら半年は軽く暮らせてしまう。諦めのため息が出そうになったが、なんとか我慢した。
「で、どこになの? どこに納品に行けば良いの?」どこかの大店? それとも……。
ジャックが答えた所は、それともの方だった。
「貴族街の五番通り3の6。ロンズデール男爵邸へ行って来てくれ」
私は、ジャックの雇っている職人のマイルスをお供に店を出た。彼は道中の用心棒。こんな金目の物、女性が一人で持ち歩くなんて、もっての外だ。
え? だったらマイルスに納品に行かせれば良いじゃないかって。それは無理。彼は良い職人だが、文字の読み書きは出来ないし、貴族への対応の仕方も知らない。私とて、大した経験はないが商家の娘である分、彼よりは何とかなる。というか、なんとかしなきゃ。
私は願った。値引きを要求よ、出て来ないで……。ジャックは良心的な値段しかつけない。だから、ちゃんとした対価を払って欲しい、彼の技術に対して敬意を持って欲しい。
近年、貴族達は昔ほど裕福ではない。天候不順の年が続き領地からの上りが減っている。平均的に一割から二割。酷いところでは三割の減少だと聞いている。
ロンズデール男爵邸に着いた。屋敷を見て、少しホッとした。
「良かった。伯爵なみの邸宅じゃない。庭もこれ以上ないくらいに手入れされている。この家は金に困ってない」
「スゲーなあ。執事とか下僕とかメイドとかいっぱい使用人抱えてんだろうなー。俺もこういう暮らし、いっぺんしてみてぇ」
私もマイルスと同様な気持ちだったけれど、賛同はしなかった。
「はは、無理無理。分不相応な夢は見ないのが賢いわ。私達は地道に行きましょ、地道に」
「そうっすね。地道が一番っすね」
私とマイルスは笑いあい、ロンズデール男爵邸の門をくぐり屋敷の裏口へとまわった。(平民は相当な大店の主であるとか、企業家、資本家であるとかでない限り、貴族邸の表玄関を使うことは出来ない。別に法律で決まっている訳ではないが。昔からの慣習でそうなっている)
私達に応対してくれたのはオブライエンと名乗る執事だった。彼を見た時は、まるで酒場の用心棒が如き体格と容貌にびっくりしたが、話してみると、凄く良い人物だった。横柄な態度は全く無かった。そして、とても嬉しいことにジャックの作品を絶賛してくれた。
「素晴らし品です。王都広しと言えど、これだけの物を作れる職人はなかなかいないでしょう。旦那様も、さぞかしお喜びになられることと思います。私、オブライエンが大変感謝していたとジャック殿にお伝え下さい」
使用人を見れば、その主の人柄は大体想像がつく。ここの主、ロンズデール男爵は、きっと好感の持てる人物だろう。そして、その彼が中心となるロンズデール家は幸せな一家に違いない。
私は少し、男爵とその家族に興味を持った。
男爵はジャックのブローチを誰に贈るのだろう? 奥様? それとも娘、お嬢様? ピンク色の真珠を使っていることや、ブローチのデザインが華やかなことから見て、多分お嬢様だろう。まさか、愛人なんてことはないよねー。もし、そうだったら、私が男爵に持った好感は見当違いも甚だしい。
オブライエン氏から既定の代金をもらい、領収書にサインをしていた時、黒髪黒目のメイドがオブライエン氏に声を掛けて来た。
「オブライエンさん。パティお嬢様がどこにおられるか知りませんか?」
「さあ、私は知らんが、また、いなくなられたのか」
「ええ。あの方はどうして、ああも落ち着きがないのでしょう。もうすぐ――――様が来られるというのに、もう!」
一部ちゃんと聞こえなかった。
メイドはオブライエン氏に礼を言い、私達にも頭を下げて出て行った。あー、やっぱ、愛人は無いわ。これだけきちんとした使用人を揃えている一家の主が、愛人を作るような馬鹿であることは、まず、あり得ない。
しかし、そんなことより。先ほどのメイドのある言葉が引っ掛かった。パティお嬢様って……。
私にもパティという名前の知り合いがいる。知り合いというか、近所の娘で、私によく懐き、「メリッサお姉ちゃん、メリッサお姉ちゃん」と慕ってくれた。私も自分の妹のように彼女を可愛がった。しかし昨年の末、パティは忽然と私達の町からいなくなった。
私は彼女のお母さん、スカーレットおばさんに聞いてみた。パティはどうしたの? どこへ行ったの?
「あー、あの子はね、養女に行ったわ。これは前々から決まっていたことなの」
「前々からって、パティは養女になるなんて全く言ってなかったわよ」
「そりゃそうよ、あの子に教えて無かったもの。養女の件自体、忘れてた。アハハ!」
忘れてた。アハハ! って……。
スカーレットおばさんは美人だし、話すと面白いし、とっても好きな人ではあるけれど、ついていけないというか、理解に苦しむ面が多い。彼女の感覚はちょっとおかしい。常識人に過ぎない私は、つい思ってしまう
スカーレットおばさんが自分の母親でなくて良かったー。神様、感謝します。
そんな、母親を持ってしまったパティだが、私から見て彼女は幸せな娘だと思う。パティは明るいお調子者、要するに、とっても愛される性格だったし、容姿も大変恵まれていた。私が知っている娘の中で一番可愛いと言っても過言ではない。軽く微笑むだけで、そこらの男の子などメロメロに出来た。
はっきり言って、羨ましいと思っていた。彼女になれるなら、なってみたいと思っていた。けれど……、
パティはまだ、人を愛するということを知らない、恋するということを知らない。だから、彼女は興味のない異性にも無造作に愛想を振りまいた。しかし、振りまかれる方はたまったもんじゃないだろう。私は彼女を叱った。
『パティ、あんた人生舐め過ぎ。きっと、いつか痛い目を見るわよ』
愛を、恋を、知ったパティを見てみたいと思う。そして、見たくないとも思う。
きっと、とんでもなく可愛いだろう、とんでもなく愛らしいだろう。こちらの心が嫉妬心で捩じ切れるほどに……。
納品を無事に終えた私とマイルスは、裏口を出て門の方へ向かおうとしていた。その時、先ほどの黒髪黒目のメイドの声が表玄関の方から聞こえて来た。
「パティお嬢様。ここにおられたのですか。玄関に出てお待ちするのならすると、先に言っておいて下さいませ。どれだけ、私がお探ししたと思っているのです」
「あら、アンナに言ってなかったかしら」
「言っておりませんよ」
「そう。ごめんね、てへっ」
この声は……、この甘い声は……。「どうしたんです?」と訝るマイルスを無視して、私は足早に表玄関の方へ向かった。そして、屋敷の陰から玄関の方を覗き見た。(さすがに、直ぐに飛び出たりしない。それくらいの自制心は私にはある)
そこにいたのは、そこに立っていたのは、まさしくパティ。私に懐き、私が妹のように可愛がっていたパティだ。パティ、こんな所にいたのね。まさか、貴族の養女になっていたなんて思いもしなかった。
会いたかったよ、ずっと会いたかった。と、出て行きたかった。でも、行けなかった。
玄関の踊り場に立つパティは、私達、町娘が、一生に一度も着ることが出来ないような高級なドレスを纏った彼女は、どう見ても貴族令嬢そのものだった。口調こそ、以前の感じを残してはいたが、背筋をすっと伸ばしたその立ち姿は、堂々としたもので気品に溢れている。明らかに私の知っているパティではない。
もし、互いに名前も顔も知らない状態で道で出会ったとしたら、私は悩むことなく彼女を上位者として認め、彼女に道を譲るだろう。
門から、護衛を二騎をつれた馬車が入って来た。金の装飾がふんだんに使われた素晴らしい馬車、このような馬車に乗れるのは侯爵クラス以上の大貴族。
パティの表情が輝いた。彼女がこれほどの喜びの表情を見せるのは見たことがない。
そんな彼女を見て私は思った。
パティ、貴女は愛を知ったのね……。恋を知った……。今の貴女、なんて輝かしいの。なんて美しいの……。
私は、馬車のドアが開くのを待った。パティが愛した、恋したのはどんな男だろう。どんな素晴らしい男性なんだろう。
しかし、ドアが開いて現れたのは、私が想像したような人物ではなかった。
「セラフィーナ様!」
「パティ様!」
現れたのは、光煌めく美少女。この世に、これほどの美しい少女が存在しえるのか……。天使です、精霊です、と言ってくれた方が納得できるほどの超絶な美少女。パティはその少女を、セラフィーナと呼んだ。
セラフィーナって……、まさか……。
私は馬車に掲げられている紋章を確認した。アリンガム公爵家は、筆頭公爵家。私のような平民でも紋章くらいは知っている。
この後、私とマイルスは二人が屋敷の中に入るのを待ってから、男爵邸を後にした。店へ帰るまでの道中、私とマイルスは殆ど喋らなかった。私達が喋らなかった理由は多分違う。マイルスは二人の貴族令嬢の美しさ、可愛らしさに圧倒されたのだろう。私の方は……。
馬車を降りるなり、セラフィーナ、皇太子の婚約者として有名な公爵令嬢、セラフィーナ・アリンガムはパティの胸に飛び込んだ。その時の、セラフィーナの、パティの、上気した顔は……、互いを愛し気に見つめ合う目は……。見ているだけで、こちらの心が切なくなった。
パティ。貴女はなんて人を選んだの、なんて女性を愛してしまったの……。
私は、ほんと常識人。素直にパティの恋を喜べない。普段いきって、何でも分かってる女のように見せてはいても、結局は枠からはみ出さないし、はみ出す勇気もない。これで良く、パティの前でお姉ちゃん面が出来ていたものだ。なんて私は恥ずかしい女なんだろう。
ジャック工房の営業時間が終わり、従業員達が帰った後も私は店に残り帳簿をつけていた。すると、作業部屋から出てきたジャックが私の前に立った。手には小箱が握られている。
「どうしたの、ジャック」
「これ……。本当は式の時に渡そうと思っていたんだけれど、皆の前ってのは、やっぱり恥ずかしいから先に渡しておくよ。プロポーズ、受け入れてくれてありがとう」
ジャックから、小箱を受け取り蓋を開けた。
ジャックが私にくれたのは、美しい銀のブローチ。今日、ロンズデール男爵に納品したモノように希少色の真珠などは全く使われていない、銀細工だけのブローチ。でも、銀細工としては、より繊細で、より優美。こちらの方が格段に素晴らしい。
涙が溢れて来た。
「おい、おい。こんな程度のもので、そんなに泣くなよ」
こんな程度って……。ジャックは、このブローチを私のために、自らの持てる全ての技量を注ぎ込み、一生懸命、ほんとに一生懸命作ってくれたのは間違いない。だって、これは彼の最高傑作。それはジャックも分かっている筈だ。こんな美しいブローチ、見たことない。こんな心の籠ったもの、見たことない。
何、カッコつけてるのよ。バカ。
私は立ち上がり、ジャックの胸元に身を預け、左拳で、彼の厚い胸板を叩いた。
私は幸せだ。
こんなに思ってもらえて、本当に本当に幸せだ。
『ねえ、そう思わない? パティ』
私は心の中のパティに尋ねた。
『そうだね、メリッサお姉ちゃん。お姉ちゃんは幸せ、幸せ者』
『ありがとう、パティ』
『礼なんかいらないよ。あたしは思ったことを言っただけ』
パティの笑顔、ニッコリとした笑顔思い浮かんだ、私は彼女の笑顔が大好きだ。
『そう。だったら私も思ったことを言うわ』
『どうぞ、どうぞ』
『パティ、負けちゃだめよ』
『えっ……』
『貴女も幸せ者になるの、幸せ者で居続けるの。なんとしても、なんとしてでも……』
愛を知った、恋を知った貴女は綺麗だった。
本当に、本当に綺麗だった。
そんな貴女が泣く未来なんて、私は見たくない。
私の妹が泣く未来なんて、見たくないの!!
私は、ジャックの腕の中で泣き続けた。