ウェスリー・アリンガム。
2022.05.17 会話文等、微修正。
2024.07.26 「魔法士」を「魔導騎士」に変更。
「陛下、起きておられますか? アルス高原にはいりましたよ」
向かいに座る友が声をかけて来たので、私は重い瞼を押し上げた。車窓から差し込む陽光が眩しい。
「ランドルフ、『旦那様』もしくは『閣下』と呼べと何時も言っておるだろう」
「良いではありませんか。王家を外敵から隠すためとはいえ、真の王たる貴方様が一公爵の地位に甘んじておられるのです。結界が張られた馬車の中でくらい『陛下』と呼ばせて下さいませ」
ランドルフはそう言って笑顔を向けて来た。彼のフルネームはランドルフ・フォン・ストライトン。五つ年上の彼は私の第一従者。私、アリンガム公爵、ウェスリー・アリンガムに幼少期から付き従ってくれている。
私は溜息とともに吐き出した。
「何が真の王だ。そなたに今更こんなことを言うのも馬鹿らしいが、私が王とされているのはアリンガム家からしか『アレクシスの化身』を出せないからだ。ただ、それだけだ。私自身は化身の添え物に過ぎない。何の力を持っていない、ただの人だ」
「御冗談を」
ランドルフの顔からとぼけた表情が消えた。彼は、私が自らを卑下することを好まない。
「確かに、化身様のお力は素晴らしいです。ですが、その化身様は、アリンガム家の直系男子の娘としてしか生まれません。今の化身様とて、陛下がおられなければ、影も形もこの世にありませんでした」
「まあ、それはそうなんだが」
だから何だ。要するに私はただの経路、アレクシア王国に化身を送り出すためのストローではないか。
「それに、何の力も持ってはいないということにも同意致しかねます。陛下は失われし古代魔法『ブライダル』を持っておられます。あのような凄き魔法、化身様とて為すことは出来ませぬ」
「馬鹿を申せ」
私はランドルフを睨みつけた。
「私は、あんな恐ろしい魔法など使う気はないし、使う勇気もない。使わないものなど持っていても仕方がないのだ。ランドルフ、ブライダルのことは二度と口にするな。これは王命だ」
「かしこまりました、陛下。申し訳ありませんでした」
ランドルフは胸に手を当て、拝命の辞儀した。彼とは長い付き合いだ、主従を超えた友だ。だから、このようなあからさまな命令などしたくはない。しかしあれに関しては別だ。別なのだ。
私は再び、瞼を閉じた。
「やはり、お疲れのようですね」
「そうだな。そうかもしれん」
私は昨日まで、帝国への対処のために王宮に詰めていた。ここ一年、帝国は我が国への領土的野心を隠さなくなって来た。本格的な侵攻は未だ無いものの、頻繁に野盗に見せかけ国境周辺の村々を襲い、略奪や放火を繰り返している。
国境周辺にある村は小さなものばかりだが、それらを焼かれ続ければ、いくら肥沃な大地を誇る王国とてダメージは蓄積して行く。国境の監視網の強化や、騎士団による野盗を装った帝国軍の討伐は行ってはいるが、どうしても圧倒的な軍事力を誇る帝国を前にしては後手に回らざるを得ない。
一昨日も騎士団から三名の戦死者が出た。それも、そのうちの一名が虎の子の魔導騎士(魔力を持っている者でも、魔導騎士にまでなれる者は数少ない)。このようなことが続けば、王国の軍事力はジリ貧になり、帝国に対抗出来なくなってしまう。
何とかしなければならない、何とかしなければならないのだが……。
私の重苦しい思考は、セラフィーナとパティ嬢が待ってくれている別邸に到着するまで続いた。
「お父様、よくぞいらしてくれました!」
笑顔のセラフィーナが胸に飛び込んで来た。パティ嬢と出会う前のセラフィーナとは全く違う、生きる喜びにキラキラと輝いている。その煌きは中年になった私には眩しくて仕方がない。
その上、セラフィーナは妻とそっくりに育った。ちゃんと見なければ私でさえ、私が恋した頃の姿で、ソフィアが生き返ったのかと思ってしまうくらいそっくりだ。思わず涙が出そうになったが、頑張って我慢した。
「元気そうだな、セラフィーナ」
「はい、とっても。お父様、お父様はここにおられるのは明日までですよね。だったら、明日の午前中、オーレルム湿原へ行きませんか。今年は金黄花の群落が凄いと聞いています。きっと素晴らしい景色が見れますよ」
「オーレルムか。昔、皆で行ったな」
オーレルム湿原。アルス高原の北端にある広大な高層湿原。王領であることと、希少な植物の宝庫であるため、湿原内に立ち入ることは固く禁じられている。入れるのは管理官と研究者以外では、王族と一部の公爵家のみ。わがアリンガム家はもちろんその中に入っている。
「ええ……、皆で行きましたね」
セラフィーナの声が少し陰る。きっと母親のことを思い出したのだろう。ソフィアが私達と一緒に出掛けた最後の場所がオーレルムだった。咲き乱れる花々を次々と指差しながら『この花が可愛い』、『いいえ、こちらの方が』とはしゃぐセラフィーナとメイリーネを、愛おしげに見守っていたソフィアの姿を私は忘れることが出来ない。
「わかった、朝少し早く出れば時間的には大丈夫だ。行こう」
「ありがとうございます、お父様!」
再び喜色に輝く愛娘に満足した私は、少し後方で、管理人のマクレイルと一緒に立っている一人の赤毛の少女に視線を向けた。
その少女の名は、パティ・フォン・ロンズデール。私のチェス友、ロンズデール男爵が猫かわいがりしている孫娘。まあ、男爵がそうなるのもわかる。パティ嬢はとても愛らしい容姿をしている。可愛さという点だけなら、セラフィーナともタメを張れるだろう。
彼女に初めて会った時のことはよく覚えている。公爵の私を前にして、貴族になって日が浅い彼女は少々緊張気味のようではあったが、彼女の大きな金糸雀色の瞳は好奇心に輝き、猫の目のようによく動いていた。そして、その口も……。
「公爵様はとてもハンサムでいらっしゃいますね。私は、自分の父より断然ハンサムだと思う殿方を初めて見ました」
「そうか、それは光栄だな。はは」
苦笑した。私は公爵だ、それに対し彼女の父親は平民。普通比べようとは思わないだろう。いや、心の中で比べたとしても口にはしない。それが彼女の立場での常識的行動だ。でも、彼女の無邪気さはそんなことはあっさり無視した。
しかし、嫌悪感は全く湧かなかった。湧いたのは羨望だった。
この娘は良い家族に恵まれ、幸せな人生を送って来たのだろう。そして、これからも、男爵の下で幸せに生きて行くのだろう。それに比べて、セラフィーナ……。メイリーネ……。二人はパティ嬢の何分の一の幸せさえ持っていない。そして、将来も持つことは無いだろう。
全部、私のせい……、私は最低の父親だ。
「公爵様、ウェスリー様」
パティ嬢が私とセラフィーナの話が一段落ついたころ合いを見て声を掛けて来た。その声音はとても真剣な声音だった。今の彼女にとって、私は最早友人の父親などではない、彼女のパートナーの父親なのだ。そして、彼女自身も私の庇護下にある。
私が贈ったペンダントが、彼女の胸元で煌めいている。そのペンダントに彼女は手を添えた。
「真正紋、授けて下さいましたこと、感謝致します。このような身に余る取り計らいをして頂けるとは夢にも思ってもおりませんでした。この御恩、一生をかけてでもお返し致します。ありがとうございます、本当にありがとうございます」
「頭を上げてくれ、パティ嬢。感謝しているのはこちらの方だ。君は私達にとって天使なんだ」
「天使! 滅相もございません! 私がそのような素晴らしき者である訳がありません!」
パティ嬢は素っ頓狂な声を上げ、両手をバサバサと交差させた。かなり貴族令嬢らしい所作を覚え来た彼女ではあるが、驚いたりするとまだまだだ。でも、そこが好ましい。
「そうかな。君は私の娘を笑顔にしてくれた。取り繕った偽りの笑顔からセラフィーナを解放してくれた。そんな君を天使と言わずして何と言おう。そう思うだろう、セラフィーナ」
セラフィーナは顔を真っ赤にして、大きな声で同意した。
「はい、お父様。パティ様は私の天使様です。パティ様の背中から羽が生えているのが私には見えます!」
「もうっ、セラフィーナ様まで! 私が天使だったら、セラフィーナ様は大天使、大大天使です。隠してる翼を引っ張り出してあげます。隠してるのはここかー、この真っ白な背中なのか~!」
「きゃー! やめて下さいまし、パティ様! ひ~!」
私は目の前で行われている光景が信じられなかった。私や使用人達もいるのに、二人が公然とじゃれ合っている。ソフィアが生きていた頃、まだそれなりに元気で、あまり感情を隠していなかったセラフィーナでもこれほどではなかった。少々呆れてしまったので、マルグレットに尋ねてみた。
「マルグレット。最近のセラフィーナは何時もあんななのか?」
「いえ、あの、その……。はい、旦那様。こちらに来ましてからは、あんなです」
私は黙り込んだ。別に大した意味はない。魔法まで使える完璧メイド、何でも難なくこなすマルグレットの困り顔が可笑しかっただけだ。笑っては悪いと思い、口をきつく閉じただけだった。しかし、それをマルグレットは不興ととった。私がセラフィーナ達の貴族令嬢らしからぬはしゃぎっぷりに怒っているととったのだ。
マルグレットは慌てて、頼んで来た。
「旦那様、お二人を叱らないでやって下さいませ! 休暇で気が緩んでおられるだけなのです。お二人には、私の方から厳しくビシッと言っておきます、ビシッと!」
「うむ、そうか……。では、君の方から言っておいてくれ。ただし、適度にな、適度で良いからな」
「はい、適度に厳しくビシッと言っておきます!」
適度に厳しくビシッとって……。マルグレットも変わってしまったようだ。ポンコツメイドに……。まあ、冗談はさておくとして、彼女もセラフィーナに劣らぬくらい変わった。メイリーネと一緒の時以外は何時も固かった表情も、普段から柔らかなものになった。そして、セラフィーナやパティ嬢をあれほど嫌っていたのに、今では、二人を庇おうとするまでの忠義のメイドになってしまっている。
彼女を変えたのは誰だろう?
セラフィーナだろうか? それはどうだろう。セラフィーナは人間関係についてはとても不器用だ、思い込んだら一心のマルグレットの心を解きほぐせたとは到底思えない。だったら、残るはパティ嬢。パティ嬢がマルグレットを変えた、もしくは、パティ嬢とセラフィーナの二人が変えたのだ。
パティ嬢と関わった者は、皆変わって行く、幸せになって行く。ロンズデール男爵はチェスそっちのけで、孫娘の自慢ばっかりしているし、彼女の家庭教師をしたゴーチェ子爵家の娘、アンリエッタ嬢は、頑なに拒んでいた縁談話を受け入れるようになったようだ。ゴーチェ子爵が泣いて喜んでいた。
「これまで娘は人の世話をするばかり、ようやく自分のことを考えるようになってくれました。自分の幸せのことを……」
そして極めつけは、学院の演劇祭で、パティ嬢とセラフィーナが主演した劇と覇を競った第三王女、イルヴァ・アリエンス。
彼女は生まれつき我が強く、一度思い込めば他人の意見など全く聞き入れないような娘であった。それ故、私の命に従いセラフィーナと婚約した兄に、度々きつい言葉を投げかけていたようだが、先日、
「お兄様、私はなんと傲慢な娘であったことでしょう。どのような人にも心があり、それぞれの事情があるのだという、当たり前のことがわかっておりませんでした。人を非難するばかりでした。お兄様に対しても……、誠に申し訳ありませんでした、お兄様」
と、謝って来たそうだ。目に涙まで浮かべて……。
「ウェスリー陛下、兄弟姉妹は他人の始まりとも言いますが、そのように簡単に割り切れるものではありません。妹の変化は嬉しいです、本当に嬉しいです」
イルヴァの兄、皇太子セドリック・アリエンス。
私は国のために彼からメイリーネをとり上げた。本当にすまないと思っている、本当に。
未だ、はしゃぎ続ける二人を見ながら、私の後ろに控えるランドルフに言った、つい言ってしまった。
「なあ、ランドルフ、パティ嬢は、もしかしたら本物の天使ではなかろうか?」
「はあ? 何を馬鹿なことを。なかなか面白き令嬢、良き令嬢だとは思いますが、本物の天使……、お戯れの言葉もいい加減になされませ」
「はは、そうだな。確かに馬鹿なことを言った。今の言葉は忘れてくれ」
「さあ、閣下。そろそろ屋敷に入りましょう」
「ああ、そうしよう」
私とランドルフは玄関への階段に足をかけた。マルグレットとアンナの声が、晴れ渡った高原の空に響く。
「 セラフィーナお嬢様! パティお嬢様! 」
「 貴女様達はどこまで、おバカになられるのですか、おバカに! 」
私は別邸の中を歩きながら思う。
パティ嬢が本物の天使であってくれたら、どんなに良いだろう。彼女が本物の天使なら、彼女に頼めば神々が助けてくれるかもしれない。今、この国は、アレクシア王国は崖っぷちにいる。建国以来の危機に瀕している。
大精霊アレクシスよ。
我が国を見捨てるおつもりですか?
セラフィーナを拒否しただけではなく、化身として認めたメイリーネにでさえ、まともな加護の力をお与え下さらない。
どうしてです、
どうしてなのですか、大精霊よ!
アレクシス様からの答えはなかった。当たり前だ、化身でもない私に、このような不甲斐ない王である私に、彼女が返事をくれよう筈はない。
戻りたいと思う。
ソフィアが生きていた頃、私の隣に立ってくれていた頃。私にも王国にも喜びが満ちていた。生きる喜びが満ち溢れていたのだ。
「旦那様、お着替えは如何いたしましょう」
「後にする、少し休む」
ランドルフにそう言って、私は自室の扉を開けた。その扉には名前が刻まれている。
【 Wesley & Sofia 】
私がこの扉を変えることはない。永遠にない。