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差し伸べられた手。

 私達がデザートを食べ終えた頃、隣のテーブルのイルヴァ殿下が立ち上がられました。


「皆様、少し宜しいですか」


 フロアにいる客、レストランの絶品の料理に舌鼓を打っていた何十人もの客達は一斉に手を止めました。王女殿下からの呼びかけです。拝聴するより仕方ありません。


 皆様が折角、食事を楽しんでいらっしゃる最中なのに無粋なのでは……、席に着いた時に見せた気遣いは偶々(たまたま)だったのかしらなどと、つい思ってしまいました。ですが、殿下の表情はいつになく優し気で、お声の調子も皆への(いたわ)りに満ちた感じでした。(彼女はどちらかと言うと我の強いタイプです。日常的に、にこやかさを振り撒く方ではありません)


「私は本日、ここに来るのに、二つのことを大変楽しみにしておりました。一つは勿論、この店の料理。その味の素晴らしさは、王宮の料理長も認めるところです。前回、彼には一緒に来てもらったのですが、かなりのショックを受けたようです。世の中、上には上がいるものですね。フフフ」


 客たちの間からも笑い、単なる面白おかしいだけではなく、満足感を含んだ笑いが出ました。自分達が今、舌鼓を打っている料理は、王宮のものでさえ超えているのだという高揚感、幸福感が彼ら彼女らを満たしています。


「そして、もう一つの期待していた楽しみは、もうおわかりでしょう。()()です。神峰コルドゥラは、ここから、このレストランからが眺めるのが、他のどこからよりも、美しく最高なのです。私は天に願っていました、雲よ湧くな。そして願わくば、風よ吹くな、マーテル湖を鎮め、我らに天下の名景『逆さコルドゥラ』見せてくれよと。しかし……」


 殿下は少し下を向かれ、溜息を吐かれました。殿下の語り掛け、少し芝居がかった感じではありますが、とても上手いですね。同い年なのに、と感心いたしました。


「私の切なる願いは届きませんでした。大空を覆った雲はコルドゥラの峰を隠し、風もマーテルの湖面を波立たせています。本当に、がっかりです。皆さんも、そうではありませんか?」


「勿論です。殿下」

「真に」

「ほんに、同感でございます。姫殿下」


 賛同の声が多数上がり、殆どがの者が首を縦に振りました。パティ様も、うん、うん、と大きく頷いています。パティ様、その素直さ素敵です。私も振ろうかとも思いましたが、相手がイルヴァ殿下だけに、振ることが出来ませんでした。心が狭いですね、私。


「皆さんのお気持ちはよくわかりました。(しか)らば、もう天に頼るなどは止めに致します。我が魔力をもって皆さんに、日々、王国の為に頑張って下さっている皆さんに、コルドゥラの素晴らしき威容を、そして、念願の逆さコルドゥラをプレゼント致しましょう」


 イルヴァ殿下の思わぬ申し出に、客達は沸き立ちました。拍手が起こり、殿下への御礼や称賛の言葉が次から次へと述べられました。ですが、一人の貴族婦人が立ち上がられました。


 彼女は知っています。ラックレイト伯爵の奥方です。一度お会いしたことがあります。確か、シルバーランクの魔力持ちだったような……。


「殿下、大変失礼な質問かと存じますが、そのようなことが本当に可能なのでございましょうか? コルドゥラまではかなりの距離がございます。つまり、魔法を使わねばならない範囲が、あまりにも大きいのです。私には無理としか思えません」


 無理ではないか、と言う感想には私も同感でした。イルヴァ殿下の魔力容量はゴールドランク。天を覆う雲を吹き飛ばすくらいなら多分出来るでしょう。ですが、その後、マーテルの湖面が鏡面になる無風状態を作り出すには、湖の周囲に防御魔法の一種「シールド」(殿下達が、劇「アンギレンの戦い」で観客が風雨でずぶ濡れにならないように使ったあれです)を張り巡らし大気の流れを遮断しなければなりません。


 マーテル湖は私達が通う学院がすっぽり入ってしまうような大きな湖。その長大な周囲をシールドで覆うなど、如何ほどの魔力が必要なことか。私は彼女より上位の魔力容量ランク「プラチナ」を持ってはいますが、これから彼女がやろうとしていることを、やれと言われたら断ります。こんな大規模魔法は複数の魔法使いで行うべきものです。


 私の右隣に座るマルグレットが小さな声で呟きました。本当に小さな声でした。


『お嬢様の前で、このような無茶なスタンドプレーを……。イルヴァ殿下は、まだ、セラフィーナお嬢様を嫌っておられるのかしら?」


 ()()


 それはどういう意味なのでしょう、マルグレットは何か知っているのでしょうか。後で、問いただしてみるべきかと考え始めたのですが、その思考はすぐに殿下の声で中断されてしまいました。


「ご懸念はごもっとも。貴女は素晴らしい慧眼をお持ちですね。ラックレイト伯爵夫人」


 殿下の声はとても優し気でした。このような声、私には使ってくれたことがありませんでしたね。イルヴァ殿下。(まあ、他人に心を開かない私が悪いのでしょう。でも、でもね殿下。開かれない心も、存在しない訳ではないのです。寂しいと思うことも、傷つくこともあるのです)


「慧眼などと、お恥ずかしい」


 夫人は、王女殿下のお褒めの言葉に恐縮して、椅子に腰を下ろされました。殿下は続けました。


「伯爵夫人が仰られたように、この私達の望みを達するためにかける魔法の範囲は、あまりにも広範囲。王家に生まれた私とて、それを達するのは至難の(わざ)と言えましょう。ですから、もう一方(ひとかた)に協力を仰ぎたいと思っています」


 え? もう一方に協力を仰ぎたいって……。


 しかし、彼女に協力すると言っても、かなり高容量の魔力保持者でないと、その協力は無意味です。最低でもシルバー……、いえ、シルバーランクでは全然駄目。殿下と同じゴールドか、もしくはそれ以上でないと、我らの望みは達せません。


 そのような者がここに、今ここにいるでしょうか?


 います。一人だけいます。


 それは私です。


 彼女が、嫌い続けてきた彼女の従姉妹、


 私、セラフィーナ・アリンガムです。



 イルヴァ殿下が私の方を向いてこられました。勇気を出して彼女の視線を受け止めました。その彼女の視線にはいつも敵意がありません。さすがに、親しみや好意が浮かんでいるとまでは申せませんが、明らかに違うのです。


 ”貴女には、貴方なりの考えや感情、そして事情があるのでしょう。私はそれを認めます”


 彼女の魅力的な瞳……。


 大きなライトグリーンの瞳はそう言ってくれています。


 涙が出そうになりましたが、必死でこらえます。このような所で泣く訳にはまいりません。私は、彼女に嫌われたくて嫌われたのではありません。世間は私の容姿や能力を褒めそやし、「令嬢の中の令嬢」などと言ってくれてはいますが、真実の私は、筆頭公爵家令嬢としての体面を必死で取り繕って来た不器用な小娘に過ぎません。私は自分でも呆れてしまうほどに、本当に不器用です。


 従姉妹に初めて会った時、私が思ったことは、


 姫殿下、可愛いな。なんて綺麗な黒髪、ライトグリーンの瞳も、とっても素敵。友達になりたい!


 でした。


 ですが、気持ちの伝え方が上手でない私は、どうすれば彼女と仲良くなれるのかが、わかりませんでした。何度会って話をしても決まりきったことしか言えず、人への好意を素直に表現できる性格の妹が、彼女と、どんどん仲良しになっていくのを一人寂しく眺めているばかりでした。


 それでも、従姉妹はそれなりに気を遣ってくれました。頑張って話しかけてくれました。ただ、その話題が……。


「セラフィーナ様。貴女はどのような殿方がお好き? 聞かせて下さいませ」


 早熟かつ、二つ年上の兄を理想の男性として慕っている彼女には、一番興味がある事柄だったのでしょうが、私には一番答えにくい質問でした。私は殿方に興味がありません。男性恐怖症とかではないのですが、自分のパートナーに、とはどうしても思えないのです。


 だから本当はこう言いたかったのです。


『そんなのどうでも良い、私は女の子の方が好きなの! だから、貴女ともっと仲良くなりたいの、楽しく話をしたいの!』


 でも、言えませんでした。言う勇気が私にはありませんでした。言えたのは逃げた言葉、彼女が一番嫌う、()()()()()()の言葉、欺瞞に満ちた言葉でした。


「好きな殿方ですか……。そうですね、私を真に好いて下さるなら、どのような方でも私はかまいません」


 こう言ってしまった後、彼女が私に投げかけてきた蔑んだ目線を私は忘れられません。


 これは酷い経験です。でも、勉強にもなる経験でもありました。好意があるなら、ちゃんと示すべき、人との関係は運任せでは始まらないと言うことを、私に思い知らせてくれたのです。


 その御蔭で、私はパティ様にお会いし、パティ様の愛くるしい笑顔、素朴で魅力的な性格、私を気遣ってくれる優しい心に、魂を揺さぶられ、恋心を持ってしまった時、言葉を大きく間違えることはありませんでした。パティ様へ好意を、情けない表現ながらもなんとか口にすることが出来ました。

 

「パティ様。また来てくださいね。()()()()()、パティ様」


 もし、この言葉を出せていなかったら、私はパティ様を求めることを諦めてしまい、私の恋は実らなかったでしょう。今のように、生きる喜びに満ち溢れたパティ様との日々が私に訪れることは絶対になかったでしょう。ですから、彼女は私の恩人です。どんなに私を嫌っていようと恩人であることに変わりはないのです。


 その恩人の彼女が……、イルヴァ殿下が、今、私に手を差し伸べてくれています。


「セラフィーナ様、私を手伝って下さいませ。二人で一緒に、王国の皆様に喜びをお届けしましょう。さあ」


 嬉しくて、嬉しくて仕方がありません。パティ様との恋が実って十分以上に幸せなのに、さらなる幸せが訪れてくれるなんて……。ありがとう、イルヴァ殿下。掛け違えたボタン、貴女の方から直して頂けるとは思ってもいませんでした。本当にありがとうございます。


 私は彼女の手をとりました。


「はい、殿下!」



 私達は役割分担を行いました。天を覆う雲を吹き飛ばす役、そしてその後、湖の周りにシールドを張り巡らせ、湖面にひと揺れさえ起こさせない役です。前者はイルヴァ殿下が、後者は私が担当することにしました。殿下は、どちらの役でも良いと仰られましたが、魔力容量を理由に、殿下には前者をやってくれるように頼みました。(防御魔法「シールド」は、大量の魔力を必要とする効率の悪い魔法です。より高容量を持っている者がやるべきです)


 でも、本当の理由は「シールド」役がとっても地味な役だから。巨大な湖を覆いつくす透明な防御結界。言葉にすればなんとも凄そうに思えますが、所詮、目に見えないもの、インパクトは殆どないと言って良いでしょう。だから、殿下には前者を、憎き雲を薙ぎ払う風の大魔法を使ってもらうしかないのです。言い出しっぺの彼女を、縁の下の力持ちにして霞ませてしまう訳には行きません。


 でも、まあ。魔法に通じている人(()()()()()())には、私が大変な役をやっていると、わかると思います。()()()()()()わかってもらえれば私は十分です。

 

 イルヴァ殿下と私は、魔力の限りを尽くしました。その結果は大成功。どんよりと垂れ込めていた灰色の雲は一掃され、抜けるような青空が、万年雪に輝くコルドゥラの素晴らしき峰々と共に戻ってきました。そして、シールドによって、静寂を取り戻したマーテル湖の湖面には、見事に念願の「逆さコルドゥラ」が浮かび上がりました。


 美しい、なんて美しい神秘的な情景でしょう。全ての精霊の始祖、光の精霊、アスカルティを産んだとされる神峰コルドゥラが天と地に二つ、私達を守るかのように聳え立っています。


 レストランに集った客達は歓喜に沸き、私達は大きな拍手と、数々の称賛をもらえました。嬉しかったです。でも、私が、一番嬉しいのは、やはりパティ様からの言葉です。言葉なのですが……


「殿下、セラフィーナ様! 凄い、本当に凄いです! このようなことが出来るなんて、お二人は最早、神です。崇め奉るしかありません!」


 ちょ、大袈裟過ぎます。恥ずかしいから止めて下さい。パティ様と言おうとした時、


「フフフッ」


 隣から、殿下の穏やかな笑い声が聞こえました。


「セラフィーナ様。パティ嬢は何とも面白いかたですね。フフフ、アハハ」


「もうっ、そんなに笑わないで上げて下さいませ。パティ様は私達を褒めてくれているのですから」


 と、言いつつも、私は喜ばしくて仕方ありませんでした。これまで、イルヴァ殿下のパティ様へ向ける視線は、パティ様が私と仲が良いせいで、好ましいものではありませんでした。私と、にこやかに談笑するパティ様をねめつけるように見ていた彼女の目、今でも記憶の底に残っています。


 それなのに今……


 パティ嬢は何とも面白いかたですね。フフフ、アハハ。です。


 何故、殿下は変わられた? 何故、私やパティ様に、こんなに優しくなったのでしょう? 理由は全く思い浮かびません。不思議です。ほんとに何が原因なのやら……。


 変わったと言えば、マルグレットもそうですが、こちらの変わった理由は、一応、本人から聞いております。マルグレット曰く、私とパティ様の愛のスーパーパワーに負け、己の過ちに気づいたそうです。


 しかし、()()()()()()()()()って…………。似たようなことを心の中で思ったことはありますが、実際に耳で聞くと恥ずかしいですね。超恥ずかしい! よく、あんな真顔で言えたものです。何気に、マルグレットも変な人です。


 そして、パティ様専属メイドのアンナも変です。今朝の件、主従入れ替わりのお遊び件の時、あのマルグレットが焦りまくっているのに、平然と朝食を楽しみ、完食していました。あの度胸の据わり方は凄いと言うより、変としか言いようがありません。


 いやはや、私の周りは変な人ばかり。


 でも、幸せ。本当に今の私は幸せです。これ以上の幸せってあるのかしらと夢見心地のまま、私はパティ様達と馬車に乗り、帰途に着きました。車中では、女四人姦しく、今日あったこと等色々な話題に花が咲かせていたのですが、突如、馬車の進行方向から、大きな土煙が迫って来ました。


「お嬢様方、騎士団です、道を譲ります!」


 御者の声と共に、私達の馬車は路肩へと寄せられ、その横を、何十騎もの王国騎士達が駆けて行きます。王国を守ってくれている騎士達へ敬意を表すために頭を下げながら私は思いました。


 アルス高原で、騎士団が訓練なんて珍しいわね。でも、よく考えてみると、高地って空気が薄いから訓練や演習に最適だわ、抜群に心肺機能が強化されるもの。とっても理に適ってる。ここでの訓練を決めた指揮官は、きっと慧眼の……。


 私の頭はボケていました。幸せに浸かりきって、幸せボケになっていたのです。私達の馬車は、最高位貴族、アリンガム()()()()()の紋章を掲げています。それ故、本番、戦闘に駆けつける時でもない限り、騎士団から、それなりの挨拶はある筈です。一言の挨拶も無しなんてあり得ないのです。


 騎士団は全騎、物凄い勢いで駆け抜けて行きました。私達は完璧に無視(スルー)されました。


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[良い点] なんて皮肉だな。 雲を吹き飛ばしますが、嵐はまだ来ています。
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