湖畔にて。
21/02/10 パティの心情描写、少し変更しました。
” 私は人生最高の宝を手に入れた、もう欲しいものは何も無い ”
あー、そういうことですか。そういうことだったのですね。公爵様。
私は前から疑問に思っていたのです。貴方はどうして、セラフィーナ様を精霊廟に行かせようとしなかったのか? アレクシスの化身は、アレクシア王国を真に支えていると言って良い大切なお役目。普通に考えるなら、魔力や学問等、殆どの面で妹君、メイリーネ様より優っておられるセラフィーナ様を向かわせるのが普通でしょう。というか、そうするべきです。
なのに、貴方はセラフィーナ様ではなく、メイリーネ様を精霊廟に行かせようとした。
貴方はセラフィーナ様を何としても残しておきたかった。会うことが出来る、顔を見ることが出来る俗世に残しておきたかったのですね。
アンリエッタ様から聞きました。精霊廟、アレクシス廟は男子禁制、たとえ公爵様でも、国王陛下でも立ち入ることは出来ず、化身自身の外出も滅多なことでは許されないと……。
公爵様、貴方はセラフィーナ様に亡くなられた奥方様、ソフィア様を見ておられます。セラフィーナ様は、貴方が他には何もいらないと思うほど愛した奥方様と瓜二つ。そのように見るなという方が無理でしょう。
…………苦しかったでしょうね。自らを責められたでしょうね。
王国のことよりも、セラフィーナ様と同じく可愛い娘であるメイリーネ様のことよりも、自らの想いを、ソフィア様への慕情を、優先してしまったのですから。
でも、私は非難しません。だってだって、愛とはそういうものでしょう。相手に心を寄せること、心を偏らせること……。私も心を偏らせています。セラフィーナ様に向けて、めいっぱい力の限り偏らせているのです。彼女か、彼女以外の世界の全部か、そのどちらかを選べと言われたら、私は彼女を選びます。どんなに悩んだとしても、最終的には彼女を選ぶでしょう。
黙り込んでしまっていた私をセラフィーナ様が気遣って下さいました。
「パティ様、どうかされましたか? お加減でも悪いのですか?」
「いえ、すみません。セラフィーナ様のお母様は、公爵様に、人生最高の宝とまで思ってもらえて、幸せだっただろうなと考えていたのです。羨ましいですね」
思っていたことは言いませんでした。でも、嘘は言っておりません。
「そうですね。お母様は幸せだったと思います。でも、私は羨ましくありませんよ」
「え、羨ましくない?」
「当然でしょ。私にはパティ様がいて下さるのですもの。それとも、パティ様は私を『人生最高の宝』と思って下さらないのですか?」
拗ねた素振りを見せつつも、彼女の薔薇色の頬は緩み、大きな瞳は喜色に輝いています。私は直ぐに降参しました。彼女を抱きしめました。
「何を言っておられるのですか、セラフィーナ様。勿論、勿論ですよ。貴女は私の人生最高の宝です!」
「私もです。私もパティ様がおられれば、他に何も欲しくはありません!」
彼女も抱き返してくれます。
「セラフィーナ様!」
彼女の言葉に喜んだ私は、さらに強く抱きしめようとしたのですが、有能メイドコンビが邪魔してくれました。
「「 お嬢様方 」」
ヒェ! という感じで、私達は跳び離れました。扉の方を見るとアンナとマルグレットが立っています。私は部屋に入った後、ちゃんと扉を閉めました。ノブを回す音も、扉が開く軋み音もしませんでした。(後で、セラフィーナ様にも確認をとりました。彼女も私がちゃんと扉を閉めたのを見たそうです)
何なのこの二人? 最早、ただのメイド、優秀なだけのメイドとは思えない。なんて恐ろしい者達を私たちは専属にしているの!
私達は恐怖の目でアンナとマルグレットを見ましたが、二人のこちらを見る目は大変生暖かいもの。ニヨニヨ、ニマニマしています。
やめて~。そんな目で見ないで~。
マルグレットが、ため息をつくかのような感じで言います。
「仲が良いのは大変よろしいことですが、そろそろお着替えをして頂かないと間に合いません」
アンナが、元気な声で言います。
「そうです。無理を言って予約をとったと聞いてますよ。その上、時間を守らなかったら、もはや傲慢。傲慢貴族です」
アンナ、傲慢貴族ってね。私だけに向かってならともかくセラフィーナ様にもなんて……、度胸が据わっているというか、なんというか。貴女、大物ね。現時点でマルグレットより大物だと思う。
「あら、それは大変。館内の案内はまた後日に。よろしいですか、パティ様」
「ええ、勿論です。急ぎましょう」
私は廊下に出ようと扉の方へ向かいました。ですが、扉を抜ける時、後ろからセラフィーナ様の声が聞こえました。とても愛情の溢れる声でした。
「お母様、行って参ります」
私は振り返りませんでした。いえ、振り返れなかったのです。どんなに上手く描けている肖像画でも、絵は所詮絵です。如何に心を込めて語りかけたとしても、何も答えてはくれないのです。
ソフィア様、私は貴女をお恨みします。貴女はなんとしても生きて、今ここにいるべきでした。ここにいて、笑顔を向けるべきだったのです。
『いってらっしゃい、セラフィーナ』
と……。
私のなんとも言えない気持ちを瞬時に悟ったマルグレットが言ってくれました。
「さ、パティお嬢様はアンナとお先に。セラフィーナお嬢様は私が」
「ええ、わかったわ」
彼女は本当に変わりました。以前のあのマルグレットは何だったのでしょう。人とは、ほんと不思議なものだと思いながら、私はアンナと共に自室へと向かいました。
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夏用の外出着に着替えた私とパティ様、そしてマルグレットとアンナを乗せた馬車は、快晴の空の下、出発しました。
私達が向かうのはアルス高原の東に位置するマーテル湖、その湖畔にあるレストランです。そのレストランは絶品の料理だけではなく、フロアから素晴らしき眺望を楽しめることが出来る超人気の店。予約の申し込みは常時殺到し続け、予約をとれる確率は十分の一とも二十分の一とも言われています。
このような状況の上、レストランの店主は客の階級で忖度をされない方、うちのような高位貴族であっても予約をとるのは至難の業です。
今回の予約は、マクレイル爺が二度三度と談判に出向き、相手を根負けさせて勝ち取ってくれました。ありがとう、爺。このお礼は何時か必ずさせてもらいますね。
「セラフィーナ様は、これから行くお店で食べられたことはあるのですか?」
パティ様が笑顔で聞いてこられました。
「いえ、一度も。でも、何回か行かれたことのあるお父様にお伺いしたところ、とてつもなく美味しいとのことでしたよ」
「なんと! 公爵様が、そのような評価を! 楽しみです、ほんと楽しみですね、セラフィーナ様!」
「ええ、そうですね。楽しみです」
期待に胸を膨らませているパティ様を見ているのは、なんとも嬉しく、自然と顔がほころびます。
小一時間ほどしてマーテル湖に到着しました。でも……
「お嬢様方、残念ですね。天気が悪くなってきました。これでは景観が楽しめません」
「仕方ありませんよ。高地の天気は変わりやすいものです、雨になっていないだけ良かったと考えましょう」
雲が沸き立ってきた空を、不満げに見やるマルグレットにそう答えました。しかし、本心では残念で仕方ありませんでした。ここの景観は本当に素晴らしいものなのです。白樺の木々に囲まれた静謐なマーテル湖。その向こう屹立する王国第一の高峰コルドゥラの神々しい雄姿……、
これらだけでも絵画のような美しさなのですが、快晴無風の状態であれば、マーテル湖の湖面が鏡のようになり、コルドゥラの峰が映り込む、「逆さコルドゥラ」が見られます。あれは本当に美しいです。思わず天地を創造してくださった神に感謝の祈りを捧げたくなるような素晴らしき情景なのです。パティ様に見せてあげたかった。本当に本当に残念です。
レストランに入ると、私達は席に案内されました。私達が案内されたのは貴賓テーブル。マーテル湖への見晴らしがきく最上のテーブル席です。でも、雲がコルドゥラを隠してしまっているこの状況では……。今回は料理を楽しむことに集中しましょう。
「セラフィーナ様。このレストランは凄いところですね。お客の半分くらいは貴族のようですが、後の半分は、どうみても平民。このような店初めて見ました」
パティ様が驚かれるのはもっともです。普通、レストランは貴族向けの店、平民向けの店と別れております。近年、大商人や実業家の台頭により貴族をも凌ぐ財力をもつ平民も増えてまいりましたが、これらの階層分けは未だ多くの店で残っております。
「ここの店主が特別なのですよ。元は平民階級、商人でしたが、運河の開発の功により爵位を陛下から賜られた方です。それ故でしょうか、ここは庶民でも代金が払えるなら入店出来ます」
「へー、そうなんですか。でも、どうみても代金が払えなさそうな人達、私の昔のお仲間のような方達もおられるように見えますが……」
「それはですね。値段の抑えたメニューが用意されているのです。材料費の半分もでないくらいの安さらしいですよ」
「半分もでないって、それでは超赤字でしょう。店主は篤志家なんですか?」
「いえ、いえ。そんなことはありません。その赤字分は私達、貴族に上乗せです。貴族用のメニューは超高額です、店主は儲けまくっています。さすが元商人、ちゃっかりしてますね」
「超高額……、すみません」
私は笑い話のつもりで話したのですが、逆にパティ様を委縮させてしまいました。自分自身で思います。私はやはりお嬢様なんだなーと、お金に苦労したことがない箱入りお嬢様なんだと……。
「そんな、気にしないで下さい。あのペンダントを持っているパティ様は、もはや家族、アリンガムの一族なのです。値段など気にされる必要はありません」
私は慌てて、弁解しました。ですが、
「申し訳ありません、お嬢様」
「ほんとうに、ほんとうに申し訳ありません、セラフィーナお嬢様」
ああん、もうっ!
今度は、マルグレットとアンナが、しゅんとしてしまいました。今、彼女達は私達と同じ席についています。当然、メイド服は着ておりません。私達と同席出来るそれなりの服装をしております。どうしてメイドの二人がこのようなことになったのか?
それは席の予約が四つだったからです。マクレイル爺が、ウェスリーお父様やコンラッドお兄様も来られる可能性を考慮して予約を二席余分にとったのです。でも来たのは予定どおり、私とパティ様だけ。二席は宙に浮きました。キャンセルも出来るのですが、勿体ないのでマルグレットとアンナに回すことにしました。二人は私達のそれぞれの専属、私達のために何時も頑張ってくれています。慰労には良い機会です。(二人には着替えの時まで内緒にしていました。私なりのサプライズです)
私の失言により、微妙な空気に包まれたテーブルですが、料理が運ばれて来て食事が始まると、そんな空気は一蹴されました。美味しい、美味しすぎます! パティ様も大変喜んでくれました。
「何なんですか、この素晴らしい味は! あまりの美味しさに天へと昇ってしまいそうです!」
パティ様、味の感想には同意いたしますが、天へなど昇らないで下さいませ。私も昇らなくてはならないではないですか。私はパティ様のおられない世界など生きていたくはありませんよ。
前菜、スープ、メインと堪能し、次はデザート! となった頃、先ほど退席していった隣のテーブルに次のお客がやってきました。嫌な予感はしていたのです。
前のお客の方が帰られた後、テーブルクロスが変えられましたが、変えられたクロスは前のものより、はるかに高級なものでした。そして、そのクロスの上にカトラリーを並べ、準備をしている給仕達もとても緊張しているように見えました。私は思いました
次のお客は、王族なんじゃ……。
予感は的中しました。給仕長に案内され、侍女を伴った麗しき王女殿下がやって来られました。
「あら、セラフィーナ様。このようなところでお会いするとは、なんとも奇遇ですね」
私達四人は、席を立ち臣下の礼をとりました。ここは学院ではありません、学生として対等などとは言えないのです。
他の席の者たちも立ち上がろうとしましたが、王女殿下は「しなくてよい」というジェスチャーで制されました。皆の食事の邪魔はしたくないという意思表示。賢明な判断です。私達が立ち上がったのは失敗だったかもしれません。
「確かに。広き世界でこのように、ほんと奇遇でございますね。イルヴァ殿下」
私達の隣のテーブルにやって来たのは、私の従妹。私のことを大変嫌っておられるイルヴァ殿下です。