どっちが悪役令嬢?
21.03.04 アリンガム公爵の名前を変更。
22.01.20 王立貴族学院の在学期間を変更。
お屋敷で、私に与えられた部屋は二階の南向きの部屋でした。ベランダから美しい庭が一望できます。
お祖父様とお祖母様は、私のために見事な調度を用意して下さっていました。マットレスを使った最新式の寝台、大きな鏡台、ワードローブ、ライティングデスクとチェア、令嬢としての教養を身に着けるための本が詰め込まれた書棚。華麗な文様が織り込まれたシルクのカーテン等々、下町の実家では考えられないような高価な物が、私を取り囲んでいます。
「私、本当に貴族になったんだ……。もう町娘のパティじゃないんだ……」
不安と喜びが、ない交ぜで落ち着きません。この気持ちをどうしたら! と悩んでいたところ、女神様がまた降臨なさって下さいました。グッドタイミングです、女神様!
「パティ、どうですか、貴族のご令嬢となった一日目の感想は」
「怒涛の一日でした、境遇が変わり過ぎです。心がふわふわするばかりです」
「まあ、すぐ慣れるでしょう。では、がんばって下さいね。時々様子を見に来ます」
「ちょ、ちょっとお待ち下さいませ、女神様!」
女神様が、そうそうに帰ろうとするので、私は呼び止めました。
「何でしょう。何か聞きたいことでもあるのですか?」
「はい、ひろいんとして皇太子殿下の心を奪い、公爵家令嬢セラフィーナ様との婚約を破棄させよ、とのことですが、そのようなことをすれば、セラフィーナ様が可哀そうではありませんか。本当に良いのですか?」
「良いのです」
「何故、良いのですか?」
「公爵令嬢セラフィーナは悪役令嬢なのです。つまり悪なのです、蹴散らして良い存在なのです」
女神様は、どうです、納得いったでしょう、というかのように、むふーっと鼻から息を吐かれました。
いえ、そんなレッテルでは、納得できません。
「では、どのような悪なのでしょう。犯罪にでも手を染めているのですか?」
「さあ、どうなんでしょうね。私はよく知りません」
女神様の返答に私は腰が砕けてしまいました。さあって、よく知らないって。この女神様、大丈夫なの? まさか、偽神ではないでしょうねー。じろ~り。
「なんですか、その疑うような目は。セラフィーナが悪なのは確かです。逃亡した、この世界担当の神のメモが残っています。セラフィーナは悪、悪役令嬢! となっているのです。間違いありません」
頭が痛くなってきました。完璧に伝聞です、それも、「○○ちゃんが、××ちゃんが、いけないと言ってた、××ちゃんは悪い子だ!」のレベル。子供か。
「あの、それ、ちゃんと確かめた方が良いんじゃ、冤罪だったらどうするんです」
なんかもう、神様への敬意とか薄れてきました。
「そんな暇はありません! こんな担当でもない世界を急に当てがわれて、てんてこ舞いなのです。貴女などに、この苦労はわかりません。引継ぎは、逃げた神が、乱雑に書き飛ばしたメモ書きだけ。こんなのでどうやれば良いのです、私は精一杯頑張っています。過大な要求をしないで下さい。ほんとに、もう!」
うわ、逆切れだ。
私は自分が、女だから知っています。こうなった女性に逆らっても無駄です、謝り、御機嫌を取り続けるしか道はありません。世の男性方、ゆめゆめお忘れなきよう。
「すみません。私が浅はかでございました。そんなに大変な状況だとは思いもしませんでした。女神様はご苦労なさっているのですね」
「そうです、苦労しているのです。ほんとにあの神のせいで、私の休暇が……」
この後、女神様の愚痴は長々と続きました。
「逃げた神様は、ほんと酷いですね、見つけたら、一発ビンタでもお見舞いしてあげれば良いのです」
「ビンタ! 良いですね。貴女はよくわかっていますね、パティ」
…… 私は何をやっているのでしょう? 神様の愚痴の聞き役など、私のするべきことでしょうか?
それから数日は穏やかな日々、ちゃんとした貴族令嬢になるための勉強の日々を過ごしました。
お祖父様は、私に優秀な先生をつけてくれました。私の又従姉にあたる、子爵令嬢アンリエッタ様です。アンリエッタ様は二十歳、笑窪が印象的な優しいお姉様です。人のお世話をするのが大好きだそうです。そのような御方だからでしょう。下町育ちで貴族令嬢としての常識やマナーを殆ど知らない私に、辛抱強く懇切丁寧に教えてくれます。
そのようなアンリエッタ様の授業を数日受け、彼女と仲良くなった私は、授業が終わった後、思い切って聞いてみました。女神様からの情報は全く信頼がおけないので、自ら集めることにしたのです。
「アンリエッタ様、筆頭公爵家御令嬢セラフィーナ・アリンガム様を知っておられますか?」
「セラフィーナ様ですか。知っておりますよ、数回ほどお会いしたことがあります」
「どのような御方ですか、やはり、お噂通りの素晴らしいご令嬢なのですか?」
「そうですね、容姿性格勉学魔法、全て完璧、令嬢の中の令嬢としか言いようがありませんね。でも、そのようなセラフィーナ様が幸せかというと……」
「え、不幸せなのですか?、皇太子殿下の婚約者でもあらせられるのに、」
「いえ、その。今のは忘れて下さい。セラフィーナ様の、アリンガム家のプライベートに当たること。私はたまたま知っただけで……。これは言ってはいけないことでした。ごめんなさい」
「いえ、私の方こそ興味本位な質問を……、すみませんでした」
私がそう言った瞬間、アンリエッタ様の目が大きく見開かれ、輝きました。あれ? 私、何かアンリエッタ様が喜ぶようなことを言いましたっけ。
「パティ、貴女、セラフィーナ様に興味がお有りになるの」
「ええ、まあ、有名な御方ですし……」
「だったら、お会いになれば良いわ。貴女のお祖父様、男爵様に頼めば簡単に会えますよ」
「簡単って。あちらは筆頭公爵家ですよ。うちなんかとは格が違い過ぎます」
「格なんて関係ありませんよ。アリンガム公爵様とロンズデール男爵様、お二人はチェスの好敵手。とっても仲がおよろしいのよ」
「お祖父様と公爵様が! ほんとですか!」
「ふふ、ほんとですよ。このような嘘をついて何になるのです」
私の驚き様に、アンリエッタ様が破顔されました。
しかし、思わぬ繋がりがあるものです。皇太子殿下やセラフィーナ様と出会えるのは、来月、王立貴族学院に入学してからだろうと思っていたので大変驚きました。
※王立貴族学院。
王族子女や貴族子女が入学を義務づけられている学院。十五歳になる年から三年間通う。
「男爵様がチェスをしに行かれる時に、連れて行ってもらっては如何。私、貴女なら、彼女と良い友達になれると思うのです。何故だか、そう思えるのです」
アンリエッタ様の言葉には、苦笑いするしかありませんでした。
「そんな、下町育ちの私なんか相手にしてもらえませんよ」
「あら、セラフィーナ様はそのような差別をする御方ではありませんよ。もし、する御方なら、どんなに容姿や才能が優れた御方でも、褒めはいたしません。残念な御方と評します」
うーん、セラフィーナ様のどこが、悪、悪役令嬢なのでしょう? 女神様。
アンリエッタ様の言葉を信じるなら、彼女は、良い人、善人に他なりません。
もし、ほんとに善人なら、その善人の婚約者を奪う(予定)私は何なのでしょう。良い者ですか? 悪者ですか? 答えは勿論、悪者。悪です、私の方が悪役令嬢です……ううう。
これはもう、自分で確かめてみるしかありません。他人の言葉に頼ってばかりでは限界があります。私は、お祖父様にアリンガム公爵家に連れて行ってもらいたい、セラフィーナ様にお会いしたいと頼みました。
『わかった。閣下に打診しておこう』
お祖父様はあっさりと承諾下さいました。絶対、もう少し貴族社会に馴染んでからにしなさいと言われると思っていただけに、そのあまりのあっさりさは拍子抜けでした。後で、メイベルお祖母様に聞いたのですが、お祖父様は公爵様に孫自慢が出来ると大層喜んだそうです。
ハンフリーお祖父様、こんなに過分に思って下さり感謝いたします。私は幸せです。でも、ちょっと親バカならぬ、祖父バカ過ぎません?
十日後、お祖父様は私をアリンガム公爵家へ連れて行ってくれました。
「はじめまして、パティ様。ウェスリー・アリンガムが長女、セラフィーナ・アリンガムです。以後、お見知りおき下さいませ」
にっこり。彼女の微笑み一つで、世界が歓喜に包まれます。
私は眼の前にいる彼女が信じられませんでした。見目麗しいとは聞いてはいましたが、これほどまでだとは思ってもいませんでした。本当に人なのかと思ってしまうレベル。個人的感覚で言わせてもらえば、時々、愚痴を言いにくる女神様より、セラフィーナ様の方が遥かに美しいです。
女神様、もっと頑張って! 神様が人に負けてどうするの!
貴族の常識とかマナーとか、実際に学ぶのは大変でしょうね。作中では適当ですが。