楽園。
21.03.04 アリンガム公爵の名前、変更しました。
「うーん、良く眠った!」
翌日、私は別邸の自室の豪華な寝台で爽やかな朝を迎えました。自室、そう自室です。今いるこの部屋は、ゲストルームなどではなく、まごうことなき私の部屋なのです。その証拠に、部屋の扉には、私の名前が直に刻まれています。
【 Patty 】
ほんとうに家族扱いです。嬉しいです。セラフィーナ様のお父上、アリンガム公爵、ウェスリー・アリンガム様には、いくら感謝してもしきれるものではありません。
公爵様、大好きです! 今度、パパと呼ばせて下さい!
ガチャリと扉が開き、アンナが洗面用の水とタオルを持って入って来ました。彼女は毎朝、早くから起きて私の朝の準備を万端にしてくれています。着替えの用意なども、ばっちり。ボタンがとれかけていたりなんてことは一度たりともありません。彼女の専属メイドとしてのプロ意識、素晴らしいです。
アンナ、貴女も大好き! 尊敬さえしてる!
「おはようございます、パティお嬢様。よく眠れましたか?」
「ええ、ぐっすり。王都と違って、寝苦しさが全く無かったわ。地獄から天国へ来たみたい」
「確かに。高原の空気は全く違いますものね」
鉢に水を注ぎながらアンナはフフッと笑いました。その笑顔は健やかさが満ちています。彼女もよく眠れたようです。良かった良かった。
「ところで、セラフィーナ様はもう起きられているのかしら?」
「さあ、どうでございましょう。セラフィーナお嬢様は朝がお弱いですから、たぶん、まだ眠っておられるのではありませんか」
「え、セラフィーナ様って朝がダメなの?」
ある意味、完璧人間だと思っていたセラフィーナ様の思わぬ欠点に少々驚きました。
「はい、大変お弱いようです。二度寝、三度寝は当たり前で、マルグレットさんが、お嬢様のお世話で一番大変なのは朝起こすことだと嘆いてました」
へー、あのマルグレットが愚痴るほどって、一体……。興味が湧いて来ました。
「アンナ、頼みがあるんだけど」
「何でしょう」
「貴女の服、貸してちょうだい」
「?」
何を言っているのですか? お嬢様、という顔をするアンナの横で、私は丁寧に顔を洗いました。あー、気持ちが良い!
そして、半刻もたたないほどの後、私はアンナとマルグレットを従えて廊下を颯爽と歩いていました。
後ろからついて来るマルグレットとアンナが小声で話しているのが聞こえてきます。
「アンナ。貴女の主人、すこし変だと思っていたけれど、やっぱり変ね」
「いえ、まあ、その。否定はしませんが、大好きなセラフィーナ様を自ら起こして上げたいという、パティお嬢様のお気持ちはわかって上げて下さい」
「違いますよ、そこじゃありません。私が言っているのは格好です」
「ああ、あのメイド服ですか……」
そうです。私は今、メイド服に身を包んでいます。アンナが気持ち良く貸してくれました。
「でもまあ、パティお嬢様なりの理屈は通ってますよ。貴族子女の世話をするのはメイドの仕事。だからこそのあの格好、メイド姿なのだそうです」
「そんなの全然通ってません。お嬢様はお嬢様、メイドの格好をしたってメイドではありません。それに貴女もなんですか、そのなりは」
「こ、これは仕方ないじゃないですか。パティお嬢様に服をとられてしまったんですから。マルグレットさんは、私に下着のままでいろと言うのですか」
アンナが焦って反論しました。彼女が着ている服は、瀟洒な白のサマーワンピース。私が着る予定だったものです。黒目黒髪の彼女が着るとコントラストがはっきりして良いです。良く似合っています。
「そんなことは言ってないでしょ。私が言いたいのは……」
この二人、結構良いコンビじゃない、などとほっこりしているうちに、セラフィーナ様の部屋に着きました。扉を開け、彼女の寝台に近づいて行くと、そこにいたのは……、
「天使! 天使がいるわ! 私のセラフィーナ様はなんて素晴らしい存在なの!」
「あー、そうですね」「そうでございますね」
アンナとマルグレットの私を見つめる目が少々生暖かいように思えましたが、まあ、そんなことはどうでも良いです。
初めて見るセラフィーナ様の寝姿の美しさ、麗しさ、寝顔の可愛らしさ、愛らしさに私は感動してしまいました。あまりに感動したので、当初の予定(セラフィーナ様を起こし、その寝起きの悪さを確かめる)などは、どこかに行ってしまい、私の思いは、何時までもセラフィーナ様を眺めていたい。ただ、それだけになってしまいました。うっとりです。
「パティ様……」
おや、寝言です。私の夢を見てくれているのでしょうか。嬉しいです。
「パティ様のお胸もペッタンですね。私とお仲間~」
ガクッと力が抜けました。
うう、セラフィーナ様。そこだけは、そこだけは仲間でも嬉しくないです。コラ! 後ろの二人! 何笑ってるの! 貴女達がそれなりに大きいのは年上だからよ。私やセラフィーナ様だって、貴女達くらいの年になれば、なれば……。私は希望を未来へ託します、若さは可能性!
セラフィーナ様に近づき、声をかけました。
「セラフィーナ様、起きて下さい。朝ですよ。気持ちの良い朝です」
ですが、セラフィーナ様は全く起きる気配がありません。何度も何度も声をかけ、体も盛大に揺すってもみましたが、全然です。見るに見かねたマルグレットが加勢してくれました。
「お嬢様、いい加減起きて下さいませ。マルグレットを困らせないで下さい、お願いです!」
「う~ん、マルグレット……」
やっと起きられたのかと思いましたが、またもや寝言でした。
「貴女の服の見立てはいつも大人っぽ過ぎるのです。もう少し可愛いのでお願いします。うみゅ~」
この寝言、マルグレットにはショックだったようです。顔に斜線が入っています、明らかに落ち込んでいます。でも、元気を出して、マルグレット。セラフィーナ様は貴女が選んだドレスでいつも輝いてるよ。私なんていつも感動の嵐よ。
もうこうなったら最終手段です。私はアンナとマルグレットに目配せをし、二人とも無言でうなずいてくれました。三人で、セラフィーナ様を取り囲みます。
「「「 起きろー、この寝坊助天使ー! 」」」
私達三人は、セラフィーナ様を擽り倒しました。さすがのセラフィーナ様もこの攻撃には耐え切れず、「ひゃ、何、何! 起きる! 起きるからー!」と起きて下さいました。起きて下さったのは良かったのですが、私を見てセラフィーナ様の目が点になりました。
「パティ様。そのお恰好は……」
「あ、これはその……」私は説明をしようとしたのですが、その前に……。
「か、可愛いー!!」
へ?
「パティ様のメイド姿、なんて可愛いんですの! 私も同じ格好がしたい、同じ格好でパティ様の隣に並びたいです! マルグレット、貴女の服を貸して下さいませ!」
今度はマルグレットの目が点になりました。
この後、朝食をとるために行った食堂では、爆笑が起こりました。だって、アンナとマルグレット、メイド二人が、メイド姿のお嬢様二人(セラフィーナ様と私)にかしずかれ現れたのです。笑われない訳がありません。
他のメイド達も、私達の悪乗りに乗ってくれました。
「マルグレットお嬢様、席はこちらです。アンナお嬢様の席はこちらに」
「お嬢様。お飲み物は何になさいますか? コーヒー、紅茶、緑茶、全て取り揃えてございます。お勧めは、アルス特産のリンゴを使ったアップルティです」
「お嬢様。前菜はお嬢様が大好き……かもしれない茄子のヨーグルトサラダにございます」
「お嬢様。主菜は……」
「お嬢様。デザートは……」
お嬢様、お嬢様、お嬢様、お嬢様ー!
お嬢様攻撃に耐え切れなくなったのは、意外にもマルグレットでした。顔が真っ赤です。
「皆さん、何ですか、そのニヨニヨした笑顔は! もう止めて下さい、私をオモチャにするのは止めて!」
普段冷静沈着なマルグレットのそんな姿が面白かったのでしょう。さらなる笑いが彼女を包みました。あれ、マルグレットって同僚の間で少し浮いた感じだと、アンナに聞いていたけれど、そんな感じじゃないんじゃない?
そして、アンナお嬢様の方は……。メイド達から給仕を受け、『これ、美味しいー』って顔をしながら黙々と食べ続けていました。
アンナ、貴女、やっぱり大物ね。ほんと尊敬するわ。
このように、この私達の悪ふざけはメイド達には好評でしたが、さすがに、この館のトップ、マクレイル爺には叱られました。
「セラフィーナお嬢様、パティお嬢様。休暇中にて羽目を外したい気持ちはわかります。わかりますが、節度というものを考えて下さい。今日のことだって、急な来客とかがあって見られたりしたら。大変です」
「大変なんですか?」と私。
「当たり前です。公爵家の御令嬢が、メイド姿で給仕するなど、あってはならぬことです。社交界などに漏れたら、揶揄されまくり。お家の面目がたちません」
セラフィーナ様と私は、もうしないとマクレイル爺に約束しました。ですが、爺は後で私に言ってくれました。
「セラフィーナお嬢様は、お母上を亡くされて以来、人に心からの笑顔を見せることはございませんでした。ですが、貴女に会われてセラフィーナお嬢様は変わられました。あのように、元気に朗らかに……」
爺の目元に涙が浮かんでいました。失礼にも、つい、年寄りって涙もろいよね、などと思ってしまったのですが。マクレイル爺のセラフィーナ様を大切にしている気持ちは素晴らしいと思いました。セラフィーナ様、皇太子殿下は、貴女に友達はいないと仰いましたが、そんなことはありません。音痴姫を共にした仲間だって、別邸の皆だって、皆、皆。貴女が好きです、大好きです。
「パティお嬢様、ありがとうございました。本当にありがとうございました」
朝食を済ませ、服を本来のものに戻した私とセラフィーナ様は別邸の中を歩き回っていました。初めてここに来た私のために、セラフィーナ様が館内を案内してくれているのです。
「ここは図書室。お父様が集められた蔵書がぎっしりです」
うわっ 小難しそうな本が沢山。公爵様ってインテリ? うう、バカと思われたくない。勉強頑張ろう。
「サンルームです。ここなら秋に来てもポカポカです」
げ、値段が超高い透明ガラスがこんなに沢山。一体、幾らお金があったらこんなのが持てるの?
「ここは、コンラッドお兄様のお部屋です。お兄様は王宮での仕事が忙しいので、もう何年も来られておりません」
セラフィーナ様のお兄様かあ、次期アリンガム公爵様だね。まだお会いしてないけど、優しい人、寛大な人だったら良いなー。だって、変なのが家族に加わった、何なんだこの小娘は、なんて思われたら嫌。凹んでしまう。
「そして、こちらが、ウェスリーお父様とソフィアお母様のお部屋です」
そう言って、セラフィーナ様は愛おしそうに扉に手を添えられました。その手の先には、私達の部屋と同様に名前が刻まれています。
【 Wesley & Sofia 】
「セラフィーナ様、お母様は七年前に亡くなられたのでしたよね。お祖父様から聞きました」
「ええ、そうです。何でもない風邪を拗らせまして……」
「風邪でですか?」
「ええ、風邪でです。元々体が強くなかったのです。お父様も使用人達も、お母様が体調を崩さないよう、ずいぶん気を使ってくれていたのですが……」
「そうですか、残念です。セラフィーナ様のお母様には、お会いしてみたかったです」
「では、会ってみられますか? パティ様」
「え? 会ってみられる? お母様は亡くなられて……」
セラフィーナ様が苦笑されました。
「すみません、言い方が悪かったですね。勿論、ソフィアお母様は亡くなっています。この部屋の中に、お母様の肖像画があるのですよ」
「ああ、そういうことですか」
私は笑顔を返しました。会いたいです。
「では、会ってあげて下さいませ」
セラフィーナ様と私は部屋の中に入りました。右側の壁に肖像画あるのはわかりますが、部屋が暗くていまいちよく見えません。閉じていたカーテンが開けられました。陽光が差し込み、部屋の中が一気に明るくなりました。
「こ、この肖像画は……」
私の目の前にある額縁の中で、一人の絶世の美少女がその長い金髪を煌めかせて、草原の中に立っています。ですが、これはどう見てもセラフィーナ様です。百人にこの肖像画を見せたら、百人全員が、これはセラフィーナ様だと答えるでしょう。
昨日、マクレイル爺がセラフィーナ様は、益々似て来た。もはや生き写しだと言っていましたが、これほどだったとは……。
「セラフィーナ様。この肖像画、お母様がお幾つくらいの時のものですか?」
「私達と同じくらいの年頃、十五歳ぐらいの時のものです。当時、ソフィアお母様を見初め盛んにアタックしていたお父様が画家に描かせプレゼントしたのです。お父様は、最初は自分で描こうとしたようですが、余りに似ていないのでお母様に笑われたと仰ってました」
クスっとされるセラフィーナ様。その笑顔に、ご両親への愛情が見て取れました。
「お父様の絵は下手の横好きなんです。後にも何度かお母様の絵に挑戦しておられましたが、全然ダメでした。でも、お母様はそれらの絵を喜んで大事にとっておられましたね。たぶん、王都の屋敷のどこかにあると思います」
「へー、お二人はとても仲がよろしかったんですね」
「ええ、良かったです。特にお父様はお母様にベタぼれでした。これは、ここだけの話ですが聞きたいですか?」
「聞きたいです」
ここだけ、なんてつけられたら、聞かずにおられましょうか?
「以前、お父様の若い頃の日記を、こっそり読んだことがあるのです」
人の日記をこっそり読んだ! セラフィーナ様、それは人としてやってはならぬことです。でも、読んでしまったものは仕方ありません。さあ、どうぞ!
「お父様のお母様への気持ちが、山のように沢山綴られていました。でも、二人の婚約が決まった日に、綴られた言葉は一行だけ……」
” 私は人生最高の宝を手に入れた、もう欲しいものは何も無い ”
「お父様は、たったそれだけ記していました」