別邸到着。
「まあ、なんて美しいお屋敷でしょう! まるで白鳥が舞い降りたよう!」
馬車の窓からアリンガム公爵家アルス高原別邸が見えて来た時、私は思わず、賛嘆の声を上げてしまいました。
別邸の建物は白亜の三階建て。夕日に照らされるそのシンメトリーは、この世のものとは思えない美しさです。今までに見た建物の中で一番だと自信を持って言えます。王国一の宮殿である王宮とこの別邸、どちらが好きかと聞かれれば、私は迷わずこちらと答えるでしょう。
私があまりにその別邸の美しさを褒めちぎったので、気を良くされたセラフィーナ様が教えて下さいました。この麗しき別邸の設計者は高名な天才建築家のアントニオ・オルセン卿。建築様式は、後期スパロニック様式だそうです。
オルセン卿? 誰それ。スパロニック様式? 何それ。
わざわざ説明してくれたセラフィーナ様には申し訳ないのですが、私にはそのての知識が全くありません。「へー、そうなんですかー」ぐらいの言葉しか返せません。
うう、やはり私は平民育ちの新米令嬢。こういうところで、セラフィーナ様と私の間には歴然とした差があることを痛感してしまいます。これからはもっと真面目に勉強いたしましょう。セラフィーナ様ともっと楽しく話をするためにも、アリンガム公爵家の皆様に恥をかかせないためにも。
馬車が、別邸の玄関前に到着しました。
ガチャリ。
ドアが開かれました。馭者が、馭者台から降りて開けてくれたのです。私も貴族になって数カ月が経ち、こういうのにもかなり慣れてきましたが、やはり申し訳ないなと思う気持ちはどうしても湧いてきます。ドアくらい自分で開けられるのに……。
セラフィーナ様のような素晴らしき令嬢ならともかく、私のような者、こんなに手厚く扱ってもらえる価値がある人間でしょうか?
護衛の一騎が先行し、私達の到着を知らせていたようです。玄関前には、私達を出迎えるために使用人達がずらりと並んで待ってくれていました。ただ、その人数が……、どう見ても三十名を軽く超えています。つい、言わなくても良いことを言ってしまいました。
「セラフィーナ様。私達の滞在のためにしては使用人が多過ぎませんか? 私達はアンナ達を連れて来ています。もっと少なくても良いのではありませんか? 贅沢です、贅沢過ぎます」
「パティ様。そう仰られるお気持ちはよくわかります。でも、仕方ないのです」
「仕方ない?」
セラフィーナ様のお顔は悲しそうでした。私は、しまったと思いましたが、後の祭り。困惑気味の主人に代わってマルグレットが説明をしてくれました。
「パティ様。ここアルス高原は高級避暑地。国王陛下が離宮を、多くの大貴族や大商人が別邸を構えています。それ故、交流は必須。お茶会やパーティなどを開き、互いに招待し合わなければなりません。その為にはこれくらいの人員は、どうしても必要なのです。むしろ、アリンガム筆頭公爵家の家格から言えば少ないと言えます。例えば、アリンガム家の分家、アラハイム公爵家などは五十名近くの使用人を使っておられます」
恥ずかしさと申し訳なさで心がいっぱいになりました。セラフィーナ様に謝りました。
「無知をさらけ出してしまい、すみませんでした。物事には理由がある、そんなこともわからないなんて恥ずかしいです」
「気落ちしないで下さい。私も初めてここに来た時は同じように思いましたよ」
セラフィーナ様は優しいです。私も同じだったと慰めてくれました。でも、それは五歳の頃の話でした。五歳児と同レベル……。セラフィーナ様、あまり慰めになっておりません。しくしく。
そして、マルグレットに頼みました。
「平民上がり故、私には多くの貴族的素養が抜け落ちています。どんなことでもかまいません。貴女が気づいたことがあれば、私に教えて下さい」
先日、アンナにマルグレットのことを聞いてみました。アンナ曰く、あれほど有能な人は見たことがない、何でも出来る憧れの人、私もあのレベルを目指したい、でした。あのアンナがここまで言う人。教えを乞うたとしても恥ずかしくない、いえ、積極的に乞うべき人でしょう。
「お願いです」
頭を深々と下げました。
「パティお嬢様」
ん? 私への呼び方が変わってます。先ほどまでは「パティ様」でした。
「では、一つお教え致します。お嬢様のような地位のお方は使用人に対して軽々しく頭を下げてはなりません。そのように深く下げるなどもっての他です」
「え、でも。自分が誤っていた時は謝るのは当然でしょう。傲慢な令嬢になるのはちょっと……」
「使用人に対しては絶対謝るなとか、傲慢に振る舞えと言っているのでありません。自らが間違っていた時は、『すまなかったわ』『ごめんなさいね』と言葉で謝ればよいのです。今のように頭を下げてヘコヘコする必要はありません」
頭を下げてヘコヘコって……。やっぱ、マルグレットってキツイわー。かなり優しくなったと思うけれど、やっぱキツイ。
「貴族は侮られてはならないのです。他者から良い人だと思われるのは結構なことですが、決して組みし易い人、どうとでも出来る人と思わせてはなりません。これは貴族社会の鉄則です」
「鉄則……、わかりました。以後、きちんと心に留めておきます。助言、ありがとう」
「どういたしまして」
マルグレットは私の返事に満足したのでしょう、ニコッと表情を和らげました。そんな彼女ははとても魅力的で、私やセラフィーナ様に嫌がらせをしていた頃の彼女とは似ても似つきません。いや、ほんと、人って変わる、変われるものなのですね。
マルグレットの手を借りて、セラフィーナ様が馬車を降りられました。別邸の使用人達のトップであろう六十代後半くらいのシルバーヘアーの男性が、前に出て来てセラフィーナ様に声をかけました。
「お帰りなさいませ、セラフィーナお嬢様。お元気なお姿を見れて。爺は、マクレイルは大変嬉しゅうございます。他の者も同様の気持ちにございます」
「ありがとう、爺、みんな」
セラフィーナ様は、彼の手をとりました。とても自然な感じでした。
「貴方達が館を守り、私や私の家族を待ってくれている。嬉しい、ほんとに嬉しいわ。いくら感謝してもしきれないくらいよ」
「勿体なきお言葉です、セラフィーナお嬢様。それにしても、お嬢様は益々、亡くなられた奥様に似て来ておられますね。もはや生き写しと言っても良いくらいです」
「そうね、よく言われるわ」
マクレイルの目が潤んでいました。セラフィーナ様との再会は彼にとって、とても感情を動かされることだったようです。よく考えると、私がセラフィーナ様のことで知っていることは、僅かなことだけです。セラフィーナ様がお母様似であることだって、今のマクレイルの言葉で初めて知りました。(セラフィーナ様のお母様が七年前に亡くなられているのは、お祖父様に聞いて知っていました)
彼女は、自らのことや自らの周りの人のことをあまり語らない方です。このことは、とても残念なことです。ですが、無理強いなど全くする気はありません。そのような行為は、愛から一番遠いもの。セラフィーナ様は、そのうち自ら話してくれるでしょう。私は、じっとそれを待つだけです。
二人の会話が終わったようなので、アンナの手を借りて馬車を降りました。はっきり言いまして、緊張していました。使用人達、彼ら彼女らは私をどう思うでしょう? どのような視線を私に送って来るでしょう? もし、初めて会った時のマルグレットのような蔑んだものだったら……。チキンなハートがびくびくでした。
しかし、まったくの取り越し苦労でした。マクレイルや他の使用人達が私を見る目は、温かなものでした。
「当館の管理を任されているマクレイルです。貴女様のことは、セラフィーナお嬢様から、先にお手紙を頂いておりました。お嬢様を窮地から助けてくれた恩人、大切な方だとお嬢様は書いておられました。ロンズデール嬢、私からも、心からのお礼申し上げます。よくぞ、私達の大事なお嬢様を救って下さいました。ありがとうございます」
マクレイルは深々と頭を下げてくれました。先ほどの私よりずっと深々と。
「頭を上げて下さい。助けてもらっているのは私の方です。私はセラフィーナ様に大したことは出来ておりません」
「謙遜は無用でございますよ。大したことが出来ておられない方を公爵様がご家族にお加えになる訳がございません」
「パティ様、過剰な謙遜はむしろ悪徳ですよ。ねえ、爺。そうよね」
「真に、真に」
マクレイルと笑いあうセラフィーナ様の胸元で真正紋のペンダントが揺れています。そして、それと同じものが私の胸元にも……。胸が熱くなって来ました。マルグレットに、この真正紋のペンダントを授かったからは、実質、私は公爵令嬢。アリンガム公爵家令嬢パティなのだと言われましたが、実感が全く湧いていませんでした。ただ、ただ、自らの境遇の変化に驚いているだけでした。でも、今は……
「マクレイルさん。私をセラフィーナ様の家族と認めていただけるのですね」
「勿論です、勿論ですよ、パティお嬢様。それと、私に、さん付けはいりません。『マクレイル』もしくは『爺』とお呼び下さいませ」
セラフィーナ様が私の手を握って来られました。彼女の方に視線を向けると、彼女の目が言っています。さあ、パティ様。言ってあげて……。
「ありがとう、マクレイル。ほんとにありがとう、爺」
こう言った後の、マクレイルの喜ぶ顔を私は忘れることが出来ません。会って直ぐわかりました。彼はセラフィーナ様に本当に近しい人。セラフィーナ様のこと心底思ってくれている人。そのような人が私を…………、嬉しい、本当に嬉しい!
マクレイルが、後ろに並ぶ使用人達に向かって呼びかけました。
「皆、お二人に挨拶を!」
三十数名の唱和が、夕映えの空に響き渡りました。
お帰りなさいませ、セラフィーナお嬢様!
お帰りなさいませ、パティお嬢様!
お帰りなさいませ、私達のお嬢様!
なんて優しい人達、なんて優しい空間……、私とセラフィーナ様は泣き出さないように必死でした。
後日、この時のことをアンナに散々冷やかされました。
「国王陛下だって、あんなに温かい歓迎はしてもらえませんよ。お嬢様は幸せな方ですね、ほんと幸せな方です。爆発して下さい」
ほんとにそう思います(でも爆発はごめんです。なんで爆発しなきゃならないの?)。しかし、冷やかされてばかりでは嫌でした。アンナの肩にしな垂れかかり、首元に手を回しました。喰らえ、セクシー攻撃。
「なっ」 アンナの顔が少し赤らみました。
「そうねー。ほんと幸せねー。私にはアンナもいるもんねー」
言い終わると同時に、吐息をアンナの耳元に吹きかけます。フー!
この後は盛大に慌てるアンナの様を楽しんだと言いたいところですが、楽しむどころではありませんでした。この犯行(?)現場を、運悪くセラフィーナ様に目撃されてしまったのです。
「パティ様とアンナがそんな関係だったなんて! パティ様のバカ! この女たらしー!! うわぁーん!!」
セラフィーナ様は駆け去って行きました。アンナが絶叫しました。
「セ、セラフィーナ様、待ってください! 誤解です、誤解なんです! 私はこんなの要りません! こんなスカポンタン、リボンぐるぐる巻きにしてセラフィーナ様に差し上げます! 差し上げますからー!」
アンナはセラフィーナ様を追って行きました。一人、部屋に取り残され呆然とする私。
私は、下町に生まれましたが、可愛い子ちゃん(死語)に生まれたせいで男の子にはモテモテでした。それが今では、王国一の美少女から「女たらし」呼ばわり。
どうして、こうなった? どうしてこうなったのでしょう?
まあ、余談はともかく。こうして私とセラフィーナ様の別邸での日々、夏季休暇の日々は始まりました。