お父様からの贈り物。
今、私の心は浮き立っています。
「これもある、あれもある。ふっふ~ん♪」
コン、コン!
扉がノックされました。お父様でした。お父様が私の部屋に来て下さるなんて珍しいです。お父様は部屋に入るなり、呆れ気味に仰いました。
「セラフィーナ、少しは落ち着いたらどうだ」
お父様が何故呆れているかというと、私が、旅行ケースの中身を絨毯の上にぶちまけて忘れ物がないか確認していたからです。ケースの中身はマルグレットが用意し詰めてくれました。彼女はとても優秀なメイド、必要な物の入れ忘れなどあろう筈がありません。これは全く必要の無い行為です。
「すみません、お父様。でも、明日からパティ様と避暑に行けると思うと嬉しくて嬉しくて、じっとしていられないのです」
「そうか、気持ちはわからんでもないが……」
私の満面の笑みに、お父様は少々戸惑い気味のようです。でも、仕方ありませんね。私は、幼い頃から自分の心の内側を殆ど人に見せて来ませんでした。特に、ここ数年は酷い物でした。人に見せる表情は全て仮面。お父様に見せる顔でさえ心の無い仮面でした。
でも、今は違います。恋人が出来ました。一生持つことが出来ないだろうと諦めていた恋人が出来たのです。それも、想い望んでいた以上の……、私は今、幸せに包まれています。仮面など、何故被る必要があるでしょう?
ああ、パティ様……。
お父様は、私の心をきちんと認識されたのでしょう。ストレートな問いかけをして来られました。
「セラフィーナ。お前にとってパティ嬢は何なのだ? 言ってみなさい」
恋人です。身も心も捧げたいと思っているお方です! と声高らかに言いたかったです。でも、言えませんでした。私は皇太子殿下の婚約者です。互いに心が通い合っておらずとも婚約者であることは確かなのです。言葉を選びました。
「パティ様は大切なお方。私にとって、とてもとても大切なお方です」
お父様。これで許して下さいませ、この答えで、どうか……。
少しの間、お父様は眉間に皺を寄せ逡巡されていましたが、最後には表情を緩め言ってくれました。
「……わかった」
たった一言でしたが、嬉しかったです。本当に嬉しかったです。
お父様はジャケットの内ポケットから細長い小箱を取り出されました。
「明日、これをパティ嬢に私からだと言って渡してくれ」
「お父様から? それは何なのですか?」
「パティ嬢へのお礼の品だ。彼女は、お前と我が家の面目を保ってくれた。彼女が支援魔法を使ってくれなければ、あの時、お前の心は持たなかっただろう。私は衆人の目の前で、お前が泣き崩れるんじゃないかと冷や冷やしたぞ。それをパティ嬢は救ってくれた。いくら感謝してもしきれんよ」
「お父様! あの時の私の状態とパティ様の魔法に気づいておられたのですか!」
「セラフィーナ。私は魔力量では劣るが、魔法の知識や魔法感知の精度においては、お前より遥かに上だぞ。バカにするでない」
失礼を詫び、お父様から小箱を受け取りました。
「それは、親としての気持ちだ。そして…………、いや、いい」
お父様は、何故か最後まで話されず、私の部屋を後にされました。普段、あやふやな物言いを滅多にされないお父様です。今日のお父様は少し変です。
部屋に一人残された私は、その細長い小箱の中身が気になって仕方がありませんでした。親としての気持ちとは何なのでしょう?
「別に封がしてある訳でもないし、中を見るなとも言われなかったし、見ても良いわよね?」
誘惑に負け小箱を開けました。中にあったのは純銀製のペンダント。
「こ、このペンダントは……」
声が震えました。
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厳しい陽光が照りつける中、アリンガム公爵家の紋章を掲げた一台の馬車が、六騎の護衛と共に中央街道を一路北へと進んでいます。
その馬車に乗っているのは、セラフィーナ様、私、アンナ、マルグレット、の四名。そして目的地は王国有数の高級避暑地として有名なアルス高原。セラフィーナ様のお家、アリンガム公爵家は、そこに別邸を持っており、セラフィーナ様が私に申し出て下さったのです。
「夏季休暇中のご予定はもうお決まりですか? もし決まっておりませんでしたら、避暑をご一緒されませんか? 是非、ご一緒下さいませ。パティ様」
「なんて素晴らしいお申し出! 勿論、行かせてもらいます。涼やかな高原で、最愛のセラフィーナ様と朝から晩まで一緒に過ごせるなんて、夢のようです」
「まあ、最愛だなんて……、夢のようなんて……」
私は演劇祭以来、愛の言葉を惜しまないようにしています。だって、セラフィーナ様は、私の言葉一つ一つに、敏感に反応してくれます。頬を染めて恥じらわれ、、あの零れそうな大きな麗しい瞳を熱く潤ませてくれれるのです。言葉など惜しんで何の得があるでしょう。
「セラフィーナ様、貴女と心を通じ合うことが出来て幸せです」
「私も幸せです。でも、この幸せは本当に現実なのでしょうか? パティ様、私の頬を抓ってみて下さいませ」
勿論、抓って差し上げましたよ。セラフィーナ様の薔薇色の頬は、とても柔らかでした。あまりに柔らかいので、調子に乗って抓り過ぎました。
「痛で、痛でで!」
若干、美少女らしからぬ悲鳴でしたが、そんなアンバランスなところも大好きですよ、セラフィーナ様。
ゴットン!!
大きめの石か何かに乗り上げたのでしょう、馬車が大きく揺れました。王国の街道は諸国のものに比べ、よく整備されてはいますが、流石に街中の石畳のようにはいきません。
「きゃ!」
左隣に座るセラフィーナ様の身体が、大きく寄りかかってきました。セラフィーナ様の身体、頬と同様、本当に柔らかいです。まるでマシュマロのよう、力いっぱい抱きしめたら、壊れてしまうのではないかと思ってしまいます。
でも、彼女の筋力は人並み以上ですし、運動神経も抜群です。どういう体の造りをされているのでしょう? これは、私が認定する「セラフィーナ様七不思議」の一つです。他の六つは……、いずれまた。
セラフィーナ様を優しく起こして差し上げました。
「大丈夫ですか、セラフィーナ様」
「はい……。大丈夫です。ありがとうございます、パティ様」
私を見つめるセラフィーナ様の目が熱いです。これは、恋する乙女の目。
ゴトン……。
「きゃ!」
大した揺れでもないのに、マルグレットが盛大にアンナに寄りかかりました。アンナがマルグレットを抱き起し、言いました。
「大丈夫かい、私の愛しいマルグレット」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、愛しい愛しいアンナ様……」
二人は、熱く見つめ合った後、こちらを見て来ました。ニヨニヨした目で……。
「もう! 貴女達は何なんですか! 茶化さないで下さいませ!」
二人の冷やかしに抗議されるセラフィーナ様の隣で、私は安堵しておりました。前々からセラフィーナ様とマルグレットの仲は、かなり険悪でしたが、それは解消されたようです。何故、和解出来たのかは全くわかりません。でもまあ、セラフィーナ様にとっても、私にとってもこれはプラスのこと。喜んでおけば良いでしょう。最近ご無沙汰の女神様も言っておられました。
『 仲良きことは美しき哉 』
ほんとそうです。女神様の世界の言葉のようですが、ほんとその通りだと思います。
こうして女四人、姦しくしている間にも馬車での旅は順調に進み、もうすぐアルス高原! となった頃。セラフィーナ様が、仰られました。
「そうそう、あれをパティ様に、お渡しておかなければ!」
「私に?」
「ええ、そうです。お父様からの贈り物です。どうか、受け取って下さいませ」
セラフィーナ様は携帯している鞄から、細長い小箱を取り出し、私に差し出してくれました。
「贈り物! そのようなことしてもらって良いのでしょうか? 公爵様は、『音痴姫』の祝勝会を盛大に開いて下さいました。あれだけでも申し訳ないなと思っていましたのに……」
ほんと豪華な祝勝会でした。下位貴族の私やマクシーネ様達は、ともかく、高位貴族のヴェロニカ様達でさえ驚くほどのお金のかかりようでした。あの日、舌鼓を打った素晴らしき超高級料理の数々、私は一生忘れません。
「まあ、そう仰らずに。これはお父様のお気持ちだそうですよ。受け取って下さいませ」
他の皆が貰っていないのに、私だけが……、という気持ちもありましたが、あまりにもセラフィーナ様がニコニコされておられるので、頂くことにしました。
「では、そのお気持ちにお甘えして……。お礼は今度、公爵様にお会いした時に改めて言わせてもらいます。開けてよろしいですか?」
「ええ、是非」
小箱の蓋を取りました。その中にあったのは素晴らしいペンダントでした。白銀に光り輝いています。直ぐにペンダントを箱の中から取り出しました。
「なんて美しい、なんて精緻なペンダントなんでしょう!」
賛嘆の声を上げた私ですが……。
「あれ? でも、このペンダント、誰かが掛けているのを見たことがあるような……、誰でしたでしょう?」
確かに見たことがあります。それも、凄く身近なところで……。
「私ですよ、私」
クスっと笑われたセラフィーナ様が、胸元の襟中に隠れていたペンダントを引き出して見せてくれました。同じです。私が、今もらったのと全く同じペンダントです。
「あー! そうです、そうです。思い出しました。セラフィーナ様でした。これは、嬉しさ倍増ですね!」
「倍増?」
「ええ。だって、セラフィーナ様と、お・そ・ろ・い、なんですよ。嬉しさ倍増なんて当たり前です。なんなら、倍倍増、倍倍倍増と言っても良いくらいです」
「まあ、パティ様。大袈裟ですよ、大袈裟」
セラフィーナ様は、盛大に照れてくれました。セラフィーナ様の笑顔、良いです。可愛いです、何時までも見ていたい……、
などと、和みまくっていたのですが、アンナが、少々深刻な顔で話しかけてきました。
「お嬢様、とんでもない物を頂きましたね。」
「とんでもない物?」
「ええ、そうです。そうですよね、マルグレットさん」
アンナは話をマルグレットに振りました。現在もアリンガム家に仕えるマルグレットが、説明した方が良いと彼女は判断したようです。
「パティ様。そのペンダント、紋章を模ったものなのですが、その紋章、ご存じですか?」
マルグレットにそう言われて、まじまじとペンダントを見てみました。確かに紋章と言われれば紋章です。でも、知っているかと言われると……。あえて言うならアリンガム家の紋章と似ていますが、かなり印象が違います(アリンガム家の紋章は、もっと地味です)。この紋章にはアリンガム家の紋章にはない意匠が、左右に広がる翼の意匠がついています。
私はマルグレットに向かって首を振りました。
「わかりません。アリンガム家の紋章に似ているような気がしますが……、関係がある紋章なのですか?」
「あります。実は、その紋章もアリンガム家の紋章なのです。名称は『アリンガム真正紋』、アリンガム家の本来の紋章です」
「真正紋? 本来の紋章? 紋章が二つもあるのですか?」
その疑問にはセラフィーナ様が答えてくださいました。
「パティ様、真正紋はアリンガム家創建当初より受け継がれて来た紋章です。ですが、主君たる王家の紋章より、派手なのは如何なものかという提起がなされ、もう一つの紋章が作られました。それが、普段使っている紋章です。この馬車にも掲げられていますね」
私は頷きました。私が知っているアリンガム家の紋章はそれです。
「パティ様。ここからはよく聞いて下さいませ」
セラフィーナ様の口調の真剣度が変わりました。
「真正紋は、アリンガム家にとって、新しいもう一つの紋章より遥かに大切な紋章です。普通、人への贈り物に使用することなど有り得ないのです。アリンガムの分家にだって、私達本家は使うことを許しておりません」
「分家にも許してないって、それじゃ……」
「そうです。お父様は、パティ様をアリンガム本家の一員として認めて下さったのです。パティ様を評価し、私達のことを、私達の心を認めて下さいました」
マルグレットとアンナが、私達の手を掴んで来ました。
「セラフィーナお嬢様、パティ様、おめでとうございます」
「おめでとうございます、お嬢様方。良かったですね」
セラフィーナ様は、直ぐに、笑顔で返事を返されました。
「ありがとう、二人とも。本当にありがとう」
しかし、私は、思ってもいなかった展開に呆然となってしまって、言葉が出せませんでした。そんな私を気遣ったのでしょうか、マルグレットが言ってきました。
「パティ様、真正紋のペンダントを授かったからと言って、貴女の姓がロンズデールから変わる訳ではありません。でも、人は、そのペンダント持っているパティ様を、最早、男爵令嬢とはみなしません」
へー、そうなんだ。彼女の言葉がするっと頭に入ってきません。
「今の貴女は公爵令嬢、アリンガム公爵令嬢パティと言って良い存在になったのです。このことは、くれぐれもお忘れなきようお願いいたします」
「ええ、そうするわ……」
私は、びびってしまっていました。自らの環境が、あまりにも急激に変化して行くことに怖気づいたのです。笑えますね、既にセラフィーナ様と恋仲になっているのと言うのに、今更何をと思われるかもしれません。
でも、だって、仕方ないでしょう。
私は平民だったんです。たった数カ月前まで、どこにでもいる、下町の小娘に過ぎなかったのです。