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臣の道。

 お兄様のお部屋をお訪ねしましたが、あいにく留守でした。部屋の留守を預かる、第三従者が答えました。


「セドリック殿下は、陛下の執務室に向かわれました。戻られるのは夜になるかと」


「そう、私が来たことを伝えておきなさい」


 拝命の辞儀をする従者を背に、お兄様の部屋を後にしました。


「もう! お兄様は最近、父上のところばっかり。いくら皇太子といっても、お兄様もまだ学院生、学生よ。これほどまで政務に関わることはないじゃない。もう半月以上もお目にかかってないわ。酷いと思わない、アイリス」


「姫殿下。セドリック殿下は将来、国を背負われる身です。会えなくてお淋しいでしょうが、もう少し寛容におなりあそばされませ」


「私は寛容よ。侍女の貴女に愚痴を言うだけに留めてる、これを寛容と言わずして何を寛容と言うの」


「それは、そうかもしれませんが……」


 アイリスの苦笑いを無視して、足早に王宮の回廊をずんずんと進みました。


 申し遅れました、私はアレクシア王国第三王女、イルヴァ・アリエンス。皇太子セドリックは二つ年上の兄です。


「本当に腹立たしい、腹立たしいったらありゃしない!」


 え? そんなにセドリックお兄様に怒っているのか? ですって。


 いいえ、私が腹を立てているのは、セドリックお兄様にではありません。私の従姉妹、お兄様の婚約者である筆頭公爵家令嬢、セラフィーナ・アリンガムに対してです。


 理由はわかりませんが、この頃、お兄様は大変忙しくされ、私は会うことさえ出来ておりません。それは婚約者であるセラフィーナも同様の筈、それなのにセラフィーナは寂しがる様子など全く見せません。取り巻きを周りに(はべ)らせ、平然としています。


 特にパティとかいう男爵令嬢に接しているときの彼女は目にあまります。パティの媚び媚びの甘ったるい声が響く度、セラフィーナの瞳は輝き笑顔が(こぼ)れます。(彼女は男爵令嬢とはいうものの、下町育ちだと聞きました。どうりで品が無い訳です)


 私は悔しくて仕方がありません。セラフィーナはお兄様の婚約者という、私がどんなに望んでも得られない立場にいるのです。それなのに、彼女は、そのことに対する感謝や喜びを真に示したことはありません。彼女が示すのは形だけのもの、儀礼的なものだけです。


「殿下の婚約者にならせて頂きましたこと、光栄の極み。これからは良き伴侶となれますよう、日々、精進したいと存じます」


 何ですか、この空っぽの台詞。心の欠片も籠っていません。


 セドリックお兄様は、私の理想です。かっこよくて、お優しくて、勉学、武術、魔法等、何においても抜群に秀でておられます。小さな頃から、お兄様ほどの男性は、他にはいないだろうと思って来ました。


 このようなことを書くと、お前はブラコン。それはブラコン妹の欲目だと思われるかもしれませんが、そうではありません。実際、令嬢間におけるお兄様の人気は凄いです。お兄様が現われるだけで、彼女達の目の色は変わります。とある令嬢などは、お兄様に声をかけられただけで、感激のあまり失神してしまいました。


 その令嬢は、腹立たしいことに、お兄様に、お姫様抱っこで保健室に運ばれたのですが、それ以来、(嘘)失神者が続出。一時、お兄様は女性と話されるのをお止めになってしまいました。


 そのような訳で、私が、妹でなかったら結婚できたかもしれないのに! と思ってしまうのも仕方がないことなのです。セドリックお兄様のような素敵な男性が傍にいて惹かれないほうがおかしいです。


 そのようなお兄様にも、想い人、恋仲の女性が出来ました。セラフィーナの妹、メイリーネ様です。ブラコンの私といたしましては大変悔しかったのですが、メイリーネ様は、この方ならお兄様を渡しても……、と思える素敵な女性、女の子でした。


 メイリーネ様とセラフィーナは双子(といっても二卵性)故、よく比べられましたが、大人たちは圧倒的にセラフィーナに軍配を上げました。美しさ、賢さ、魔力等、ことごとくセラフィーナが優っていると評価しました。


 確かに、セラフィーナは途轍もない美少女でした。女性が失神してしまう程の美貌を持つセドリックお兄様と並んでさえ、全然見劣りがしませんでした……。いえ、嘘は止めましょう。二人が並ぶとより輝いて見えたのはセラフィーナの方でした。


 ですが、私はセラフィーナが好きではありませんでした。彼女のあまりの美しさは人形のように見えて少々不気味に思えましたし、その美しい人形が喋る言葉はいつも、()()()()()()、でした。例を挙げましょう。


「セラフィーナ様。貴女はどのような殿方がお好き? 聞かせて下さいませ」


「好きな殿方ですか……。そうですね、私を真に好いて下さるなら、どのような方でも私はかまいません」


 なんて欺瞞に満ちた言葉でしょう。彼女ほどの圧倒的美少女なら、殿方に対して幾らでも注文を付けられます。容姿でも、力でも、財力でも、性格でも、何でも良いです。こういう殿方が良いと正直に言えば良いのです。それなのに、真に好いて下さるなら()()()()()()()()なんて……。貴女は物語に出て来る聖女ですか?


 あんなもの、物語だから素晴らしく思えますが、現実にいたら人間味がなくて気持ち悪いだけです。


 それに比べ、彼女の妹のメイリーネ様は……、


「イルヴァ殿下。私、殿下のお許しが頂きたいのです」


「お許し? 何についてでしょう。メイリーネ様が私に、許しを求めるようなことなど、思いつかないのですが」


「実は、私、殿下のお兄様、セドリック殿下を好きになってしまいました。その許しをイルヴァ殿下に頂きたくて……」


「許すも何も、人を好きになるのは個人の自由でございましょ。私の承諾など必要ないでしょう」


「それはそうなのかもしれませんが、セドリック殿下はあのように素敵なお方。私がイルヴァ殿下の立場でしたら、『私の大切なお兄様に、他の女性が近づこうとしているなんて!』と思ってしまうと考えたのです。私の狭き心で殿下を推し量ってしまいました。申し訳ありません」


 メイリーネ様は自らを恥じるように、頭を下げられました。この時、私は思いました。メイリーネ様はなんと優しいお方、人の心を察せれる可愛らしいお方なんだろうと……。


 まじまじと彼女を見てみました。彼女の顔は真っ赤でした。メイリーネ様のお兄様への好意は本物です。彼女は、ちゃんと人を好きになれ、心を開くことが出来るお方なのです。


 喋る人形、セラフィーナとは大違いです。


 セラフィーナは、メイリーネ様より周りから多くの賞賛を集めてはいますが、心根は温かとはいえません。彼女は他の人に心を開こうとしません。同い年の従姉妹の私にでさえ、彼女は高い壁を張りめぐらせ、その中から出て来てくれようとはしないのです。


「メイリーネ様、お気持ちを、お兄様にお伝えなされたのですか?」


「いえ、それは……。父上は、セラフィーナお姉様をセドリック殿下に、とお考えのようです。全てが、お姉様に劣る私などに出る幕はありません、でも、殿下をお慕いする私の気持ちは本物です。その気持ちだけは大切にしたい、そう思っています」


 メイリーネ様の言葉に、私の心に怒りの嵐が巻き起こりました。あの心の無い人形のセラフィーナを、お兄様に、ですって! なんたること! なんたること! そのようなこと、神が許そうが、大精霊アレクシスが許そうが、私が絶対許しません。


 私は決心しました。お兄様を、メイリーネ様に託しましょう。メイリーネ様、この人間味が溢れる可愛い従姉妹になら、私の最愛のお兄様を、お渡ししても納得が出来ます。心を穏やかに保てます。


 彼女なら、気位ばかり高くて独占欲の強い私などよりずっと、お兄様を幸せにしてくれるでしょう。


「メイリーネ様、何を気弱なことを仰られているのですか。女は度胸ですよ」


「え? 度胸……」


 メイリーネ様は、私の言葉に大きく目を見開かれました。彼女の顔は、よく見ればセラフィーナとかなり似ています。けれど、受ける印象は違います。よくあるブラウンの髪のせいもあって、ブロンドのセラフィーナが持つ華やかさがメイリーネ様にはありません。有り体に言えば地味です。


 ですが、それはセラフィーナと比べてのこと。普通の令嬢と比べると、彼女は断然優っています。私は自らの容貌を王国ではトップクラスだと自惚れてはいますが、メイリーネ様に勝っていると思えません。ぎりぎりで同等といえるかどうかでしょう。


「私が言いたいのは諦めないで下さいということです。セラフィーナ様よりメイリーネ様の方が断然、お兄様に相応しいと私は思っています。それに、私は貴女が好きです、セラフィーナ様より遥かに好きなのです。諦めないで下さいませ」


「そんな……、そのように思って頂けるのですか、イルヴァ殿下。嬉しいです、嬉しゅうございます」


 メイリーネ様は流れ出た涙を、手で拭われました。その姿を見ていると、こちらの心まで熱くなって来ます。彼女は今まで、何度もセラフィーナと比べられて来たでしょう。それが、如何に彼女を傷つけてきたか、考えるだに恐ろしいです。私なら心が持たなかったでしょう。セドリックお兄様が、()()()でなくてほんと良かった、心の底からそう思います。


 可哀そうなメイリーネ様を助けてあげたい、私は更に前のめりになりました。


 メイリーネ様、貴女は素晴らしい女性です。お人形のセラフィーナなんかより、遥かに、ずっとずっと素晴らしいのです。


「私、メイリーネ様のお心をお兄様にお伝えいたします。良いですよね、それで良いですよね」


「で、でも私なんかでは、セドリック殿下とは釣り合いが……」


「大丈夫です。お兄様は絶対喜ばれますよ、セラフィーナ様かメイリーネ様か、どちらかを選べとなったら、お兄様はメイリーネ様を選びます。長年、お兄様の傍にいた妹の私が断言します。きっとです!」


 私は生きて来た人生最大の熱量を持って、メイリーネ様を説得しました。そして最後には彼女も言ってくれました。


「お願いいたします、イルヴァ殿下。愛を繋ぐ精霊クプトとなって下さいませ」



 私の判断は間違っていませんでした。お兄様は大変お喜びになり、二人は晴れて恋仲となられました。その仲睦まじい様子といったら、とうに諦観していると思っていた私の心に、嫉妬心が巻き起こる程でした。でも、それ以上に、温かい気持ちが湧いてきます。


 良かった、本当に良かった。二人は、こうなるべき二人だったんだ。これから、お兄様とメイリーネ様には幸せな未来が待っている。なんて素晴らしいことなんだろう、そう思っていました。


 それなのに、それなのに!


 お兄様の婚約者の席に座ったのは、メイリーネ様ではなく、セラフィーナでした。アリンガム公爵が、セラフィーナでお願いしたいと言って来たのです。


 私は怒り狂いました。こんなの、こんなの、メイリーネ様とお兄様が可哀そう過ぎるではありませんか。それに、このままでは、セラフィーナが私の姉になってしまいます。私は、そんなのは絶対嫌です、嫌なのです。


 私は父上、国王陛下に訴えましたが、「お前のような子供の出る幕ではない」と相手にしてもらえませんでした。怒りの持ってゆく場所を失った私は、あろうことかお兄様にぶつけてしまいました。メイリーネ様と共に、一番悲しんでいるお兄様に。


「お兄様、どうしてお兄様は、このようなことを受け入れられたのですか! メイリーネ様へのお気持ちは、こんなに軽いものだったのですか!」


 お兄様は、私の理不尽な抗議に黙ったままでした。それが益々、私の怒りを煽り立てました。


「お兄様は意気地なしです、お兄様が心から頼めば父上も動いてくれる筈。私達は王家です、いくら筆頭公爵家の願いであろうと撥ねつけることは可能です。今からでも遅くありません。父上に頼みましょう。そうしましょう、ね、お兄様!」


 涙声になりながら頼む私に、お兄様は漸く顔を向けて下さいました。そして、その表情は、大変な苦悩に満ちたものでした。これほど辛そうで悲しそうな顔をするお兄様を見たことは、その時までありませんでした。


「イルヴァ、これは話してはならないことなのだが、話そう。心してよく聞いてくれ」


 この時、お兄様のお声のトーンは大変低く、本当に重要なことを話そうとされていることは、よくわかりました。何でしょう、お兄様。


「アレクシア王国の真の王家は、私達のアリエンス家ではない。筆頭公爵家のアリンガム家が、真の王家なんだよ」


 お兄様の言葉は青天の霹靂でした。お兄様は続けられました。


「この国を真の意味で支えているのはアリンガム家だ。我がアリエンス家は、代理で王家を名乗っているだけ、真に国の支柱であるアリンガム家を、諸外国の目から隠すための案山子なんだ。だから、アリンガム公爵の要請を断ることは出来ない。父上も私も従うしかない、私達は()なんだ」


 お兄様の固く握りしめられた両の手が、微かに震えています。


「だから、アリンガム公爵()やセラフィーナ()を悪く思ってはいけない。それは主従において、あってはならないことだ。()()()は、(あるじ)を敬い付き従うこと、これを忘れてはいけないよ、イルヴァ」


 私は、お兄様の天と地がひっくり返るお話に呆然となってしまいましたが、王女だと思っていた自分は、実は臣下の娘に過ぎないということは、はっきりと認識しました。平時はともかく、緊急時にはセラフィーナの前に、跪かねばならぬ憐れな存在だと……。


 私はセラフィーナが嫌いです。この世の同年代の少女が望む全てのものを持っているのに、それを喜ばない彼女……、自らの中に閉じこもっている彼女……。


 それでも、お兄様の言葉を聞く前は、まだマシでした。私にだって勝てるところがある。私は王女だけれど、彼女はいくら筆頭とはいえ、公爵令嬢に過ぎない。臣に過ぎないのだと。しかし、それは幻想でした。私が彼女に勝てるものは一つもありません。


 これは嫉妬です、嫉妬心です。でも、私はそれを恥じません。嫉妬心を持たぬ人間がいるでしょうか? いたとしたら、それは人ではありません。人の形をした何かです。


 もう一度、はっきり言いましょう。



 私は、セラフィーナが大、大、大嫌いです!



 お兄様から、話を聞いてから十か月後、私は学院の教室の壇上にいました。私の口は滑らかに動きます。何のためらいもありません。


「今回の劇『アンギレンの戦い』の主演の一人を交代します。セラフィーナ・アリンガム様に替えて、オルガ・アーロン様」


 クラスメイトのどよめきなど、どうでも良いです。私は力を込めて、真の王女であるセラフィーナ様を睨みつけました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] そのような幼稚な情熱と欲望がこのような大きな問題にどのように吹き込むか、貴族に対する犯罪、社会の問題の種まき、そして貴族と政治の社会世界の全体的な問題にどのように吹き込むかは本当に興味深い…
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