ロンズデール男爵家、初日。
私とオブライエンを乗せた馬車は、平民街を抜け、貴族街に入り、お祖父様、ロンズデール男爵のお屋敷に到着しました。
え? 一人称が違う? 前は「あたし」だったじゃないかって。
変えました。オブライエンに忠告されたのです。
「パティお嬢様。お嬢様のお年で、『あたし』などと言っておられる御令嬢はおられません。改められては如何でしょう」
私も、そろそろ子供っぽい「あたし」は卒業しようかと考えていたところでした。良い機会です。心機一転、新しい私になりたいと思います。
執事のオブライエンに手を取って貰って馬車から降りました。
なんだかドキドキしました。男性に、それもこのような身なりのきちっとした成人男性に、これほど丁重に扱ってもらったことなど初めての経験だったからです。
下町の男達といえば……。
「いよ! さすが看板娘のパティちゃん。いつも可愛いねー!」
お尻、パン!
「きゃ! 何すんのよ!」
金玉キック、エイッ!
「ぐあぁ!」
でした。
良いように言えば、下町的フランクさと言えなくもないですが、セクハラであることには違いありません。そんなに女性のお尻をさわりたければ、お金を払って、そういう人のところへ行けばいいのです。ほんとに、もうっ!
オブライエンに連れられて、お屋敷の門をくぐりました。初めて見たお祖父様のお屋敷は、三階建てで大変立派な造りでした。屋敷を取り囲む庭も手入れが行き届き、とても美しいです。男爵家といえば、貴族としては下位のクラス。ちょっと裕福な商家に毛が生えたくらいの屋敷だろうと予想していたのですが、大間違いでした。
これなら大商家ともタメを張れます。ロンズデール家は爵位こそ男爵ですが、財力は伯爵家クラスなのかもしれません。私の実家は、下町の酒屋といえど、商家の端くれ。お金の大切さと力は、嫌と言う程知っています。心が浮き立ってきました。
「オブライエン、このように素晴らしいお屋敷をお持ちなんて、お祖父様は何か事業で成功なされたのですか?」
「はい、仰る通りです。お嬢様。旦那様は鉄道事業に投資されたのです。マイリック鉄道の大株主でございます」
「大株主!」
私の心の中で、金貨、銀貨が舞い踊りました。
何、私、貴族になった上に、将来大金持ちになれるの? なれちゃったりするの? にへ~。
「パティお嬢様。旦那様や奥様は、お嬢様のために湯水の如く、お金を使おうとして下さるでしょう。でも、それに、お甘えにならないで下さいませ。最初が肝心です。お嬢様が、見た目だけではなく、中身も自制心を持った賢い娘、ロンズデール男爵家の令嬢たるに相応しい者であることを お二方に知ってもらうのです。さすれば、お嬢様の将来の道は開かれます。しかと、お心にお留め置き下さい」
オブライエンは酒場の用心棒のような見た目ですが、中身は全然違うようです。とても洞察力にすぐれた賢明な人です。先ほど、お祖父様の財力に浮かれ、頭の中で万歳三唱していたのをあっさり見抜かれました。
「わかりました。注意します。オブライエンには、私が、さぞ下賤な娘に見えたことでしょうね」
「そんなことはございませんよ。お金に喜ばれるのは、お金の価値を知っておられるということです。これは良きことです。多くの令嬢方、特に高位貴族の方は、お金の価値を知りません。いくらでも湧いてくるものと思っておられます。ですが、蒸気機関が発明され、資本家が台頭し始めています。時代は動いているのです、いつまで今のような世が続きましょうや」
オブライエンの言葉に、私は心が少し沈んでしまいました。
私はこれから、貴族になろうとしているのに、彼は貴族の時代は終わろうとしていると言っています。
オブライエンが玄関の大きな扉を開けてくれ、私は屋敷の中へ入りました。中へはいると、そこには、メイドや従僕を従えた、五十代半ばとみられる男性と女性が立っておられました。
「旦那様、奥様。パティお嬢様をお連れしました」
このお二人が、私のお祖父様とお祖母様のようです。お二人とも背筋がしゃんと伸び、老いをあまり感じさせません。そして、とても品があります。さすがは貴族。そこらの平民のおっちゃん、おばちゃんとは違うなーと思ってしまいました。
「お祖父様、お祖母様」
第一印象は大切よ、ちゃんとした挨拶をするのよ、パティ! と自分を叱咤しました。
「お初にお目にかかります。スカーレットの娘、パティです。お二人にお会いできて、これ以上の幸せはございません。下町育ち故、何かと、いえ、全ての面で行き届かぬ私でありますが、精一杯、ロンズデール家の恥にならぬよう努力いたします。どうか、よろしくお願いいたします。ハンフリーお祖父様、メイベルお祖母様」
私は、深々と頭を下げました。
よし! 詰まらずに言えた。殆ど完璧! これなら…… と思ったのですが、お二人からの反応がありません。何か不味いことでも言ったかなーと冷や汗が出だしたところ、お祖父様が第一声を発せられました。
「なんということだ…」
へ?
「あのじゃじゃ馬だったスカーレットから、こんなに可愛くて、こんなに真面な娘が生まれるなんて!」
え?
「ほんとです、あなた! これは奇跡です。神が私達に与えてくださった恩寵なのです! あー、今直ぐ教会に行って、神に感謝の祈りを!」
ええ?
「メイベル、教会なんぞ後で良い! それより、服飾店にいくぞ、私達の可愛い孫に何時までもこのようなみすぼらしいボロ服を着せておられるか!」
みすぼらしいボロ服って、これ私の一張羅。一番のお気に入り……。
「そ、そうね。全くそうだわ、私ったら。オブライエン、馬車を、大きい方の馬車を用意して」
「もう、準備は出来ております、奥様」
えええ、準備できてるって、どういうこと? オブライエン、こうなることわかって……。
「いくぞ、パティ!」
「いきますよ、パティちゃん!」
私は、そのまま、お祖父様とお祖母様に拉致され、何軒も何軒も服飾店を廻らされました。
「なんて似合うんだ、なんて可愛いんだうちの孫は!」
「あー、可愛い女の子って、何着せても良いわ。最高よ!」
などと妄言を吐いて、お祖父様とお祖母様は次から次へと購入しようとします。そんなに必要ありません、もう十分ですと、何度も申し上げたのですが、結局、オーダーメイドが三着。レディメイドがニ十着が購入されました。値段は……、言いたくありません。実家の酒屋の売り上げ半年分を軽く超えるとだけ申しておきます。
私は、こちらへ来る車中で聞いたオブライエンの忠告を思い出していました。
『お嬢様のために湯水の如く、お金を使おうとして下さるでしょう。でも、それに甘えないで下さいませ』
この忠告は、これから令嬢生活を始める私のためにしてくれたものですが、オブライエンとしてはロンズデール男爵家の財政への心配もあったのでしょう。いくら鉄道の株で儲けていたとしても、このようなお金の使い方をしていては、先が思いやられます。お祖父様とお祖母様には機会をみてお話させてもらいましょう。
でも、お二人は、髪を結い直し美しいドレスを纏った私を見て大変幸せそうでした。
そして、私もまんざらでもありませんでした。
鏡に映った姿は、本当に自分とは思えないほどの美少女ぶりでした。これなら貴族の令嬢達に交じっても、そうそう負けはしないと自惚れました。
しかし、私は、井の中の蛙でした。
後日、私は本当の美少女とはどのようなものかを、思い知ることになります。その本当の美少女とは筆頭公爵家御令嬢、セラフィーナ・アリンガム。
私が、ひろいんとして、婚約者である皇太子殿下を奪い取らねばならない相手です。
ロンズデール家は成金です。鉄道株で儲けるまでは男爵家としては並みの財政でした。