イルヴァ殿下。
2022.04.27 微調整。
熱き共闘の握手を交わした後ですが、やはり気になったので聞いてみました。
「ヴェロニカ様、セラフィーナ様を主役から降ろすなんてことがどうして出来たのです? 普通出来ませんよね」
ヴェロニカ様は眉を少し上げ、瞼を半眼になさいました。要するに生温かい目、『やはり、貴方は新米令嬢。貴族、王族のことがよくわかっていませんね』という目です。
「パティ様、悲しいことですが、セラフィーナ様は高位貴族のクラス、私達のクラスでは、それほど力はありません」
「そんな……。セラフィーナ様は、家柄、容姿、性格、令嬢として完璧なお方。その上、皇太子殿下の婚約者ですよ。おかしいです」
私は納得出来ませんでした。
「それはそうなんですが、貴女が思われるほどセラフィーナ様を取り巻く人間関係は単純なものではないのです」
この後、ヴェロニカ様は、彼女達のクラスで起こったことを話して下さいました。
ことの始まりはクラスで委員長を務めるイルヴァ・アリエンス殿下、アレクシア王国第三王女、皇太子セドリック殿下の妹君の発言からだったそうです。
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私は耳を疑いました。今、来たるべき演劇祭に向けてのクラス会議の最中なのですが、委員長のイルヴァ殿下が突如仰いました。
「今回の劇『アンギレンの戦い』の主演の一人を交代します。セラフィーナ・アリンガム様に替えて、オルガ・アーロン様」
教室全体が騒めきました。当然です、容姿も、お歌も完璧なセラフィーナ様を主演から外すなんてありえません。新たに指名された公爵令嬢オルガ様も、お美しい方で、歌もお上手ですが、セラフィーナ様と比較すると、どんなに贔屓目に見ても一段劣るとしか言いようがありません。
セラフィーナ様の方をそっと見ました。さすが私達のセラフィーナ様。動揺など全く見せておられませんでした。ですが、彼女は全く発言する気配がありません。黙ったままです。
私、ヴェロニカ・フォン・バイサムは、学院の入学式で彼女を見て以来(彼女は新入生代表として挨拶をなさいました)、そのあまりの美しさに惹かれて、取り巻きとなりましたが、彼女の人となりは予想していたものとは、かなり違いました。
容姿が、美しい人、魅力的な人というのは、ちやほやされるため明るく外交的な方が多いです。ですが、セラフィーナ様はそうではありませんでした。公爵家令嬢としての洗練された社交術は持っておられましたが、根本は内向きでした。自分の中から出て来ず、他人へ働きかけることなど、滅多になさいませんでした。
ですから、セラフィーナ様はイルヴァ殿下の横暴を黙って受け入れるでしょう。それが、筆頭公爵家令嬢として、とんでもない恥辱であったとしても。でも、私はそのようなことは許しておけません。私は誇りを持って、セラフィーナ様の取り巻きをしているのです。相手が王女殿下であろうが許せないものは許せないのです。
「異議を申し立てます」
イルヴァ殿下は、挙手をした私を見ても少しの間反応を返してくれませんでした。彼女の目が、煩い雑魚は黙っていろ、と言っています。我がバイサム家は腐っても侯爵家です。いくら王女殿下とはいえ、非礼にもほどがあります。
「どうぞ。ヴェロニカ様」
イルヴァ殿下から漸く発言の許しが出ました。
「殿下、今回の劇の主演としてオルガ様も十分に役をこなされる力をお持ちだと思いますが、一度、セラフィーナ様に決まったものを覆すのは如何なものでしょう。セラフィーナ様には、何の落ち度も瑕疵も無いのです。これは理不尽と言う以外無いのではありませんか?」
「何の落ち度も瑕疵も無い? 貴女は本当にそう思われるのですか?」
イルヴァ殿下は美しいお顔を歪められ、鼻白まれました。
殿下はセラフィーナ様の従妹だけあって、大変な美人です。特に艶やかな黒髪など、セラフィーナ様の光輝く金髪と双璧の美しさと言って良いでしょう。でも、イルヴァ殿下は、今回の劇には出演されません、歌うのはあまり得意ではないということで裏方です。劇全体をディレクションされております。
「思います。何があるとおっしゃられるのです」
「では、言いましょう。セラフィーナ様には、クラスのため、学業を共にする仲間のためという観点が欠落しているのです」
「そんな……」
言いがかりだと思いました。すぐに反論しようと思ったのですが、私が口を開く前にイルヴァ殿下がセラフィーナ様に質問、いえ、詰問なさいました。
「セラフィーナ様。貴女は生徒会から生徒会入りのオファーを受けました。それを断ったそうですね。どうしてなのですか? 理由を述べて下さい」
教室が再度騒めきました。生徒会入りは名誉なことです。家格が高いからとかだけでは入ることはできません。学生として飛び抜けて秀抜と認定されなければダメなのです。一年生が選ばれることなど滅多にありません。それを断っただなんて……。これは私も知りませんでした。
セラフィーナ様が立ち上がられました。
「確かに申し出は受けました。ですが、生徒会とは学生をまとめ、より良い学業、より良い学生生活へと導く会なのです。申し出は大変光栄ではありましたが、私のような入って間もない一年生が所属して良いような会ではありません。それに、私は自分が未熟であることを知っています。人をまとめていけるような学生になるには、まだまだ時間が必要です。それ故、お断りさせていただきました」
「未熟だから、生徒会にはいれない。それが理由ですね」
「はい。殿下」
セラフィーナ様は謙虚な方です。そのように考えられるのも彼女らしいというか。私的には賞賛こそすれ責める気にはなれません。クラスの皆様もイルヴァ殿下の派閥以外は、セラフィーナ様のお考えに納得のご様子です。安堵いたしました。
ただ、私が俗物だからでしょうか? やはり、生徒会入りを断るのは勿体ないなと、つい思ってしまいました。
イルヴァ殿下は大きく溜息をつかれました。
「セラフィーナ様。貴女のそういうところが自分のことしか考えていないところなのです。生徒会入りは、貴方にとって名誉なことです。そして、同時に私達のクラスにとっても名誉なのです。クラスに生徒会のメンバーがいる、それだけで、心が湧き立ちますし、そのクラスメイトして、恥じぬよう学業に勤しみ、自分を律して行こうという気持ちも生まれて来るのです。そういうことを貴女は考えましたか? 考えなかったでしょう」
「……」
セラフィーナ様は反論なさいませんでした。
「それに、貴女は自分は未熟だと仰られました。ならば余計、申し出を受けるべきだったでしょう。だって、貴女に申し出をして下さった生徒会は、私達より研鑽を積まれた優秀な方々。その方々が、セラフィーナ様、貴女を生徒会に入るべき者と判断されたのです。その判断を、どうして未熟な貴女が間違っていると言えるのです」
「私に生徒会の方々を軽んじる気持ちはありません。ただ、皆様から見て不遜に思えるようでしたら、陳謝いたします。以後注意し、生徒会には、再度謝罪に伺いたいと思います」
セラフィーナ様は頭を下げられました。
イルヴァ殿下のおっしゃることは、別段間違ってはいません、正論です。確かに正論なのですが、何かおかしいです。批判のための批判と言うか、私怨の影を感じざるを得ません。
私は自分が情けなくて仕方ありませんでした。セラフィーナ様のための反論を的確に為しえない自らの頭の悪さ、そして、たとえ簡単に論破されるであろう反論であったとしても、それでも! と立ち上がれない意気地の無さ、本当に情けなく泣けて来ます。
だから、セラフィーナ様は、私にはパティ様へのように心を開いてくれないのでしょう。私は、自分をセラフィーナ様の友だと思っておりますが、友としての確たるものを示せてはおりません。
もし、ここにパティ様がいたらどうだったでしょう。きっと私のように黙り込んだりしなかったでしょう。
『チマチマ、チマチマ細かい女ねー。もっと大きな器になりなさいよ、貴女、王女でしょ、そんなウザイ性格で、王国民、五百万の上に立てると思ってるの!』
とか言いそうです……って、さすがにこれは無いですね。相手は王女殿下、パティ様の首と胴がおさらばになりかねません。
「殿下、殿下の仰りたいことはわかりました。そして、セラフィーナ様は謝罪されました。もうそれで良いではないですか。交代の件は無しにして下さいませ」
勇気を出しました。でも、私に出来るのはこれくらいのことです。これくらいのことしか……。
「ヴェロニカ様。私の言いたいことは、まだ終わっていません。もう一つ、セラフィーナ様にお尋ねしたいことがあります。それは通行証の件です」
セラフィーナ様の顔色が変わられました。生徒会のこととは違い、明らかに動揺されています。
「セラフィーナ様、貴女は通行証を六枚もお渡しになっておられますね。異様な多さです。クラスメイトを見てみても、半数はゼロ枚。残りの方も殆どの方が一、二枚です。いくら伝統的慣習とはいえ、濫用し過ぎではありませんか。人を集めたいなら学院外でなさいませ」
血の気が引きました。イルヴァ殿下は触ってはならぬ場所を触ってしまいました。マクシーネ様達へはともかくとして、セラフィーナ様のパティ様への思い入れは格別です。それは外から見ても明らか。パティ様といる時は、他の者の時とは全く違います。百パーセント本物の笑顔です。セラフィーナ様の頬は薔薇色に上気し、ホライズンブルーの大きな瞳はさらに輝きます。まるで恋人といるかのように……。
「殿下、私は人を集めたいなどとは思っておりません。それに、通行証を渡すことに何の問題があるのですか? 彼女らは私達と共に、このアレクシア王国を支えて行く仲間です。交流を図ることの何がいけないのですか」
「交流するななどとは一言も言ってはおりません。多過ぎると言っているのです。それに、交流を図る場は、ちゃんと用意されています。二年になれば合同授業があるのです。他の者は我慢しています、どうして貴女は我慢できないのですか」
イルヴァ殿下に益々腹が立ってきました。『他の者は我慢している』これはあきらかに嘘です。基本的に高位貴族は下位貴族をバカにしています。それ故、通行証を渡すことが少ない、ただそれだけなのです。なのに……。
これはもう、あきらかに私怨があると見て良いです。この二人の従姉妹の間に何があったというのでしょう?
セラフィーナ様はこの件に関してだけは譲りませんでしたが、役の交代には同意されました。元々、皆の推挙で主役に決まったのです。彼女が自ら望んだ訳ではありません。
「セラフィーナ様。貴女にふさわしい役がありますわ。村娘Aです。集団の中で個人がどうあるべきかを学んで下さいませ」
はらわたが煮えくり返りました。何が、集団の中で個人がどうあるべきか、ですか。王女という地位で持ってクラスでの最大派閥を作り、委員長となり、自分勝手を押し通しているのは、どこのどなたなのです!
私は決意しました。
このままでは終わらせません。絶対に、絶対に終わらせませんからね。
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ヴェロニカ様のお話は、かなりショックでした。アレクシスの件以外でも、セラフィーナ様が悲しい目に遭ってられる。それに、その原因の一つが私であったと思うと、やりきれない思いや申し訳なさで一杯になります。
セラフィーナ様に最初に通行証をもらったのは私。そして、マクシーネ様達にカードをお渡ししてはと提案したのも私なのです。うう。
ひさびさに来てくれた女神様に、この思いをぶつけました。
「女神様、幸せとは何なのでしょうね。外から見れば、神々の恩寵を一身に集めたようなセラフィーナ様が、本当は全く幸せではないのです。これはどういうことなのでしょう?」
「パティ、禍福は糾える縄の如し、という言葉を知っていますか?」
「知りません。どういう意味ですか?」
「不幸は幸福の種となり、幸福は不幸の種となるということです。すべては繋がっているのですよ」
「不幸は幸福の種……。では、この後にセラフィーナ様の幸せが待っているのですね」
「さあ、確約は出来ません。私は代理の神です。逃げた神に聞きなさい」
ガクッと来ました。ほんとに役にたってくれない女神様です。でも嫌いではありません。なんだか憎めません。
「そろそろ私は行きますね。引き続き世界の救済がんばって下さい」
「もう帰られるのですか? もう少しお話し致しましょうよ」
「パティ、私は本当に忙しいのですよ。他の世界もかかえているのです、貴女以上に扱いにくいヒロインがいっぱいです。大変なのです」
私以上に! ちょっと女神様に同情しました。でも、少し腹も立てました。だって私は、ひろいんにしてくれなんて、一言も頼んでいません。ならされたのです、女神様に押し付けられたのです。
ですから、少しくらいの要求をしても良いでしょう。それくらの権利はあると思うのです。
「女神様。ひとつお願いがあるのです。聞いていただけませんか?」
「お願い? それは事と次第によりますね。聞いてあげないこともありません」
やった! 私は喜び勇んで願いを告げました。
女神様! 私には音感がありません。この音痴という地獄から救って下さいませ!
女神様は、願いを聞き届けて下さいませんでした。
「パティ、それも愛すべき個性ですよ。皆の笑いを取れるではありませんか。では~」
そんな笑い取りたくありません。いいですよ、もう。もっと酷いひろいんになって女神様を困らせてやる~!
私は、アンナに泣きつきました。私の歌をなんとかしてー!
ほんと人任せ、人頼りですね、私。
まあ、これも個性、愛すべき私の個性です。別に良いですよね、女神様。
※本作の貴族の名前の表記について。
名前と姓の間に「フォン」が入るのは侯爵家まで。王族や公爵家の者には入りません。