新入部員との出会い
その日の放課後。
打ち合わせ通り、鳶嶋先輩のいる2-C教室へと向かっている途中。
ふと、階段の踊り場にある窓から光が差し込んでいるのが見えた。
足を止め、窓の外に目をやる。
するとそこには、太陽の光に照らされて、今も美しい輝きを放たんとしている夕空の姿があった。
「…………綺麗だな……」
思わずそんな言葉が零れてしまう。
こんな景色は滅多に見られるものではない。しかと目に焼き付けておこう──
「──っと、危ない危ない」
いつの間にか完全に見入ってしまっていた。先輩が待っているだろうし、早く教室に向かわねば。
一段、また一段と階段を上り、鳶嶋先輩のいる二年C組の前に立つ。
この教室に来るのは──うん、さっきぶりだ。先輩に案内してもらった時に来たばっかりだもんな。
しかし、一人で他クラス、それも他学年のクラスに入るとなると、やっぱり少しは緊張するなあ……。クラスの人とかあんまり残っていないと嬉しいんだけど……。
心臓の鼓動が高まる中、思い切って教室の扉に手を掛ける。
「先輩、来ましたよー……って、あれ?誰もいない……」
そこには──鳶嶋先輩の姿はなかった──それどころか、一人の生徒の姿すら確認できない。
「おっかしいなぁ……待ち合わせ場所はここであっているはずなんだけど…………」
学級表札にも「2-C」と書かれてあるし、クラスを間違えている訳でもない。
なんで居ないんだ?とは疑問には思いつつも、幸い誰一人として教室の中にいなかったことに内心ホッとしている自分がいた。
しかし、肝心の先輩は何処に行ってしまったのだろう。『放課後に集まるよっ!』なんて言い出したのは鳶嶋先輩その人だから、忘れているわけが無いだろうし──いやまて、あの人の事だ。忘れている線も十分に考えられる。もしくは──一足先に一人で勧誘に行ってしまった、なんて辺りだろうか。その可能性も十分にありえる。
一応念の為、もう一度教室内を見回す僕。
すると突然、『何事か』と言わんばかりの勢いで一際大きな風が押し寄せ、まるで〜
のように教室のカーテンが一斉に宙を舞った。窓から差し込んでくる太陽の光が薄暗かった教室全体を露にする。
あまりの突風と夕陽の眩しさに、目を細めてぐっとこらえる。
そんな、細い目で覗き込んだ微かな視界の先には──一人の女子生徒の姿があった。
☆
「新しい部活を発足しまーす。よかったら体験入部してみませんかー?」
その日の放課後。
《《わたし》》は部活を作るため、部員勧誘に没頭していた。
今現在も、自作のビラを下校中の生徒達に配って回っているんだけど…………
「……全然集まらないよぉ…………」
勧誘開始から30分程経過したにもかかわらず、未だに一人も部員を確保できていなかった。
声を掛けた一年生の女の子達の情報によると、仲のいい友達同士で新しい部に入部する子達もいはするようだが、ほとんどの人は小・中学校の頃に入っていた部活を継続したりするみたいで。どうりで部員が集まらないはずだよー……
「…………よし。こうなったら、やり方を変えよう!」
ビラ配りで駄目なら、別の方法を探すまで!
ーー5分経過ーー
「……何かほかに良いアイデアあるかな……」
うーん…………。懸命に考えてはみたものの、正直、他に全然良い案が思い浮かばない…………。
時間ばかりが経過し、その一方で獲得部員はゼロ。そもそも皆が話を聞いてくれる訳でも無く、例え話を聞いてくれる子が現れたとしても入部までには至らない。改めて、自分の無力さを痛感する。
それでも。諦めることだけはしたくない……!
なにかいい案はないか……なんて再び頭を捻ろうとした矢先。突然、ふと、誰かに後ろから声を掛けられた。
「あ、あの…………」
「ひゃっ!?」
突然のことに驚き、思わず変な声を上げてしまう。
「す、すみません……。驚かせる……つもりは、なかったん、ですけど…………」
慌てて後ろを振り返る。
そこには、わたしより小柄な、一人の女の子が立っていた。
☆
二年C組の教室にて。
身体中から汗が噴き出す。
心臓の刻む鼓動が、刻一刻と早くなる。
目を見開いて、再び教室の前方に焦点を移す。
そこには確かに、一人の女子生徒の姿が見て取れた。
誰もいないと思っていたのに、まさか、まだ人が残っていたなんて…………。驚きのあまり、体が硬直しているのを感じる。目を擦って再度確認してみるものの、その目には同じ光景が映し出された。
長い黒髪に、艶やかな瞳。座っている状態でさえスタイルが良いのだろうと分かる《《その人》》は、500ページはあるであろう分厚い本を──姿勢正しく、ただ黙々と真剣に読んでいた。
恐らく、カーテンで閉めきられていた影響で部屋全体が暗く、また物音ひとつさえしなかったことで気がつかなかったのだろう。
──しかし、どうするべきか。
今の僕には鳶嶋先輩の手掛かりなんて一つも持っちゃいないが、先輩とクラスメイトであろう彼女ならもしかしたら何か知っているかもしれない。ここは話しかけておいた方が得策なのかもしれなかった。
話しかけにくい場の雰囲気が、気まずさを演出する。
「あの……」
「………………」
反応がない。聞こえなかったのかな。
「あの……」
「………………」
さっきより声を大きく出してみる。が、やはり先程と同様、これといって反応がない。
ええい、こうならやけだ。
やけになった勢いに任せ、おなかいっぱいに空気を吸い込み、息を吐くと同時に言葉を放つ。
そうすると自然と、さっきとは比べ物にならない程の大きな声が出た。
「あの!」
グラウンドにまで届くような声量で、出した当人でさえ動揺してしまう。
すると、椅子に座って本を読んでいた女子生徒はようやくこちらに気がついたのかこっちに目線を移し──そして怪訝そうな顔を浮かべ、
「今読書中だから、静かにしてくれないかしら?」
これ程毒舌などとは思ってもみなかった。
氷のように冷たいその言葉がまるで心臓を抉かの如く胸に突き刺さる。空気どころか人間そのものさえ凍らせてしまうような勢いだった。
「あら?あなた、二年生じゃないわね。このクラスに何か用?」
制服の校章を見て色が違うのに気がついたのか、その女子生徒が尋ねてくる。
この鶯谷高等学校では、制服に刺繍で施されている校章のカラーが年代によって異なっている。一番上の三年生が紺色、次いで二年生が紅色、そして一年生が緑色という内訳だ。その年のカラーとも言えるその色は、学年が上がったとしても変わらない。卒業した学年が持っていた色は、次に入ってくる一年生のカラーになる仕組みだ。
「あの……このクラスの生徒さん、ですよね……?」
恐る恐る尋ねる。
万が一この人がこの2-Cクラスの人じゃなかったら困るな──なんて思って聞いたのだが──この返答がまた間違いだった。
するとその女子生徒は、氷の様な冷たい目で、まるで僕をあしらうかのように見ながら言った。
「質問に質問で返すなんてあなた、もう一度国語というものを一から学んできた方がいいのではなくて?」
あまりの返しに全身が凍りつく。
この人怖すぎない……?
恐怖のあまり動くことさえままならなくなってしまう。
とはいえ確かに、質問に質問を返したのは僕なので、こればっかりは言われても自業自得なのかも……。
「す、すいません……」
僕の謝罪に、女子生徒は「まあいいわ。今回は許してあげる」なんて返答が意外とあっさりだったのがまた驚きではあったのだが、再びなにか毒舌を吐かれるのではないかと心身共に怯えていた僕にとって、こればっかりはホッとせずにはいられなかった。
「それで?用件は何かしら?」
改めて、本題を聞いてくる。
僕は聞きたいことを頭の中で集約させた後、端的に尋ねてみた。
「あ、あの、鳶嶋先輩って、今どこにいるか知りませんか……?」
すると、そんな僕の問いに対し、先輩であろう女子生徒は顎に人差し指をあてて考える仕草をしたあと、
「ああ、あの子なら『校門前で部員勧誘しなきゃ!』って言って出ていったわよ」
その言葉を聞いた時、正直、あまり驚きはしなかった──というより、教室にいなかった時点でもしかしたら約束をど忘れしているんじゃないか──なんて内心思っていたので別段これといって驚きようもないのだが。
だがまぁ、ある程度予想していたとはいえ──実際にされるとなるとさすがに気分がいいものでは無い。ましてや向こうから呼び出しているのだから尚更である。
「ありがとうございます。では、僕はこれで」
鳶嶋先輩には後でじっくり話を聞いてあげることにして。
教えてくれた女子生徒にお礼を言い『ペコっ』と軽い会釈をした後、小走りで二年C組を後にした。
それにしてもさっきの先輩、不思議な人だったなぁ……。
廊下を急ぎつつ、ふと頭でそんな事を思ってしまう。
容姿端麗だったけど、ものすごい毒舌で……というかこの学校個性豊かな人多すぎないか?まだ入学して二日目だというのにもう何人かそう思える人と出会ってしまっているのだが…………。ともかく、さっきの女子生徒然り、ああいう人と深く関わるのはよそう。今後の僕の学校生活に関わる。
靴を履き替え春茜な空を横目に、鳶嶋先輩がいるであろう校門前に向かった。
☆
「きみは……?」
校門前にて。
突然後ろから声をかけてきた女の子に尋ねる。
その子は──高校生というには実に小さく、華奢な体をしていた。
「ああ、す、すみません……私は、柏木さくらと、言います……。さっきは、驚かせてしまって、すみません…………」
『柏木さくら』と名乗るその女の子はそう言いつつ、その小さな体を、更に小さくするようにして頭を下げてくる。
おどおどしていて言葉を区切って話すあたり、あまりコミュニケーションは得意な方ではないように見えた。
「いやいや、わたしも全然後ろを気にしていなかったからお互い様だよ。だからそんなに謝らないで」
「そ、そうですか……」
「うんうん。そうだよそうだよ」
すると、その言葉を聞いて安心したのか、ホッとその小さな胸を撫で下ろしていた。……なんか小動物みたいでかわいい。
「ところでさくらちゃん」
「…………!?」
わたしが名前を呼ぶと、さくらちゃんは背筋がビクッとなり、全身に力が入ったように身体を硬直させた。まるで動物が他の生物を警戒している時のそれである。あちゃー、これはだいぶ人見知りな子っぽいなぁ……。
とはいえ、そんなに警戒されるとなんだか話し出しずらい。
「そんなに身構えないでよ」
「い、いえ、別に、そんなことは…………」
言葉ではそう言うものの、目は泳いでいるし、身体も強ばっているのがあからさまなんだけどなぁ……。自分でも知らないうちに相手を警戒する癖がついちゃったって感じなのかな。
「ところで、なんでわたしに声を掛けたの?」
とはいえ、話かけてきたのはさくらちゃんの方なんだよね。あんまり積極的に人に話しかけるようなタイプにも見えないし、なにか理由があるのかも。
するとさくらちゃんは、もぞもぞと恥ずかしそうにしながらも、ちゃんと答えてくれた。
「だ、だって、何か困っている様子だったから……」
予想外の返答に、思わず度肝を抜かれる。
まさかさくらちゃんの口からそんな言葉が出てくるなんて思いもしていなかった。小柄で華奢な外見の内側にはそんなに素敵な一面があったんだね。
とはいえ、
「まぁ実際、困っているのはほんとなんだけどね……」
下校中の生徒に片っ端から勧誘しているけれど、なかなか受け入れてもらえない。現在進行形で悪戦苦闘している真っ最中だ。
「何か、私でも、力になれること……って、ありますか……?」
奇しくもそんなわたしを見兼ねてか、心優しいさくらちゃんが嬉しい言葉をかけてくれる。その気持ちだけでも十分に嬉しい。
「うーん…………」
でも、嬉しさと力になれるかどうかは別問題だ。正直こればっかりはどうにかなるわけでもないし。うーん、どうしたものかなぁ…………どうしたら……
──ん、そうだ!
暫く考えた後、わたしの頭の中に、一つの名案が思い浮かんだ。
「ねぇ、力になりたいんでしょ?それならさ……」
☆
二年C組にいた先輩から教えてもらい、校門前を目指して駆け出す。あの人、またなにか仕出かしてなきゃいいんだけど……なんて思いながら。
陽は西に傾き、辺りはすっかり夜の香りを醸し出していた。
分針が6、時針が5と6の間を指している時計が表すは17時30分。『4月』というものは案外、日が暮れるのが早いらしかった。
ずらっと立ち並んだ桜の木々が、風をうけてより一層、清々しい程になびいている。こんな素敵な光景を見ると、木々も生きているんだな、なんてことを実感してしまう。
駆け出した僕の髪も、桜の木々同様に風を受けてなびいていた。
目を閉じ、耳をすませば、木々の揺れる音が、まるで一定のリズムを刻むかのように頭の中に流れ込んでくる。
ふと、そんな心地良い音の中から、なにやら人の会話らしき声が聞こえてきた。
「──私が──に、──ない?」
「そっちか!」
はっきりとは聞き取れなかったものの、微かに聞こえた声の主は恐らく鳶嶋先輩だろう。いや、確かにそうだ。聞き覚えがある。しかし、今の声から察するにな〜んか嫌な感じがするんだよなー…………。
散ってしまった桜の花弁が、僕を進むべき方向へと導いてくれる。
この学校は敷地面積が他の県立高校と比べても群を抜いて広く、だから当然、校舎や校舎周辺においても他とは桁が違うため、探すにも一苦労である。とはいえ、鳶嶋先輩を放置できるかと言われればそういうわけにもいかない。いつまた何か突拍子もないことをするか分からないし。
声が聞こえた方向に向き直り、一歩、また一歩と足を運んでいく。地面を踏む度にギアを上げていき、足の回転を早くすることで素早い移動を可能にした。
そうやって桜の木々をいくつ通り過ぎたか分からない。
ようやく、視界の先に人影を捉えた。
あれは鳶嶋先輩と──それに幼女?
「……っはぁ、はぁ、はぁ……。……何やってるんですか、先輩……」
……もう、限界…………。
やっとの思いで鳶嶋先輩のいる所に辿り着いた時には、僕の体力はもうほとんど皆無に等しかった。
よ、ようやく見つけた……。
普段運動していない僕にとって久しぶりの全力疾走というのはなかなか身体が堪えるようで、『ゼーハー』なんて肩で呼吸するわ心拍数爆上がりするわでもう散々な結果なわけだが。
当の鳶嶋先輩はと言えばそんなことなど疑問の一部にしか過ぎないらしく、膝に手を当て言葉を絞り出した僕に対し、
「藍くん!ちょうどいいところに!」
なんて嬉しそうな笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「でも、どうしたの?そんなに慌てて。わたしに何か用事でもあったの?」
おいおい第二声がそれか。誰が原因だと思っているんだ。
「……人を放課後に呼び出しておいて、一向に待ち合わせ場所に来ないのはどこの誰ですか……」
「……あ、あー…………」
鳶嶋先輩の目が泳いでいる。
と、ふと、何か考えるように上を向いた。
──5秒経過──
再び焦点を僕に戻す。
「……ほら、アレだよアレ。メンバーが集まらないと、二人だけじゃ寂しいですしょ!?」
「先輩、絶妙に噛んでます」
妙にオドオドした動き、図星を言われたのが丸わかりの噛んだ言葉。もはや、忘れていたなんて明白なんだが……。
「まぁ、先輩が忘れていたことはこの際置いておくとして」
その一言で、先輩が安堵の溜息を零す。まあ、これで許したわけじゃないんだけど、今はそれよりも確認したいことがある。
「今、何してました?」
「うぇっ!?」
再び目線を逸らす先輩。
反応から察するに、恐らく聞かれたらまずいことをしていたに違いない。
「もしかしてまた誰かを無理やり入部させようだなんてしていませんよね??」
していなければ即否定できる質問なのだが、またもや数秒間の沈黙が訪れる。
どうやらそれも図星だったようだ。
「べ、別に無理やりじゃないよ?さくらちゃんが『何か手伝えることないですか?』って言ってくれたから、『そしたら、部員になってくれない?』ってお願いしただけだもん!」
弁明するように必死に言い繕い、頬を膨らませる鳶嶋先輩。
最も、この人が言うことは素直には信じられないので、隣にいる女の子に目をやる。すると、その小柄な女の子はコクん、と頷いた。どうやら先輩の言い分も、全くもって全部が嘘、ということではないらしい。
「では、そう仮定するとして」
「本当なんだって!」
先輩の言い分を無視し、続ける。
「また勧誘してたんですか……」
僕との一方的な約束を破ってまで。
「だって、どうしても部活を作りたいんだもん……」
俯いて、分が悪そうに顔を歪める鳶嶋先輩。今回の自分の行動に対して、色々と思うところはあったみたいだった。もしかしたら、いや、もしかしなくても気持ちが先走ってしまった結果なのかもしれない。
「まぁ、部活を作るためには部員が必要だからとりあえず部員を集めたいっていう気持ちは分からなくも無いですけど……。かと言って僕の時みたいに、強引に入部させるようなやり方は金輪際やめてくださいね」
もう僕みたいな犠牲者を出してほしくは無い。
──しかし、
「でも、そうしないと部員増えないよ……」
鳶嶋先輩自身はそのやり方を容認していた。というか、そもそもそのやり方で僕を入部させたのはこの人だから、容認もするのかもしれない。
でもさ。
「考えてもみてください。部活に入るなんて、実際は誰でもできることなんですよ。嫌な部活に入ったところで、幽霊部員にでもなればいいだけの事ですからね。先輩はそんな、ただ人数集めの為だけの部員が欲しいんですか?」
実際、幽霊部員というのはどこにでも存在する。部活動への在籍が強制の所では尚更多く、僕の幼馴染みが通っている高校でも、既に何人かいるようだ。この鶯谷高等学校は部活動を強制こそしてはいないが、だからと言って幽霊部員というものは少なからず存在しているだろう。
「でも、部活を作る上ではそういう人でもやむを得ないと」
「嘘ですね」
真っ向から否定した僕に対し、鳶嶋先輩はそれ以上、反論してこなかった──いや、できなかった、というべきか。何せ、本心ではないのだから。
「先輩はそんな部員なんて嫌だし納得しないでしょう?」
この人はきっとそんなこと望んじゃいない。
部員みんなで楽しく活動したいはずだ。
「だから、本当に入ってくれるって人だけ、入ってもらえばいいんじゃないですか?」
顔を見ながら真摯に説得する僕。
そんな僕の言葉が鳶嶋先輩にも伝わったようで、
「………………うん」
と、なんとか了承してくれた。ふぅ……これでとりあえず一件落着、かな?
なんて事もなく。
「あ、あの、私……」
忘れ去られていたかのようにその場に立ち尽くしていた女子生徒が突然口を開いた。
「なにかな?」
鳶嶋先輩が優しい口調で応じる。
女の子は手元でもじもじしながらも──僕達の目を見て、堂々と言い放った。
「私でよければ、その……入部、します……よ……?」
…………へ?入部?
予想外の言葉に頭が混乱し、思わず鳶嶋先輩とお互いに顔を見合せてしまう。……今、入部って言った……?
「ほ、本当に?別に気を使わなくていいんだよ?」
無理して言っているんじゃないかと悟った鳶嶋先輩が止めに入る。僕も無理してまで入って欲しくは無い。
「そうだよ。多分、ろくな部活にならないだろうし」
おかしい、何故か言い終わったタイミングで鳶嶋先輩から睨まれた。今僕なにか間違ったことでも言ったかな?
「いえ、別に、気を使っている訳じゃなくて……」
一息置いてから。
「入りたいです……!」
そう発言する女の子の目からは、決意の意が見て取れた。
なぜそう思ったのかは分からない。僕も、先輩も。
然しながら、決意した人間に今一度問うというのも無粋な真似であろう。聞き返す必要もない。
僕と鳶嶋先輩はお互い顔を見合せると、女の子に向かって笑顔で応えた。
「「ようこそ、わたしたち(僕達)の部活へ!!」」
こうして、まだ発足さえ出来ておらず、内容も不透明なこの部活に、部員がまた一人増えた。
☆
「あ、あの!」
翌朝、いつも通り登校していると、ふと後ろから声を掛けられた。何事か、と思い振り返る。するとそこには、昨日の小柄な幼…女の子が立っていた。
「ああ、昨日の……。えっと、お、おはよう」
どう反応すればいいのか分からなかったので、とりあえず挨拶する。そういえばまだ一対一の対面でまともに話したことは無かったな。
「お、おはようございます……!」
するとその女の子は深々と頭を下げ、綺麗な一礼をしてみせた。そのあまりに丁寧な挨拶に、思わずこっちまで反射的に頭を下げそうになってしまうのを、ギリギリのところで踏みとどまる。
しかし、なんかやけに全身に力が入っているご様子。おまけに言葉が敬語だし……。もしかして僕の学年を勘違いしているんじゃ……?
疑問に思ったので一応言っておく。
「あー、僕も同じ一年生だから、そんなにかしこまらくていいよ」
すると、やっぱり勘違いしていたようで、その言葉を聞いた途端、見てわかるように身体からスッ…と力が抜けたようだった。……なんというか、分かりやすい子だな。
「そ、そうだったんだ……良かった…………」
「同級生がいた方が、気持ちも楽だよね」
うんうん、分かるよその気持ち。
「あの……私、柏木さくらって言います……」
歩いて学校に向かいながら何を話そうかなんて頭の中で模索していると、ふと隣を歩いている女の子が自己紹介をしてきた。そっか、まだお互い名前も知らないのか。
「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。僕は湊道藍耶。これからよろしくね、柏木さん」
「…………うん」
これから同じ部活仲間なんだ、仲良くなりたいな。
と、ある程度お互い自己紹介も済んだところで、気になっていたことを質問してみる。
「柏木さんは、どうしてこの部活に入ろうと思ったの?」
それは、昨日から思っていたことだった。
目の前であんな会話をしていたとはいえ、決して、気を使って、はたまた妥協して入ったという訳ではないらしい。それは昨日のあれ見たら分かる。
僕には、その理由にとても興味があった。
「……そんな、大した理由、じゃないんですけど……」
「うん」
一呼吸おいて、
「自分で……放課後回ってまで、部活を作ろうとしているのが……凄いなぁと思って……」
「なるほどね」
自分が持っていないものを持っていて、そこに惹かれたってことだろうか。
「僕と似てるかも」
率直に、そう思った。隣を歩く柏木さんはその言葉の意味が分からなかったのか、頭に疑問符を浮かべている。
「やっぱり、あの人の行動力は尊敬しているよ。僕には到底出来ないことだろうから」
なんて言いつつ軽く微笑む。
「だから、そこに惹かれたかな」
柏木さんが相手だからなのかはわからないが、初めて自分の率直な気持ちを口にしたような気がした。
そんな僕の話を、柏木さんは黙って、真剣に聞いてくれていた。
いつの間にか、学校の校門が目に入るところまで来ていたことに気づく。
楽しい会話をしていれば、時間はあっという間に過ぎていくものだった。
いつもの如く校門前には、鳶嶋先輩が佇んでいた。
「最も、それ以外に至っては軒並み小学生レベルなんだけどね」
「なになに、何の話?」
いつの間にか僕達のところにやって来た鳶嶋先輩が、とても食い気味に聞いてくる。
「いえ、なんでもないです」
「えー!私にも聞かせてよー!」
頬を膨らませ、まるで小学校低学年のように「ケチー!」などとぶーぶー騒ぐ先輩。全く、高校生にもなってこんなことするか?
「こういう所とか、ね」
隣にいる柏木さんに話しかけると、彼女は満面の笑みで、
「──うんっ」
その笑顔は、気遣いや気後れといったものを感じさせない、最高のものだった。
☆
「あーーーーーー!」
「先輩うるさい」
放課後の屋上にて。
僕と鳶嶋先輩と柏木さんは、そこにいた。
「だって、せっかく部員も増えたんだよ?別にもう《《コレ》》でいいじゃん!」
「まあまあ、一応学校の決まりなんですから。ギャーギャー騒いだところで何も解決しませんよ」
「で、でも!」
「とりあえず落ち着いて下さい」
軽く一喝。その一言で、なんとか平静を取り戻す鳶嶋先輩。
「……でも、ホントにどうしよう…………」
と言うのも、鳶嶋先輩が担任の先生に部活動設立の許可をもらいに行ったら、見事却下されたのである。
その為、先輩がこんな感じなのだが……
「正直、どうするべきですかね……」
僕も、解決の糸口が見えないでいた。
はて、どうしたものか。
考えに考え頭を巡らせる僕と鳶嶋先輩。
するとふと、柏木さんがこう口にした。
「あの、もしかしたら、ですけど…………」
いい考えでも思いついたのか、その僕達に提案でもするかのような口ぶりに、僕と鳶嶋先輩も思わずきき耳を立てる。
「なになに?」
「……藍耶君の担任の先生って、新任、なんだよね…………?」
「うん、そうだよ。…………あっ!もしかして」
「うん……協力、してくれない、かな……?」
なるほど、そういう手もあったか。確かにそのやり方なら、成功すれば設立の可能性もグッと上がりそうだ。
柏木さんの提案した唐突なアイデアに、僕が感心する一方で──、未だ理解出来ていない人物が一人、口を開いた。
「新任だから、なんなの?」
どうやら言葉を聞いても、未だピンときていないらしかった。『全く、先輩なんだから頭の回転くらいは早くなって欲しい』なんて内心思いながらも、鳶嶋先輩に分かりやすく説明する。
「部活を作る為に、協力してもらうんですよ。新しく教師になったばかりの先生なら生徒の意見にもきちんと耳を傾けてくれるだろうし。きっと力にもなってくれると思います」
それを聞いて、鳶嶋先輩も納得した様に頷く。
「確かに……」
そう言って少し考え込んだあと、
「よし、今出来ることをやろう!」
勢いよく立ち上がる。
その顔は、とてもやる気に満ち溢れていた。
「じゃあ、藍くんの担任の先生のところに、突撃!」
☆
「お願いします、手伝って頂けませんか」
誠意を込めて、頭を下げる僕達。
対する向かい側には、僕のクラスの担任でもある緑川千夏先生。
「うん、事情は大体理解したわ」
話を聞いた緑川先生が、頭の中で一通り状況を整理出来たのか、目線をこちらに戻した。
「だったら!」
気持ちが先走り、鳶嶋先輩が急かすように返事を仰ぐ。
緑川先生は、まるで鳶嶋先輩からその言葉が来るのが分かっていたかのように、そっと片手を鳶嶋先輩の前に掲げ、『待って』とポーズをとった。
「ひとつ、聞いていい?」
そう言うと、緑川先生は僕と柏木さんに目をやり──、
「湊道くんと柏木さん。あなた達は、なんでこの部活を作ろうと思ったの?」
それはごく真っ当な、何故その部活を作りたいのかという当たり前の質問。
「それは………………」
言いつつ言葉に詰まる。
本来なら簡単に回答できるであろうその問に、僕達は返答することが出来なかった──なぜなら、僕達はその鳶嶋先輩の行動力に惹かれて同行しているのであって(半ば強制という形ではあるが)、部活を作る理由や、部活動の中身については特にこれといって何かを持ち合わせているという訳でもないからである。
そんな僕達の様子を見て、緑川先生は「そう……」と言い、一呼吸おいてから、
「なら、ごめんなさい。協力は出来ないわ」
と、淡白にそう告げた。
あの優しい緑川先生だからきっと協力してくれるだろう、なんて勝手に思い込んでいただけに、断られるのはいやはや中々に意外だった。いやむしろ逆に捉えると、このたった少しの時間で僕達がどうして鳶嶋先輩と行動を共にしているのかを見事に見抜いた、と言うべきか。もしそうだとするなら断られるのも仕方がないのかもしれない。……まぁ、一人諦めの悪い人はいるみたいだが。
諦めの悪い《《その》》人は一瞬驚き、そしてすぐさま納得がいかないという表情で緑川先生に迫る。それはもう、まるで草食動物に迫る肉食動物のような勢いで。
「な、なんでですか!」
そんな鳶嶋先輩を意にも介さず、緑川先生は堂々と言い放つ。
「飛鳥さん。あなたが二人を勧誘するのは勝手よ」
そう、勧誘するのは勝手なのだ。
「でもね──」
☆
帰り道。
辺りはすっかり暗くなり、
僕達三人は、もうすっかり暗くなった道路沿いの歩道をまるでお通夜の帰りのようにとぼとぼと歩いていた。ひんやりとした冷たい夜風がスッと肌に触れる。いつもは気持ちいいその風が、今日は何故かとても肌寒く感じた。
「あ、あの……私、こっちなので……」
隣にいた柏木さんが、僕達の歩いている方とは別の方向を指差す。
「ああ、うん。ばいばい、また明日」
そう言って、柏木さんと別れる。
僕と鳶嶋先輩の、二人だけになった。
「………………」
「………………」
お互い、無言で帰路につく。
き、気まずい……。何せ、あんなことがあった後なのだ。鳶嶋先輩が落ち込むのも無理ないだろう。
「先輩の家って、こっち側なんですか?」
無言の沈黙が重たく感じ、ついついどうでもいい話を振ってしまう。鳶嶋先輩は俯いた状態のまま、
「……いや、ホントは別方向なんだけど…………」
と、そう口にした。
とても、いつもの明るくうるさいくらい元気な鳶嶋先輩とは似ても似つかない。気後れするのは分かるけど、こうも普段と違うとなんだかこっちの調子が狂うな。
「先輩、元気出してくださいよ。まだ無理と決まったわけじゃないんですから」
いつもの明るさを取り戻してもらおうと励ましの声をかけてみる。けれども鳶嶋先輩はさして変わる様子も無く、うつむき加減のままどんよりとした空気を醸し出していた。これは思ったより重症だ……
どうしようか……なんて考えていると。ふと、前方に明るく照らされたポールライトが目に入る。もうすぐ公園らしい。
ふむ……寄り道には出来すぎた場所だ。
「先輩、気分転換に公園にでも行きません?」
「うん、いいよ」
思ったよりもあっさりと二つ返事で返ってきたことに拍子抜けしつつ、公園のベンチに腰掛ける。勿論、鳶嶋先輩も隣に腰を掛けた。
「自販機で飲み物買ってきますけど、先輩もなにか飲みます?」
「んー、なんでもいいよ」
なんでもいいけどなにかは飲みたいのか。じゃあ──っと。
公園に設置されていた自動販売機でテキトーに選びボタンを押す。買った飲み物が取り出し口に落ちてくる時の『ガランガラン』なんて自動販売機特有の音が夜の静かな住宅街に響き渡った。
買ってきた温かい缶コーヒーとペットボトルのお茶のうち、缶コーヒーの方を鳶嶋先輩に手渡す。
「はい、缶コーヒー。熱いですよ」
「ありがと」
気温が冷えている今日はやっぱり温かいものに限る。
かじかむ手でペットボトルのキャップをあけ、温かいお茶を口に流し込んでいく。お茶の温かさがまるで身体中に染み渡るようだった。
「すみません、先輩」
ひと段落着いたところで、そんな言葉が自然と口からこぼれていた。
「なんで藍くんが謝るの?」
突然の事に驚いて目を見開く鳶嶋先輩。
「今回緑川先生に協力してもらえなかったのは、自分たちが原因だろうから……」
そう、恐らくそうであろう。もし僕らが具体的なものを持ち合わせていたならば少なくともこんな結果にはならなかったはずだ。なぜ部活を作りたいのか。根本的な部分が、僕らには欠けていたのである。
そんな僕の言葉に、鳶嶋先輩は「ううん、それは違うよ」と前置きをして、
「ここまで協力してくれた人なんて今までいなかったし、藍くんに至ってはかなり強引に勧誘しちゃったからね。にもかかわらずここまでずっと付き合ってくれて、感謝こそすれど責めたりなんかしないよ。だから全然、気にしないで」
先輩はそんな風に思っていたのか。
思いがけないその温かい言葉に、少しばかりの嬉しさと恥ずかしさが込み上げる。なんかちょっと照れくさい。
「そんな風に思ってくれていたなんて思いませんでした」
「もっとわがままで薄情な人だと思った?」
にこやかな顔で首を傾げながらそんなことを聞いてくる。
「まぁ、はい」
僕が正直にそう答えると、鳶嶋先輩は、「このっ」と言うなり僕の頭を拳でポンっと叩いてきた。いてて。
「よし、明日からも勧誘活動がんばろ!!」
先輩はそう言うなりベンチから勢いよく立ち上がり、缶コーヒーを一気飲みした。その姿は、さっきまでの先輩の姿ではなく、意気のある、本来の鳶嶋先輩そのものだった。
「とりあえずあと一人、勧誘頑張りますか」
言いつつ僕もお茶を一気飲みし、立ち上がる。
先輩の為にも、自分の為にも。部活を設立してやるぞという意気を込めて。
気持ちを新たに頑張ろう、なんて思うのもつかの間、
「コーヒーにがぁ…………」
隣にいた鳶嶋先輩が、コーヒーの苦さに苦しんでいた。
「一応1番甘いやつ選んだんですけど……」
「藍くん今度から砂糖とミルク持ち歩いて」
またまた人に無理難題を…………
ま、こうパッと締まらないのもこの人らしいか。
「はいはい」と苦笑いを浮かべつつ、僕たちは薄暗くなった残りの帰路を後にした。
その後なんやかんやで鳶嶋先輩が僕の家に泊まることになるのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。