変わらない日常
「……んっ……ふあぁ……………」
横になっていた身体を上半身だけ起こし、頭上に置いてある置時計を確認する。カーテンの隙間から射し込んでいる陽射しのせいで、《《それ》》はギラギラと、一段と輝いていた。思わず目を凝らしてしまう。《《反射》》に近い動作である。そんな目の前の、細い目で覗き込んだ先には、デジタル表示された「7:00」という数字が映し出されていた。少し空いた窓からは、小鳥のさえずりと共に、肌寒い風が頬を撫でる。その風に、僕は思わず身震いした。
「朝か……」
デジタルな画面から時間を察知し、脳が判断するまでに時間はかからなかった。
すぐさま起き上がると、自室のクローゼットに手を伸ばす。きれいに並べられたハンガー、そしてそのハンガーにかけられた洋服たちは、あたかもお店の《《それ》》を感じさせるようだった。
その中にある、周りとは全く雰囲気の違う一着を手に取る。真っ黒な、背広、肩パットのある《《それ》》は、今日、いや、今後3年間着ていくことになる大事な服である。3年間着れるようにとだけあって、今は袖や裾の長さもちょうど良いとは言えないのだが、それは今後の自分の成長に期待ということで。
身支度を整えリビングのある1階へ向かうと、迎えてくれたのは母親だった。
「あ、おはよう藍耶」
エプロンをつけて台所から声を掛けてきたのは僕の母親の洟道美知留。長い髪に整った顔立ち、そしてスタイルまでいいのだから、子である僕が言うのもなんなのだが、いい意味で年相応に見えない人である。この前近所のスーパーに一緒に買い物に行った時だって姉弟と間違われたくらいだし。
「おはよう」
「朝ごはん準備出来てるよ」
「ういー」
二つ返事をしながら自分の席に座り、朝食を頂く。今日は無難に目玉焼き、サラダ、ご飯に味噌汁といった献立だ。うん、今日も美味しい。
なんてことは無い。いつもの日常だ。
「あ、お兄ちゃん。おはよう」
食べている途中、ふと妹の夏希に声をかけられた。声が聞こえた方に目線を移すと、そこには準備支度を済ませ、本を手にしている妹の姿があった。
ショートヘアの短い髪に、陸上で鍛え上げられた細くも引き締まった身体をしたスポーツ少女。それが僕の妹、夏希だ。運動が嫌いというわけではないが、趣味がインドアな僕とはまるで正反対と言ってもいいだろう。まったく、どうして兄妹でここまで違うのだろうか。
しかしそうは言っても、別に特段兄妹仲が悪いという訳ではない。むしろ、周りと比べれば良い方なのかもしれない。大きくなってからは喧嘩も全然していないし、お互いに口を聞かないなんてこともなかったし。
「おはよう、夏希」
「今日の入学式、頑張ってね!」
おはようと返すや否や、そんな事を言ってくる妹。学校が始まっているならともかく、入学式で頑張ることなんてこれといって特にないだろうに。
「特に頑張る事なんて何もねぇよ」
そう言ってみるものの、
「あるよ!!第一印象は大事なんだから。くれぐれもヘマしないようにね」
過去になにかあったのか?まあ、第一印象が大事っていう考えは理解できなくもないけれど。
「へいへい」
妹からの応援なのか注意喚起なのかよく分からないものを背に受けて、朝食を食べ終えた僕は家をあとにしたのだった。
☆
「久しぶりだな……」
校門の前まで来ると、不意にそんな言葉が口からこぼれた。何を隠そう、実はここに来るのは2度目なのである。(※受験する際に一度来ているのでごく当たり前である。)
身体より大きい学ランに《《着られ》》ながら校門をくぐと、校内に立ち並ぶ桜の木々が一斉にお出迎えしてくれた。心地よい風が頬を撫でる。ヒラヒラと舞う桜の葉が、まるで僕達新入生を歓迎してくれているようだった。
いよいよ、これから新たな学校生活が始まる……!
少しの期待と希望に胸を膨らませながら、一歩、また一歩と歩んでいく。
ふと、中央にある、他と比べて一際大きな桜の木が目前に迫った時。
「ーみ、ーーて〜〜!」
突然、後ろの方から大きな、人の声らしきものが聞こえた。何事かと思い、咄嗟に振り返る。……どうやら、遠くから何かがこちらに向かってきているようだった。小さくてよく見えねぇ……目をこすり、凝らしながらもう一度よく見てみる。
……そこには、一風変わった格好をした女の子が、全速力で走ってきている姿があった。
「君、どいて〜〜!!」
その声が、今度ははっきり聞こえた。どうやら聞き間違いではなかったらしい。
朝からそんなに慌ててどうしたんだろう。そんなに勢いよく走って来たらそのうち人にぶつかるだろうに……ん?なんか真っ直ぐこっちに向かってきてるような…………?
脳が現状を理解し、判断する迄に時間を要した僕は、《《君》》が誰のことを指すのかということにようやく気づく。
「あ、ありがと…あ……あ〜〜!!」
「ゴォォン!」
間一髪で回避した時には、女の子の言葉と衝突音とか絶妙なハーモニーを奏でていた。
大きな桜の木に激突した女の子はといえば、音から察するに恐らく物凄い勢いで衝突したのだろう。そのまま全身バタッと倒れてしまっていた。
おいおい、大丈夫かよ……
「あの……大丈夫、ですか……?」
恐る恐るも、心配になって声をかけてみる。
その女の子は、身体は少し小柄だがスタイルが良く、同じ高校生とは思えないほどキレイな容姿をしていた。
「いてててて……。……まぁ、なんとか大丈夫みたい………」
片手で頭をさすりながらそう答える女の子。頭部から何やら赤いものが噴き出しているように見えるが、きっと僕の見間違いだろう。気にしないことにした。
「それより君、新入生?」
「まぁ……はい、そうですけど……」
さっきの衝撃を気にする様子もなく、その女の子は流れるように尋ねてくる。僕がそう答えると、どことなくテンションが上がったように見えた。
「それは良かった!!実はね……」
言いながら女の子が鞄からゴソゴソとなにやらチラシのようなものを取り出す。
「ジャーン!!新しい部を作ろうと思うの!!」
「・・・」
はて、この人は急に何を言い出しているんだ……?
理解が追いつかないまま、とりあえず見せつけてくるチラシに目をやる。
「……Let's,enjoy部……?」
そこには、堂々と、「Let's,enjoy部!!」と書いてあった。……ネーミングセンス皆無じゃん。
状況を理解出来ていない僕でも、それくらいはわかる。てかこれ、絶対設立許可降りないだろ……。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、女の子はこう切り出した。
「…………良かったら……入って、みない…………?」
「…………ふぇ?」
正直、何を言っているのか分からなかった。
思わず反射的に変な声が漏れてしまう。
入るって何のことだ?部活?今?急に?こんな訳の分からないものに?
「どう………かな…………?」
上目遣いで問い掛けてくる女の子。その仕草に思わずドキッと動揺しそうになる。しかし、状況が状況だ。僕は平静を装いつつ、簡潔に答えた。
「すみません。入りたい部活があるので」
実際はまだ決めていないが、この場を逃れる為だ。嘘も方便と言うし。
すると女の子は、「…………そっか…………」と言って少し考え込んだ後、
「じゃあ……力ずくでも入らせるね♪」
…………は?
聞き間違いかと思いもう一度訪ねようとした時には、既に僕の左腕はホールドされていた。
「痛っ……!は、離してください……!」
必死に抵抗するも、がっちりホールドされていて逃げることはおろか、振りほどくことさえ出来ない。見た目によらず、なんて馬鹿力なんだ。
「いいや、君が入ってくれるまで離さないからね……!」
「別に僕じゃなくてもいいでしょ……!」
「まぁ、これも何かの縁って事で♪」
いや適当すぎない!?そっちから絡んできたのに!!
するとその女の子は、あろうことか僕の腕の関節を逆方向にもっていこうとした。おいおい嘘だろ…………?
「あ、あの……関節……そっちには曲がりませんけど…………」
「試してみる?」
返答に一切の迷いがない。
「……結構です…………」
心の底から恐怖を覚えた。
まったく、キレイな顔しておいてなんて恐ろしいんだこの人は。
「……それで、なんで今更新しい部なんか作りたいんですか?」
開放された左腕が正常に動くのを確認しながら、最もな疑問を問いかける。逃げ場がない以上、僕に残された選択肢は他に存在しなかった。
すると、女の子は「よくぞ聞いてくれました!」と言わんばかりの勢いで僕に言い放った。
「楽しい学校生活を送りたいから!!」
……それだけ……?そのために僕の左腕は犠牲になろうとまでしたのか……
「今は楽しくないんですか?」
「なんか最近つまんなくてねぇ……どうすれば楽しくなるかなって考えたの。それでね、考えたんだけど……新しい部活を作ったら、今よりも楽しい学校生活が送れるようになるんじゃないかな〜、と思って」
なるほどなるほど。だからこの人はメイド服姿で登校している訳か。なら納得だ。納得……………………
納 得 で き る か
「……なんでメイド服姿なんですか?」
一応聞いてみる。
「え?だってその方が可愛いじゃん!!」
やばい、やっぱりこの人ヤバイ。
「それより新入部員君、部員の勧誘よろしくね♪」
いつの間にか入部した事になってるし……
「いや、だから僕は」
「なにかな?」
最後まで発言することも許されず、女の子は腕の関節を逆方向に曲げにかかっていた。
「…………なんでも……ありません…………」
「ならよし!!勧誘は任せたよ!」
そう言い残し、女の子は校舎の方へそそくさと走って行ってしまった。
「なんだったんだ、今の……」
思わず呆気にとられる。
僕はその後ろ姿を、ただただ眺める他無かった。
……ふと、頭の中に一つの疑問が浮かぶ。
「つか誰なんだよ……」
すると、僕のそんな呟きが聞こえでもしたか、先程の女の子が走ってこっちに戻ってきた。
「そういえば自己紹介してなかったわね。私は二年C組の鳶嶋飛鳥。君は?」
「えっと、一年の洟道藍耶です。」
「藍耶君、か。ん〜、藍耶君は言い難いから、洟道君……藍君……うん、藍くん!!これからよろしくね、藍くん!」
やっぱり入部する流れになってる……。
「あ、あの!」
僕の必死の呼びかけも虚しく、鳶嶋先輩は「じゃ!」と言い残し再び校舎の方に走り去っていった。
桜の花弁が、ちらちらと散ってゆく。
おいおい、これからどうなるんだ、僕の高校生活…………
心地よかった風も、心なしかさっきより冷気を帯びていた気がした。