安寧と罠
この基地を見て回ってひとつ理解したことがある。
それは、圧倒的に防衛力が足りないことだ。
基地の四方には薄いがコンクリートの壁が設置されている。
遠方を確認できる監視塔もある。
だが、対空用の戦闘ヘリも偵察用の無人機もない。
書面には戦車の数が12と書いてあるがどう見てもその数にならない。
「何故ここまで防衛力が低いのかとても不思議ですね。」
私は弾薬がほとんど入っていない戦車用の銃弾箱を開ける。
「数日前、帝国軍との激しい戦闘で前線の戦力が疲弊し、戦線維持の為の部隊としてこの基地の戦闘ヘリに、戦車には武器弾薬を詰めて前線に送ったわけで、今はほとんど戦力が居ないわけだ。」
「なるほど。では今この基地にある総戦力はどのくらいいますか?」
私の質問に対して終は、
「戦車6台。あとは二等兵30人、一等兵19人。」
と淡々と答える。
「しょ、一個小隊規模しか無いのか…。」
あまりの少なさに絶句する私。
それも当然で、通常の基地では100人以上もしくは一個中隊以上を常時配備するように決められている。
少なくとも教育ではそう書かれていた。
それが一個小隊規模しかいない。
しかし資料を見ると、「120人の中隊、戦車12台、戦闘ヘリ2基、無人偵察機3基配備」と記されている。
「だが、資料には総戦力は少なくても今の4倍はある数が書いてあるのですが…。」
「前線の支援に向かった部隊、輸送中に運悪く戦闘に巻き込まれて全滅たからなぁ。司令官含め。」
司令官、ということはここの基地のトップも既に居ないということになる。
私は眉をひそめて、合点がいったと終を見つめる。
「なるほど。だから「特務中尉」か。」
「ああ、そういう訳だ。」
終は分かっただろう?と肩をすくめる。
先程この基地のトップとして挨拶を交わしたレヴァリエという男。
彼が言っていた肩書きは「レヴァリエ特務中尉」だ。
私のいる王公国の基地の司令官の座につくことが出来るのは中尉より上の階級となる。
だが、様々な理由でそれが不可能な場合に限り、特務中尉という役職が活用される。
中尉だったものが基地の指揮を執る必要にある時は暫定的に中尉から特務中尉へと階級が上がる。
つまりこの基地の司令官は正規の司令官では無いということになる。
経験などの事も考えて、はっきり言って特務中尉が司令官というのは不安だ。
何か起こった時すぐに正しい対応ができるかが死活問題だからだ。
そんなことを考えている私の横を、砂ぼこりを上げながら戦車団が通り過ぎていく。
「あれは?」
と私。
「定期的にある基地周辺の見回りだな。」
見ると最前列の戦車のハッチから例のレヴァリエ特務中尉が上半身を出している。
特務中尉が司令官になると基地周辺の見回りを特務中尉直々に行うということになっている。
より基地の現状を理解して、司令官として素早い判断を出せるようにするためだ。
だが、私の目に付いたのはレヴァリエ特務中尉の後ろに付いて走行している戦車の数だ。
彼の戦車を含め合計5台。
さっき終伍長がこの基地には6台の戦車があると言っていたので、つまり、戦車は1台しか基地に残らないことになる。
「あれ、5台ですよね?」
私は目を細めて間違いでないか確認する。
「どう見ても5台だな。」
私が見ている方向をそっけなく見て終は答える。
「間違いなく条項違反…」
先日まで英才教育を受けていた私は軍の様々なルールを頭に入れている。
だからこそ、目の前の事態が受け入れられなかった。
「ああ、基地には常時2台以上の戦車を残しとけってやつか。」
「絶対不味いやつだ…。」
「ああ、不味いな。」
終は動揺することなく、そしてつまらなそうに返答する。
もしも私が本国からこの基地を視察しに来ていた将校だとすれば、レヴァリエ特務中尉を厳重注意するところだ。
そもそも基地周辺の見回りだけに戦車5台を動かすのは神経質すぎる。
それ自体に違法性はないが、現在の防衛力等のパワーバランスを考えれば、基地を守るという事が最優先事項として失格な行為とも言える。
むむむ、とうなっている私を見て終は話しを始める。
「数日前に戦死したこの基地の司令官とレヴァリエ特務中尉は仲が良かったんだ。奴にとって身近な上司が死んだのはやつ自信に恐怖を与えた。次は俺の番、だってな。奴は神経質になって、見回りには多くの戦車を引っ張り出すようになったって訳だ。」
「何故、誰も彼を止めないのですかね?」
「止めたところで、奴はもっと神経質になるだけだからな。人員不足で本部から新しい司令官も来ない以上、どうしようもない。」
「しかし…」
私の反論に終は呟く。
「どうしようもねぇのさ。あの神経質野郎が司令官として居座れて、失った戦力分の補充がすぐに届かねぇことから分かるが、王公国には余裕がないんだよ。」
確かに圧倒的物量差を持つ帝国は強大で、王公国は前線を維持するのに精一杯とは聞いていた。
だが、これ程までに軍が疲弊しているのは私の予想よりもかなりひどい状況だった。
だがそれでも、いつ死ぬか分からないような安全が保証されない最前線に配属されると予想していた事と比べると遥かにマシな基地だった。
てっきり、英雄の家の厄介者である私は最前線に送られて直ぐに戦死するものとばかり思っていた。
実際、私の父ならばやりかねないし、ほぼやるであろうと確信していたのだ。
私が言うのもなんだが、家の名を汚す、汚らわしいネズミを始末するには最高の機会だと思うのだが…。
だが、ここは後方。
何も起こらないはずだし、何も起こらないのが後方だ。
「どうやら軍事費用を縮小することが決まったらしいぜ。貴族共が積極的に推進しているらしい。」
湯気が立っているコーヒーを片手に椅子に座ってくつろいでいる一等兵は別の一等兵に喋りかける。
「マジかよ!相変わらず貴族の連中は適当なことしやがる。戦争に負けてもいいってことかよ?」
別の一等兵は弾薬の箱詰め作業する手を止めて、質問してきた方を振り向く。
「さぁな。だが、本部にいる総司令官は腹がにえたぎる思いだろうな。貴族連中を相手にするより、帝国軍を相手にしている方がマシだな。」
「ははっ、違いねぇ!内部にいる敵を相手にする方がよっぽど怖いからなぁ。」
私は拍子抜けすると同時に、心の底で安堵してもいた。
死の危険がある基地に配属されている兵士なら、コーヒー片手に談笑する余裕など無いからだ。
少しでも気を抜けば、明日は隣で寝ていた戦友が砲弾の餌食になっているだろうから。
私はあまりの平和に思わず笑みをこぼす。
だが、私に安らぎの時間など与えられるはずもなく、平和の静けさは爆音と共に終わりを迎える。
爆発音の方向を見ると、黒煙と炎が基地北部に位置する森の中から上がっている。
基地にいる兵士達も何が起こったのかと立ち尽くす。
「あの方向は…」
ふいに終が呟く。
「あの方向?あそこに何かあるんですかね?」
「あそこは特務中尉の巡回ルートの道だ。しかも、中尉たちは今基地を出たばかりだ。」
「っつ!それって…!」
森の方から響いてくる地響きに、私は頬に汗を感じる。
一瞬の静寂の後、木々をなぎ倒して漆黒の戦車が現れる。
圧倒的重量感と破壊力で何台もの戦車が次々と森の中から轟音を立てて姿を現す。
戦車の腹部には国旗。
漆黒の竜が血のような赤い旗の中心に描かれている。
それは前線にて王公国軍の北部戦線部隊と交戦しているはずの帝国軍の旗だった。
戦車に切り倒された森は奥まで視界が行った。
そして、黒煙が上がっている所には戦車が5台。
どれもひしゃげて炎と煙を上げている。
そして次の瞬間、炎が揺らめき王公国の戦車を飲み込み爆発する。
そう、何かがおかしいと思ったんだ。
私に限ってこんなに平和な基地に配属されるなんて。
基地の周りにあるコンクリートの壁を、豆腐を崩すように帝国軍の戦車が破壊し、巻き込み、瓦礫と化す。
あまりに出来すぎたタイミングだ。
戦車の腹部には「SS-29」と白い文字が書かれている。
その後ろを追従する戦車にはそれぞれ、「SS-31」と「SS-32」。
父の部屋で見た赤い封筒。
その中にあった紙に書いてあった文字と同じだ。
そうか、と心の中でつぶやく。
戦車から砲弾が発射される。
次の瞬間には先程までコーヒーを飲んでいた一等兵がいた地面がえぐれている。
周りには血が飛び散った跡だけが残る。
「そういう事か…。」
父の部屋にあった赤い封筒の書類。
あれは私を帝国軍の攻撃による戦死という内容で殺害するため、帝国軍と手を組んだという事を示す証拠にほかならない。
私は目の内に走馬灯を見る。
棺に収められた未来の私を見て、家の者達は私を弱虫だと笑い、間抜けだと蔑み、私を侮辱するだろう。
その光景が予測出来て、そして私を殺す為にこの基地にいる兵士の命をゴミのように捨てる彼らの姿に腹の底から怒りが湧き出す。
これが英雄のやる事か。
目の前には、黒光りする戦車砲が私を覗き込んでいる。
絶体絶命の状況だ。
数秒後には死ぬかもしれない。
私は汗が吹き出すのを感じる。
だが、私は生き残らなくてはならない。
ここで死ぬことは、英雄の一族に負けるという事になる。
だからこそ、私はこの状況に挑まなくてはならない。
「かかってこいよ、この世の不条理。それを乗り越える為に俺はいる!」