ザック・アストリアの最悪で最低な人生
産まれたばかりの私はベッドの中にいた。
無機質なタイル張りの部屋の中、周りには私と同じ歳であろう赤子たちがそれぞれのベッドに均等に収められている。
「ここはどこだ?」
と言おうとしたが、喋れない。
赤子だから当然か。
これではここがどこか聞く程度の意思疎通も絶望的だが、生憎周りには大人は一人もいない。
周りの赤子はみな寝ていて、部屋の中で起きているのは私だけだった。
静寂の中、不意に自分の頭の上が気になる気がして、私は頭をもたて確認する。
頭上には何も無い。
だが次の瞬間、黒いモヤをまとった渦が宙に現れる。
ズズズ、と重くまとわりつくような音で広がり続けた渦は、赤子の私と同じくらいの大きさになるとそこで停止する。
それが一体何なのか考えていると、どす黒い渦の中から赤子が出てきて、私のベッドの中にポトリと落ちる。
産まれたばかりのようで、私と同じようにふにゃふにゃと鳴いている。
興味本位でその赤子に指を触れた瞬間、物体は渦を激しく巻き込み始める。
それと同時に私の体は宙に浮き、渦の中に飲み込まれた。
視界がどんどん黒く覆われていく中、先程まで私がいた空間が後ろの方に見える。
オギャー、と先程の赤子が勢いよく泣き始める。
その鳴き声を聞いた白い服を着た女性がドアを開けて部屋に入ってくる。
その女性は私がいたベッドにいる赤子に対して、
「お〜よしよし。○○くん、大丈夫よ〜。いい子だねぇ〜」
と赤子を抱き抱える。
(違う!それは私ではない!私はここにいるんだ!)
暗闇の中で必死に叫ぶが、向こうに声は届かない。
彼女はあの赤子を私と思い込んでいる。
私はここにいるというのに。
徐々に視界が黒く染まり、そして真っ暗になった。
急に視界が白くなり、暗闇が消え去る。
急な明るさの変化に、私の目はその環境に慣れるまですこし時間を要する。
上を見上げると、先程までの無機質な部屋から一変、壁や天井には豪華な装飾が施されている。
私はベッドの中にいた。
ベッドもまた豪華な装飾が施されていた。
その空間は先程まで私がいた場所とは似ても似つかぬ全く別の場所だった。
白衣の女性もいない。
周りにあれほどいた赤子たちもいない。
1人の女性と男性がベッドにいる私の方に歩いてくる。
恐らくは彼らは赤子の親だろう。
2人は私を見つめ、女性が優しい顔で私の手に触れる。
「ザック…。いい子ね。」
彼女は優しく私に語り掛けるが、私はザックではない。
彼らの子でもない。
ここはどこだ。
私は…。
◆◆
「はっ!」
私は冷や汗をかきながらベッドから飛び起きる。
また、あの夢だ。
豪華な装飾の大きなベッドの横にある大きな窓から見える外の景色は、とても綺麗なものだった。
太陽光に当てられて、草原は輝きをその体に宿し、新緑の木の葉が風に揺られている。
外は心地が良さ良そうだ。
だが、それを一瞥して私はベッドから起き上がる。
私の心の中に外の景色のような心地良さは無い。
今日は、私が戦場に行く日だからだ。
服を着替え、私は部屋から出る。
赤の絨毯が引かれた廊下を突き当りまで歩き、高さがある豪華なメインホールに降りるため、螺旋階段の手すりに手をかける。
「よぉ、元気そうじゃねぇか。ついに今日居なくなるんだよなぁ?寂しいなぁ〜。」
ロビーからバカにする声が聞こえてくる。
大げさに両手を広げて、こちらに歩いてくるのは弟のエリックだ。
顔には黒い笑みを浮かべている。
エリックの言う「寂しい」と言うのは私をこれ以上イジメられなくなるのが残念だと、彼の獲物を見下すような目から理解出来る。
「あら、まだいらしたの。」
私を蔑む言葉がロビーに繋がる廊下から聞こえてくる。
廊下から出てきたのは妹のマリー。
きらびやかなドレスを見にまとい縦ロールを揺らしながら、貴族らしい上品な気風と品格がその言動から見て取れる。
彼女は私を冷たい目で私を視界に捉えると、ウジ虫を見るかのように軽蔑の視線を送ってくる。
「エリック、子供じみた事をしている場合ではないでしょう?あんなゴミに喋るだけ無駄よ。」
出会って早々にゴミ扱いされた。
ひどい言われようだが、私にとってそれは慣れたようなものだった。
エリックは「へいへい」と、マリーの後ろについて反対側の廊下に消えてゆく。
私は虐められているのだ。
「英雄」と呼ばれる者達から。
◆◆
私の家は国を作ったとされる王とそれを支えた「7英雄」のうちの一人、「知力」を得意とする英雄アストリアの子孫だ。
当然、英雄の一族として家の存続と名を広げる為にその子供達は英才教育を施される。
私の兄弟達は勉強をするのがとても得意だった。
私も勉強は出来たが、彼らほど習得は早くなかった。
兄弟達の髪の色は金髪か茶色だった。
私の髪の色だけ黒だった。
それにより私が本当に英雄の一族なのか疑問視する声が上がったが、祖母が黒髪だった事からこの件は祖母の遺伝子が私の髪に表れたということで決着が着いた。
私は英雄の一族の人間だ。
それは変わりない事実。
だが、「私はこの家の人間では無い」と感じていた。
私はよく同じ夢を見る。
私は黒いもやに吸い込まれて、気がついた場所はこの家のベッドの中だった。
たまに夢に出てくるこの内容が、現実に起こったことなのだと気づいたのはいつだろう。
赤子の頃の記憶はほとんど覚えていない。
ただ1つ、あの黒いもやは今でも鮮明に覚えていた。
しかし、あの黒いもやが人工物か自然に発生したものか。
それすらも分からない。
私はロビーを抜けてこの屋敷の中でもひときわ存在感を放つ豪華なドアの前に来ていた。
ドアをノックすると、
「入れ。」
私は部屋に入る。
目の前には私の父であり、この家の当主でもあるグェンダ・アストリアだ。
鋭い目つきに私は体がこわばるのを感じる。
私は早く部屋から出たい衝動を抑え、父のいる机から5メートル手前に行き、直立する。
「…今日はお前の旅立ちの日だな。」
「はい。」
私は短い父の言葉を肯定する。
そして、沈黙が包み込む。
そのうち私は沈黙に耐えきれなくなり、目線を上に向ける。
両側の壁には既に戦場へ旅立った私より上の兄弟たちの写真が並べられている。
皆、笑顔を顔に浮かべている。
だが、私は知っている。
彼らの笑顔の裏には、黒く卑劣な顔があることを。
◆◆
私がまだ小さい頃、壁に並べてあった兄弟達がまだ家にいた時。
アストリア家には家族全員で食事をするという事が昔からのならわしが存在していた。
その為、その日も親と大勢の兄弟達で大きな食卓を囲んで皆で食事をとっていた。
性格や髪の色、体格、能力などでアストリア家の人間とはまるで似つかなかった私は小さい頃から兄弟達にいじめを受けていた。
それは家族団らんの場である食事の時間も例外では無かった。
長方形の丸テーブルの周りを囲むように座る兄弟達。
最年長の子供が親の近い方から座り、まだ小さかった私は親から遠い席に座っていた。
左横にはエリック、正面左の方にはマリーが座っている。
2人ともまだ幼いがエリックはやんちゃさが残る顔で、マリーはその頃からお嬢様気質で静かに食事をとっていた。
エリックは左手になにかを持っている。
私は彼の手を見ると、虫の足がちらりと見えた。
エリックは本当に虫取りが好きだ。
やんちゃさで言えば、この家で1番元気だろう。
だが、なぜ食事中に虫を、と思うがエリックの事なので放っておく。
テーブルには豪華な食事が並べてあるが、私は緑色のただのスープをスプーンで飲むだけだ。
私が兄弟達と同じ食事を食べると、「英雄でも無いやつが英雄と同じ飯を食べている」と陰口を叩かれるので、質素な食事をとって彼らから目をつけられるのを避けたかった。
親の方のテーブルでは、最年長の兄と姉達が楽しそうに食事をとっている。
彼らの多くはお兄さん、お姉さんと呼べるほどに面倒みがよくて、優しくて、少数だが何人かは私をいじめるどころか可愛がってくれた。
だが、彼らがいなくなると影に潜んでいたエリック達、歳の近い兄弟が私をいじめるのだ。
年長の兄弟達にバレないように、タイミングを見て私をもてあそんでくる。
私は右で楽しそうに食事をしている年長兄弟達を羨ましく見つめて、それから正面に顔を戻す。
視界の左でエリックがなにか手を伸ばしていた。
私はエリックを見るも、彼は両手を広げて「なにもしてない」と私に見せてくる。
私はスープに手をつけようとして、異変に気づく。
虫の足が緑のスープに半分沈みかけて浮かんでいた。
先程までは無かったし、あったら私が気づいている。
そもそも、英雄の一族の食事に虫が入っているなど通常は有り得ない事だった。
私はスプーンを入れて虫をすくい上げると、黒光りするコオロギがスープの中から出てくる。
既に死んでいるが、このスープを飲む気は失せてしまった。
エリックはキザな笑みを浮かべると、
「なんだよ、ザック。スープ飲まないのか〜?」
半笑いでわざと大きな声を上げる。
エリックはニヤニヤと私を見る。
エリックは私がスープから目を離した隙に、さっき手に持っていた虫を入れたのだ。
そう彼の笑みが証言していた。
「どうしたザック、飲まないのか?」
1番端にいた最年長の爽やかで体格が良い兄、アーサーが私に訊ねる。
勿論、いじめる為ではない。
むしろ、アーサーは家でひどい扱いを受ける私に対して随分と優しくしてくれている。
私は周りを見ると、ザックと周りの兄弟達はゲスな笑顔でこちらを見ている。
マリーは真顔を崩さず、しかしほんの少し笑みを浮かべたのを私は見逃さなかった。
どうやら私の周りに味方はいないらしい。
ほとんどの兄弟達は私に、
「アーサーに言ったらお前に酷いことをするぞ」
と、脅しをかけるような目をしている。
父が助けてくれる、などということも無かった。
アーサーの横に座る父はこちらには目もくれずに食事を淡々と取っている。
彼は私がいじめられているとは知っていたが、私に対するいじめを止めることは無かった。
むしろ、家の邪魔者がサンドバッグとして兄弟達の役に立っているから特に邪魔をしないだけだろう。
年長の兄弟達に私がいじめられていることを言っても、この家で力無い私の言葉を信じてくれるだろうか。
いじめを知らない兄弟達は私の事をさげすみはしないものの、いじめにより発生した私に対する噂を耳に入れているはずだ。
つまり、これ以上私が不用意な発言をしても信じてくれるものが居るどころか、逆に私が疑われるかもしれない。
真実を伝えれば、この場はしのげるかもしれないが、この後が怖い。
彼らは私に寄って集ってもっと酷いいじめをするだろう。
私は虫が入ったスープを見つめる。
私に選択肢など無かった。
◆◆
父は、
「言っていいぞ。」
と言う。
私は一礼をしてドアに向かう。
今から息子が戦場に行くと言うのに、言われたのは言っていいぞ、だけ。
父は私を厄介払いできて嬉しいだろうか。
その時、左側の机の上にある赤い封筒が目にとまる。
封筒からは書類が出ていて、紙には「SS-29、31、32」と書かれていた。
私がいる国「王公国」は「帝国軍」と目下戦争中である。
前線では、毎日のように戦車と戦車、兵士と兵士がぶつかり合っている。
私を含む英雄の一族はある年齢になると戦線地帯近くの基地にて、いずれ兵士を導く存在になり英雄の一族として恥じない戦果を得るために戦地へ出向しなくてはならない。
ちなみに王公国軍は青と白の国旗。
そして、帝国軍の国旗は赤と黒い龍が描かれている。
帝国国内で使われている事と、帝国軍を連想するということで基本的に赤色の封筒はここでは使われていない。
しかし、父の部屋には赤い封筒がある。
私は妙な違和感を覚える。
そして「SS-29、31、32」の文字。
何かの暗号だろうか、それとも…。
私は胸騒ぎがする。
◆◆
荷物を入れたバッグを車に積み込み、軍用ジープの助手席に座る。
運転手は私が乗ったことを確認するとエンジンをかける。
今日でこの忌々しくも理不尽な英雄の家を離れることが出来る。
戦場は過酷だ。
だが、私にとってあの家を離れられる事はとても嬉しいことだった。
戦場に出ても私は英雄の一族の特権で、すぐに前線に立つことはない。
そして英雄の一族ということで階級を貰え、ある程度の自分の自由を獲得できる。
上手く行けば、あの家に二度と戻らなくてもすむだろう。
私はどんどん小さくなっていく屋敷を見ながら、心に誓う。
「私をいじめたあの家の者達を見返す為に、私は強くなる。そしていつか、彼らが喉から手が出る程大きな功績を挙げ、真の英雄になる。」、と。
これは英雄の一族から蔑まれ続け、その不条理な運命にもてあそばれた青年の反撃の物語である。